第6話 グローブ・ボックス

文字数 6,585文字

 コンドル社の3階にある警備部門の大型モニターの前では、警備室長の根本がほくそ笑んでいた。取り逃がしたと思った赤い車が、こちらに近づいてくるではないか。飛んで火にいる夏の虫とはまさにこのことだなと思いつつも、どうしてここに向かって来るんだという疑問の答えを探した。「そうか、博士の息子がここの研究所にいるのを忘れていた。あいつを目指してきているんだろう、あいつなら何か知っているかもしれない」、そう思って根本は10階にある速人の研究室に向かった。

 根本がエレベーターで10階に着くのと、速人が隣の下りのエレベーターに乗り込んだのはほぼ同時だった。研究室のモニターで、何か異常なことが起きていることを知った速人は、会社の特別警備部門が追っている車が、あの翔琉に渡したゲーム機の中の赤い豹のような車と同じであることに気づいたのだ。しかも、アップで確かめた運転席の顔は、母の遥菜のようだった。あり得ないことが起こっていることを知り、ハッと思いつくことがあった。父は死の直前に最高傑作を完成させたと言っていた。父の最後の言葉は「赤い車、おれの夢」だったはずだ。あれは、この車のことだったのか。だとすると、あの車に謎を解く鍵があるのではないか。警備の連中に捕まる前になんとか逃がさなくては。
「あの車は翔琉のところに向かっている」
 そう直感した速人は、隣の寄宿舎に向かって走り出していた。
 
 部屋でテクノ・ロックを聞きながら、翔琉はますます青い光の輝きが増してくるゲーム機を見つめていた。何かが近づいてくるようだった。そのとき、腕に装着したインテリジェント・ウオッチが震えだした。珍しいことに父の速人だった。
「お前、まだおじいちゃんのゲーム機を持っているか?」
「今、目の前にあるよ。今日の昼から青く光りだしている」
「やっぱりそうか。事情を話している暇はないが、すぐにそれを持って下に降りてきてくれ。待っている」

 翔琉の寄宿舎はコンドル社本社の敷地の中にあった。本社のゲート前では、遥菜が門衛に向かって「孫の翔琉のところに行きたいのですが、どちらかわかりますか?」と聞くたびに、レッド・ビビが「わかっている、もうすぐだ」と健一郎の声で答え、行く手を阻むゲートに突っ込みかけるのだが、さすがに自動運転では突き破って進むわけにもいかず、一度モーターを起動してはまた止まるということを繰り返していた。
 やがて駆けつけた根本と警備隊員は、遥菜をいったん車の外に降ろしたが、警備隊員が手動でレッド・ビビを運転しようとしても全く動かない。遥菜の音声認識が必要だと気付いた根本が、遥菜をもう一度運転席に乗せて、手動に切り替えるよう促したが、遥菜は何を言われているのかも、そもそも自分がどうしてここにいるのかも分からなくなって、今度は泣き顔で黙り込んでしまった。

 寄宿舎のエントランス近くの物陰からその様子を見ていた翔琉は、遠くに見える赤い車が、自分のゲーム機の車と全く同じ2頭の赤い豹の形をした車であることに驚いていた。速人は、翔琉のゲーム機を指差して言った。
「あの車を取り返さなくては。きっと、そのゲーム機で動かせるはずだから、リモコンモードに切り替えて、動かしてみろ」
 翔琉が、今までは何のためについているのかわからなかったリモコンモードのスイッチを押すと、ゲーム機の宝石の青い光は、ルビーのような深い赤色に変わった。レッド・ビビの色だった。翔琉は、慣れた手つきでゲーム機を操作し、レッド・ビビをゲートと警備隊員たちに向かって前進させた。驚いて道を開ける警備隊員を置き去りにし、ゲートのポールを跳ね上げると、レッド・ビビは翔琉たちのもとに走ってきた。その運転席には遥菜が座っていて、二人を見ると半泣きの顔をくしゃりとした。
「母さん!」
「おばあちゃん!」
「ああ良かった、でもおたくはどなたでしたかしら」

