中編

文字数 1,848文字

 ドリップしたばかりのコーヒーをすすりながら、ココアシガレットをかじりつつ、真由美は未希子のことを思い出していた。ココアシガレット、こんなに固かったかなあ。いや、自分の歯が衰えているのか。あたしもおばあちゃんだものね。おっと、トイレ。最近どんどんトイレが近くなるなあ。
 用を足したあと、手を洗いながら顔をあげると、鏡のなかに自身の顔がうつっていた。真由美はどきりとした。自身の表情がとても意地悪く見えたことに。
 なぜ、あたしは、好きだった子のことを思い出しているのに、こんな表情になってしまっているんだろう。あの時のあたしは、どんな顔をしていたんだろう。

 夕方のさんかくかんには、下校途中の小学生たちが、三々五々集まってくる。真由美は、普段は子どもたちの邪魔をしないように、午前中にしかさんかくかんを訪れることはない。けれども今日は、店のなかには入らず、通りの向かいから子どもたちの様子を観察することにした。
 駄菓子なんかをくすねたところで、得られる金銭など限られている。とても大人のしわざとは思えない。犯人は子どもだろう。でなければ、あの子にはかわいそうだけれど、在庫管理ミスなのかもしれない。でもその線を考慮するのは、盗難の可能性を消去してからでも遅くない。
 真由美にとっては狭い店内も、子どもたちにとっては五、六人ほどが思い思いに振る舞っていても十分楽しめるほどの広大さを持っているようだ。食べたい駄菓子を選びに選んでは、おのおのレジにかざし、カードで支払いを済ませて店を出ていく。子どもたちにとって、この店は学校と自分の家の通過点みたいなものなのだろう。
 たいていの子たちは支払いをしながら、右横に座っているロボットの少女に楽しそうに話しかけている。少女も子どもたちの相手を楽しそうにしているが、その表情が少し曇っていることに真由美は気がついた。あの子なら、もしかしたら盗んでいるのはこの子たちかもしれない、と疑いながら接客することに、自己嫌悪に陥っても不思議じゃないな、と真由美は思う。
 七十年前のあたしも、あんなふうだったのかなあ、とぼんやり思いながら店内を観察していた真由美は、一人の子が、ずっと店内で孤立しているのに気がついた。店に来る時も一人だったから、別の学校だったり、友達ではない子たちの中で買い物をしていても不思議はない。でも、寂しくないのかな。つい目で追ってしまう。なんとなく、子どもの頃の自分を重ねてしまう。
 やがてその子も、レジをすませ、少女と少し話して、店を出てきた。お下げのその子は、真由美など存在しないかのように、通りを黙ってとおりすぎていった。その瞬間、その子の表情が意地悪く歪んでいるのに気がついて、真由美は凍りついた。

 「昨日は、マーブルガムが一個無くなってしまったんです。オレンジ味の」
 少女がため息をつくのを背中で聴きながら、真由美は菓子の並ぶ棚を通り過ぎ、店内の隅っこに天井からぶら下げられているおもちゃ類をしげしげと眺めた。
 正直、ひさしく、真由美はさんかくかんの中で、それらの玩具に目をとめたことはなかった。それらは、真由美が子どもだったころお馴染みだったものばかりだ。カラフルなネットに入ったビー玉やおはじき、発泡スチロール製の模型飛行機、ゴムボール、ブリキの金魚、真由美すら生まれていなかった頃のアニメの登場人物たちが描かれたヨーヨー、万華鏡。
 「ねえ、こんなおもちゃ、今どき買うような子ども、いるのかい?」
 子どもの頃の真由美ですら、手を出そうとは思わなかった品々だ。
 「ああ、それは商品ではなくて、飾りつけなんですよ」
 少女は笑いながら答えた。
 「ただ駄菓子を並べているだけだと、まるでコンビニみたいで、駄菓子屋さんの雰囲気が出ないじゃないですか。昭和レトロな雰囲気づくりのために、そこにぶら下げているんです。昔の駄菓子屋さんって、そういうふうに、天井からおもちゃがぶら下げてあって、クジとかで当たったら、もらえたりしたんですよね?」
 「あんた、そんなことどこで勉強したんだい?」
 「勉強したわけじゃないんです。私の中に情報としてインプットされているだけです。それに」
と、少女は、少し目を伏せながら、さっきよりも細い声で付け足した。
 「私、そこにぶら下げてあるおもちゃ、上の方にあるものしかよく見えないんです。このレジが邪魔で」
 「そうか」
 あんた、そこから動けないもんね、という言葉を、真由美は飲み込んだ。証拠としては、これで十分だ。
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