1.初めまして(2)
文字数 2,641文字
広い庭園は、こんなにも暗闇だと言うのに丁寧に手入れされいるのが揺らめく松明たちの灯だけで分かる程に整っといた。
何かの施設であれば、オープン前かオープンしてからまだ日付も浅いのは明確なのだろう。
こんな辺鄙な場所に似つかないお城が一つ。一体、いつの間に建ったのかと、彼は再度首を捻った。
これだけ大きく、本格的であれば誰も気付かないはずがないと言うのに。
文字通り、今日まで誰も気付かず、誰にも知られず、城はそこにあった。
しかしかながら、彼が知らないだけの可能性は捨てきれない。彼自身、既に大人と呼ばれる年齢である。アミューズメントパークなんて興味がなくなってもおかしくない。だからだろうか、きっと、何処かで誰かが話題に出したとしても聞き逃してしまったとしてもおかしくない。
それに、アミューズメントパークが大好きだった彼女はもう居ないのだ。
きっと、彼女が居たら、彼も聞き逃さずに耳を傾けて居たのかもしれない。
彼は段々と白味を帯びる息を吐きながら、季節を呼んだ美しい薔薇たちが織り成す城へと続く道を歩く。
「……また、気温が下がってないか?」
随分と寒くなったものだ。
体を少しだけ震わせながら、彼は己の腕を摩る。
仄かにまだ暖かい自分の掌の熱を感じながら、彼は足を進めていく。
どれぐらい歩いたのだろうか。
それほど、門からは、城が遠い様には見えなかったが、どうしてだろうか。彼にとっては、その道のりは遠く感じ、なんと言うことだろうか。彼は城に着く迄に息を切らしていたのだ。
寒かった体が、熱を帯びる。
しかし、肺の奥底から出てくる吐息は雪の様に白かった。
これ程時間がかかってしまったら、最早この城の中に人は居ないかもしれない。
皆、帰ってしまったかもしれない。
それでも、窓から見える灯りは揺らいでいる。
携帯で時間を確認する動作すら億劫になってしまった彼は、城の入り口に手を伸ばした。
脇に見える範囲でインターホンはない。だから彼は扉を叩き、声をあげた。
「すみません。誰か居ませんか?」
トントントン。扉を叩いては声を上げる。
「すみません、すみません」
トントントン。
まるでそれは、童話の様に繰り返す。
「はい」
何回目のノックを打った所だろうか。
皺くちゃの声が、彼の耳に届いた。
軋んだ音を立てて、声が聞こえた大きな扉が少し開く。
「夜分遅くにすみません」
「はい、はい」
返事をしたのは、メイド服を纏った老婆が一人。
皺くちゃの顔を扉の隙間から覗かせ、彼を一瞥する。
「お客様でございましょうか? 招待状をお見せ下さいな」
「あ、いえ、あの」
老婆の言葉では、やはりこの施設は何かの商業施設な事が伺えた。
お客様を呼ぶ、施設だ。
もしかしから、高級レストランなのかもしれない。
「すみません、招待状はないんです。実は、この山で迷ってしまって……」
「……山、でございますか?」
一瞬だが、老婆が少しだけ驚いた顔をした気がした。しかし、それは気のせいだったのだろうか。
「それはそれは。この山で、こんな夜が更ける迄彷徨われたなど、誠に災難でございましたね」
「あ、ええ」
老婆は、大きく扉を開けた。
隙間から見えて居たのは皺くちゃの顔だけだったが、広く開いたお陰で酷く曲がった腰と、手に持っている洋燈が彼の目に入る。
成る程、窓から見えて居た揺らめく光は、洋燈の炎なのか。
外の庭に用意されていた松明も、本物の松明なのかもしれない。
だとしたら、随分と本格的な施設である。
「あの、不躾で申し訳ないのですが、お電話をお借りてしても良いでしょうか? 何分、ここでは携帯電話が通じなくて」
「ああ、ああ。そうでございますね。然し乍ら、私にはその権限がございません」
「権限……?」
老婆の言葉に、彼は思わず怪訝な顔をする。
「ええ、ええ。私は、ただの雇われでしてね」
「あ、ああ。責任者の方の許可がいるという事ですか」
電話一つに?