 根本が警備隊の車を運転して迫ってきていた。黒のスポーツタイプのセダンだ。速人が遥菜を車から降ろして寄宿舎のエントランスのソファーに座らせ、翔琉がレッド・ビビの運転席についたが、翔琉の声では車が起動しない。速人が翔琉に向かって叫んだ。
「手動モードにするんだ」
 すると、翔琉ではなくレッド・ビビがブルルンと身震いして機械的な声で答えた。
「滝沢速人さんを認識しました。手動モードに切り替えます」
そう言い終わる前に、翔琉は猛然と車をスタートさせていた。

 走りながらも翔琉は、今見たばかりの祖母の顔を思い出していた。泣き笑いのような顔だったが、それは以前見た笑顔とは違っていた。その眼の焦点は自分にも父にも合っていなかった。少し上の空のような、戸惑っているような……。
「タミさんは、おばあちゃんは覚醒したり、認知症の症状が出たり、まだら模様になっていて、それは眼を見ればわかると言っていたわ。さっきの眼付きは認知症特有のものなんじゃないかしら」
「お父さんも同じことを感じたよ。人と話をする機会が無いと認知症が進行するっていうから、しばらく会っていない内におばあちゃんの認知症もだいぶ進んでしまったのかもしれない」
「私は、しばらく自分から連絡することも無かった。なんでもっと優しくしてあげられなかったんだろう。きっとそれでおばあちゃん、自分でがんばって東京まで来たんじゃないかしら」
「それはお父さんも同じ思いだ。自分のことにばかりかまけて、みんなに寂しい思いをさせてしまった。おばあちゃんにも、そしておまえにも」
 
 走りながら、翔琉は腕のインテリジェント・ウオッチに話しかけて、龍に電話をつなげた。
「あ、龍?良かった。今、寄宿舎のそばでコンドル社の連中に追いかけられてるの。ドライビング・パークにつながる道の柵、この時間でも空いていたかな?」
「なんだよそれ、なんだかわかんねえけど、あんな柵なら車で突っ切れば簡単に吹っ飛ぶよ」
「わかった、ありがとう。あと、ドライビング・パークに先回りして、レースコースから街に抜けるゲートも開けておいてくれるかな」
「わかった」
「それじゃ、後で。私は赤い車に乗っているから」

 そうしているうちにも、根本の車は執拗に追いかけてきていた。本社の構内をぐるぐる回っていたが、やがて根元の指示で追いかけてきた警備隊員が、徐々にその道の行く手、行く手をふさぐようになってきていた。追い詰められて出てきた道の奥は、行き止まりの森になっている。翔琉は急ハンドルで車を右回転させると、芝生の上に車を走らせ、いつものドライビング・パークにつながる秘密の小径に向かって突き進んでいった。レッド・ビビは左右から迫る木々の小枝を薙ぎ払いながら、最後に腐りかけた柵を突き破って大きくジャンプすると、ドライビング・パークの観客席の芝生に着地した。その姿はまさに草原を駆ける二頭の豹の姿だった。
「ごめんね、今度、またきれいに塗りなおしてあげるから」
 そう言いながら、観客席の芝生の上を走り降り、外周のレースコースに出た。すぐ後ろを追いかけて来た警備車が一台、ジャンプし損ねて大きな音を立てて横転しているのが、バックミラー越しに見えたが、その後ろからは根本の黒い車が負けじと追いかけてきていた。

 助手席で、速人がグローブ・ボックスの黒い扉に気付き見つめていた。そこには「A Long Journey of Our Dreams」と書かれていた。扉は堅くロックされていたが、速人が「グローブ・ボックスのロックを解除」というと、その音声を認識して扉は簡単に開いた。
「やはり、これは父さんから俺へのメッセージだったんだ」
 中には、小さな黒い箱型のコンピューターが納められていた。手に取って起動すると、それはやはり父が目指し、完成させた、車の人工知能どうしのコミュニケーションを可能にするソフトウェアだった。しかし十五年前には、これを受発信する機器が車についていなかった。父の理想の発明は時期尚早だったのだ。しかし、今は違う。すべての車がコンドル社の制御を受けるためのチップを搭載していた。しかもそのチップは、父と速人が一緒に研究して開発したものだった。

