第11話 まぼろしのつぼ
文字数 1,423文字
ある日の夕方。
牧野が気難しい表情で帰宅した。
お島は、お声をおかけしようか迷った。
過去に深い縁があるお方とは言え、今や、師従の間柄。
「お島。夕餉の後、部屋へ来てもらえるか? 」
お島が下がろうとした時、牧野が、お島に耳打ちした。
お島は、他の者にバレぬよう小さくうなづいてみせた。
夕餉の後片付けを終えてひと段落した後、今日はもう休んで良いと言われた。
お島は忍び足で、牧野の書斎へと向かった。
まだ、部屋の明かりがついていた。障子に映る影はひとつ。
「島です」
お島が小声で名を告げると、障子が静かに開いた。
部屋の中に入ると、牧野が上座に腰を下ろしていた。
「おまえを呼んだのにはわけがある。
実は、おまえに確かめておきたいことがあるわけじゃ」
牧野が神妙な面持ちで告げた。
「いったい、何でございましょうか? 」
お島が訊ねた。
「おまえの実父は、蒔絵師で相違はないか? 」
牧野が言った。
「はい、さようでございます」
お島が戸惑った様子で答えた。
「さようか。たしか、おまえと初めて知り合ったのは、
明暦の大火の最中じゃったな? 当時のことは覚えておるか? 」
牧野が身を乗り出すと訊ねた。
「うろ覚えではありますが‥‥ 父が描く蒔絵のことはよく覚えております」
お島が答えた。
「もしや、おまえの父は、菊屋橋の市五郎ではないか? 」
牧野が訊ねた。
「さようでございます」
お島が驚いたように顔を上げると答えた。
「当時、父親が、手掛けていた仕事なんぞは覚えておらぬでおろうな? 」
「はあ。どこから頼まれたものかは存じ上げませんが、描いていた絵は覚えております」
「さようか? ならば、描いてみなさい」
牧野が、反故紙を差し出すと告げた。
「承知しました」
お島は近くに会った筆を手に取ると、墨汁をつけて描きはじめた。
幼いながらも、お島の頭の片隅には、今でも、ありありと父が描く絵が思い浮かんだ。
「ほお。絵を習っていないわりには、よく描けておる」
お島が描いた絵を見るなり、牧野が感心したように言った。
次の瞬間、牧野がハッとしたような表情をした。
「なにか? 」
お島が気になって訊ねると、牧野が小さくうなった。
「この絵には見覚えがある。大火が起こる数日前、城内で開かれた茶会の席で、
ご披露なされた天下随意の肩衝に描かれた蒔絵と絵柄がうりふたつじゃ」
「え? なんという名の肩衝なのですか? 」
「楢柴肩衝。三大肩衝のひとつとされておる日本の宝じゃ」
「え、さように貴重な品に、父が細工を施したのでございますか? 」
お島は、何かの間違いなのではないかと耳を疑った。
生前の父は、旗本大名や豪商から仕事を受けていたものの、御用達の蒔絵師ではなかった。
「決めたぞ! 上様に、おまえが描いたその絵をお見せいたす」
牧野が誇らし気に言った。
「上様とな?! それはそれは、恐れ多いことにございます」
お島は驚きを隠せなかった。
「実は、大火の最中、紛失してしまったんじゃ。
先だって、上様が何かの気なしに、かの肩衝の思い出を語られてな。
もし、叶うことならば、再び、目にしたいと仰せになられたわけじゃ」
牧野が神妙な面持ちで語った。
「それは、いったい、どういう意味でございますか? 」
お島がおそるおそる訊ねた。
「他の者らに見せねば、何とも言えぬが、
わしの記憶が正しければ、これこそ、かの肩衝に相違ない」
牧野がいつになく、うれしそうに言った。
それから数日後。お島は、お城に呼ばれるのであった。
牧野が気難しい表情で帰宅した。
お島は、お声をおかけしようか迷った。
過去に深い縁があるお方とは言え、今や、師従の間柄。
「お島。夕餉の後、部屋へ来てもらえるか? 」
お島が下がろうとした時、牧野が、お島に耳打ちした。
お島は、他の者にバレぬよう小さくうなづいてみせた。
夕餉の後片付けを終えてひと段落した後、今日はもう休んで良いと言われた。
お島は忍び足で、牧野の書斎へと向かった。
まだ、部屋の明かりがついていた。障子に映る影はひとつ。
「島です」
お島が小声で名を告げると、障子が静かに開いた。
部屋の中に入ると、牧野が上座に腰を下ろしていた。
「おまえを呼んだのにはわけがある。
実は、おまえに確かめておきたいことがあるわけじゃ」
牧野が神妙な面持ちで告げた。
「いったい、何でございましょうか? 」
お島が訊ねた。
「おまえの実父は、蒔絵師で相違はないか? 」
牧野が言った。
「はい、さようでございます」
お島が戸惑った様子で答えた。
「さようか。たしか、おまえと初めて知り合ったのは、
明暦の大火の最中じゃったな? 当時のことは覚えておるか? 」
牧野が身を乗り出すと訊ねた。
「うろ覚えではありますが‥‥ 父が描く蒔絵のことはよく覚えております」
お島が答えた。
「もしや、おまえの父は、菊屋橋の市五郎ではないか? 」
牧野が訊ねた。
「さようでございます」
お島が驚いたように顔を上げると答えた。
「当時、父親が、手掛けていた仕事なんぞは覚えておらぬでおろうな? 」
「はあ。どこから頼まれたものかは存じ上げませんが、描いていた絵は覚えております」
「さようか? ならば、描いてみなさい」
牧野が、反故紙を差し出すと告げた。
「承知しました」
お島は近くに会った筆を手に取ると、墨汁をつけて描きはじめた。
幼いながらも、お島の頭の片隅には、今でも、ありありと父が描く絵が思い浮かんだ。
「ほお。絵を習っていないわりには、よく描けておる」
お島が描いた絵を見るなり、牧野が感心したように言った。
次の瞬間、牧野がハッとしたような表情をした。
「なにか? 」
お島が気になって訊ねると、牧野が小さくうなった。
「この絵には見覚えがある。大火が起こる数日前、城内で開かれた茶会の席で、
ご披露なされた天下随意の肩衝に描かれた蒔絵と絵柄がうりふたつじゃ」
「え? なんという名の肩衝なのですか? 」
「楢柴肩衝。三大肩衝のひとつとされておる日本の宝じゃ」
「え、さように貴重な品に、父が細工を施したのでございますか? 」
お島は、何かの間違いなのではないかと耳を疑った。
生前の父は、旗本大名や豪商から仕事を受けていたものの、御用達の蒔絵師ではなかった。
「決めたぞ! 上様に、おまえが描いたその絵をお見せいたす」
牧野が誇らし気に言った。
「上様とな?! それはそれは、恐れ多いことにございます」
お島は驚きを隠せなかった。
「実は、大火の最中、紛失してしまったんじゃ。
先だって、上様が何かの気なしに、かの肩衝の思い出を語られてな。
もし、叶うことならば、再び、目にしたいと仰せになられたわけじゃ」
牧野が神妙な面持ちで語った。
「それは、いったい、どういう意味でございますか? 」
お島がおそるおそる訊ねた。
「他の者らに見せねば、何とも言えぬが、
わしの記憶が正しければ、これこそ、かの肩衝に相違ない」
牧野がいつになく、うれしそうに言った。
それから数日後。お島は、お城に呼ばれるのであった。
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