第2話

文字数 3,128文字

「お父さん、早くして。時間がないわよ。加奈に文也もいつまでもおもちゃで遊んでないの 。あなたも注意して上げてくれないと」
 あゆみが呼んでいる。もう行かなくちゃ。お前の墓参りに今日は行くんだ。天気は良いし、墓参り日和だ。お前の愛したあゆみは、もう立派なお母さんだよ。浩一君という立派な旦那さんもいて孫が二人いるんだ。お前に抱かせたかったな。千佳子。お前が逝ってからもう二十五年になる。久し振りにお前の墓参りに行くが、ひょとしたら私は今年で最後になるかも知れない。
 実は癌なんだ。お前が亡くなったのと同じ病気だ。医者からあと半年と言われている。家族にはその事を話していない。何故かって。煩わせたくないからさ。一人でお前の所へ行くよ。嫌か。嫌じゃなければ俺を迎えてくれ。この手紙を書きたくなったのは、自分の死期を悟ったからなんだ。最初は確かに狼狽したさ。でもな、お前が苦しんだあの時を思い返すと、これ位何だっていう気持ちになったのさ。
「おとうさん、まだ」
 もう行かなくちゃ。続きはまた後で書くよ。
「何してたの、父さん」
「部屋の整理だよ」
「お父さんは、後ろの席で加奈と文也の事お願い」
「さあ加奈に文也、おじいちゃんと一緒に乗ろう」
 孫の二人が私の手を握り後部座席へ座る。長女の加奈は今年小学校二年生。長男の文也は幼稚園の年長組。加奈は女の子だけに成長が同年代の男の子に比べて早い。弟の文也に対してもお姉さんぶっている。文也は私に似ている処があって、物事に動じない強い性格をしている。
 二人の孫をあやしながら、私は亡き妻の千佳子へ書いている手紙の続きを考えていた。
 墓参りを終え、墓所の案内所に隣接された休憩所で昼食を摂った。私は余り食欲がなかったので、ジュースだけを頼んだ。
「お義父さんどうしたのですか。食べないなんて珍しいですね」
 浩一君が心配そうに言った。
「うん。食欲が余り無いんだ」
「薬飲んだ」
 娘のあゆみも心配そうに言う」
「いや。心配無いよ。さあ加奈も文也も好きな物食べなさい」
 二人の孫は、パフェを頼み、美味そうにスプーンを使う。二人の孫を見ていると、目が細くなる。何時迄この子達をかまってやれるだろうか。墓参りを終え、家路に着く。
「お父さん、夕食簡単な物になっちゃうけど構わない」
「ああ。私は何でも良いよ」
 私が娘の家に世話になるようになって、五年になる。定年を控えた私に、
「お父さんは何かしてなければ年取っちゃうタイプだから、うちへ来て孫の面倒見てくれない」
 と言って、まるで急かすように私との同居を決めた。婿の浩一君は、私との同居生活に嫌な顔一つ見せず、何かにつけ気に掛けてくれる。ありがたい事だ。今は二人の孫と遊んでいるのが一番楽しいよ。孫達が幼稚園や学校へ行っている時は、お前の事を考えている。医者には行ってるよ。あゆみには検査で病院へ行ってくると言ってる。何時かは本当の事を話さなきゃいけないと分かっているよ。さて、今日は墓参りで少し疲れた。又、手紙の続きを書くよ。
 千佳子を亡くして早や二十五年。思えば早かった。あゆみは比較的手の掛からない娘ではあったが、それでも子育てしながらの会社勤めは容易では無かった。周囲の理解が無ければ、途中で投げ出していただろう。あゆみの結婚の時はひと騒動だったよ。相手のご家族が反対してね。理由は私だ。ひとり親だと、必ず老後の面倒を見なければならなくなるから、最初からそんな苦労が待ち受けているところへ娘を嫁にするのは賛成できない、とね。
 あんなに人に頭を下げた事は無かったな。好きな者同士、どうにかして一緒にして上げたいと思ったんだ。結果、何とか相手のご家族を説得出来たんだ。今では相手のご家族とも上手くやっているよ。