言葉では納得した声を出したものの、老婆の言葉は彼にとってはどれも違和感しかないものだった。
「ええ、ええ。そうでございます」
「あの、電話が難しいのであれば、あのっ。図々しいことは承知でお願いしますが、麓までどなたか送って頂けないでしょうか?」
随分と図々しくも、大胆な事を言ってしまったと、彼は思った。しかし、それについての後悔はない。
違和感しか覚えない会話に、何処か彼は何かを感じている。その何かは、間違いなく恐怖に近いものだった。
あまりここにいない方がいい。
入り込まない方がいい。
誰かの声ではない。彼自身の本能がそう告げているのだ。
しかし、老婆の言葉は彼の言葉を打ち砕くものだった。
「私達に、外に出る権限は与えられておりませぬ」
また、権限だ。
それに、今度は私達、だって?
然し乍ら、仕事中に席を外せれないと言う話は可笑しくはない。
ここが店だというのならば、この老婆は間違いなく仕事中なわけだ。
「仕事中でなくても、大丈夫です。終わるまで、外で待たせて頂ければ、大丈夫ですから。誰でも大丈夫です。本当に、申し訳ないのですが、麓の道路まででも構いません」
何回大丈夫だと言うのだ。まるでその言葉は、自分に言い聞かせているかの様な言葉である。
「はぁ……」
老婆は気の抜けた言葉を放ち、彼を見上げた。
「これは、随分と、お困りの様で」
先程の労いは社交辞令だったのか。
「はい。段々と気温も下がっていますし、連絡も付かず家族も心配してる筈です。どうか、お願いします」
「私の一存では、どうしようもございません。貴方様を麓まで遅れる足もございませんし、一度どうか主人にお会い下さいまし」
また一段と大きく扉が開いた。
「どうぞ、中へ」
そこは、赤黒い色で統一された家具に、壁、そしてカーペットが広がっている。
思わず、彼は口を手で抑えた。
これは、まるで……。
「外はお寒いでしょう。どうぞ、中へ」
老婆は再度、彼を中へと誘った。
ああ、まるで。
生暖かい風が彼の冷たい頬に触れる。
それは、まるで、人の体温の様に。
そして、この屋敷の中は、人の体内の中の様に。
赤黒い世界に、思わず彼は顔を顰めるのであった。
何かの施設であれば、オープン前かオープンしてからまだ日付も浅いのは明確なのだろう。
こんな辺鄙な場所に似つかないお城が一つ。一体、いつの間に建ったのかと、彼は再度首を捻った。
これだけ大きく、本格的であれば誰も気付かないはずがないと言うのに。
文字通り、今日まで誰も気付かず、誰にも知られず、城はそこにあった。
しかしかながら、彼が知らないだけの可能性は捨てきれない。彼自身、既に大人と呼ばれる年齢である。アミューズメントパークなんて興味がなくなってもおかしくない。だからだろうか、きっと、何処かで誰かが話題に出したとしても聞き逃してしまったとしてもおかしくない。
それに、アミューズメントパークが大好きだった彼女はもう居ないのだ。
きっと、彼女が居たら、彼も聞き逃さずに耳を傾けて居たのかもしれない。
彼は段々と白味を帯びる息を吐きながら、季節を呼んだ美しい薔薇たちが織り成す城へと続く道を歩く。
「……また、気温が下がってないか?」
随分と寒くなったものだ。
体を少しだけ震わせながら、彼は己の腕を摩る。
仄かにまだ暖かい自分の掌の熱を感じながら、彼は足を進めていく。
どれぐらい歩いたのだろうか。
それほど、門からは、城が遠い様には見えなかったが、どうしてだろうか。彼にとっては、その道のりは遠く感じ、なんと言うことだろうか。彼は城に着く迄に息を切らしていたのだ。
寒かった体が、熱を帯びる。
しかし、肺の奥底から出てくる吐息は雪の様に白かった。
これ程時間がかかってしまったら、最早この城の中に人は居ないかもしれない。
皆、帰ってしまったかもしれない。
それでも、窓から見える灯りは揺らいでいる。
携帯で時間を確認する動作すら億劫になってしまった彼は、城の入り口に手を伸ばした。
脇に見える範囲でインターホンはない。だから彼は扉を叩き、声をあげた。
