第3話 人がいた

文字数 1,178文字

 家の中はもちろん、家の外にも、いつも人の息遣い── 人がいる、ということが感じられたのは、こどもだったせいだろうか。しかも、それが生き生きと感じられたのは。
 幼なじみの女の子の家には、丸い小さなおばあちゃんがいて、ぼくは遊びに行くたびにいつもジッと見つめられた気がする。口が、いつももごもご動いているのが不思議だった。
 彼女の家に遊びに行くと、そのお母さんに、なぜかよく爪を切られた。

 小学に上がると、近所の商店街の八百屋の奥さんが、入学祝いに電動鉛筆削り機をくれた。本屋に行けば、長細い店の奥で、いつも小さなテレビを見ていた小さなおばさんが、いつもニコニコして、こんにちは、と嬉しそうに言ってくれた。
 隣りの家に回覧板を持って行けば、そのおばさんもいつも嬉しそうに笑って、お菓子をくれた。おじさんも、いつも穏やかにニコニコしていた。
 夜になると、テレビを見て、大きな声で楽しそうに笑うそのおばさんの声が、よく聞こえてきた。遅れて、少し控えめな、おじさんの笑う声もした。
 母が一番親しくしていたお友達の家には、ナナという小さな室内犬がいて、よく遊びに行った。おじさんは何の病気だったのか、いつもベッドに寝ていて、テレビを見ていた。それでも「やあ、いらっしゃい」と必ず笑って言ってくれた。

 母は生け花の先生をしていたので、毎週金曜日の夜には、4、5人の生徒さんが家に来た。若い女性もいて、その香水の甘い匂いに、ぼくはドキドキした。教室が終わってみんなが帰る頃、玄関にバイバイしに行くと、彼女たちは素敵に笑ってくれた。女性のもつ不思議な華やかさを、ぼくはこのとき覚えたのかもしれない。

 みんな、どうしてあんなに笑っていたんだろうと思う。やさしくて、とにかく笑っていて、よく面倒もみられたと思う。そして、それがまるで自然のようだったのだ。

 裏庭の塀向こうのアパートからは、いつも子を叱る母親の声が聞こえていたし、ぼくの兄は昼間、ステレオで大音量でレコードをかけていた。
 近所ではないけれど、父と後楽園場に野球を見に行った際は、客席でモクモクとタバコを吸う人もいた。でも、周囲の人たちは寛容だった。

 こどもだったぼくには、目に映る現実がすべてだった。その現実から、その人となりや生活、そして心の模様のようなものが、こどもなりに感じられ、「入ってきた」ような気がする。だから今も、あの時の空気の震動がそのままに、この身体のなかに残っているのだと思う。
 こどもの頃の想い出、そのほとんどぜんぶが、人によって埋められている。
 それは、ぼくという人間をつくったことになるのか?
 影響はあったろうけれど、

とまでは至らないだろう。なぜなら今も時間は過ぎているし、記憶が今をつくっていることには変わりはないだろうからだ。そして今も、ぼくは変わり続けているだろうからだ。
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