第1話

文字数 21,833文字

      一

 かつて江戸という大都市があった。そのことは日本の誰もが知っている。
 しかし江戸氏という武家の一族がいたことはあまり知られていない。
 平安時代の末頃から今の皇居の辺りに館を構え、巨大な富と権力で一帯を治めた。嫡流は室町時代の初めまでに没落して彼の地を去ったが、各地に残った庶流は盛衰を経てしぶとく栄えた。
 徳川より四百年も前に、江戸の地に君臨した一族がいたのだ。町の規模はまだ小さかったにせよ、同じ支配者の一族であれば、江戸家にも徳川将軍家と似たようなドラマがあったに違いない。跡目争い、忠義、裏切り、情愛、信仰、戦争、災害。徳川時代のことはよく知られているが、江戸氏に関する記録はほとんど残っていない。一族の繁栄は失われ、人々の記憶から消えた。
 その末裔で、かつての栄光を取り戻しかけた男がいる。
 喜多見重政(きたみ・しげまさ)。
 姓は嫡家が移った先の地名からきている。天和から元禄というから一六八〇年代、五代将軍・徳川綱吉の頃である。栄華の時代から遥かな年月が流れていた。
 彼は将軍の覚えめでたく異例の出世を遂げ、大名から側用人にまでのぼったが、わずか数年のうちに失脚し、そのまま歴史の闇に消えた。身内の不祥事の隠蔽を図ったからとも、将軍の悪政を諫めようとしたからともいわれる。確かなことはわからない。
 無念であったろう。武士が御家の来歴を知らぬはずもなく、先祖の栄達を自分が復興するのだと一時は野心に燃えたのではないか。周囲も彼に期待したのではないか。
 夢はあっけなく散った。

     *

 自分にはドラマがない。
 オフィスでパソコンに向かいながら、原田幹夫はそう思っている。
 これまでの人生で特筆大書するような出来事は何もなかった。容姿や才能で世間の賞賛を浴びたこと、ない。学業や仕事で目覚ましい成果を挙げたこと、ない。不幸な生い立ち、大きな挫折、ひどい金銭の苦労――ない。平板に生きてきた。
 プラスの面が乏しいことに関しては、とうにあきらめがついている。偉人、スター、ヒーロー、セレブー―もとより自分はそちら側の人間ではない。最近思うのはマイナスの方面にも縁がないことの意味だ。三十三年間生きてきて、現代社会では、平凡よりもマイナス要素を持っている人間のほうが大事にされるのではないかと疑うようになった。
 御家復興の期待を一身に背負いながら墜ちていった悲劇の武士ほどわかりやすくなくてもよい。幼少期の複雑な家庭環境とか、世間とうまく折り合えない性格とか、誰かを深く傷つけてしまった過去とか、闇を抱えている人のほうが平凡な人間よりも存在として重く見られる。丁重に扱ってもらえる。そういう傾向が世の中にはあるのではないか。
 その証拠に、巷にあふれる物語の主人公は不遇の人ばかりだ。テレビドラマや小説や漫画ばかりではない。ニュースやドキュメンタリー番組でさえ、理不尽で残酷な世界を懸命に生きる不遇の人たちばかりを採り上げる。
 逆境に生きる人は素晴らしい。不運の人は救われるべきである。なぜなら彼らは善良で、ドラマを持っているから。一方、平凡はつまらない。面白くない。そんなやつは物語の主人公にしてやらない。そう言われているような気がしてならないのである。
 東京・町田のサラリーマン家庭の一人っ子として育ち、都内の中堅クラスの私大を出て、準大手の生命保険会社、東西生命に就職した。安定した仕事を続けて約十年が経ち、今は三つ目の職場、保険金部で二年目を過ごしている。
 仕事に慣れ、上司や同僚、後輩も――どこの職場でもうちはみな個性的だというが、実際のところ大差はない――平均的である。結婚を意識するような相手はまだいないが、今の時代、だからどうということもない。仕事は日々うまく流れ、失敗し、トラブルがあり、片づけて、全体としては単調に流れていく。漠然とかすかな退屈は感じていた――と、後になって気づいた――ものの、自分の生活に特段の違和感や疑問を覚えることもなかった。
 同期が一人転職し、まもなく亡くなるまでは。
 原田は回ってきた死亡保険金請求書でその事実を知った。ついこのあいだ人事からの社内通知で退職を知ったばかりだった。そのときは「へえ、辞めたのか」、その程度の感想だった。同期は百人以上もいて全国に散らばっていて、特に親しかったわけでもないのだからそんなものだ。最後の所属は営業企画部、経営の中枢に近い花形部署である。そこから出ていこうというのだから、よほど魅力ある転職先が見つかったのだろうとぼんやり想像した。
