第15話

文字数 9,239文字

 訳も分からないまま、大きく激しい筈の騒動が短時間で終結した。
「……どう言う事?」
 力なく凪が呟くのは、何も先の怪木退治の疲れのせいだけではない。
 何処からか現われた鏡月が放り投げた荒縄で、水月が襲い掛かる気の荒い連中を、手際よく拘束する様を目の当たりにしてしまったのが、一番堪えていた。
 殺気を込めた攻撃を、しかも他の少年少女を狙った奴らを難なく、あっさりととらえていく様は、見目からは想像もできない豪胆さだった。
「下手な尖りものを持って来なくて、正解だったな。少し間違えば、真っ二つにしかねない程、軟弱な奴らだった」
 息すら乱さずに、水月はそんな感想を漏らした。
「……」
 呆然とする見学者の後ろで、鏡月がしんみりと呟いた。
「相変わらず、化け物と呼ぶには化け物に失礼に当たりそうな、ハチャメチャ振りだな」
 行動も言動も。
 付け加えなかった言葉は、隣に立つ蓮をも同調させる。
「しかも、ミヤとそっくりな顔でやられた日にゃあ、あっちへの見方も変わりそうだ」
 勿論、血は繋がっていても別の個体だというのは分かっているが、思い込みと偏見はそこから始まるものだ。
 蓮は首を振って何とかそれを振り払う努力をしながらも、水月の足下に倒れる大柄な男を見下ろした。
「で、あの人を、何でよりによって、あんな姿にしたんだ?」
「しかも、何で真っ先に襲い掛かって来た?」
 呆れた若者の問いかけに続く、自分を踏みつけている少年の問いに、大男が真面目に答えた。
「本当に満身創痍だったのか、気になったのだ。もしかしたら、由良をやったような拳が、お見舞いされるかもしれんだろう?」
「……昔から疑問だったんだが、あんたはどう言う方向を、目指してるんだ?」
 呆れ返った水月の問いは、大男の正体に気付いている者たち全員の疑問でもあるが、大男は真面目に返した。
「長く生きていると、各々の方面を極めたいと思うものなのだ。お前もそうなる」
「……それは予言か? いや、実際それも面白そうだと思ったが……」
 次元が違う会話を聞き流し、志門が友人たちに近づいた。
「ご苦労様でした。今、市原さんから連絡がありました」
「……」
「研修は合格、だそうです。おめでとうございます」
「……古谷」
 祝辞を述べる友人に、和泉が力なく呼びかける。
「はい」
「お前、どこまでこの悪巧みに関わってた?」
「悪巧み、とは?」
 静がやんわりと問い返した。
「もとはと言えば、あなたが、志門さんを炙り出そうと悪巧みしたのが、始まりじゃないですか。しかも、あんなものを持ち歩いているなんて。中々、すごい趣味ですね」
「その辺りは、私も人の事は言えません。護身用に持ち歩いているものが、ありますから」
 毒のある言葉を、志門が静かに宥めてくれたが、持って来てしまった事実は事実だ。
 黙り込んだ和泉に、同年の少年は首を傾げて言った。
「私自身は、企みなど何もありません。あなた方の企みに便乗した方々が、別な企みを呼び、更にその企みに便乗した方々の手で、企み全てが踊ろされてしまったところに、私も便乗しただけです」
「最初は、微々たる問題でも、関わる者の数だけ思惑も出て来る。お前さん達の問題は、あらかた解決したのだから、他を気にする事はないだろう」
「……さっきの奴らは、何だったのかくらいは、訊いても構いませんか?」
 水月の宥める言葉を聞き、おっとりと尋ねたのは、弟たちの動きの時は傍観し、先程の怒涛の様な騒動の時は、展開が早すぎて見守るしかなかった里沙だった。
「今後関わる事態は、ないのですか?」
「撲滅するには、可哀そうすぎる程虚弱な存在だから、監視できるしかるべき場所に連れて行く」
 それは、水月の保護者の仕事であって、里沙の母親の会社の仕事でも、自分たちのやるべきことでもないと、少年は笑って見せた。
