第6話

文字数 3,029文字

〈六〉
長髄彦(ながすねひこ)、ですか?」
 大国主は思わず顔を上げて聞き返した。
「そうじゃ。良き名前であろう。そなたの長い脚にふさわしい名を考えたのじゃ」
 玉座から見下ろしたニギハヤヒが薄笑いを浮かべて言った。居並ぶヤマトの重臣たちも嘲るような視線を送っている。
「しかしあまりにも突飛な……」大国主は二の句が継げなかった。
 名前にはそれぞれ呪力がある。名前はその存在を意味づけることで本質と結びつき、その性質をも支配できる力を持つ。
 「名は体を表わす」の言葉通り、人はみな名前にふさわしい存在になる。
 名付けられることで枠が()められると言い換えてもよい。
 大きな名前を貰えば大人物になり、反対に小さい名前、弱い名前を与えられると、心も体も脆弱な、それどころか世の中にとって邪悪な存在にもなりかねない。
 だから親はみな、生まれてくる子の幸せを願って良い名前、健やかな名前を付けようと苦心する。
 それは今も昔も変わりはない。

 出雲の国譲りが滞りなく済み、大国主がヤマト王権を支える武将の末席に加えられたことはすでに述べた。
 それからすぐに、「新しく生まれ変わった証しに名を変えよ」との王命が下ったのである。その新しい名前が「長髄彦」だった。
 「大国主」とは「大きな国の主」で、いまの“あの男”にはふさわしくない。長身で足が長いから「長髄彦」ぐらいがちょうどいい、という話である。
 「記紀」神話に登場する土着の民は、梟帥(たける)土蜘蛛(つちぐも)等、侮蔑に満ちた名称で呼ばれることが多い。
 当然、長髄彦の場合もそれに当てはまる。
 今回のニギハヤヒの仕打ちには、大国主の身体ばかりか心も弱らせ、力を()ごうという意図がありありだった。

 しかし大国主改め長髄彦は、諾々とこれを受け容れた。
「ここで腹を立てて死ぬのは簡単だ。だが今は命を捨てる時ではない。必ずや、武人としてふさわしい死に場所が与えられるはずだ」
 長髄彦はそう確信していた。
 ちなみに長髄彦の名は、『日本書紀』の中に見ることができる。
 「神武東征」に於ける磐余彦(いわれひこ)(神武天皇)の最大のライバルとして登場する人物である。

 月日が流れた。
 ある時、少彦名(すくなひこな)にヤマトの秘宝を盗んだという疑いが掛けられた。少彦名に命じられて、従者の一人が財宝を盗んだというものだった。
 ニギハヤヒは長髄彦に、少彦名をすぐさま差し出せと命じた。しかし長髄彦はこれに従わず、翡翠の神に祈った。
 すると間もなく従者が捕まり、少彦名に罪はないことが明らかになった。財宝も無事ニギハヤヒの元に返された。
「やれやれ、吾もまだ死なせて貰えぬようですな」
 少彦名が苦笑して言った。

 他にも長髄彦を狙った刺客が草叢に潜んでいると、どこからともなく毒蛇や蜂、ムカデが現れて刺客を噛み、その度に長髄彦は命を救われた。
 長髄彦は奴奈川姫がくれた勾玉の霊力によって守られていると確信した。
 呪いを掛けた筈のニギハヤヒは、術が効かないことに焦り、呪者を叱り飛ばして何度も術を掛けさせた。
 それでも効かないと分かると、その呪者を殺して別の呪者に呪わせた。しかしそのどれもが効かなかった。
 ここに至って、ニギハヤヒは非常な不安を覚えた。
「もしや長髄彦は、呪いを返す術を知っているのかもしれない」
 呪いを掛けた者(ニギハヤヒ)より呪われた者(長髄彦)の霊力が強い場合、その呪いは自分に返ってくる。
 その恐怖が疑心暗鬼を生み、ニギハヤヒの心は荒んでいった。