 書類には新宿の雑居ビルから転落とあった。参考資料としてネット記事の紙片も添付されていた。事故死。戸籍の書類で既婚と知れた。請求は妻からだった。
 希望に燃えた転職、その直後の不慮の事故。かすかにきな臭さ――ドラマ――を感じないでもないが、事務処理は普通に行った。そうするしかない。契約は複数あり、合計でかなりの額になったが、元総合職員であれば珍しくもない。
 生命保険会社の保険金部には日々、国じゅうから人の死が集まってくる。原田は白い鳥の群れを想像する。
 誰かが亡くなると、魂が体を抜け出して空に飛び立つ。よく見るとそれは白い紙、保険金の請求書である。生命保険加入率が世界トップクラスのこの国では、たいていの人は死ぬと一枚の紙切れになるのだ。そして保険会社へ向かって飛んでいく。
 保険会社のビルの上空では、常にたくさんの白い鳥が輪を描いて順番を待っている。日に数回、ゴウンゴウンという重い音とともにビルのふたが開くと、鳥たちは一斉にその中に吸い込まれていく。そこで金になる。
 不慮の事故もあれば事件の巻き添えもある。難病や孤独死、行方不明のまま死亡宣告となるケースもある。死は多様だ。自分ではなく、目の前を通り過ぎていく案件の中にドラマがあることを意識したのはそのときだった。まれに自分がそれに巻き込まれることもある。

 こんな案件があった。
 契約は三十五歳の男性、青木省吾(あおき・しょうご)が五年前に加入したものだ。被保険者も自分、つまり彼が自身にかけた保険である。保険金額は五千万円。彼は東京都大田区にある小さな町工場の社長の長男にして従業員であった。ある春の午後に職場で倒れ、数か月後に亡くなった。膵臓だった。
 受取人は加入時に父と指定されていた。父親は契約の存在を知らなかったらしく、遺品の中に保険証券を発見し、会社にこれは有効なのかと照会してきた。契約は有効だった。しかし同時に厄介ごとも判明した。故人が死の間際に、受取人を変更する書類を作成し、東西生命に郵送していたことがわかったのである。
 それは三通あった。どれも日付は同じだったが、新しい受取人の欄にはそれぞれ異なる名前が一人ずつ書かれていた。すなわち母親、妹、弟である。これら三通の内容は明らかに矛盾している。父親を受取人から外そうというのは確かなようだが、新しい受取人が三人のうち誰なのかわからない。たまたま担当となった原田は悩んだ。
 名義変更は契約者の権利だから、真意は通常は契約者に訊ねればよい。だがこのケースでは死亡してしまっている。原田は上司と相談した結果、元受取人である父親を含めた遺族四人に集まってもらい、対応を協議することにした。
 会は紛糾した。それも激しく。遺族――家族の仲は極めて悪かったのだ。しかもみな大金を必要とする事情を抱えていた。受取人変更の手続きそのものが無効だと主張する父親を含め、四人全員が自分こそ正当な受取人だと主張した。家族なのだから穏便な話し合いになるだろうと考えていた原田は面食らった。以下はその場で判明した各人の事情である。
 父親。経営する町工場の経営難が長く続いており、融資の返済期限が迫っていた。資金繰りと再建のためには数千万円の資金が必要であった。
 母親。そんな夫と別れて別の男と人生をやり直すつもりだ、そのためにはまとまった金が必要で、金はあるほどいいに決まっていると言った。
 妹。若くして人気イタリア料理店を経営するやり手だが、共同経営者が手を引くと言い出していて、持ち分を買い取るために大金が必要だった。
 弟。高卒後、安月給でパチンコ屋勤務、筋のよくない借財が相当あった。それなのに結婚を控え、相手は妊娠していた。借金返済と結婚・育児のためにまとまった金が必要だった。
 誰も一歩も引かなかった。家族どうしがここまで罵倒し合えるものかと原田は暗い驚きを覚えた。会は一時間の予定を二時間も超過し、それでも終わらず、日を改めて再度行うこととなった。二回目は二週間後に設定された。
 会の直後、母親が原田に連絡をしてきた。抜け駆けだ。会社近くのファミリーレストランに半ば強引に呼び出され、高圧的な説得を受けた。化粧は濃く、香水が鼻にうるさい。田舎のスナックの雇われママが賞味期限をだいぶ過ぎてしまった感じ。それが原田の第一印象だった。だいたい当たっていた。