 父が完成させた「夢走」の自動運転ソフトを、車載チップにアップロードすれば、たとえ手動で運転しても車どうしがコミュニケーションして安全を確保できるはずだった。メニューを見ると、人体認識チップにも対応していることがわかった。父は人体認識チップには良い顔をしなかったし、自分はそれを、自分に対する人格の否定だと思い込んでいた。でも父はこうしてちゃんと人体認識チップにも対応させていた。父は、単に技術や自動運転の倫理に関する議論をしただけで、決して自分を否定していたわけではなかった。
 全車管制システムの良い点は活かしたまま、この「夢走」のソフトを搭載して人間が自らの意思で車を動かすということを復活させれば、見捨てられていた過疎の村で車の運転をできない老人も、自ら車を運転したい人も、両方が救われる。不便を強いられてきた町の商店の人も、自由に商品を動かすことができるようになるし、混雑する自動運転車予約で休日の家族旅行さえ気ままに行けなくなっていた人たちにも朗報だろう。もちろんそのために、多少の渋滞が増えることはあるだろうが、そこは全車管制システムが、混雑を避けるための最短のルートや自然渋滞を起こさない適切な走行スピードを指示し、信号を管制することで、相当スムーズに車は走れるだろう。最近増えてきた管制用インフラの老朽化による事故や、改修のための地域一斉運転休止という大混乱にも対応できるだろう。何よりも、父が言っていた、「自らの意思で動く自由」がみんなの手に戻ることは素晴らしことではないだろうか。自分は、そのときの車の安全を確保するために、今までの人生を懸けてきたのではなかったか。それにこのソフトの権利は、まだ「夢走」に属しているのだから、そのコンセプトを広く社会に開放すれば、コンドル社の独占で高止まりしている管制用チップの値段も下がるだろうし、より良い新たなソフトの開発競争も、健全に行われていくだろう。
 速人は、覚悟を決めると、研究所担当の役員として持っているパスワードでコンドル社のシステムにアクセスを試み始めた。

 その間も、翔琉と根本のデッドヒートは続いていた。はじめはレースさながらにコースを周回していたが、コーナーを飛び出しそうになり、必死でブレーキとアクセルを操作する翔琉に比べ、根本のドライビングテクニックははるかに上で、その差はどんどん縮まってきていた。やがて警備隊から連絡が入ったのだろう、コースには照明が明々と点けられ、根本についてきた三台の警備車が、レースコースの先にバリケードを作っているのが見えた。
「お父さん、このままじゃつかまってしまう。どうしたらいい?」
「もう少し、逃げ続けてくれないか。このコンピューターをコンドル社のシステムにつなげるまで、何とかもたせてくれれば」
「わかった」
 翔琉は、急ハンドルを切ってレースコースへの導入路へ車を向けると、そこを抜けて隣接するドライビング・パークの模擬街路へと車を走らせた。
「ドライビング・パークの街を走って時間を稼ぐから。お父さん、急いで」
 しかし、レースコースとドライビング・パークの街を隔てるゲートの門は、まだ閉まったままだった。急ブレーキを踏んで、ゲートの前で止まったレッド・ビビに根本の車と警備隊の車が迫ってくる。
「龍、早く開けて!」
 そう翔琉が大声を上げたのと同時に、ゆっくりとゲートが上に開き始めた。車が通れるギリギリの高さまで開いた隙間に、レッド・ビビが飛び込んだ。すぐ後ろに迫っていた根本の黒い車は、車高が高い分、一瞬、急ブレーキをかけて止まったが、またすぐ開きかけの狭いゲートの隙間に車体を滑らせてきた。
 さらにその後ろから続こうとする警備隊の車の前に、黄色いトラックが割り込んできて道を塞いだ。龍が運転する修理工場のトラックだった。
「翔琉、あとはまかせろ。なんだか、わかんないけど、翔琉をいじめる奴は俺が相手だ」
「ありがとう、龍」
 龍は、街の道をジグザグに運転しながら警備隊の車の進行を妨害した。怒った一台の警備隊の車が無理に抜こうとするのに幅寄せして横腹を軽くぶつけてやると、車は誰もいない歩道に乗り上げ、土産物屋に突っ込んだのがサイドミラー越しに見えた。さらに一車線の一方通行路に車を走らせると、突然、急停車、そのまま急バックして、もう一台の車の鼻先をつぶした。
「翔琉、どこだ?」
「今、シミュレーション・プールに向かってる」
「わかった、その先のEVスタンドを右に曲がったら、スピードを落として、二つ目の信号を渡ったところで止まるんだ。後は俺にまかせろ」
「わかった。二つ目の信号ね」
 レッド・ビビは徐々にスピードを落として、交差点を渡り終えた信号の先に止まった。後ろに肉薄していた根本の黒い車は、その後ろで急ブレーキをかけて交差点の真ん中に止まるかっこうになってしまったが、その横腹に右側の道から走ってきた龍の黄色いトラックが体当たりして、根本の車は交差点から外に大きく弾きとばされた。