「さあ、観光を再開しよう。後は、頼んだぞ」
 全身で踏みつけていた大柄な男から飛び降り、水月は明るい声で呼び掛けた。
 少年が呼びかけた先には従弟の若者と、その仕事仲間がいる。
 若者二人が動く前に、いつの間にか姿を現した者たちが、静かに行動していた。
「これ以上知っても、これからのお前たちの為には、ならないからな」
 そう言われてしまうと黙り込むしかないが、和泉は気力を振り絞って一つだけ尋ねた。
「さっき消えた二人は? ここにいる人たちとは、違うんでしょう? 一体、どこに行ったんですか?」
 そんなにこの質問は意外なのかと疑いたくなる程に、事情を知っていそうな面々が、不思議そうに顔を見合わせ合う。
「そういや、何処に移動させたんだ? 成功したのか?」
「ああいうのは、実体のない式神に使うのが主で、あそこまで実体を持つ奴に、しかも二人に使える代物じゃ、ない筈だろう? 途中で消えてないか?」
 意外に深刻な、問題だったようだ。
 蓮と鏡月は、その成功率の低さで疑問を呈し、それを聞いた少年少女が青ざめる中、水月が笑いながら頷く。
「一人はまだしももう一体は、その可能性が高いな。お前さんの課題は、その消えそうな奴を狙ってのものだったんだろう? 二人も送って大丈夫だったのか?」
 その問いに答えたのは静だった。
「先程、セイから連絡がありました。どちらも無事搬送されたと。志門さんも、合格だそうです」
「本当ですか。よかった」
 不安げに会話を聞いていた志門が、少女の笑顔を見下ろして、安堵の笑顔を浮かべた。
 それを見て、先の志門の言葉の意味を知る。
「お前も便乗って、お前も何か試練を与えられてたのか」
「……そこまで、大仰なお話ではありませんが、同じようなものです」
「ここまで色々と、話が混ざった事案が、意外に早く収まったのは、僥倖だったな」
 うっすらと笑う蓮と、呆れた顔になった鏡月を一瞥し、水月はそう収めて仕切り直した。
「ほれ、そろそろ切り替えろ。その坊やも、気分転換に観光でもして行け」
「私は、聖君と合流して、仕掛けた物を回収してまいります」
「じゃあ、私も……」
 志門が控えめにそう言って集団から離れるのに、静も慌てて同行しようとしたが、和泉が遮った。
「お前、女友達を放って、いつまでも男ばかり追ってちゃ、駄目だろう」
「そうだよ、少し遊ぼっ」
 反論する前に、吉本朋美が腕に抱き着いた。
「し、しかし……」
「静ちゃん」
 振り払う訳にも行かず、戸惑う静の肩に手を置き、静かに呼びかけたのは、藤田弥生だ。
「いくら好きだからって、べったりしてちゃ駄目よ。時には、つんつんしなくっちゃ」
「つ、つんつん、ですか?」
「そうよ」
 うんうんと凪も頷き、里沙もおっとりと同意する。
「男って、女に触られるの嬉しい癖に、触られ過ぎると鬱陶しく感じるらしいのよ」
「まあ、女も一緒だけどね。しつこいのは、鬱陶しいでしょ?」
「た、確かに」
 ぐっと詰まって、それでも納得する静に、弥生がうっすらと笑顔を浮かべた。
「それに、男の子同士の付き合いも、邪魔しちゃだめよ。ほら、見てよ」
 新社会人の少女の目線の先で、晴彦と和泉が連れ立って志門を促し、歩き出していた。
「ああいうのを見て、腐ったお話を膨らませるのも、女同士の付き合いとしては、ありじゃない?」
「……体格で言ったら、晴彦ちゃんが一番攻められるかしら?」
 弥生の言葉を受けて、里沙がおっとりと意味不明の話を切り出した。
「え? せ……何ですか?」
「えー、ハルちゃんは、性格は温厚よ。眼鏡のいっちゃんの方が、腹黒い感じが出てて……」
「でも、腹黒いといったら、お坊さん候補の古谷くんだって、中々……」
「いえ、志門さんは、腹黒くは……」
