第5話
文字数 3,590文字
〈五〉
夏になった。
大国主が高志国に奴奈川姫を迎えに行ってから、一つの季節が過ぎようとしていた。
ニギハヤヒはてっきり、すぐにでも大国主が姫を連れて帰るものと思っていた。
「国を滅ぼされたくなければ、すぐに連れてくるだろう」
とニギハヤヒは高をくくっていた。
ところが三月経っても四月経っても、大国主からは何の音沙汰もなかった。
はじめは悠長に構えていたニギハヤヒも、さすがに焦 れてきた。
「早く使いを出せ!」
ところが使者が奴奈川国に行くと、大国主が沈痛な面持ちでこう言った。
「姫はいま身体のお加減が優れず、薬師 の看立 てでは治るまでにあと二月ほど猶予をいただきたいとのことです」
その報告を受けたニギハヤヒが二月後にふたたび使者を高志に出すと、今度は、
「卦 によれば、星が逆行しており、この時に動けば王宮にも災いが及ぶ恐れがあるとのこと。星の動きが静まるまで、動かぬほうがよいでしょう」
さらに一月が過ぎた。いよいよ迎えられると思ったら、
「今は冬に向かいこちらの海は荒れております。姫は船酔いをする気質ゆえ、いま旅立つのは危険です。雪が融けるまでお待ちください」
こうして当初の予定より一年も過ぎてしまった。
雪国の遅い春が巡ってきた頃、とんでもない報告がヤマトにもたらされた。
巫女である奴奈川姫が、なんと子を孕 んだというのである。しかもその父親は、大国主であるという。
その報せを聞いたニギハヤヒは烈火の如く怒った。
后を迎えに行かせるためにわざわざ大国主を派遣したのだが、横から攫 われてしまったのだ。
今や本州の西半分を版図に広げるヤマト王が、あからさまに虚仮 にされては、怒り狂うのも無理はない。
「愚弄するにもほどがある。これはヤマトに対する反逆じゃ!」
ニギハヤヒはすぐさま吉備や近江など支配下にある諸国に呼びかけて、ありったけの軍勢を派遣するよう命じた。
その結果、集まった兵の数は実に五千余。寄せ集めとはいえ、古代では途方もない数である。
「たとえ出雲が加勢しようと時間の問題だ」
ニギハヤヒは、怒りに任せて大国主と奴奈川姫を八つ裂きにしようと考えた。
そのころ、大国主はまだ高志にいた。
ニギハヤヒに奴奈川姫の妊娠を知られたことが分かると、大国主は奴奈川姫に告げた。
「間もなくここにヤマトの軍勢が押し寄せるだろう。そなたは出雲に逃げよ」
腹の膨らみはまださほど目立たないが、奴奈川姫が動けなくなる前に出雲に逃がそうと考えたのだ。
「大国主さまとご一緒なら、どこへでも参ります」
「いや、吾は奴奈川に残る。吾の命を差し出し、そなたと子を守る」
一方、怒りに任せて大軍を集めたニギハヤヒだったが、しばらくすると考えが変わった。
「そうだ、高志などいつでもひねり潰せる。これを機に出雲を乗っ取ってしまおう」
ニギハヤヒはにやりと笑った。
さすがヤマト王である。恥をかかされたことは腹立たしい。
しかしこれに乗じて計画を変更したのは見事としか言いようがない。
「国譲りに応じねば、戦って滅ぼすまでだ」
ニギハヤヒは全軍に命じ、一転出雲に向けて軍を進めた。
「なに、出雲へ向かったと!」
少彦名からその報を聞き、大国主は絶句した。
夜更けだったが、少彦名とともに松明をかざしながら奴奈川姫の館に向かうと、奴奈川姫はまるでこれを予知していたかのように身なりを整え待っていた。
仄かな明かりの中で、大国主は少彦名と奴奈川姫に本心を打ち明けた。
「吾はこれから出雲に戻る。戦わずに降伏しようと思う」
「やむを得ますまい」
少彦名が絞り出すように言った。
ニギハヤヒは、ヤマト国ばかりか周辺諸国も含めた連合国軍の頂点に君臨している。
さらに武将にもタケミカヅチやフツヌシなど、歴戦の勇士が名を連ねる。ちなみにタケミカヅチは鹿島神宮、フツヌシは香取神宮の祭神で、ともに軍神として名高い。
対する出雲は、周辺国の応援を得てもせいぜい五、六百人ほどにしかならない。とても太刀打ちできないのは明らかだった。
これで奴奈川姫を出雲に連れて行くことも叶わなくなった。
「そなたとは今生の別れになるだろう。どうか無事に子を産み、生き長らえてほしい」