 速人もその瞬間に、父のソフトを全国の制御システム上の全ての車にダウンロードさせた。その結果がどんなことになるかはわからない。四年も運転することを忘れていた国民は、すぐには運転できずに、当分、全国で大混乱が続くだろう。でも絶対に事故は起こらないから大丈夫。これできっと、みんなが自分で運転することの楽しさ、便利さを知る日が来るし、暴利をむさぼるコンドル社の横暴を知ることにもなるだろう。速人は晴れ晴れとそう思った。
 
 ドライビング・パークの出口には、警察のパトロールカーが何台も赤色灯を回転させて待ち受けていた。パトロールカーの前で車を止め、エンジンを切るとレッド・ビビが健一郎の声で言った。
「安全運転ご苦労さん。どうもありがとう」
「親父に、ありがとうなんて言われたことは無かったな……」
「え、今の声は、おじいちゃんなの?」
「そうだよ、この車はおばあちゃんの声だけでなく、俺の声も認識するように作られていたようだ」
 久しぶりに聞いた父の声に、そして父の想いに、速人はつかえていたものが一気に溶け出すのを感じた。
「もっとたくさん、親父とちゃんと向き合って話をすればよかった。母さんにもあんなふうになる前に、もっと何かしてやれたんじゃないかって思う」
「後悔先に立たず、っていう言葉を教えてくれたのはおばちゃんだったな」
「そうだな、後悔先に立たずだけれど、もう一度同じような後悔をしないように生きることはできるかもしれない」

 パトカーから一人の年配の男が降りて近づいてきた。てっきり遥菜の無謀運転を捕まえに来たのかと思っていた翔琉たちに、山上と名乗ったその刑事は静かに語り掛けてきた。
「介護士のタミさんから、遥菜さんが失踪したと警察に連絡がありました。私は、ずうっとコンドル社の犯罪を追ってきており、滝沢博士の事故死も何かの陰謀かと思い、遥菜さんや速人さんのこともウオッチしてきました。行方不明の試作車が事故車と同期されていたことを突き止めて、所在を探していました。きっと、この赤い車には父上の事故時の走行データも保存されているはずです。解析すればきっと、真相が明らかになるはずです。コンドル社の政治家への贈賄や違法なサイバー攻撃なども、必ず有罪にできると思っています。速人さんにも署まで来ていただいて、話を聞かなければなりませんがよろしいですね」

 速人は翔琉に向かって静かに笑いかけると、言った。
「心配しなくていい。お父さんは何が大切なことなのか、今、ようやく思い出した。おじいちゃんからのプレゼントをもらってね。翔琉にも、ずっと寂しい思いをさせてごめん」
 
 龍の車で本社のエントランスの遥菜を迎えに行った翔琉は、ソファーで気持ちよさそうに、豹のぬいぐるみを枕にして眠っている遥菜に言った。
「おばあちゃん、おじいちゃんと一緒に来てくれたんだね。今までごめんなさい、そして本当にありがとう」
                                     (おわり)
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