 困惑する中学生の少女の前で、市原姉弟とその幼馴染が恐ろしい談義を始めているのを、取り残された新高校生と新中学生の少年たちは、立ち尽くしたまま見ているしかない。
「……そういう話は、別な日でも良くないか?」
 この場から逃げてしまっては、この談義の贄になりかねないと、同じように立ち尽くしていた水月だが、これ以上聞いていたら、鳥肌が立ちすぎて、本当の鳥になりそうな感覚までして来て、その話を全力で斬り捨てた。
「あちらの方に、ふれあい広場なるものがあると聞いた。兎や鼠もいるんだろう?」
「あ、そうだった。行こうっ」
 切り替えが早い凪が、その話に乗ってはしゃいだ声を上げた。
 まだ控えめに立っている由良を促し、後輩達にも声をかける。
「……落ち着いたら、女子会でも開く?」
「あ。いいですね」
 里沙の不完全燃焼の声音での提案に、大学に通学しながらの就職が決まった弥生が、気楽に頷いた。
「やっぱりこういう話は、男がいない場所でするものだものね」
「静ちゃんも、彼氏がいない間は、何か趣味を見つけなくっちゃ」
 ……何やら、開けてはいけない扉の前に、立たされてしまっているようなのだが、気のせいだろうか。
 困惑する静の横で、朋美も不思議そうに年上のお姉さま方の、不気味ながら綺麗な笑顔を見ている。
 危険な気配はないし、友人である朋美も二人には懐いているようだから、こういうお付き合いもありなのかなと、少女は気楽に考え始めていた。
「……なあ、あれは、蔭口にならねえの?」
 いじめに当たる行為の一つとしてあげられる、蔭口。
 それは、ストレス発散ともとれる、周囲のある事ない事の噂話も同じ部類のはずで、これも立派な蔭口だろうと、健一は鳥肌を立てながら吐き捨てるように呟いた。
「対象にされた者が、嫌だと感じているなら、いじめだと断じている人もいるようだが、この手の話での被害者の話は、耳にしたことないな」
 帰るタイミングを逃してしまった教師が、これから教え子の一人となる少年に問われた友人の代わりに、難しい顔で答える。
 足元にへばりついていた黄金と白銀は、さっきの連中と共に回収されてその扱いが心配だったが、生徒の質問には極力答えるようにしている精神が、ついつい真面目な答えを探していた。
「こういう話は、境が難しいんだ。男性教諭は苛めだと泣いていたが」
 女性教師が数人、男子教師たちを肴にして、その手の話をしていたのを思い出し、慎重に返す。
「本当のことでないのなら気にするなとは言いますが、本当に嫌悪感がある相手との間の事での想像話は、苦しいですよね」
 章が訳知り顔で頷くところを見ると、その経験があるらしい。
「逆に、本人たちが聞いていない所で、妄想してくれるのなら、気にならないが。時々、揶揄い交じりに、かなりしつこく言いつのる奴がいるのが、厄介だな」
 反応してもそれが嬉しいらしく、更に言いつのって来るし、はっきりと感情を言葉にすると泣く。
「ああいうのは、泣いたもん勝ちだからな。あの後は、蔭口はおろか女が一人も寄ってこなくなったから、高校生活は楽だったが」
 水月が、ぼんやりと学生生活を振り返ると、恐る恐る健一が尋ねた。
「あの手の話の肴に、されてたんですか?」
 見目が標準より抜群にいいからあり得る話だが、それを本人に揶揄い交じりに話すとは、どれだけ気弱に見えていたのだろうか。
 その女生徒たちの観察眼のなさが、逆に恐ろしい。
「やんわりと嫌がったら、更にエスカレートしたんでな、ついつい本音を吐いてしまった」
 普段大人しくしている分、本気の目線と共に贈った言葉は、心に突き刺さったようだ。
「他の、同級生だの在学生だの、顔見知りでもそこまで親しくない奴を相手にされるなら、聞き流していたんだが」