「あなたと出会った時から、こうなる定めだと覚悟していました。生まれてくる子の顔をお見せできないのは残念ですが、かならず立派に育ててみせます」
大国主は少彦名に向き直った。
「そなたには迷惑のかけ通しで詫びの仕様もない。もう吾に従う必要はないぞ」
「吾にとっては、いつまでも殿は殿にございます。老い先短いこの身体、最後まで付き合わせていただきます」
素戔嗚 の代から出雲に仕える忠義の老臣は、大国主と手を取り合い涙を流した。
するとその場に居合わせた奴奈川姫が自分が身に着けて翡翠の勾玉を外し、大国主の首に掛けた。
「これは?」大国主は戸惑った。
「これを私と思って片時も離さずお持ちください」
「これは女王の証ではないか?」
「私はもう女王ではありません。母として生きる以上、無用の物です」
奴奈川姫は清々しいほどきっぱりと言った。
「この翡翠には私の魂が籠っています。大国主さまがこの先どれほど辱めを受けようとも、これがある限り、大国主さまは誇り高く居られます」
大国主が勾玉を掌に包むと、神の”ことば”が聞こえた。
——今は短気を起こす時期ではない。その時が来るまで、生き延びて耐えよ。
神霊はたしかにそう告げた。
出雲国に戻った大国主は、ニギハヤヒに粛々と国を明け渡した。『古事記』にいう「大国主神の国譲り」である。
国を失った大国主は、ヤマトの北方、生駒山の麓にわずかな領地を与えられ、武将の一人としてニギハヤヒに仕えることになった。
大国主の妻、スセリヒメと側室たちは本人が望むなら出雲に留まってもよいことになった。
「あなたは出雲をお捨てになった。ですが私は出雲を離れません。この地で死ぬまであなたを呪ってやります!」
スセリヒメが怒り狂ったが、すべては後の祭りである。他の側室たちは出雲に残る者、ヤマトに行く者それぞれだった。
この「国譲り」について、『古事記』には大国主の長男、事代主 は柏手を打って海に消えたとある。
しかし実際には、大国主とともにヤマトに移り住んだと考えられる。なぜなら『日本書紀』神武紀に、神武天皇の皇后となる媛踏鞴五十鈴媛 の父としてヤマトの豪族、事代主の名が記されているからだ。
ともあれ大国主は、スセリヒメからは「女のために国を捨てた!」と罵られたが、ほとんど血を流さずに国譲りの大事業を終えた。
そのことはもっと評価されてもいい。
明治維新に於ける江戸城の無血開城が、はるか古代に起きた「出雲の国譲り」を参考にしたと考えるのは、穿ちすぎだろうか。
奴奈川姫も奴奈川国の女王の座を失い、追放されることとなった。
その後大国主と奴奈川姫は、二度と会うことはなかったと言われている。
身重の奴奈川姫が向かった先は諏訪である。お付きの侍女の郷里だった。
奴奈川姫に従ったのは、その侍女のほかには、一名の舎人 だけだった。
舎人は三十過ぎの逞しい男で、翡翠採りの名人である。姫川の上流、小滝川沿いに奥深く分け入り、何度も大粒の翡翠を見つけている。
諏訪に向かうには、高志と信濃の国境に聳える険しい山々を越えねばならない。道案内にはうってつけである。
一行が峠に登り振り返ると、眼下に奴奈川の集落が広がっていた。その向こうには日本海が見える。
「この景色をしっかり見ておきましょう。もう二度と見ることはないでしょうから」
奴奈川姫は腹の子に言い聞かせるように言った。
すでに安定期にあるとはいえ、感傷に浸ってはいられなかった。せっかく大国主が国を譲ってまで守ってくれた命を、守って生き抜かなければならない。
「追手が来るかもしれません。抜け道を参りましょう」
舎人の言葉に従い、奴奈川姫たちは山懐深く分け入った。女王の座を退いたとはいえ、危険がなくなったわけではない。
事実、ニギハヤヒの意を汲んだ側近たちが、密かに奴奈川姫を殺そうとヤマトを出発していた。
奴奈川姫一行は、時には切り立った崖を登り、命綱で互いを引き寄せながら谷を下った。奴奈川姫は身重の身体ながら、一言も不平をこぼさなかった。
その後、奴奈川国ではこんな噂が流れた。
