誰かとごはんを食べたくない話(フルバージョン)

文字数 2,062文字

 クリスマスまであとひと月ちょっとだ。俺は窮地に立たされていた。場所は深夜の公園だ。俺と園子は並んでベンチに座っている。あたりはしんと暗く、人影はない。頭上の街灯がスポットライトのように俺たち二人を照らしている。なぜそんな時間帯に公園でデートしているかといえば、これは100パーセント俺のわがままのせいだ。俺はゴリゴリの独りメシ派で、家族だろうと恋人だろうと一緒に食事がしたくない。するとタイミング的にデートの時間は深夜か早朝になってしまう。園子はそんな俺に愛想もつかさずつき合ってくれている。最初に告白してから既に半年が過ぎていた。俺にしてみれば奇跡に等しい新記録だ。だがそれも今日で終わりになるかも知れない。園子がクリスマス・イヴに一緒に食事がしたいと言い出したのだ。彼女はもじもじと体を揺すりながら、小さな声で言った。「わたし、気取らないフレンチがいいわ」
 俺は必死で断る言い訳を考えていた。何で一緒に食事をするのが嫌かって?俺は逆に、他人と一緒の食事がどうして耐えられるのか、皆に聞いてみたい。だって栄養摂取なんて生物のエゴの極致だろう。俺は自分がメシを喰っているところを他人に見られるのがすごく嫌だ。他人が食べるのを見るのも嫌いだ。あんなものは排泄といっしょだ。肛門と口とはひとつながりの器官だろう。まして食事をデートの場に選んで、魚や豚や七面鳥の惨死体を前に愛を語らうなど、グロテスクにもほどがある。一緒に尻を出してウンコしながら口づけするほうがまだマシだ。俺はこの思想を園子に何度も説明してきた。彼女も一定の理解を示してくれていたのだ。しかし今日だけは勝手が違った
 俺が返事をしぶっていると、園子は脇に置いていたバックのなかをガサゴソとさぐった。現れたのはごついサバイバルナイフだ。彼女は鞘から刃渡り30センチはあろうかという刀身を半分くらい抜くと、鈍い光を放つ灰色の鉄の上にツツツと指を走らせた。肩の下まで伸びた黒髪に隠れて顔は見えない。これはいつものことだ。園子は貞子系なのだ。俺はそこが気に入っている。と、園子がなにかぼそっと言った。彼女の声はとても小さいので、耳を口元に近づけなければ聞き取れない。「何だって?」俺がもつれ合う髪に頬をくっつけると、彼女はクスッと小さく笑って繰り返した。「鉄があるとおちつくのよ」「そうかい」「そう」園子はこくんと頷くと、枯れ葉がカサカサ鳴るような小声で続けた。「ヒッタイト王国の昔から、人類は鉄の呪術的な力に魅入られてきたわ」彼女はナイフをすっと抜き放ち、刃先を指でつまむと、俺の目の前でブラブラと振った。「ほら、美しいでしょ」もちろん脅しである。俺はむしろうっとりとなる。園子とは今のところキス止まりの関係だし、もしかしたらずっとそのままかも知れない。俺は別に彼女とセックスがしたいとは思わないのだ。だけど、いつか彼女に殺されたら素敵だなあという妙にエロチックな妄想があった。それくらい愛している。園子が聞こえるか聞こえないかの掠れ声で言った。「気取らないイタリアンも、いいかも」俺は闇を背にぬらりとした光を放って揺れる刀身を眺めながら、ただ、この時を楽しみたいと思った。なのであえて投げやりな口調で言った。「ダメダメ、イタメシなんて原価低いって田中康夫も言ってたぜ」すると彼女は黙り込んでしまった。ナイフをのろのろと鞘に戻し、バッグの中にしまい込む。俺はほっとしたようながっかりしたような思いを、舌の上でアメ玉をころがすように楽しんだ。彼女が俯いたまま「それとね」と言った。「わたし、あなたの実家の住所も調べたんだ。お父さんの会社も、お母さんがパートで行っているスーパーの場所も、小学生の妹さんの学校だって、塾だって、みんな知っているのよ」俺は小さく柔らかな唇からとつとつと、むせ返るほど濃密な呪いの言葉が生まれる様にクラクラした。「妹さん、塾の前にミスドに寄って、必ずエンゼルフレンチを頼むのよね。わたし、そばに行って、それはカロリーが高いからオールドファッションにしといたらって言いたくなるのをいつも我慢しているのよ」ああ、なんて見境のない情熱だ。それほどまでに俺が好きなのか。どこかの漫画のセリフではないけど、恋人と爆弾をいっぺんに手に入れた気分だよ。なんという贅沢。なんという豪奢。そういう君をもっと見ていたい!すると園子は可聴域から外れてしまうほどの小声で言った。「もし……ったら、イ…はわ…しの家に来な…?料理はへ…だけど、頑張っ…作るか…」大体意味はわかる。俺はわざと軽薄な調子で返事をした。「そこまでしてもらっちゃ君に悪いよ。それより映画にしないか。エグイやつがいいな。ゾンビが人間を頭からむさぼり喰うようなの」すると蜘蛛の脚のような五本の指がわしっと俺の腕を掴んだ。だんだらに垂れた黒髪がぬっと迫ってきて、隙間から真っ赤に血走った眼球が覗く。「ならお前を喰うぞ!」俺は(よろこ)びと恐怖がひとつに溶け合う北極点でガクガクと身を震わせた。嗚呼(ああ)、今ぞこの時!
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