 そう言う相手との間柄を妄想する分には、曖昧に返すだけでやんわりとでも嫌がろうとは思わなかったはずだが、あれは洒落にならなかった。
「……自分の保護者を、それ目的で養子にする様な輩と一緒にされるのは、ちと我慢ならなかった」
 育ててもらった分、今度は自分がと胸に決め、色々な所に手を回して、水月を養子に迎え入れてくれた只一人の弟子を、そんな邪推な目で見られるのは、勘弁ならなかったのだった。
「この手の話を許せるか否かの境は、相手次第なんですね、やはり」
 章は真面目に頷いて、前を歩く女性群と共にいる、二人の少年の背中を見つめた。
 それに気づいて、千里が言う。
「市原はもう、学園に通うことはないから、ここの誰かがその話を広げない限りは、真倉君がその噂の対象になる事はないはずだ」
「それならいいんですが……」
 章が難しい顔をして黙り込む代わりに、伸が小さく唸ってから言った。
「今は市原先輩に一途に見えますが、単に見た目で惚れてしまっただけかもしれないです」
 どういう意味だと眉を寄せる水月と高校教師に、章も真顔で説明する。
「うちの親父、意気投合したってだけで気を許して、母と一夜を共にしたらしいし、オレも親父をとやかく言える好みをしてないんで。綺麗な人を見たら、ついつい付いて行っちゃいます。伸が妙に堅物なのは、きっと突然変異です」
「……お前を含む家族の血筋が、変なだけだ」
「市原先輩を一途に思うのなら問題ないですよね。オレも、そう言う事なら、先輩に求婚するのは我慢して、応援しますけどっ」
 血を吐きかねない勢いの、苦渋の声で言う少年の弁に、水月が首を傾げる。
「いつからこの国は、完全に同性婚がまかり通るようになったんだ? まだ、地域でしか認められていなかったはずだが」
「聞き流していただいても、大丈夫です」
 不思議そうな先輩に、力なく返す伸を苦笑しながら見て、千里が切り出した。
「まだ、顔合わせしたばかりで、決めつけられることではない。しばらく様子を見てから、考えよう。あの手の噂の対象になるかどうかも、今の段階では分からないからな」
 何より、心を許したペットもいなくなったのに、学校に通えるかどうかの方が、今は心配だった。

 あれは、シロの妹の思い人が贈った、最初で最後の褒美だった。
「もっとこう、かんざしとか櫛とか、綺麗なものを贈ってくれれば、ちょっとは見直したんだけど、ああいうところは気が利かない、無駄に見目のいい男だったよ」
 大きな戦が終わる前に、既に出家していたその男は、考えに考えた挙句一反の反物を購入し、一針一針丁寧に繕って行き、一着の小袖を仕立て上げた。
「その想いが、織られたての反物に縫い込まれて、ああいう事になったんだろうな……」
 だからこそ、あの男の死後の変化を恐れ、シロは妹に妖刀を贈った。
「使う前に、ああいう事になったらしくて、もう少し別な呪いもつけておけば良かったと、今も悔いている」
「物に残る執念が、人に害を及ぼすのは聞いたことがあるけど、あんた達みたいな存在にまで、影響するなんてな」
 無感情にそう感想を述べる金髪の若者に、女は眉を寄せる。
「する筈はなかった。気弱になっていなければ、クロだって害はなかった筈だ」
 主が死から立ち直る余裕もなく、想い人まで世を去ってしまったのが、余程堪えていたのだろう。
「立ち直るまでは、私の元に留めていれば良かったんだが、私もあの後根無し草になっちゃったから……」
 色々と疑惑を持たれ、居心地が良かったある屋敷を後にする羽目になっていたシロには、妹を保護している余裕は無かった。
「殆どこいつに取られたけど、一応は無事再会できた。良かったとは、欠片も思わないけどな」
 薄い色の瞳が動き、それを見下ろした。
 鋭い光に身を竦めるのは、うっすらと人形を取った影だ。
