1.初めまして(3)
文字数 2,842文字
未来は老婆に案内されるがままに廊下を歩いた。
右も左も上も下も、黒と赤のタイルが交互に並ぶ床も、美しく不気味な装飾を施した家具たちも。そして、誰の顔かすらわからなくなった肖像画も、全てが赤黒くて気味が悪い。
老婆が言うには、この城の主人に会って自分で事情を話して欲しい。私にはその権限がない、と。
先程から、この老婆は彼に権限という言葉を多用していた。その事に、彼は疑問を抱く。
一体、権限とはなんなのか。
権限とは詰まる所、役職に付与された権能である。
しかし、それは彼が求めている答えではない。
こんなにも、何か老婆が行う度に確認せねばならない権限とはなんだろうか。そこまで、この施設のルールは厳しいのだろうか? だとしたら、ここは、一体、何の施設だと言うのだろうか?
また、彼女が言う主人とは、ここの経営者か何かなのだろうか?
随分と本格的な外装、内装を見れば、老婆もまるでその一部の様に感じる。
中世ヨーロッパの使用人、と言ったところだろうか? その雰囲気は彼女の立ち振る舞いだけではなく、言動からも滲みでていた。
それが彼女の与えられた役所だと言うのであれば、やはりここはアミューズメントパークではないだろうか?
しかしながら、廊下を歩いていても誰とも彼らはすれ違いすらしていない。
人の話し声も足音も、そして、音楽も。アミューズメントパークにあるはずの、そして、聞こえてくるはずの音がそこにはなかった。
この時間だ。もしかしたら、客はもう居ないのかもしれない。しかし、BGMと言うものは営業中であれば掛かっているはずだ。例え、ここがアミューズメントパークではなく、レストランだとしても。
その事に、彼は深く違和感を覚えた。
まるでここは、本当に。誰かが住む城なのではないかと言う、違和感が。
現代社会、また、この日本において、そんな事はまずあり得ないだろう。
金持ちが城を建て、老婆を雇いまるで本物の中世ヨーロッパの貴族の様に振る舞う。
こんな山奥で?
思わず、自分の思考に彼は鼻で笑ってしまった。
その音に振り向いた老婆に、彼は慌てて愛想笑いを返す。
バカな事を想像したのは自分の非だ。老婆の所為ではない。余りにも、現実離れした自分の逞しい想像に呆れながらも、彼は冷静に周りを見渡す。
椅子は、ない。
長い廊下である。なのに、ベンチの様な物は特に無かった。
何度も言うが、ここがアミューズメントパークならばそんな事はあり得なくないだろうか?
また、レストランならば……。
こんなにも廊下が長く、扉が多いのは個室が多いからなのか。そんな場所がレストランに向いているとは思えない。
では、アミューズメントパークでもなくレストランでもない。城のような外見に個室が多いのであれば、それならばこの場所は、ホテルなのではないだろうか?
ホテルなら、この作りは頷ける。
外見も、本格的な城の形をしていても泊まること自体がアミューズメントの様なものだろう。悪趣味な内装だって、幽霊屋敷などと謳ったコンセプトなのかもしれかい。
でも、それでも。
ここには、人の気配がしなかった。
開店前の新しい場所なのかもしれない。でも、ロビーも受付も、果てはパネルもなかった。
普通に、普通で、普通の、普通過ぎる、普通に相応しい『城』なのだ。ここは。
誰か貴族が今も尚住んでる様な、誰かの家の様な、なんとも言えない空気がある。
「あの」
その空気を吐き出す様に、彼は口を開いた。
「何でございましょうか?」
今度は、老婆は振り向かずに彼の声に返した。
「ここは、何かのお店ですか?」
「店、でございますか?」
「は、はい。僕、この山の麓の町に住んでいるんですが、恥ずかしながらこの場所を知らなくて」
「ああ、ああ。山。そうで、ございますか。ええ。そうですね、ええ。ええ。そうでございます」
それは、相打ちなのか。
それとも、老婆は彼には見えない相手を話しているのか。
何に対してのそうだと言うのだろう。
「ここは、店ではございません。今宵は、主人がお借りしており、皆様を招いて居りますが、普段は私も存じ上げておりません」
「今宵……」
今夜だけ、ここの主人がこの場所を借りた?