 ――父親は無視していい。時代遅れのボロ工場に大金をつぎ込むなどドブに捨てるのと同じ。まったくの無駄。信用金庫からの融資の返済期限が迫っているが、自身の生命保険で返せばいいのに。きっとそれでも追いつかないけれど。もう無理。工場はつぶれる。父親は連帯保証人になっている。はは。おしまい。
 実はあたしは後妻。子どもたちにとっては継母。前妻は早くに亡くなっている。あたしと父親との結婚は三十年前のことで、思えばあれが失敗だった。東北の漁村から出てきてあちこちのスナックを転々としていた。五反田の店にいたときに父親が口説いてきた。昔は金回りがよくて紳士だった。そう見えた。事実、あの工場には先代が取得した貴重な特許があって、そのおかげで不景気でも平気だった。だから、少なくとも生活は安泰だと思ったから、我慢してやっていたのに。
 先日、父親は特許事務所の担当者の口車に乗せられてそれを売却してしまった。資金繰りだと。無能。大馬鹿野郎。今までさんざん我慢してきたけれど、今度という今度は愛想が尽きた。大喧嘩の後、離婚を決意した。ちょうどよかった。金の目途がついた。
 あたしは継母にも関わらず、子どもたちに献身的な愛情を注いできた。それなのに、今日でわかっただろうが、みな自分のことしか考えていない。恩知らず。金の亡者。特に長男は一番タチが悪かった。死者を悪く言いたくはないが、ちょっと勉強ができるからって、高校中退のあたしを見下していた。本当に底意地の悪い子だった。
 子どもらへの名義変更の書類は廃棄あるいは無視せよ。三人の中でいちばん偉いのは母親に決まっている。母親の幸福が優先されて当然だ。保険金はあたしが新しい人生のために使う。
 一緒にやり直そうと言ってくれているのは、まだ二十代の男性。あたしは五十代後半だが、歳の差など関係ない。故郷が近いから気持ちがよくわかる。彼は早くに両親を亡くし、苦学して早稲田を出た。いまは病身の祖母の医療費を稼ぐため仕方なく新宿でホストをやっている。まとまった金があればそんな生活から抜け出せる。そう、二人で。
 そして、ここが大事なところだが、彼には固い絆で結ばれた友人がたくさんいる。みな二人の仲を応援してくれている。若い頃はやんちゃなこともしていた子たち。友情の結束はとても、とても固い。もし誰かが彼とあたしの新しい人生を邪魔しようとしたら、みな全力で戦ってくれるだろう。誰に払うかは、そのことをよく考えて決めた方がいい――。
 翌日は父親に呼び出された。背が低く痩せていて、日に焼けた顔に苦労のしわが深く刻まれていた。浜漁師のような風貌だった。まだ六十代のはずだが、外見は十歳も老けている。小柄な体のどこから出るのかと思われるほど声がでかい。
 ――長男が保険に入っていたなんて知らなかった。遺品の中から証券を見つけたのはおれだ。驚いたが、受取人がおれになっているのを見たときは飛び上がって喜んだ。長男は工場のことを考えてくれていたということだからな。
 あんたは長男のことを知らないだろう。あいつは学校の勉強がよくできた。周囲からはさんざんうらやましがられた。しかしおれには悩みの種だった。性格に問題があったからだ。身勝手で、こらえ性がなくて、親の言うことなど聞きやしない。一つのことを根気よくやり遂げるという人生で一番大事なことができなかった。あれじゃ駄目だ。どんなに成績がよくたってろくな人間になれない。実際、何度学校に呼び出されたかわからない。そのたびにどれだけ恥ずかしい思いをしたか。
 本音を言えば工場を継いでほしかった。次男は出来が悪くて経営などとても無理だし、娘は……ふん。やはり長男しかいない。子どもの頃から、今はまだ落ち着きがないがそのうち変わる、頭はいいんだから、それさえ治ればだいじょうぶだ。何度も何度もおれはそう思って、厳しくしつけをしてきた。でも結局は全部、無駄になった。
 小さな工場だから家計は楽じゃなかった。しかし立派な大学に受かったのだからと行かせてやった。卒業してよその会社に入ると言ったときだって、それなりに名の通った会社だったし、外の空気を吸って世間に揉まれれば落ち着くのも早まるだろうと期待したから許したんだ。その後もいろいろあって――くそ、思い出したくもない――、親として腹が立ったり、情けない思いもしたが、結局は帰ってきた。金を残してくれた。長男の意思が大事というなら、帰ってきたことで明らかではないか。まず父親を、おれを受取人にしていたことで明らかではないか。工場のほかにどんな大事なものがあるというのか。