 よくもまああんな単純な術で、あの男が消えなかったものだと、その後ろでカスミと名乗っていた者が身を起こした。
 昔一度会い、封印に立ち会った狐の姿を、自分が取る羽目になるとは思わなかったが、家臣だった女の仇を特定できたのは幸いだった。
 弱い妖しならば、この姿でも何とでもできるとすでに立証できているから、あの少年に術を使わせて搬送させた若者よりも先に、それを実行しようと思っていたが、そこで待っていたのはセイだけではなかった。
 自分を一瞥すらせずに、男だった影を見下ろす女は、狐を装っていた男とも顔見知りだった。
「……」
 戸惑っている様子にセイが目を細めるが、それすら構わずにシロは見下ろした影に言う。
「……どうしてやろうかな。あの子に返すものを取り返すだけじゃあ、気が済まない」
 影が悲鳴を上げたが、声は空気中に消えていく。
 ここまで弱くそぎ落とされては、弄るにしても手ごたえがなさ過ぎた。
「やはり、あの場に同行しておけば良かった」
「出来たのか? 余り外を出歩けないと聞いたから、ここに呼び込んだのに」
「誰かの背に乗って行けば、出歩ける」
 実際、そうやってある国を出、転々としてこの土地に根付いたと、シロが説明するのを聞いて、影の後ろの男が小さく呻いた。
 母を亡くし、父親がその扱いに困っていた所を、兄が拾い上げた少女。
 彼女は一人だったが、姉がいた。
 殆ど姿のない存在のその姉は、永くその姿を明らかにしなかったが、兄が亡くなった頃、その正室を心身ともに守るため、その姿を形どった。
 正室だったその女性は、静かな美しい人だったが、目立つ容姿の為に外に顔を出せなかった。
 だから、その娘が髪色を黒く変えたその姿を取ってその傍に侍り、公の場では代わりを務めた。
 血の繋がった妹の姿ならまだしも、何故知り合いというだけの女性の姿を取れるようになったのかは、兄の正室であった女性と、ほぼ同じ色合いの髪と瞳を持っていて、意気投合できたからだと、後に語っていた。
影を見下ろす女の容姿は、どちらかというと妹と似ているが、髪色と瞳の色は純和風の妹と違って、兄の正室と同じように全体的に薄い。
「二人も、ほぼ実体をつくった奴らを送って来たんだから、多少の弊害は大目に見てやってくれよ」
 不満を漏らす女に、セイは無感情のまま返しているが、カスミだった男は逆に白々しく感じた。
 一瞬の移動時間だったが、その間に一気に実体を削ぎ落された。
 事態に備えてあのままの姿を保つつもりであったのに、別な干渉があってそれが出来なかったのだ。
 同時にやって来た男が、辛うじて消えなかったのも、その干渉のお蔭だった。
「そうだな。古谷はあの後継者を迎えた時点で、安泰が決定したな」
 高校を卒業したての少年が、二人もの実体持ちの妖しを、偶然とはいえこちらに送れたと、シロの方は納得してしまっているから、干渉したのはこの女ではない。
 そう判断すると、男はうすら寒いものを感じた。
 永く会わない内に、シロは力のある術師となったようだ。
 そのシロが、その気配すら気づかぬように、他人が放った術に干渉した若者は、どの位の力量なのか。
 敵として相対するのは、好ましい事ではないなと思いつつ、その白々しい話の治め方に同調するが、少しだけ苦言は言わせてもらおう。
「こういう顔合わせが予定されておるのなら、あの狐の姿を取ったままの方が、都合が良かったのだが?」
 文句を言う男を見、若者はきっぱりと答えた。
「私が、あの姿を何度も見たくなかったもので」
「何だ、お前さんもあれと悶着があったのか? あの姿はもう使われないと、カスミ殿は言っていたが」
「……その点は、同調できないです」
 珍しく、頑なな返事だ。
 疑問に思う前に、自分の存在にようやく意識を移したシロが、反応した。
「ひゃっ。嘘っ。本当だったのかっっ」