奴奈川姫は大国主と引き離された悲しみから、池に身を投げて死んだという。村人たちはその噂を聞くといっせいに池に参り、姫の冥福を祈った。
奴奈川姫を密かに始末しようと追ってきたニギハヤヒの側近たちは、遺体が見つからないことに疑念を抱いたが、村人の誰もが姫の死を疑っていないことで諦めて帰って行った。
ニギハヤヒにはそう報告するよりなかったのである。
(つづく)
夏になった。
大国主が高志国に奴奈川姫を迎えに行ってから、一つの季節が過ぎようとしていた。
ニギハヤヒはてっきり、すぐにでも大国主が姫を連れて帰るものと思っていた。
「国を滅ぼされたくなければ、すぐに連れてくるだろう」
とニギハヤヒは高をくくっていた。
ところが三月経っても四月経っても、大国主からは何の音沙汰もなかった。
はじめは悠長に構えていたニギハヤヒも、さすがに
「早く使いを出せ!」
ところが使者が奴奈川国に行くと、大国主が沈痛な面持ちでこう言った。
「姫はいま身体のお加減が優れず、
その報告を受けたニギハヤヒが二月後にふたたび使者を高志に出すと、今度は、
「
さらに一月が過ぎた。いよいよ迎えられると思ったら、
「今は冬に向かいこちらの海は荒れております。姫は船酔いをする気質ゆえ、いま旅立つのは危険です。雪が融けるまでお待ちください」
こうして当初の予定より一年も過ぎてしまった。
雪国の遅い春が巡ってきた頃、とんでもない報告がヤマトにもたらされた。
巫女である奴奈川姫が、なんと子を
その報せを聞いたニギハヤヒは烈火の如く怒った。
后を迎えに行かせるためにわざわざ大国主を派遣したのだが、横から
今や本州の西半分を版図に広げるヤマト王が、あからさまに
「愚弄するにもほどがある。これはヤマトに対する反逆じゃ!」
ニギハヤヒはすぐさま吉備や近江など支配下にある諸国に呼びかけて、ありったけの軍勢を派遣するよう命じた。
その結果、集まった兵の数は実に五千余。寄せ集めとはいえ、古代では途方もない数である。
「たとえ出雲が加勢しようと時間の問題だ」
ニギハヤヒは、怒りに任せて大国主と奴奈川姫を八つ裂きにしようと考えた。
そのころ、大国主はまだ高志にいた。
ニギハヤヒに奴奈川姫の妊娠を知られたことが分かると、大国主は奴奈川姫に告げた。
「間もなくここにヤマトの軍勢が押し寄せるだろう。そなたは出雲に逃げよ」
腹の膨らみはまださほど目立たないが、奴奈川姫が動けなくなる前に出雲に逃がそうと考えたのだ。
「大国主さまとご一緒なら、どこへでも参ります」
「いや、吾は奴奈川に残る。吾の命を差し出し、そなたと子を守る」
一方、怒りに任せて大軍を集めたニギハヤヒだったが、しばらくすると考えが変わった。
「そうだ、高志などいつでもひねり潰せる。これを機に出雲を乗っ取ってしまおう」
ニギハヤヒはにやりと笑った。
さすがヤマト王である。恥をかかされたことは腹立たしい。
しかしこれに乗じて計画を変更したのは見事としか言いようがない。
「国譲りに応じねば、戦って滅ぼすまでだ」
ニギハヤヒは全軍に命じ、一転出雲に向けて軍を進めた。
「なに、出雲へ向かったと!」
少彦名からその報を聞き、大国主は絶句した。
夜更けだったが、少彦名とともに松明をかざしながら奴奈川姫の館に向かうと、奴奈川姫はまるでこれを予知していたかのように身なりを整え待っていた。
仄かな明かりの中で、大国主は少彦名と奴奈川姫に本心を打ち明けた。
「吾はこれから出雲に戻る。戦わずに降伏しようと思う」
「やむを得ますまい」
少彦名が絞り出すように言った。
ニギハヤヒは、ヤマト国ばかりか周辺諸国も含めた連合国軍の頂点に君臨している。
さらに武将にもタケミカヅチやフツヌシなど、歴戦の勇士が名を連ねる。ちなみにタケミカヅチは鹿島神宮、フツヌシは香取神宮の祭神で、ともに軍神として名高い。
対する出雲は、周辺国の応援を得てもせいぜい五、六百人ほどにしかならない。とても太刀打ちできないのは明らかだった。
これで奴奈川姫を出雲に連れて行くことも叶わなくなった。
「そなたとは今生の別れになるだろう。どうか無事に子を産み、生き長らえてほしい」
