第4話 全車管制システム

文字数 4,615文字

 東京でオリンピックが開催された年から数年経った頃、街には人工知能により自動で走行できる車がかなりの数で走っていた。AI車と呼ばれるそれらの車は、当然のことながらライバルメーカーへの対抗上、メーカーごとにばらばらに開発されてきた。一部のメーカーではほとんど完成の域に達していたが、他メーカーによる粗悪品の流通、プログラムのバグ、高コストなど、マイナス要因の克服ができずにいた。
 また道路を管轄する国土交通省、通信を管轄する総務省、信号を管轄する警察庁など、縦割り行政の弊害もあり、各社の自動化技術に対応できるセンサーの統一規格や、道路・歩道を分離するなどのインフラ整備もなかなか前に進めない状態が続いていた。

 その後さらに人工知能が進化してくると、自動車メーカーはライバルとの差別化のために、普通のAI車では満足しない人用に、より人間に近い運転モードを選べるようにした。同じ法定速度内であっても、ドライバーの好みに応じてゆっくりめとか早めとかを選べるのは当たり前で、さらにドライバーの音声指示やつぶやき、手動走行時のデータなどからドライバーの癖や性格まで分析し、その人らしい運転ができる車まで開発されていた。AI車の運転がますます人間らしくなるということはつまり、「あいつ、おせーな、もっと早く走れよ」といつもつぶやく癖のあるドライバーのAI車は、AIの判断で車間をぎりぎりまで詰めたり、無理な追い越しをかけたりするようになっていったということである。
 一方で、制限速度を超えて走るようなプログラムは認可されないので、街じゅうでぎくしゃくした運転の車があふれた。幸いに衝突回避システムが働くので事故までは至らなくても、急ブレーキや急ハンドルで怪我をする者もいた。レーン識別カメラの不調や障害物検知レーダーの不良、あるいはプログラムのバグによると思われる死亡事故も発生していた。人身事故を減らすために、十二歳以下の子供と七十歳以上の老人の歩行者は人体認識チップを携帯することが義務付けられ、車が人を感知するとスピードを極端に遅くせざるを得なかったため、車が人を轢くという事故は少なくなったかわりに道路の渋滞は解消できないでいた。

 そこで全く別な発想で運転の自動化に参入したのが吉田のコンドル社だった。
 吉田は、すでに中学生の頃には知る人ぞ知る有名な鉄道オタクになっていた。小学生の頃は、「撮り鉄」として名をはせ、次には「乗り鉄」として全国の鉄道を乗り回し、同時に「時刻表鉄」として列車の運行ダイヤを分析・研究していた。高校生の頃には、その活動範囲を海外にも延ばすと共に、自らもIT技術を駆使して鉄道の運行システムの改善や、航空管制の改善なども行うようになっていった。
 父親が経営する不動産会社のコンドル社に入社し、専務として警備部門を任された吉田は、その知識を使い、全国の鉄道会社に、警備システムと運行システムの改善をセットで売り込み、その分野で圧倒的なシェアを得るようになっていった。これは、鉄道会社にとってもコスト削減につながる良い提案だからこそ勝ち得たものという評判であった。確かにそういう面もあったのだろうが、時刻表と同じく「予定通りにいかないものは許せない」という吉田の強烈な自己中心的性格からの、手段を厭わない営業手法によるところも大きかった。地方の鉄道会社は、いわば地元の名士であり、経済界や不動産業界、政界とも深くつながっている。吉田は、父親から引き継いだそのコネや、悪事も引き受ける取り巻き連中を使って、意に沿わない取引先やライバルを次々と潰してきたのも事実であった。

 この早熟の交通管制システムの天才は、政界に転じた父親を継いで社長に就任すると、今度は自動車の運行制御に眼をつけ、個々の自動車にAIを搭載するのではなく、一つの大きな人工知能で全ての自動車の運転を一括して制御するシステムを提唱した。つまりレールの上を走る列車の制御と同じことを、道路の上の自動車で行うことにしたのである。人が座席に座って行き先を告げると、後は管制センターのコンピューターが目的地まで「運行」してくれる。各自動車が発する位置情報や走行情報は高精細3Dデジタルマップシステムと連動した衛星が常に監視し、レーンを外れたり衝突したりしないように運行する。
 初めは無理と思われたこのシステムも、一部の地区で実験運用を始めると、徐々にその運行精度を上げて、実用化段階へと進んでいった。吉田は、コンドル社が宅地開発をしていた地域内を巡回する、お年寄りのための自動運転ミニバスに眼をつけ、それが成功すると、その地域と主要駅を結ぶシャトル交通サービスに発展させていった。住宅地の評判を上げ、福祉サービスの提供者という自社の評判をあげ、地元の補助金も使いながら自動運転のノウハウを蓄積するという、まさに一石三鳥の戦略が当たったのであり、ここには吉田の能力の高さが遺憾なく発揮された。

 しかし、世の中に役立つものを作り続けながら、適切な利潤を得ていくという所に収まらないのが、この吉田父子の生まれ持っての性であった。地方都市での技術的成功だけでは、研究開発費まで入れた会社の収支は大赤字である。このノウハウを独占しながら、インフラ整備の基盤技術として政府に採用させ、大都市圏の交通や全国の高速道路網に展開して莫大な利益を得るということが究極の目標になり、それに向かって猛進してきたのだった。
 一度狙いを付けたら、そのためには手段を選ばない吉田は、実験対象地域を拡大するための政治家への違法献金、道路インフラへの自社のセンサー対応のシグナル発信器を取り付けさせるための官僚への贈賄、ライバル企業の研究者の引き抜きなど様々な陰謀を仕掛けた。大規模運行システムのために必要な車載用高性能受発信装置のノウハウを持つ「夢走」の取り込みもその一つだった。

