第8話

文字数 2,745文字

 週末、合コンを断った朋之は夕食をファミレスでテイクアウトすることにした。
 日替わりでメニューを替えているとはいえ、冷凍食品ばかりではさすがに飽きてしまう。
 帰りの電車の中、スマホで手早く予約をすませる。あとは、ピックアップして帰るだけだ。
 朋之はヒレカツ定食、ヒミにはハンバーグにエビフライが添えられた洋食セットにした。ヒミの好みはわからなったが、ハンバーグが嫌いなお子さまはいないだろう。
「なんだこれ!」
 料理をテーブルに並べると、ヒミは歓声とともに瞳を輝かせた。今にも涎がたれそうだ。ファミレス飯でこれだけ感動してもらえるのなら週に何度かテイクアウトしてもいいかもしれないと思ってしまう。
 いただきますをして、ナイフとフォークを手にしたヒミだったが、逆だった。朋之がナイフは右手、フォークは左手だと教えてやると、慌てて持ち替える。だが、エビフライに悪戦苦闘していて、なかなか食事が進まない。
「無理しなくていい。ほら、箸使いな」
 見かねた朋之が箸を渡してやると、あっという間にぺろりと平らげてしまった。
「うまかった!」
 ヒミは顔をほころばせたが、ごちそうさまはしなかった。
 訝しく思っていると、なんのことはない。朋之のヒレカツを狙ってきたのだった。まったく若者の食欲はあなどれない。

 食事の片づけを終えた後、朋之は会社から持ち帰ったノートPCをテーブルに広げた。
 もちろん、仕事だ。
 親戚の子どもを預かっているという話が大滝の口から上司に伝わってしまい、定時になると帰されるようになった。しかし、仕事量自体が減ったわけではない。結局は家に持ち帰ってやるしかなかった。
 どこでやろうとどうせ残業代は出ないし、会社としてはやることだけやってくれればいいというスタンスなのだろう。
 リビングではヒミがテレビを観ている。
 暇を持て余しているだけかもしれないが、ヒミはテレビが好きだった。
 特に教育番組と歌番組が好きで、かじりつくように観ては得た知識を朋之にしたり顔で説明してくれる。まだ歌を披露されたことはなかったが、風呂場から漏れ聞こえてくることはあった。
 たまに音程が外れるものの、反響音も手伝い、なかなか良い声だった。伸び伸びとした感じも悪くない。
 仕事を始めて一時間ほど経ったところで、
「朋之、まだ終わらないのか?」
 ヒミはそう言って、見るからに薄そうなインスタントコーヒーを作ってくれた。
「ああ、もう少しやっとく。ヒミは先に風呂入って寝ていいからな」
「わかった。ところで今日は何をやってるんだ?」
 ヒミはノートPCのモニターを覗き込んだ。
 画面にはブルーサファイアのような海の写真がプレビュー形式でずらりと並んでいる。青く輝く海に、白い砂浜が美しく映えている。太陽が零れんばかりに空で煌めいているものもあった。そのうちの数十枚は夏木が撮影したものだった。夏木はとても良い写真を撮る。
「海?」
「そう、海」
 ハワイ旅行の広告ページ制作のための写真だ。
 モニターから発せられる青は、朋之の目にはいささか眩しすぎるのだが、ヒミは吸い込まれるように画面に見入っていた。
「そうか。きれいだな」
 ほうっと、ため息まじりにヒミが呟く。
「海が好きなのか?」
「よくわからない。でもきれいだと思う」
 瞬くこともせず、ヒミは海の写真を見つめ続けている。
「なあ、朋之」
「うん?」
「わたしも、その、手伝ってやろうか? 仕事」
 予想もしなかった突然の申し出に、朋之は思わずヒミに顔を向けた。
「は? どうしたんだ? 急に」
 口を開くと、ヒミは朋之の眉間を指でぐりぐりと押した。
「ちょっ、なんだよ」
「だって、朋之すごい眉間にシワ寄ってる! 疲れてるんだろう? 毎日寝るのだって遅いし」
 どうやらヒミは朋之のことを心配してくれているらしい。
 であれば、できれば家事全般のほうを手伝ってもらいたいところだが、危なっかしくて到底お願いできるようなものではなかった。昨日もグラスを割られたばかりだ。
 朋之はヒミの細い手首をつかみ、下ろさせた。
「別にいいよ、大丈夫だから。それにこれは俺の仕事だ。大体……」
 俺の仕事が何なのかもよくわからないだろう、と言おうとして、朋之は言葉を止めた。ヒミが小さく息を吞むのがわかったからだ。
「そうか、そうだな……」
 うつむいたヒミがぽつりとつぶやく。
 その様子はあきらかにおかしかった。朋之は自分の失言を疑ったが、おかしなことは言っていないはずだった。
「どうした?」
「いや、なんでもない。そうか、それが朋之の役目なのだな」
 役目という言葉が適切かどうかはわからなかったが、朋之は頷いた。
「まあ、そんなところかな」
「役目は必ずまっとうしなきゃいけない」
「うん?」
 ヒミの言葉に違和感を覚える。
 抑揚のないその声は、まるで自分に言い聞かせているようだった。心なしかヒミの顔が青白く見えて、何か言わなければならないような気がした。
「別に必ずまっとうしなきゃいけないなんて考えてないよ。俺だって病気にでもなれば、誰か代わりの奴がやる。仕事なんてそんなもんだ」
 ヒミがふわりと笑う。わずかに血の気が戻り、頬には赤みが差したのを見て、朋之はほっとした。
「朋之は真面目なのか、不真面目なのかよくわからないやつだな」
「俺はいつだって真面目だよ」
 半分は冗談のつもりだったが、ヒミは笑わなかった。
「そうか。役目というのは必ずしも楽しいことばかりじゃない。それくらい、わたしだって知っている。だけど、朋之は良い奴だから、つらい思いはしてほしくないって、そう思ったんだ。わたしにできることであれば、助けてやりたいって。けど、朋之が大丈夫だと言うなら大丈夫だな」
 そう言って、ヒミは朋之の頭をくしゃっと撫でた。
 どうして、と朋之は思う。
 どうして、自分よりもひと回りは年下であろう少女が知り合ったばかりの大人に対してそんな心配をするのだろう。
 人は常に自分ありきの生き物だ。むろん朋之自身だってそうだ。
 朋之の両親は海外へ移り住み、ほとんど音沙汰はない。公務員と結婚した姉は、朋之の仕事を堅気の職ではないと決めつけ、疎遠になった。高校や専門学校の友人たちは皆それぞれの生活を持ち、連絡は少しずつ途絶えていった。女たちは自分が大切にされることしか頭になかった。
 すべて仕方のないことだ。誰も責めることなどできやしない。
 ヒミくらいの年頃ならなおさらだ。ましてや、ヒミは家出している身だ。他人の心配よりも、自分の身を心配するべきなのだ。
 けれど、それを今、口にしたところでヒミにはきっと伝わらないだろう。
「まったく……お前はガキのくせして余計な事考えすぎだ」
 朋之は、狙い撃つようにヒミの額に軽くデコピンをお見舞いした。
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