第1話

文字数 895文字

 菱田ヨキ先輩には「放課後ピクシーナイト」という二つ名があったが、そのネーミングに反して服装はいたって地味だった。公立校のシックなブレザーを崩すことなく身にまとい、厚手のスカートは膝丈で揃えられている。その姿を全校集会やレクリエーションで見かけるたびに、田川レイジは心にスクリーンショットとして保存したが、いざ対面するまでヨキの意志の強さまでは見抜けなかった。両目は教室の蛍光灯をすべて反射するかに輝いている。
「ぜひ」と。
 レイジはうろたえた。
 そもそもその日まで、菱田ヨキと放課後ピクシーナイトを同一人物としてとらえたことすらなかったのだ。
「なぜ、僕なんですか?」
「なぜって、気づかれてないと思っているんだ」
 ヨキは机に一冊の本を置いた。月間蚕豆2月号だ。やはり蚕豆である。
「153ページに『サブカルチャーの特徴と芸術としての俳句の未来』という評論があります」
 レイジは蚕豆をペラペラめくる。
「ありますね」
「ありますね?」
 ヨキは不敵な笑みを浮かべた。いちいち所作が芝居がかっている。
「作者、田川レイジとある。田川レイジ? いったい誰の事だろう」
 言いながら机を人差し指でトントン叩いた。
「私が初めてその評論文を読んだとき、そして作者が同じ高校の在校生だと知ったとき、どんな気持ちだったと思う?」
「先輩、僕、お腹がすきました! この話は一端やめにしましょう!」 
「約束さえもらえれば、すぐに昼食だよ!」
 ヨキは手提げバッグから弁当箱を2つ取り出した。
「しかも君がいつも購入している惣菜パンではなく、私が朝5時半から準備した手作り弁当だ。卵焼きがよく焼けた」
 みてみて。
 第二多目的室は広かったが、鼻先に突き付けられてはよく匂う。レイジは自分の胃腸が活動しだすのを感じた。
「私は悲しいよ。せっかく用意したおしぼりも、丁寧に入れた食後のコーヒーも、自分一人で費やすことを想像すると」
「僕になにがさせたいんですか?」
「ナプキンを選んだ時間も、新しく購入したお弁当包みも、全て無駄、台無しさ!」
「僕はなにを書けば良いんですか!」
「ありがとう! 君には恋愛小説を書いて欲しいんだ」
 無茶な話だった。
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