「あなたと出会った時から、こうなる定めだと覚悟していました。生まれてくる子の顔をお見せできないのは残念ですが、かならず立派に育ててみせます」
大国主は少彦名に向き直った。
「そなたには迷惑のかけ通しで詫びの仕様もない。もう吾に従う必要はないぞ」
「吾にとっては、いつまでも殿は殿にございます。老い先短いこの身体、最後まで付き合わせていただきます」
するとその場に居合わせた奴奈川姫が自分が身に着けて翡翠の勾玉を外し、大国主の首に掛けた。
「これは?」大国主は戸惑った。
「これを私と思って片時も離さずお持ちください」
「これは女王の証ではないか?」
「私はもう女王ではありません。母として生きる以上、無用の物です」
奴奈川姫は清々しいほどきっぱりと言った。
「この翡翠には私の魂が籠っています。大国主さまがこの先どれほど辱めを受けようとも、これがある限り、大国主さまは誇り高く居られます」
大国主が勾玉を掌に包むと、神の”ことば”が聞こえた。
——今は短気を起こす時期ではない。その時が来るまで、生き延びて耐えよ。
神霊はたしかにそう告げた。
出雲国に戻った大国主は、ニギハヤヒに粛々と国を明け渡した。『古事記』にいう「大国主神の国譲り」である。
国を失った大国主は、ヤマトの北方、生駒山の麓にわずかな領地を与えられ、武将の一人としてニギハヤヒに仕えることになった。
大国主の妻、スセリヒメと側室たちは本人が望むなら出雲に留まってもよいことになった。
「あなたは出雲をお捨てになった。ですが私は出雲を離れません。この地で死ぬまであなたを呪ってやります!」
スセリヒメが怒り狂ったが、すべては後の祭りである。他の側室たちは出雲に残る者、ヤマトに行く者それぞれだった。
この「国譲り」について、『古事記』には大国主の長男、
しかし実際には、大国主とともにヤマトに移り住んだと考えられる。なぜなら『日本書紀』神武紀に、神武天皇の皇后となる
ともあれ大国主は、スセリヒメからは「女のために国を捨てた!」と罵られたが、ほとんど血を流さずに国譲りの大事業を終えた。
そのことはもっと評価されてもいい。
明治維新に於ける江戸城の無血開城が、はるか古代に起きた「出雲の国譲り」を参考にしたと考えるのは、穿ちすぎだろうか。
奴奈川姫も奴奈川国の女王の座を失い、追放されることとなった。
その後大国主と奴奈川姫は、二度と会うことはなかったと言われている。
身重の奴奈川姫が向かった先は諏訪である。お付きの侍女の郷里だった。
奴奈川姫に従ったのは、その侍女のほかには、一名の
舎人は三十過ぎの逞しい男で、翡翠採りの名人である。姫川の上流、小滝川沿いに奥深く分け入り、何度も大粒の翡翠を見つけている。
諏訪に向かうには、高志と信濃の国境に聳える険しい山々を越えねばならない。道案内にはうってつけである。
一行が峠に登り振り返ると、眼下に奴奈川の集落が広がっていた。その向こうには日本海が見える。
「この景色をしっかり見ておきましょう。もう二度と見ることはないでしょうから」
奴奈川姫は腹の子に言い聞かせるように言った。
すでに安定期にあるとはいえ、感傷に浸ってはいられなかった。せっかく大国主が国を譲ってまで守ってくれた命を、守って生き抜かなければならない。
「追手が来るかもしれません。抜け道を参りましょう」
舎人の言葉に従い、奴奈川姫たちは山懐深く分け入った。女王の座を退いたとはいえ、危険がなくなったわけではない。
事実、ニギハヤヒの意を汲んだ側近たちが、密かに奴奈川姫を殺そうとヤマトを出発していた。
奴奈川姫一行は、時には切り立った崖を登り、命綱で互いを引き寄せながら谷を下った。奴奈川姫は身重の身体ながら、一言も不平をこぼさなかった。
その後、奴奈川国ではこんな噂が流れた。
奴奈川姫は大国主と引き離された悲しみから、池に身を投げて死んだという。村人たちはその噂を聞くといっせいに池に参り、姫の冥福を祈った。
奴奈川姫を密かに始末しようと追ってきたニギハヤヒの側近たちは、遺体が見つからないことに疑念を抱いたが、村人の誰もが姫の死を疑っていないことで諦めて帰って行った。
ニギハヤヒにはそう報告するよりなかったのである。
(つづく)