ゴミ捨て場スポットライト

文字数 3,548文字

親父が死んだ。

若くして先立った母に残され男2人、20年近くの時を過ごした。遺されたのは借金と惰性で住み続けたボロアパート。くすんで黄ばんだ家財道具、シミだらけのちゃぶ台。

思えばどうして家を出なかったのか。ヤニ色の壁と天井をぼんやり見つめる。

高卒で職に就き、いつの間にか其の日暮らしな親父より真っ当に稼げるようになっていた。

男手一つで育ててくれた恩返し、親孝行。そんなつもりでもなかった。母の記憶もほとんどない自分にとって、赤ん坊の頃から過ごしたこの部屋が、家族の唯一の繋がりだったのかもしれない。

あの男もきっとそうだったのだろう。いつもどこか寂しそうで。酒にタバコ、ギャンブルと日雇い労働の日々。歳の割にやつれた男だったが、まさかこんなに早く逝ってしまうとは。

最近は碌に口を聞くことも無かった。
18から働いた造園屋は親方との仲違いでいられなくなり、近頃は就職先を探すのにあくせくしていた。金もないのに昼間から酒に溺れる、怠惰な男が疎ましかった。

親父の遺影と目が合う。
その昔、どこからか貰ってきたであろう古びた仏壇に、今は夫婦で並んでいる。

「満足かよ親父ー」

目を逸らしてぼそっと呟く。
しばしば訪れる取り立て屋に怯えながら、人目を避ける毎日。真っ当に生きてきたのに、まるで指名手配犯だ。

「早く仕事探さないといかんなぁ」

大きな独り言。このままこの家にいるとどうにかなりそうだ。窓を少し開けそっと外の様子を伺う。ボケた大家が枯れた植木に水を撒いている。玄関まで行く。ドアを少しづつ開け、ひと気がないことを確認する。鍵を閉めそそくさと階段を降りる。正面を避け、裏の低い塀を越えて、住宅街の細い道を選んで通る。

数日ぶりの外出。雲は重たいが、少し気分が晴れる。とは言っても行き先は職安。楽しいお出かけとはならない。久しぶりに何か旨いものでも食ってから行こう。奮い立って、1人駅を目指した。

* * *

カバンにしまった求人票を思い出しながら帰り道。すっかり暗くなった通りをぼんやりと歩く。思うような求人は無かった。
まあ仕事を選べるような状況ではないが。

憂鬱な気分がぶり返してくる。雲がかる夜空はどんより。星一つ見えない。

明かりの少ない寂しい住宅街。暗い気持ちに拍車がかかる。

行く先の街灯の下、何かが置いてある。
だんだん近づくと、それは人の形をした何かに見えた。

僕は思わず立ち止まった。

兎のような男が道端に打ち捨てられていた。
夜道の電柱の下、街灯にスポットされたそいつは珍妙な出立だった。

着ぐるみというほどしっかりとしたものではないが、素人の仮装にしてはよくできている。

ピンクのうさぎ頭の被り物、腹のあたりが白い色褪せたピンクの起毛の全身タイツ、手には白い革手袋、眉は剃られ、鼻は赤くペイントされていた。

回収を待つゴミ袋の山に寄りかかるようにそいつは打ち捨てられていた。燃え尽きたボクサーのような表情、左耳は中程から折れ下がっている。

隣に立っても微動だにしない。眠っているのか、僕は奴の足を靴先で小突いた。

動かない。

頬の辺りを軽くはたいてみる。
「んグ、ググ…」
兎はイビキともうめき声ともとれる音を発した。

ポツリポツリと雨が降り始める。
僕はなぜかそいつに肩を貸し家まで運んだ。

アパートの階段を引き摺るように2階まで連れてきたが、目を覚ますことはなかった。

雨足が強まる。

部屋の鍵を開け、そいつを引き摺りこむ。
玄関先まで何とか運びこむと、どんより体の重さを感じた。よく大人の男をここまで運んだものだ。自分の体力も捨てたものではない。フゥと息が漏れる。

雨粒と汗が混じってこめかみを伝う。
とりあえずシャワーを浴びよう。

弱々しい水圧、慣れたもので苛立ちも感じない。顔を伝い流れる水流。さて、あいつを何とか起こさないといけない。目覚めない時はどうしようか、そんなことを考えながら風呂場から出る。

