第9話 終わりに

文字数 1,900文字

 この出来事をきっかけに、その後、私はわりと何人もの女性からその手の相談に乗ることが多くなった。
 女たちの多くが、一方的に不利な状況で離婚に踏み切ろうとし、男たちの多くが「お前なんかに何ができる」と舐めてかかっている。令和のこの時代に於いてもまだ尚だ。
 そんな女性たちに自分のやるべきことをアドバイスするが、そもそも、家裁に足を運ぶだけでハードルが高いらしい。その挙句に泥沼化するか、圧倒的に不利な状況で離婚するケースも多い。
 そして、案外、自分の頭で考えるということが苦手だ。
 闘い方は人それぞれだ。
 だから「そこまでは……」という人の首根っこを無理やり掴むわけにはいかないが、世の中、自分の経験則だけで解決できることばかりではない。その経験則から一歩も出ないがために、損することや拗れることも多いのだ。
 私が離婚した頃に比べて、制度がよくなっていることもあるだろうに、残念なことだ。
 少なくとも、「妻のあなたが至らないから、夫が他の女性に走ったのでは?」というような調停員は滅びたと思いたい。
 経験したことがないなら、一度は経験してみればいい。そのバイタリティがあるかないかで、問題の解決能力の優劣が決まる気がする。
 一方、
「辛気臭いことグダグダ言ってないで、綺麗さっぱりさっさと別れなさいよ」と言っている人のアドバイスは聞いてはいけない。
 姉御肌を気取り、気っ風がよく、こちらがなにか醜いことをしているかのように言うが、そんなことはない。子供まで生んだパートナーとの関係が、綺麗さっぱり気っ風良く簡単に断ち切れないのは当たり前だ。
更に、
「あなたより苦労している人はたくさんいる」と言う輩には決して近づいてはいけない。
 この手のタイプは善意の殺人者だ。文字通りこの言葉ひとつで人を死に追いやる。
 我慢強い人は死ぬまで我慢することを知らないこの手のお花畑人間は、無責任で想像力が欠落しているただのバカだ。
 最後に、
 年配者に多いが、苦労を我慢の総量だと思い込んでいる人が多い。
 だが、それは絶対に違う。
 苦労というのは、トラブルをどれだけ解決(あるいは失敗)してきたかの手数を言うのだ。
 しなくていい我慢など、世の中には山のようにある。

 あれから何年も経った頃、女優の卵だと言う若い女の子と飲み会の席で隣り合わせになった。ほぼ初対面だ。宴は(たけなわ)。酒席は次々と人が入れ替わってゆく。

「実は私、不倫してるんです」
 お、おお、そうかね。

 私とはほぼ初対面であり、おそらく、この先更に親しくなることもないだろう行きずりの関係だということが、彼女の口を軽くさせたのだろう。
 確かに、この手の悩みは、親しい人であればあるほど口にしにくいものだ。別れろと言われるのは目に見えているからだ。私ぐらい無責任な人間相手に話す方が気楽だろう。
 なので私は、もっぱら聞き役に回った。

「ずっと我慢してたんですけど、この間ついに、奥さんのいる家に帰る彼の背中にすがって泣いちゃいました。ダメですよね、私……」

 そんなことを言いながら、グラスを煽る綺麗な女の子を見ながら、私は、不倫相手はたまんないだろうなと、おっさんの心境で思っていた。
 おそらく、口先だけで「妻とは必ず別れる、もう少し待っててほしい。俺も苦しいんだ」と言いながら、自分のせいで苦しむ、若く美しい女の子の綺麗な涙を見ながら、ひとかけらも苦しんでなどおらず、この状況にたっぷり酔って舞い上がっている、冴えない男の姿が思い浮かぶ。
 不倫の実態なんぞこんなもんだ。
 美しく特別だと思っているのは本人たちばかりである。
 そして、世の不倫男性全員にこれだけは覚悟してほしい。
 不倫するなら、嫁が誰の子供を孕もうが、黙って育てるぐらいの腹は括っとけよと。
 托卵されたくないなら、不倫はするな。
 それが不貞行為のフェアな覚悟というものだろう。
 私は自分の人生を左右しかねない家庭裁判所で、裁判官にまで嫌われたわけだが、私の世界は良くも悪くもそれほど変わらなかった。
 こんなもんかよと思っただけだ。
 なので何も恐れることはない。
 おかげで私は、人に嫌われることにそれほど畏れがない。
 そして、それほど多くはないが、大好きな友人や娘たちがいて、彼女たちも私を慕ってくれる。この人々がいれば余裕で生きていける。
 そりゃあ私だって、世界中の人に好かれ、親切にされて優しくされたいとは思う。だが、そんなことができる人は世界中ひとりもいないのだ。
 つまり、人に嫌われることも嫌うことも込みで生きていけば、案外人生気楽だ。
 だからこれからも、誰かに嫌われながら生きていこうと思う。


<了>


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