 こうしてコンドル社のシステムは、瞬く間にその適用範囲を広げていき、ついに10年前には「全ての自動車は管制用の認可されたチップを搭載しなければならない」という「全車管制用送受信チップ搭載義務化法案」が国会を通った。車の受発信機にこのチップを装着し、行き先や経由地を指示すると、コンドル社が業務を全面的に受託している全国自動車管制センターのもとで運転が自動的に行われる。このチップは、どの車にも共通に使えるのではなく、個々の自動車とひも付きになっていて、車の性能だけでなく車検や定期点検の情報も記録されている。一定の性能と整備の条件をクリアーしていれば、自動車専用道路の最速車線を走ることが許されるようになっているので、人が免許を取得するのに替わって、車が走りのライセンスを与えられているようなものだった。
 高速道路や幹線道路には、一定の間隔で位置情報受発信器が設置され、路上はチップ装着車による自動運転が義務付けられた。万が一運転トラブルがあっても、路肩退避の後に制御会社の人間が駆けつけるのでトラックドライバーは不要な職業になった。タクシーも、街を流すようなタクシーは無くなり、インテリジェント・ウオッチで行き先を告げて呼び出せば良くなった。対応できない老人等のためには、テレビ電話でタクシー会社のオペレーターと話すと行き先や出発希望時間を代わって設定してくれるし、もちろん料金もネットで決済されるのでタクシードライバーというものも不要な職業になった。法案が通る前には、職を失うトラックやバス、タクシーのドライバーなどの激しい反対運動とストライキがあって混乱した。しかし、そのことはますますドライバー不要の交通システムに対する国民の支持を得ることにつながったのは皮肉なことだった。こうして運転手あるいはドライバーというものは黄昏の職業とされ、次第に過去のものとなっていった。
 法案通過後6年間の移行期間を過ぎた4年前からは、幹線道路での手動運転は原則として禁止になった。人口密度が低くて幹線道路からも遠い田舎の村で走る車や農業用車両には、例外的に、というか実際は全車管制の効率が悪くなるからだが、手動運転が許されていた。そこで使える手動・自動兼用の自動車は、主に大手自動車メーカーから飛び出した技術者が創ったベンチャー企業が提供していた。しかし、政府は交通管制ができないような過疎の田舎の村は無くしてしまおうということで、生活のインフラを町の中心部に集中させて、家もその周辺に配置するコンパクトシティ化を進めていた。その構想には、地価の二極化に眼をつけた不動産会社が、再開発の計画段階から参加して利益を得るために群がっていたが、ここでも交通管制システムの全国展開計画の情報を握るコンドル社が、不動産会社として政府の決定に先んじて土地を買い占め、「コンパクト・ニュー・ライフ」と称した再開発で暴利を得ていた。
 実は、一般の車も自動制御が標準ではあるが、幹線道路から店や自宅に向かうラストワンマイルで使える手動運転モードもついている。しかし、手動への切り替えも管制チップで統制されていて勝手にはできず、運転できる道路が制限され、時速15㎞以上のスピードは出せないという仕様になっていた。ゴルフ場の電動カートみたいなもので、誰でも安全に運転できる範囲で許容されているのである。巷にいくら「不便だ」、「生活軽視だ」といった怨嗟の声があふれても、すべては「安全第一」というスローガンによってかき消された。

 自動車メーカーは運転を制御する人工知能をコンドル社に抑えられ、自らハンドルを握って得られる走りの感覚よりも、人工知能の指示通りにスムーズに動かせることや、居住性を上げることに注力せざるを得なかった。その結果、スタートダッシュの速さを競うようなことはせず、遅くもなく速くもない指示通りのスピードで加速するEVモーター、同じ制動距離で止まれるブレーキ、効率の良い電気エネルギー生成装置、摩耗が少なくて自動運転に適したパンクしないタイヤ、長距離でも疲れないシート、などの開発に特化した部品メーカーあるいはそれらを組み合わせて車体デザインを競う組立メーカーに変質していた。
 高級車か普及車かの違いは、高速道路の時速150㎞レーンを走る認可を受けたチップを搭載しているかどうか、長距離ドライブでも疲れない静かで快適な居住空間やタイヤを装備しているかどうかというようなことで判断され、力強い加速感、ハンドル操作やブレーキへのレスポンス、心を揺さぶるエンジン音といった走りの性能や感覚は何の意味も無いものになっていた。
 なにしろ制御コンピューターの指示通りに適切な加速で発進できないと渋滞の原因になるし、指示通りに停止できないと事故の原因になるので、性能不良車や整備不良車を走らせた者には多額の罰金を科す法律も制定されている。そもそも整備済みの認証を受けたチップを搭載した車しか走れないので、今や交通違反切符を切られるのはドライバーではなく、整備不良を起こした整備会社や、人体認識チップを携帯せずに事故にあった歩行者になっている。効率的で安全な社会を阻害しているからという理由からだ。こうして、車載の管制用チップの基本特許と中央管制センターの制御コンピューターを支配するコンドル社は、利益を独占する巨大企業に成長したのだった。
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