第2話

文字数 678文字

 クレイグがこのざまでは、なじみのお客もつくはずがない。
 俗に言うウラシマ効果。クレイグは特殊相対性理論に基づく長生きを、ここまでの間つねにこころがけた。

 難しい話だと身構えないでほしい。無論、古典物理学金字塔(きんじとう)微分幾何学(びぶんきかがく)がこの先解説されるわけではない。

 孤独な老人は妻を看取ってから、一年間太陽系外宇宙旅行へ出掛け、翌年酒場にてお客をもてなす、これを三十回繰り返した。クレイグがのる宇宙船は亜光速で航行する為、相対性理論のごく基本的でかつ有名な帰結「時間の遅れ」が生じる。特にこの酔狂老人の宇宙探査一年は地球では倍の時間、二年相当なのであった。

 クレイグの行先には、なにもない。

 絢爛華麗(けんらんかれい)無窮(むきゅう)銀河団を横目に浮遊惑星の重力により帰ってくるだけ。この精神狂うほどの終末的放浪。その周期的、断続的な深宇宙往復に表面上の正当性はほぼ無いだろう。
 加えて宇宙港内同業者は連日盛況とくる。自律型の最新鋭人型配膳機構、自動販売装置、さらに信じられないほどの排他的な低価格。
 時代錯誤(さくご)であり、陰気かつ粗末な単独経営酒場は無慈悲な資本家たちの餌となりつつある。

 酔った輩の口撃が幻の鉄砲打(てっぽうだ)として鳴響く。談話は今現在、細分化構造の深層学習により成される。たかだか一人の男の口先など無意味だ。一徹者(いってつもの)らしい偏屈な懐旧談(かいきゅうだん)は今や雄弁な人工知能によほど遅れをとっている。

 これら、すくいのないネガティブな雑念を、初見客が(さえぎ)った。気心の知れた常連なぞは昔々のはかない思い出、か。
「いらっしゃい」クレイグは力無く一言放つ。
 厚手羅紗(らしゃ)(まと)った英国紳士が、一礼後、カウンターの席に収まった。
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