貸しアトリエの様な場所なのだろうか? それにしては……。
トントントン。
老婆が扉を叩く音に彼は顔を上げる。
どうやら、目的の場所まで漸くついた様だ。
「はーい」
ガチャリと扉を開けたのは、眼を見張る程の美少女であった。
「あ、お婆さん。どうしましたか?」
ニコニコと、彼女は長い美しい黒髪を揺らしながら、扉から身を滑り込ませる。
何とも、華奢な姿だろうか。
ヒラリと舞う純白なレースの袖から見える太ももは、レースの純白さよりも白く細く。しかしながらも若さ故の健康さも忘れてはいない。
これが、老婆の言う主人?
なんと、若い事だろうか。
「ああ、翡翠様。お食事中にも関わらず、ご足労をお掛けして申し訳ございません」
「そんな事ないです! ご飯美味しかったです! 私、こんな美味しい料理食べたの、初めてです!」
まるで鈴が鳴る様な可愛らしい声で、翡翠と呼ばれた少女が笑う。
彼は彼女を見て、口に手を当てた。
彼女の言動を見る限りでは、彼女は招待された側の客である可能性が高い。
それよりも、僕は彼女をーー。
「この部屋に主人は?」
「ちょっと前に、双子ちゃんと一緒に出ていかれましたよー」
矢張り、彼女は主人ではなく、どうやら老婆が探していた主人はここにはいないらしい。
「あらあら、それはそれは」
老婆はチラリと彼を見る。
「申し訳ございません。どうやら主人とは行き違いになったようでございます」
「あ、はい」
謝られても、それは老婆の所為ではない。責めるなんてナンセンスな事を彼がするわけでもなく、彼自身も突然来た身だからと老婆に頭を下げた。
「申し訳ございませんが、今一度主人を呼んで参りますので、この部屋で皆様とお待ちになって頂いていてもよろしいでしょうか?」
「この部屋……?」
彼が首を傾げると、ゆっくりと彼女が出てきた扉が開く。
そこには、眼を見張る様な黄金の長い長い食卓テーブルに、老若男女の7人の男女が座っていた。
卓についていた彼らは一斉に、未来を見る。
「おいおい、このゲームの参加者はこの8人じゃなかったのか?」
1人の男が未来を見て声を上げた。
ゲームだって?
未来はこの男の言葉に眉をひそめる。
山の中に聳え立つ城。老婆のメイドに、8人の男女。
一体、なんのゲームがここで始まろうとしているのか。
今宵一夜限りの、このゲームとは、一体ーー。
暗闇の中で、何かが赤黒い口を三日月の様に歪めて笑うのであった。
右も左も上も下も、黒と赤のタイルが交互に並ぶ床も、美しく不気味な装飾を施した家具たちも。そして、誰の顔かすらわからなくなった肖像画も、全てが赤黒くて気味が悪い。
老婆が言うには、この城の主人に会って自分で事情を話して欲しい。私にはその権限がない、と。
先程から、この老婆は彼に権限という言葉を多用していた。その事に、彼は疑問を抱く。
一体、権限とはなんなのか。
権限とは詰まる所、役職に付与された権能である。
しかし、それは彼が求めている答えではない。
こんなにも、何か老婆が行う度に確認せねばならない権限とはなんだろうか。そこまで、この施設のルールは厳しいのだろうか? だとしたら、ここは、一体、何の施設だと言うのだろうか?
また、彼女が言う主人とは、ここの経営者か何かなのだろうか?
随分と本格的な外装、内装を見れば、老婆もまるでその一部の様に感じる。
中世ヨーロッパの使用人、と言ったところだろうか? その雰囲気は彼女の立ち振る舞いだけではなく、言動からも滲みでていた。
それが彼女の与えられた役所だと言うのであれば、やはりここはアミューズメントパークではないだろうか?
しかしながら、廊下を歩いていても誰とも彼らはすれ違いすらしていない。
人の話し声も足音も、そして、音楽も。アミューズメントパークにあるはずの、そして、聞こえてくるはずの音がそこにはなかった。
この時間だ。もしかしたら、客はもう居ないのかもしれない。しかし、BGMと言うものは営業中であれば掛かっているはずだ。例え、ここがアミューズメントパークではなく、レストランだとしても。
その事に、彼は深く違和感を覚えた。
まるでここは、本当に。誰かが住む城なのではないかと言う、違和感が。
現代社会、また、この日本において、そんな事はまずあり得ないだろう。
金持ちが城を建て、老婆を雇いまるで本物の中世ヨーロッパの貴族の様に振る舞う。
こんな山奥で?