「すみません。誰か居ませんか?」
トントントン。扉を叩いては声を上げる。
「すみません、すみません」
トントントン。
まるでそれは、童話の様に繰り返す。
「はい」
何回目のノックを打った所だろうか。
皺くちゃの声が、彼の耳に届いた。
軋んだ音を立てて、声が聞こえた大きな扉が少し開く。
「夜分遅くにすみません」
「はい、はい」
返事をしたのは、メイド服を纏った老婆が一人。
皺くちゃの顔を扉の隙間から覗かせ、彼を一瞥する。
「お客様でございましょうか? 招待状をお見せ下さいな」
「あ、いえ、あの」
老婆の言葉では、やはりこの施設は何かの商業施設な事が伺えた。
お客様を呼ぶ、施設だ。
もしかしから、高級レストランなのかもしれない。
「すみません、招待状はないんです。実は、この山で迷ってしまって……」
「……山、でございますか?」
一瞬だが、老婆が少しだけ驚いた顔をした気がした。しかし、それは気のせいだったのだろうか。
「それはそれは。この山で、こんな夜が更ける迄彷徨われたなど、誠に災難でございましたね」
「あ、ええ」
老婆は、大きく扉を開けた。
隙間から見えて居たのは皺くちゃの顔だけだったが、広く開いたお陰で酷く曲がった腰と、手に持っている洋燈が彼の目に入る。
成る程、窓から見えて居た揺らめく光は、洋燈の炎なのか。
外の庭に用意されていた松明も、本物の松明なのかもしれない。
だとしたら、随分と本格的な施設である。
「あの、不躾で申し訳ないのですが、お電話をお借りてしても良いでしょうか? 何分、ここでは携帯電話が通じなくて」
「ああ、ああ。そうでございますね。然し乍ら、私にはその権限がございません」
「権限……?」
老婆の言葉に、彼は思わず怪訝な顔をする。
「ええ、ええ。私は、ただの雇われでしてね」
「あ、ああ。責任者の方の許可がいるという事ですか」
電話一つに?
言葉では納得した声を出したものの、老婆の言葉は彼にとってはどれも違和感しかないものだった。
「ええ、ええ。そうでございます」
「あの、電話が難しいのであれば、あのっ。図々しいことは承知でお願いしますが、麓までどなたか送って頂けないでしょうか?」
随分と図々しくも、大胆な事を言ってしまったと、彼は思った。しかし、それについての後悔はない。
違和感しか覚えない会話に、何処か彼は何かを感じている。その何かは、間違いなく恐怖に近いものだった。
あまりここにいない方がいい。
入り込まない方がいい。
誰かの声ではない。彼自身の本能がそう告げているのだ。
しかし、老婆の言葉は彼の言葉を打ち砕くものだった。
「私達に、外に出る権限は与えられておりませぬ」
また、権限だ。
それに、今度は私達、だって?
然し乍ら、仕事中に席を外せれないと言う話は可笑しくはない。
ここが店だというのならば、この老婆は間違いなく仕事中なわけだ。
「仕事中でなくても、大丈夫です。終わるまで、外で待たせて頂ければ、大丈夫ですから。誰でも大丈夫です。本当に、申し訳ないのですが、麓の道路まででも構いません」
何回大丈夫だと言うのだ。まるでその言葉は、自分に言い聞かせているかの様な言葉である。
「はぁ……」
老婆は気の抜けた言葉を放ち、彼を見上げた。
「これは、随分と、お困りの様で」
先程の労いは社交辞令だったのか。
「はい。段々と気温も下がっていますし、連絡も付かず家族も心配してる筈です。どうか、お願いします」
「私の一存では、どうしようもございません。貴方様を麓まで遅れる足もございませんし、一度どうか主人にお会い下さいまし」
また一段と大きく扉が開いた。
「どうぞ、中へ」
そこは、赤黒い色で統一された家具に、壁、そしてカーペットが広がっている。
思わず、彼は口を手で抑えた。
これは、まるで……。
「外はお寒いでしょう。どうぞ、中へ」
老婆は再度、彼を中へと誘った。
ああ、まるで。
生暖かい風が彼の冷たい頬に触れる。
それは、まるで、人の体温の様に。
そして、この屋敷の中は、人の体内の中の様に。
赤黒い世界に、思わず彼は顔を顰めるのであった。