 そういえば、もうすぐお前の誕生日だったな。いつものように祝ってあげるよ。思えばお前が生きている時は殆ど祝ってやれなかったな。いつもお前に愚痴を溢されていた。私はよくても、せめて一人娘の誕生日位ちゃんと祝って上げて。そうも言われた事があったね。最近、お前の事をよく思い出すんだ。夜中迄家計簿を付けていたり、まだ赤ん坊だったあゆみが夜泣きすると、私を起こさなよう、あやしに外へ出てみたりと、いつも忙しなく一日中働いていたね。そんな君に私は労いの言葉ひとつ掛けて上げられなかった。いつも心の中では済まないとは言っていたけどね。
 私は古いタイプの人間で、家の事は全て女房のお前が仕切るんだという考えがあった。男は外で稼いでくれば良いんだ。という考えで生きて来た。死んだ父親がそうだったものだから、その影響が強かったんだな。こんな事を言うと、お前にまたすぐ他人のせいにしてって言われそうだな。千佳子。
 君は強い人だったよ。今になって思うんだが、癌だと分かった時も、なんらいつもと変わらず過ごしていたね。入院中も私達が傍にいる時は、辛くともそういう表情を見せなかった。ホスピスで過ごしている間、君は穏やかに一日を過ごしていた。私も君と同じように過ごせるかな。この前担当の医師に言ったんだ。苦しまないよう延命措置は取らないでくれとね。そろそろあゆみにも今の状況を話そうかなと思っている。きっとあゆみは私を叱るだろうな。そろそろ今日は筆を置くよ。じゃあまた。
「あゆみ。話があるんだ。浩一君も一緒に聞いて欲しい」
「なあに、話って」
「今まで黙っていたんだが、実は私の病気は癌なんだ」
 沈黙が訪れた。私は構わず話す。
「余命は長くて半年。残り二、三か月の命と考えて欲しいと医者に言われた」
「お父さん。何でそんな事を今迄黙っていたの」
「済まないと思っているよ。迷惑を掛けたくなかったんだ」
「家族なのに迷惑も何もないじゃない。手術とか放射線治療とか、まだまだ治療の余地ははあるんじゃないの」
「医者も同じ事をいっていたよ。でもな、それらの治療を施しても、半年だと言われたんだ。ならば苦しまずに最後を迎える道を選んだという訳だ」
「だからと言って勝手に決めちゃうなんて……」
「結論なんだが、母さんの時と同じく、最後はホスピスで迎えようと思っている。どうだろう、賛成してくれないか」
 あゆみは泣いていた。文也がむずがっている。加奈がお姉さんぶりながら文也を宥めた。
「余生をゆっくり過ごしたいんだ。自分の命だから」
「決心は変わらないんだ」
 あゆみが言う。
「うん」
「分かった。お父さんの思うままにして」
「ありがとう」
 これですっきりした。私は話の間、自分がずっと冷静でいられた事に驚いた。もっと感傷的になるかと思っていたからだ。
 千佳子。これで心置きなく君の所へ行ける。お前が受け入れてくれればだが。今書いているこの手紙と共に、もう一度一緒になりたいんだ。
 覚えてるか。私が君に付き合ってくれと言った時の事。上手く言葉が出ず、しどろもどろになって、何とか最後は言えたけど、君は笑いながら付き合っても良いと返事をしてくれたんだ。あの時の笑いが寧ろ私の気持ちに余裕をくれたんだ。その時思った。絶対にこの娘を逃しちゃ駄目だと。結婚するなら君しかいないと思ったんだ。そして、君と結婚出来たわけだが、本当に君と結婚出来て良かったと思っている。君は癌で先にあの世へ逝ってしまったが、あゆみという素晴らしい娘を残してくれて、心から感謝しているよ。
 最後に、今一度お願いだ。あの世へ私が逝ったら、もう一度プロポーズするから、OKしてくれないか。昔みたいに腹を抱えて笑ってもいいから。多分、昔より上手くプロポーズ出来ると思うけどね。
 これでこの手紙は終わりにするよ。又逢う日迄。

                         浩三より


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