思わず、自分の思考に彼は鼻で笑ってしまった。
その音に振り向いた老婆に、彼は慌てて愛想笑いを返す。
バカな事を想像したのは自分の非だ。老婆の所為ではない。余りにも、現実離れした自分の逞しい想像に呆れながらも、彼は冷静に周りを見渡す。
椅子は、ない。
長い廊下である。なのに、ベンチの様な物は特に無かった。
何度も言うが、ここがアミューズメントパークならばそんな事はあり得なくないだろうか?
また、レストランならば……。
こんなにも廊下が長く、扉が多いのは個室が多いからなのか。そんな場所がレストランに向いているとは思えない。
では、アミューズメントパークでもなくレストランでもない。城のような外見に個室が多いのであれば、それならばこの場所は、ホテルなのではないだろうか?
ホテルなら、この作りは頷ける。
外見も、本格的な城の形をしていても泊まること自体がアミューズメントの様なものだろう。悪趣味な内装だって、幽霊屋敷などと謳ったコンセプトなのかもしれかい。
でも、それでも。
ここには、人の気配がしなかった。
開店前の新しい場所なのかもしれない。でも、ロビーも受付も、果てはパネルもなかった。
普通に、普通で、普通の、普通過ぎる、普通に相応しい『城』なのだ。ここは。
誰か貴族が今も尚住んでる様な、誰かの家の様な、なんとも言えない空気がある。
「あの」
その空気を吐き出す様に、彼は口を開いた。
「何でございましょうか?」
今度は、老婆は振り向かずに彼の声に返した。
「ここは、何かのお店ですか?」
「店、でございますか?」
「は、はい。僕、この山の麓の町に住んでいるんですが、恥ずかしながらこの場所を知らなくて」
「ああ、ああ。山。そうで、ございますか。ええ。そうですね、ええ。ええ。そうでございます」
それは、相打ちなのか。
それとも、老婆は彼には見えない相手を話しているのか。
何に対してのそうだと言うのだろう。
「ここは、店ではございません。今宵は、主人がお借りしており、皆様を招いて居りますが、普段は私も存じ上げておりません」
「今宵……」
今夜だけ、ここの主人がこの場所を借りた?
貸しアトリエの様な場所なのだろうか? それにしては……。
トントントン。
老婆が扉を叩く音に彼は顔を上げる。
どうやら、目的の場所まで漸くついた様だ。
「はーい」
ガチャリと扉を開けたのは、眼を見張る程の美少女であった。
「あ、お婆さん。どうしましたか?」
ニコニコと、彼女は長い美しい黒髪を揺らしながら、扉から身を滑り込ませる。
何とも、華奢な姿だろうか。
ヒラリと舞う純白なレースの袖から見える太ももは、レースの純白さよりも白く細く。しかしながらも若さ故の健康さも忘れてはいない。
これが、老婆の言う主人?
なんと、若い事だろうか。
「ああ、翡翠様。お食事中にも関わらず、ご足労をお掛けして申し訳ございません」
「そんな事ないです! ご飯美味しかったです! 私、こんな美味しい料理食べたの、初めてです!」
まるで鈴が鳴る様な可愛らしい声で、翡翠と呼ばれた少女が笑う。
彼は彼女を見て、口に手を当てた。
彼女の言動を見る限りでは、彼女は招待された側の客である可能性が高い。
それよりも、僕は彼女をーー。
「この部屋に主人は?」
「ちょっと前に、双子ちゃんと一緒に出ていかれましたよー」
矢張り、彼女は主人ではなく、どうやら老婆が探していた主人はここにはいないらしい。
「あらあら、それはそれは」
老婆はチラリと彼を見る。
「申し訳ございません。どうやら主人とは行き違いになったようでございます」
「あ、はい」
謝られても、それは老婆の所為ではない。責めるなんてナンセンスな事を彼がするわけでもなく、彼自身も突然来た身だからと老婆に頭を下げた。
「申し訳ございませんが、今一度主人を呼んで参りますので、この部屋で皆様とお待ちになって頂いていてもよろしいでしょうか?」
「この部屋……?」
彼が首を傾げると、ゆっくりと彼女が出てきた扉が開く。
そこには、眼を見張る様な黄金の長い長い食卓テーブルに、老若男女の7人の男女が座っていた。
卓についていた彼らは一斉に、未来を見る。
「おいおい、このゲームの参加者はこの8人じゃなかったのか?」
1人の男が未来を見て声を上げた。
ゲームだって?
未来はこの男の言葉に眉をひそめる。
山の中に聳え立つ城。老婆のメイドに、8人の男女。
一体、なんのゲームがここで始まろうとしているのか。
今宵一夜限りの、このゲームとは、一体ーー。
暗闇の中で、何かが赤黒い口を三日月の様に歪めて笑うのであった。