第2話 花の渦

文字数 1,982文字

 五月のある晴れた日。

大広間にて、梅小路主催の活け花教室が開催された。

教室と言うより、各部屋の御女中たちの歓談の場と化していた。

互いの着物の柄や髪型を褒め合た後は、噂話に花が咲く。

「痛っ」

 隅の方で、高い声が聞こえたため、

そこにいた人たちの視線が、声がした方に集まった。

「お腹様。いかがなされましたか? 」

 あわてる御女中の悲鳴めいた声が重なり聞こえた。

すると、梅小路がすくっと席を立つと、

着物のすそをひるがえして声の主の元に駆け寄った。

「指から血が出ておる」

 梅小路は、お腹がふっくらとした側室の振の手を取ると心配そうに眺めた。

「大丈夫でございます」

 振が蚊の鳴くような声で告げた。

その時、お島は活け花を描く筆を休めた。

「借りるぞ」

 梅小路が何を思ったか、入れたばかりの筆を洗うための水が入った器を手に取った。

「はい? 」

 お島はいったい、何をするのかと思いながら、梅小路の行動を見守った。

「何をなさいますか? 」

 次の瞬間、振に寄り添っていた御女中が声を上げた。

一方、梅小路は、振の前にその器を差し出した。

「この水で、傷口を洗った後、布で切り傷を覆いなされ」

 梅小路が冷静に告げた。ところが、振は、血がにじみ出た片方の手の人差し指を

器の中に入れることを躊躇した。どうしたことかと注意してみると、

その手の指はすべて、荒れたようにすりむけていた。

 振は言葉を発することなく、器を前へ押しやるとその手をもう一方の手で覆い隠した。

振の目に見えた警戒心に、梅小路はため息をこぼすと席に戻った。

この一件で、なんとなく、気まずい雰囲気が流れてしまった。

「あら、上手ね」

 その気まずい雰囲気を打ち消すかのように明るい声が、お島のすぐ近くで響いた。

その声に驚いて、横を向くと、丸顔の御女中が、お島の手元に視線を注いでいた。

お島としては、花を活け終わった後、歓談の輪に入れず手持ちぶたさだったため、

懐に忍ばせていた紙と簡易絵道具で、活けた花の絵をしたためたに過ぎなかった。

「そんなことありません」

 お島はあわてて謙遜した。まるで、落書きを見られたようなはずかしさが込み上げた。

「謙遜は無用じゃ。皆にも、ぜひとも、披露なされ」

 丸顔の御女中が、お島の許しも得ずして、その絵を取ると、中腰の姿勢で

皆に見えるように、両手で、その絵を掲げて見せた。

 ところが、会話に夢中の御女中たちは誰も見ない。それもそのはず。

彼女たちの目的は、活け花ではなく、情報交換や腹の探り合いだからだ。

「ここへ持って参れ」

 梅小路のするどい声が飛んだ。

 お島は緊張気味に、絵を手に、梅小路の元に歩み寄ると、その横に腰をおろした。

すると、梅小路は、その絵を奪うようにして取るとびりびりに破いた。

「何をなさるんですか? 」

 お島は思わず驚きの声を発した。

「無礼者めが。活け花の場において、絵など描きよって」

 梅小路がそう言うと、お島のひざを数回たたいた。

あまりの梅小路の迫力に、その場がしーんと静まり返った。

「申し訳ありません」

 お島は肩を落とすと詫びを入れた。

「みなさん、お茶にいたしましょう」

 一巻の終わりと思いきや、柔らかな女性の声がまるで、助け舟を出すかのように聞こえた。

次の瞬間、障子が開いて、皆の目の前に、御膳が運ばれた。

お島は逃げるようにして、席に戻った。

御膳の上には、お茶と共に、柏餅がのったお皿があった。

(わあ、おいしそう)

 お島が、柏餅を口の中に入れてもぐもぐさせていると、丸顔の御女中が、お島の片方の肩を軽くたたいた。

「とんだ災難だったわね」

 その丸顔の御女中が告げた。

「ええ、まあ」

 お島がとまどい気味に返事した。

そもそも、この御女中が大っぴらに絵を披露しなければ、梅小路の叱りを受けることもなかったのだが、

気の良いお島はそのことに気づかず、その場をやり過ごした。

「わたしは、まると申す。そなたの名は? 」

 丸顔の御女中が親し気に話しかけて来た。

「島と申します」

 お島が名を名乗ったところで、振の方で異変が起きた。

指のケガはひとまず、黙認されたものの、振のお付の者と御膳を運んできた御女中の間で、

ちょっとした口ケンカたるものがあったのだ。

内容は、出されたお菓子におよんだ。

「柏餅など、お腹様がお召し上がりになるはずがなかろう」

「季節のお菓子をお出しせよとの御下命にございますれば‥‥ 」

「柏はならぬと申しておる! 」

「何故にございますか? 」

「そんなことも知らぬのか! さっきのことと言い、無礼極まりない」

 お島は、耳に入った会話に対して、どこか無礼なのか理解できなかった。

「もうよい。気分が優れぬ故、失礼いたす」

 振がそう言うと、勢い良く部屋の外へ出て行った。

さすがに、周囲の人たちは、気づいたらしく、唖然となっていた。

そして、すぐに、不可解な行動を示した側室の悪口大会がはじまった。

 


  

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