 その一方で、出雲を従えたヤマトはさらに強大になり、各地の豪族たちも続々とその配下に従った。
 はじめは服属した国を丁重に扱ったヤマトも、時が経つにつれ、次第に傲慢な要求を突きつけるようになっていた。
 或る国は収穫した米の三分の一の徴税を命じられ、拒むと領土の三分の一をヤマトに割譲された。また或る国はヤマトの先兵となって戦いに赴いた王の戦死を機に、ヤマトに併合されてしまった。

 ある時、生駒山麓の長髄彦の館に薬売りが現れた。東から来たというその男は、各地を回ってさまざまな薬草や薬石を売り歩いているという。
「これを傷口に塗ればたちどころに治ります。そしてこちらの薬は頭痛や手足の痺れにも効く薬で、かの唐土の仙人が千年の時を越えて伝えしもので――」
 勝手口で従者たちを相手に、巧みに話をしている。ときおり笑い声も起こる。
 そのにぎやかさにつられて長髄彦が様子を見に来た。
 男を一目見た長髄彦はすぐに「あの者を奥へ」と呼び寄せ、人払いを命じた。

 男の顔には見覚えがあった。奴奈川姫に仕えていた男である。
「しばらくぶりじゃ」
「王さまもご健勝の様子で何よりでございます」
 薬売りは深々と頭を下げた。
 すでに述べたように、大国主は長髄彦という卑しい名を与えられたことで、出雲にいた頃の魂の強さを失った。
 だが特に厄災に遭うこともなく、ここまで生き長らえることができた。これも奴奈川姫に貰った翡翠の勾玉のお蔭である。
 長髄彦は奴奈川姫と過ごした日々を思い出し、懐かしさが込み上げてきた。

「本日は御覧頂きたきものがあり、参上つかまつりました」
 薬売りは絹布にくるまれた包みを取り出した。
 中身は翡翠の原石だった。深い碧色の美しい石である。
 これで勾玉をつくれば、さぞかし大きな”力”を持つことができるだろう。
「この持ち主である()の子に、ふさわしき名前を付けていただきたく存じます」
「男であったか…」
 長髄彦は深いため息をついた。喜びが身体を貫き、身震いした。
「はい。三歳になり、母子ともに諏訪の館にてお健やかにお過ごしでございます」
「そうか、良かった……」
 長髄彦(大国主)と奴奈川姫の間に生まれた男子が、諏訪で無事に育ってている。それだけで十分だった。
「いまはまだ『若』と呼んでおりますが、ぜひにお名前を授けていただきたいと、姫が…」
 薬売りが長髄彦をまっすぐ見据えて言った。
 長髄彦は一瞬の沈黙ののち、きっぱりと答えた。
建御名方(たけみなかた)ではどうじゃ。(みな)の方に国を建てし者」
 諏訪湖の畔で良き国を建てる者になって欲しい、との願いが込められている。
 翡翠が持つ霊力とは、邪を払うだけでなく、宿した者の命の力を漲らせ、清浄さを保つ力でもある。
 我が子への精一杯の愛を込めた命名だった。
「おお。まことに良き名、ありがとうございます」
 薬売りは感激して涙を流し、翡翠を大事にしまうと静かに館を出て行った。
 長髄彦は知る由もないが、この男こそ身重の奴奈川姫を護りながら諏訪まで導いた舎人である。
 
〈結〉
 時は移り、神武天皇が橿原宮(かしはらのみや)で即位したころ、信濃国・諏訪では成長した建御名方の姿を見ることができる。
 建御名方は背が高く逞しい体つきの若者となり、目は母の奴奈川姫に似て優しく、鼻筋は父の大国主に似てすらりと伸びている。
 建御名方は諏訪の王となり、この地を治め民を幸せにしたという。
 死後は諏訪大社の祭神として勧請され、今なお人々の崇敬を集めている。
 
 約千四百年後の寛文五(一六六五)年——
 出雲大社の摂社、命主社(いのちぬしのやしろ)の裏手で勾玉が発見された。
 これが数百キロ離れた糸魚川産の翡翠の原石からつくられたものであることは、現代の科学分析によって判明している。
 ただしこれが、いつ、誰によって奉納されたものなのかは未だ不明である。
                                       了

※「古事記」の訳は『古事記(上)』次田真幸(講談社学術文庫)を参照しました。

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