第2話 助け合うということ

文字数 2,310文字

 ドキュメント『人間として』で見た映像にも圧倒された。
 そして,ニュースとして知っていた私の〝点〟の向こう側に,実はこれほどまでの人がいて,想像だにし得なかった戦いがあったなんてことを見せられ,言葉を失くした。
 私にとっての,ハンセン病という病気の、それが現実だった。
 そんな戦いの渦中で,中心人物となって訴訟問題と取り組まれていた谺雄二さんの【聞き取り】は、どこか突き抜けた明るさが常にあり,読んでいても,強烈なシーンであるにもかかわらず,客観視した視点が,読む側を救ってくれ,変に重い気持になることもなく,きちんとさまざまな事象に向き合えた。

   死にかけましたね。喀血して,もうだめかなぁ,と思ってね。だから,逆に,変に朗らかになってね。割り切っちゃったっていうかね。患者が看護人ですから,だんだん慣れてきて。それで,「いやぁ,これがほんとに,ハイ[肺]ライ[癩]ト」なんて,馬鹿なこと言って,大笑いしてたんだけど。(P334・12行目から15行目)

 この箇所を読んだとき,思わずプッと吹き出してしまった。いかんいかんと思いながらも,それは実に心地よい笑いに思えた。こういうユーモアこそ,強い精神力の賜物なんだろうなと感心した。谺さんの闘いは,病気と共に,常に人権そのものと向き合った,人としてその存在が一体どういうことであるかに向けられた激しい闘いだったように思える。だから国家賠償を裁判で勝ち取っても,見つめる先には尚もまだ,激しい闘いの炎が揺らめく。

   私の考え方では,ここを終(つい)の棲家と思うな,と。ここを第二の故郷(ふるさと)と思うな。ここはあくまでも収容所だって,わたしは言い続けてきたからね(略)ここを愛してしまうというわけには,いかない。

 そう話す谺さんだけど,本当は,誰よりもこの「栗生」の地が,好きで好きでたまらないんじゃないあかいんじゃないかと思う。思うがそんなことは口は避けても言えない,という心意気の中で生きていらっしゃるんじゃないか。
『ドキュメント〝熊笹の遺言〟』のラストシーンが印象的だ。
 そこで凧揚げをする谺さんの姿はとても楽しそうで嬉しそうで,観ていて気持ちが和んだ。鈴木時治さんや浅井あいさんの生前の姿も写し出され,魅力あふれる語り口には引き込まれるものがあった。
「なんのために生きているのか」
 谺さんだけではなく,それは誰しもが抱える永遠のテーマだ。テーマだけれど,それへの向き合い方が,谺さんにとっては,病気と差別と国家に向かっての全身全霊の「闘い」の中で問い詰めてきたことだろう。それでも答えがない,という。
 谺さんが揚げている凧の糸が切れて,大空高くどこまでもどこまでも舞い上がって行ったらなぁ,なんて思いながら,ラストシーンを見つめていた。時治さんの骨は利根川に流され,渓流の中を海まで自由に下って行っただろうか。遥か大海原の中を,今,自由に泳ぎまわっているだろうか。
 そんなことに思いが行く。

 しかし,「陳述書と聞き取りとー編集にあたって」の中で,福岡黒坂の両名が聴き取りをやって行くプロセスで,「療養所に入ることができて,ありがたかった」(P37・7行目)という人に何人もあっているということが書かれていた。最初読んだときは意外に思ったが,読み終えた後いろいろと考えてみると,こういう思いも,とても自然の流れなのではないかと感じられた。「石を投げられ」「井戸に土砂を投げ込まれて使えなくされた」りして,「療養所に入所」し,「正直,ホッとしたんですよ」と語るその心情はもうギリギリのところに来ていたのだろう。「療養所に来て命が助かった。だから,わたしは国を訴える裁判の原告にはならなかったんです」(P37・9行目から10行目)と語る思いの中にもしかし,複雑な気持ちの揺れは相当にあるはずだ。
 多くの人の,多様な人生を踏みにじりながらも,治療の機会と生活の場を提供し・・・,社会的保障を整えていくという複雑な対応の中で,人々は生きていかなければならない。一概に裁判,と言ってもなかなか歩調はそろわなかっただろう。しかし突き詰めるものは突き詰めていかないといいようにされてしまうのが,「国家」というものの醜い本性でもある。いろんな人たちを許容しながら,谺さんたちは突き進んで行ったのだろう。
 感服する。

 図書館に大部な本があったので手にし,ページを捲ってみた。読み始めたら止まらなくなりそうだった。「無癩県運動」が昭和5・6年には始まっていて,「草津温泉にお客がどんどんくるから,ハンセン病の患者がこんなところにいちゃ困る,楽泉園に移転させよう」(下巻P3・11行目から12行目)というようなことで,湯之沢部落が解散させられていった,と藤田さんが話しておられる。
 またページを捲ってしまう。

 ハンセン病患者としての発言を様々にくり返し,その人権回復を願った谺さんは,2014年、栗生楽泉園で82年の生涯を閉じた。ハンセン病発病から75年に亘る戦いだった。

 そんな谺さんが,もし今尚生きておられて,この新型コロナウィルス禍の社会の現実を垣間見たら,どう言うだろうと考えてしまった。
「結局世の中ってやつは・・・」
 そう言って思わず言葉に詰まってしまうのではないか。言いたいことが次から次へと込み上げて来て、逆に言葉を呑み込んでしまわれるのではないか。
 そして,ニッコリ笑って,
「助け合って行こう・・・」
 そう言って,目に見えぬ何ものかをキッと睨みつけるのではないだろうか。
 まだまだやらなければならないことが山積している現実に,私たちが途方に暮れている時間はないのだ。
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