序章 赤星(アンタレス)

文字数 325文字

この物語を故郷の父と母、弟達へ

 一匹の蟹が眼前に現れた。彼は小さな透明の殻に包まれていた。私は彼の顔を虚ろな状態で見つめていた。彼は呼吸をしていた。夕陽が顔を出した。彼の体を暁が射す。夕焼けの色の彼は、夕陽そのものの様に見えた。ただ、暁が演出した彼の変身の美と共に、曝け出されたこともある。自然と、彼の口に視線が移った。夏の雲のように、泡が溢れて膨張していた。
彼の呼吸と同調して泡は膨らみ、そして萎む。膨れ上がった泡が砂浜に落ちた。一瞬、泡の方へと視線を移し、再度彼を見ようとしたが、彼はもうそこにはいなかった。彼は、この小焼の海、帰るべき場所へと向かっていた。その後ろ姿を私は見届けた。彼は渚に一瞬止まって、満ち引きの呼吸に合わせて、消えていった。
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