インチキ兎と土の味

文字数 4,161文字

僕を肩に担いだまま早足で歩き続ける兎。
さっきまでの出来事に頭の整理がつかなかったが不意に我に帰る。

「おいっ、待って、もういい。おろせ!」

兎の背中をバンバン叩く。
ブンッと乱暴に僕を投げ捨てる兎、道に転がる僕を見下ろす。
どうすればいい。とりあえず助かったが、まずい事になった。
詳しくは分からないがあいつらはヤクザまがいの連中だ。
あんな事になれば間違いなく報復される。というか奴らは生きてるのか。頭の中がゴチャゴチャになる。

「ああああああっ!!!」

耐えかねて頭を掻きむしる。初めての経験。

「もういい!とりあえず逃げるぞ!」
そう吐き捨てて走り出した。兎もついてくる。

だんだん息を切らす僕を、眉間に皺を寄せた兎が鬱陶しそうに見下ろす。目の前をピンクの影が素早く動いたかと思うと兎の肩に担がれていた。奴はそのまま原付みたいなスピードで駆け出す。
そうだこの方が速い。情けない気持ちで一杯になった。

「とりあえず駅の方に!」
聞いているのかいないのか、兎は走り続ける。

街中に近づいてきてふと我に返る。
これは周りからどう見えてるんだ。デカい変態が男を担いで馬鹿みたいなスピードで走ってる。急に不安になった僕は、また兎に声をかける。

「こっこの辺で一回下ろしてくれ!ゆっくり!」

ブンッと乱暴に僕を投げ捨てる兎、道に転がる僕を見下ろす。そろそろ何処かの骨が折れそうだ。

駅に近づくと人が増えてくる。僕の後ろを付いてくる兎男。妙な視線は感じない。誰も見えていない様だ。とりあえず電車でここから離れよう。ガード下のトンネルを通ろうとした時だった。

「ちょっと、そこのお兄さん!!」
不意に呼びかけられ、ビクッとする。
声の方には卓についた占い師のような初老の女がいた。

「厄介なものに憑かれてるねぇ」
ゾッとした。思わず駆け寄る。

「こいつが見えるのか!?」

女はニタニタする。
「あぁ、視えるともよ。一体どこで拾ってきたんだろうねえ」

「こっこいつは何なんだよ!?妖怪!?目的は何!」思わず捲し立てる。

すると女は親指と人差し指で輪っかを作ってゆする。急いで財布を弄る。全然無い。とりあえず千円札を置く。女は目を逸らす。泣く泣くもう一枚差し出す。

「頼むよお!今、全然無いんだ!」
女はため息をついて2枚の札をヒラヒラさせながら懐にしまう。
「大の男が情けないねえ、どれどれ」

卓の前の椅子に腰掛ける。
女はすだれの様な顔掛けを両手で分けると。僕の肩から上をギョロギョロ見る。

「これはぁ…生霊だぁねえ。お兄さん、心当たりのある女がいるんじゃあ、ないかねぇ?」
如何にも意味ありげに勿体ぶって喋る女は、僕の右肩のあたりを両手でユラユラして見せる。

落胆と憤り、危うく殴りかかりそうだ。
兎は女の後ろで舌を出して小踊りしている。

チッ

大きく舌打ちをして乱暴に立ち上がり、インチキ女から去る。

後ろから女が喚く。
「なにさねぇ!やな男!罰当たりが!金も無いくせに!!」

兎が小踊りするステップが付いてくる。イライラしながら。駅の券売機に向かう。こんな時に無駄に金を使ってしまった。切符を改札に通してホームへ向かう。

「ちょっとーピンクのひとー。何してんのー?」

ギョッとして振り向く。兎が改札でひっかかっている。
「そこのひとー?お連れさん?ちゃんと面倒見てよー」

どういうことだ。見えてるのか?見えてるよな?

「駅員さん!あれ見えてるの!?」
兎を指差しながら駆け寄る。

駅員が苛立ちをの表情を浮かべる。
「キセルは犯罪だからねー。ふざけてると警察呼ぶよ。何処まで?ここで発券するから早く」

コンコンと机を叩く駅員。
兎も何をするか分からない。これ以上のトラブルはごめんだと急いで金を払う。
「はい、もう電車来るからね。あんまり変なカッコで電車乗らないでよね。他の人に迷惑だからね」

そう吐き捨てると駅員はうんざりした様子で奥に消えていく。

困惑したまま兎とホームに向かう。

何であの駅員は見えるんだ?というか何でこいつはあそこで立ち止まるんだ。改札ぐらい楽々飛び越えそうなものなのに。そういえばあの取り立て屋の2人も見えていた。

兎を見上げる。無表情。
こいつの意思で見えたり見えなかったりするんだろうか。そう考えると無性に腹が立ってくる。

金がないからそんなに遠くまでは行けない。
僕らは電車に乗り込んだ。


* * *

がらんとした平日昼間の車両に揺られる。
離れてくれればいいのにわざわざ横に座る兎。
腕を組んで、大股に広げた足をぶつけてくる。
腹立ち紛れに兎を睨みつける。
奴は見向きもせず、向かいの車窓を見つめる。流れる景色を写す兎の目はまるで水平線のようだった。

つられて向かいの車窓に目をやる。
うたた寝の老婆越しに、平凡な景色が車窓を流れていく。しずまりかえった車内に走行音だけが響く。柔らかな日差しと電車の揺れが妙に眠気を誘う。この数時間が嘘のように、穏やかな時間が流れた。眠気に身を委ね、瞼を閉じようとした時、兎の左向こうから無邪気な声が聞こえる。