いない。あいつは玄関から姿を消していた。

バタンッ。

背後の音に振り返ると、あいつは冷蔵庫の前にしゃがみ込んでいた。

目が合う。そいつは動揺するわけでもなく、しゃがんだままこちらを見据えていた。

一瞬時が止まったようだった。
血圧が上がる。心臓の鼓動が聞こえる。何か言わないと。

「あっ、、えーっと、気が、ついたんですね。だ、大丈夫ですか?」

場を取り繕うように奴に声をかける。

無表情。折れ下がった左耳。血色のない白い顔のギョロ目がこちらを見ている。

何とも言えない不穏な空気にやっと冷静になった。

この状況にゾッとした。

道端で倒れ込んでいた奇妙な格好をした男。どこの誰とも知らない不気味なそいつを、僕は家まで運び込んで今は2人きりだ。正気の沙汰ではないと今更になって気づく。

「いやっ、そこの電柱の下で倒れてたからっ。とっ、とりあえず家まで運んだんですよ!救急車とか…警察とか呼びましょうか!?」

その通りだ、電柱の下で警察か救急に連絡してその場を立ち去ればよかった。何故家まで運び込んだのか。

何を考えているのか、無表情にこちらを見据える兎。胃がキリキリして額に嫌な汗が滲む。

「あのっ!もう大丈夫なんですよね!?もう大丈夫なら出てって下さい!!」

自分で連れ込んでおいて横暴だが、思わず声を荒げた。

兎は興味なさそうに顔を逸らすと、もう一度冷蔵庫を開け中を物色する。

頭がおかしいのか?ただの変態か?それとも言葉が通じてないのか、最後の望みを託し、震えるカタコトの英語で語りかける。

「あーユーオーケー!?…ゲットアウト!ゲットアウト!!」

振り返りもしない。奴は冷蔵庫から何か取り出そうとする。もう我慢の限界だ。

「おいっ!聞いてんのか!!何やってんだ!やめろ!!」

怒りに任せて僕は奴の肩を掴む。
すると奴はしゃがんだまま片手でブンッと振り払う。信じられない力で薙ぎ払われた僕は大きく尻餅をついた。呆気に取られた僕の前にぬぅと立ち上がる兎。デカい。190近くあるんじゃないか。

缶ビール片手に僕を見下ろす。威圧感。逆光で影の差した顔に感情のないギョロ目が光る。

殺される。咄嗟にそう思った。腰が抜けて動けない。後ろに体を支える両腕は子鹿のように震える。

カシュッ……

奴は僕をジッと見据えたままプルタブを開ける。

グビッ…グビッ

喉を鳴らして缶ビールを煽るそいつを、僕は怯えながら見上げるしかなかった。

フゥーー

兎は満足そうに口を窄めて息を吐く。
すると奴はガニ股で踵をズリズリいわせながら、TVの前のちゃぶ台に向かって立て膝で座り込む。TVをつけるとチャンネルを回して番組を吟味し始めた。

何だこれは。僕がおかしいのか。あいつが狂ってるのか。悪い夢でも見てるのか。いっそ夢であればと願う。

そうだ、警察だ。警察を呼ぼう。頭の中はパニックだが、ここにきてやっと正解に辿り着いた気がした。

ちらと兎の様子を伺う。

ようやくチャンネルが定まったようで奴はリモコンを置くと、何やら脇の下をまさぐる。

どうやらポケットがあるらしく、しわくちゃのソフトパックとライターを取り出し、流れるようにタバコに火をつけた。

なんたる暴挙、頭に血が上って奴に詰め寄る。

「てっ、てめぇ、うちは禁煙になったんだよ!!!」

黄ばんだ壁紙に説得力はないが今我が家は禁煙だ。勢い任せに、兎の手からタバコを取り上げる。

瞬間、兎が素早く動いた。

体が宙を舞う。

天井とスローモーション、灰と火花、飛んでいくタバコ。たぶんすごい力で足を払われた。

背中から畳に叩きつけられ、カッと息が漏れる。
そのまま足首を掴まれ、グルんと裏返しにされたかと思うと今度は逆エビで固められる。

「ぐぅぅぅえぇええぇえ」

体がミシミシと軋む。学生の頃のプロレスごっことは比べ物にならない威力。

「んがぁぁぁあ!、ギブッ!ギブギブッ!!」

バンバンと畳を叩くが、兎はやめない。人間とは思えない力でギリギリと僕の体を反り曲げる。

「ッ、くっこんっの外道がぁぁぁああ、ぎいぃぃぃ」

このまま体をへし折られる。そう諦めかけたところで、兎は技を解いてぶんっと僕の足を放り投げる。

少し畳を焦がしたタバコを拾い上げると、何事も無かったかのように元通り寛ぎ始めた。

這いつくばってハァハァと息を漏らす僕は血走った目で奴を睨んだ。反撃したい。奴の頭をかち割りたい。
畳に転がった湯呑みが目につく。
ズリズリと這い寄り、震える手でそれを掴むと、奴の頭目掛けて力一杯放り投げた。

ガンッ

ぶつかった湯呑みが3つに砕けた。
虚しくも奴には当たりもせず、向こうの窓ガラスを傷つけただけだった。

兎が気怠そうに立ち上がり、再びこっちにくる。
恐怖を噛み殺し、憤りの目で奴を睨む。
潤んでぼやけた兎は、中腰のまま僕のこめかみ辺りに打ち下ろす。ぼやぁと白くなった視界はそのまま暗転する。無慈悲な暴力に僕はそのまま意識を失った。

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