 飛び上がって素早く若者の後ろに隠れた女を、男は何とも言えない気持ちで見つめた。
 兄が亡くなる前もそうだったのだが、亡くなった後正室の影武者をしていた頃も、何故か殆ど自分に姿を見せてくれなかったのだ。
 随分久し振りの再会なのに、この反応は寂しかった。
 顔を曇らせた男を見て、セイが背中の陰に隠れた女に呼び掛ける。
「やっぱり、知った人か?」
 実際、顔合わせしてはいないが蓮とも恐らくは顔見知りで、それ以前にこの女を見た時、今は高校教師に収まっている、当時は国々を放浪していた女武芸者を思い出した。
 異国での仕事の時に知り合った、風変わりなこの男と蓮が主従の間柄と知った時、シロとも顔見知りなのではとは思っていたが、本当にそうだったとは。
 この世は、広いようで意外に狭い。
「お、お前、(かさね)様の何なんだよっっ」
 知り合いだと言うのを黙っていた件は、言う必要を感じなかったからだという答えで済むが、シロは何を責めているのだろうか。
「何って、何のことだ? 私は、余り日本語の意味が、まだ分からないんだ。はっきり言ってくれ」
「それだけ堪能な癖に、どういう寝言だよっ」
 後ろから両肩を攫まれて、力任せにゆすられて責められているのだが、言葉の意味が分からず、答えることができない。
 だから、強引に話を戻すことにした。
「それより、こいつの対処を考えてくれ。いつまでも、人が身につける物を足蹴にしているのは、心苦しい」
 先程から、隙を見て人形を捨て逃げようとする紺色の小袖を、セイは足で踏み留めていた。
「……戦の会議の合間に、ちくちくと仕立てておったからな。その分、想いは乗り移ってしまったのだな」
「そんなに想ってくれてるんだったら、出家する前に、一度くらいは情を与えてくれても、良かったじゃないですかっ」
 昔、とある男がこの小袖を仕立てた経緯を思い出し、重がぽつりと呟くと、シロが目を剝いて反論した。
 当然の意見だが、男は何とも言えない顔で首を振った。
「あのラン殿だぞ。この小袖を贈る時の告白すら、それはなかろうと思ったほどの言葉であったのに、それ以上は期待できなんだぞ」
「え。何か、告白めいた言葉があったのですかっ?」
「伝えて来た蓮が、あれは駄目だと呆れ果てていた」
 祖父の悪趣味を、余り咎めない若者の本質が、ここで暴露された。
「これ、人聞きの悪い印象は捨てるのだ。蓮はな、私の命で出羽ガメしたにすぎないのだぞ」
 これ以上、カスミに似ないでくれと、無感情に考えていたセイの心境を、重は何故か正確に察し、助け舟を出して来たのだが、大きな穴が開いていた。
「……そうですか」
 一応納得して見せたセイに安堵して、シロとの会話に戻ったが、蓮とこの男の主従の印象が変わってしまった事は、気にならないのだろうか。
「うわあ。優秀な方だったはずなのに、どうして色恋ではそうなんですかっっ」
「全くな。しかも結局、女人を知らずに往生してしまったからな。それが不憫でならないのだ」
 気にならないのかもな……セイは、二人が先程とは違い、打ち解けた空気で会話する様を見ながら思ったが、諦念と言うより外野からの判断だ。
 セイ自身が、気にかける話でもない。
 気にかかるのは、どうしてこの小袖の対処の話が、大昔の亡き仕立て人の思い出を語る事態になるのか、だった。
 逃げようとする足下の小袖は、上等な布のようだが力を籠めれば、すぐに破れてしまう。
 絶妙の力加減が、必要だった。
 その後、今は妙に似通った体つきになっている二人が、小袖の対処なのか昔話なのか分からない真剣な会話を終え、再び小袖と相対するまで、若者はそのまま待ち続けていたのだが、解放されたのは夜だった。
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