「おじさん、なんでウサギさんのカッコしてるのー?」

不意の出来事にギョッとした。
兎の座席から一つ空けた端の席の向こう、手すりに掴まって小さな女の子が立っていた。
小学校に上がる前くらいだろうか、赤いワンピースを着た二つ結びの女の子、肩からポシェットを下げている。

「ねえ、ウサギさんきこえてるー?」

兎の隣から女の子の周囲を伺う。親はどこだ、なんでこんな小さな子が1人でいる。

兎は女の子の方を見向きもしない。
胃がキリキリする。1秒が長い。
周囲を見回す。女の子の方を怪訝そうに見るスーツ姿のサラリーマン。遠くから少しこっちを気にするベビーカーの主婦。

女の子には兎が見えている。他の奴らはどうなんだ。頼むから兎に構わないでくれ。頭がグルグルする。

女の子が手すりに掴まったまま、腕を伸ばし切って兎に近寄る。

「ウサギさぁーん、聞こえますかぁ」

黙りこくる兎が、返って好奇心を刺激するらしい。女の子は少し楽しそうにニヤニヤしている。

これ以上こいつを刺激しないでくれと、何か声をかけようとした時、兎が組んでいた腕をほどく。
緊張が走る。女の子の安全を守る行動をとらねばならないと身構えた。

兎は左手で右脇の下をガサゴソと弄る。
ポケットから何かを出すようだ。
指先に何かをつまんで女の子の方にさっと差し出した。

苺柄の包装紙の懐かしいキャンディ。女の子は驚いて固まる。これで黙れと言わんばかりに無言のまま、前を見据えて差し出されたキャンディ。僕は固唾を飲んでその光景を見守る。
女の子が束の間の沈黙を破る。

「…ごめんねウサギさん。知らない人から食べ物もらっちゃダメってママから言われてるの。」

車内の空気が凍ったような気がした。

微動だにしない兎の顔はいつもより強張っているような気がしなくも無い。

数秒の内に停車すると、電車の扉が開く。

「バイバイ、ウサギさん!」

女の子は何事もなかったように、はつらつと降りていく。続いて下車する向かいの老婆。

「あんた、不器用だねぇ」

老婆はそう言いながら、兎の指先のキャンディをかすめていく。

扉が閉まり、電車は再び走り出す。
兎は再び腕を組み、正面を見据える。

愁を帯びた表情を浮かべる兎に、僕はかける言葉を持ち合わせていなかった。

* * *

降りた2つ先の駅は川沿い。
行くあてもなく、川べりの高架下に逃げ込む。

日陰に座り込むと、兎は少し離れた橋桁に寄りかかる。

揺れる川面に視線を落とす。

これからどうしようか。軽い財布で飛び出して、小銭が少し。一食分もないだろう。冷静になると急に腹が減ってくる。あんなことになっては家には帰れない。

日雇いに飛び込みで食い繋ぐにも、宿がない。
日払いで住み込みの仕事なんて、この辺じゃ簡単には見つからないだろう。

頼る親戚もいない。5駅程歩けば友人の家があったはず。何年も連絡を取っていないし、辿り着けるか分からないが、今のツテはそれくらいだろうか。警察に相談に行くのは最終手段だろう。こないだの件もあるし、今度は相手がヤクザ紛いだ。ヤク中同士のトラブル扱いされてもおかしくない。

頭を使うと余計に腹が減ってくる。
いよいよどうしようかと思うと、草陰のブルーシート小屋が目についた。

(ほとぼりが覚めるまで、ここでホームレスかもな)

こんな状況じゃ冗談にもならない。
ため息混じりに、兎の方を振り返る。

兎は無表情に川を見据えながら、なにか食っていた。

見間違いかと思ったがそうじゃない。
立ち上がって兎に近づく。焼そばパンだった。
頭に血が昇っていく。

「おい」

奴は目線もよこさない。

「そんなもん、どこに隠し持ってたんだよ」

渇いた唇が震える。

「ち、ちょっとよこせよ。俺にも!」

奴は半分ほどまで食べ進めた。パンから口も離さない。

「よこせってんだよ!!」

耐えかねてパンに掴み掛かろうとするも、奴はその長い手でドンッと僕を突き飛ばす。

ふらふらと情けなく尻もちをついた僕を、奴は見もしない。

「クソがっ、この疫病神が!消えちまえっ!消えちまえよ!!」

怒りに任せて、手元にあった砂利やら石やら土塊やらを投げつけた。当たったかも分からない。ただ奴が立ち上がった気配がした。

目元を拭って奴を見る。
パンを乱暴に押し込んだのだろう、口元を汚して膨らんだ頬をクチャクチャしながら向かってくる。

「来いよ!やれよ!!お前なんか怖くない!!」

立ち上がった勢いのまま拳を振りかざすも、リーチの差は歴然だった。

兎の右ビンタで視界が弾ける。キーンッという耳鳴りは右から左。反対の頬にもビンタをもらった。左手か右の甲かも分からない。ただ革手袋のビンタは強烈だった。首から上の感覚が消し飛んだかと思うと、両肩口をムンズと掴まれる。兎は腕の力だけで僕を投げ飛ばした。

ドッシャと落ちた肩と背中を砂利が受け止める。目を開けるのもままならない。なんとか立ちあがろうとするも、今度はズボンの腰を掴み、遠心力も使ってグルリと投げられる。砂利と土、草むらをゴロゴロと。

そんなことを何度繰り返しただろうか、泥と雑草のカスにまみれて、ついに僕は立ち上がれなくなった。節々が痛む。土と擦れた草の匂い。かろうじて瞼を開くと、バッタがアリに解体されながら、ぼんやり運ばれていく。瞼を閉じると、重力に従って涙が流れた。情けない。僕はそのまま気を失った。

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