 あの工場は、おれのじいさんが戦後に始めた。小さいが技術には自信がある。評判もいい。親父のときには、あの初芝の品質管理部長が見学にきたこともある。
 そうだ下請けだ。それがどうした。作るものが確かだから信用がある。取引は堅い。堅かった。多少の波風には負けやしないが、これだけ不景気が続けば厳しい。資金繰りがぎりぎりだ。来月に期限のくる融資の借り換えについて、おれは半年も前から南信金の担当者と話しあってきた。これがうまくいかなければ相当まずい。率直に言って工場はもう難しい。
 だからこそ削れない経費を削り、あちこちに土下座して仕事を回してもらって、それでも足らずにベテラン一人に辞めてもらった。そうやって血のにじむような思いで再建案を作ったのに、南信金の担当者が交替して、新しい担当は融資の継続は認めないと言ってきた。計画が甘いだと。若造が。企業を見る目もないくせに。経営などやったこともないくせに。ふざけやがって。あいつらはうちを切り捨てる気だ。
 特許か。最近になって大阪の会社がもっと効率のいいのを取ったので価値がなくなった。だから売却した。ふん。あの女は何もわかっていない。
 おれはあきらめないぞ。正直、南信金の担当にもう一度土下座して再建案を呑んでもらうしかないと思っていたが、気が変わった。金はあるんだ、ここに。跡継ぎなどいなくてもいい。おれの代で最後でもいい。本当はどこかで長男に継がせるのは無理だとわかっていたんだ。だが、おれが元気でいるうちは絶対に潰さない。そのために、この金はおれがもらう。
 あんたらの言い分はおかしい。高額の保険金が入ると思えば誰でもあてにするではないか。最も影響を受ける受取人の権利が守られないのはどう考えたっておかしい。妙な名義変更の書類がなかったら、金はおれのものだったのだろう。くそ、最後までこんな面倒をかけなくてもいいだろうに。そうだ、その名義変更の書類は偽造ではないか。例えば……母親による。調べるべきだ。よく調べてほしい。話はそれからだ――。
 週末の夕方、妹からホテルのバーに呼び出された。特に美人でも不美人でもないが、メイクの技術で一見の美形に見せている。気の強さが目もとに表れている。
 ――母親が金に汚いのは父親の言う通り。むかしから子どもの小遣いやお年玉は当然のように、後年には工場の従業員の給与にまで手をつけた。金をめぐる夫婦喧嘩で何度も警察がきた。そのたびに思った。恥を知れと。
 父親は古臭いタイプの経営者。今の時代についていけない。工場はもう持たない。
 母親が再婚とは笑止。勝手に歌舞伎町のホストに入れあげているだけ。大金を母親に渡すのは、工場に使うより愚かな所業。歌舞伎町に吸い上げられて、瞬く間になくなってしまうだろう。
 私はいま学生時代の友人と青山でイタリア料理店を共同経営している。雑誌にも取り上げられる人気店だ。私は学生時代に株で儲けた資金を元手に努力してここまできたが、友人はもともと実家が金持ち。店は遊び半分でやってきたが、売り上げが落ちてきたせいで、経営権を手放したがっている。腹が立つ。業績悪化はあの子のせいなのに。
 開店当初は、私が食材の仕入れ先から食器やインテリアの選定、シェフのスカウトまでやったから人気が出た。メディアに取り上げられるようになると、あの子がしゃしゃり出てきて、経営に口を出し始めた。食材を安くあげて儲けようとした。出資額はあの子のほうが多かったから、私の意見は通らなかった。そうやって彼女の言う通りにやった結果、売り上げは落ちた。常連客が離れていき、今は赤字。
 はっきり言って経営は私がやったほうがうまくいく。もっと人気が出る。あの子は――というより実際にお金を出している父親は――、赤字の事業には興味がない。早く止めてしまいたいと思っている。あの子が経営不振を私のせいにするのは全く心外だが、手を引いてくれるなら我慢しよう。ありがたいくらいだ。しかしすぐは困る。持ち分を買い取る資金がない。四千万円と少し。銀行にも相談したが交渉が難航している。すでに借りている分もあるから。買い取れなければ店は手放さざるを得ない。赤字だから負債が残る。しかし五千万あれば、当面の不安はなくなり、ずっとやりたかったリノベーションもできる。これは絶対に成功する。
 保険金をもっとも有効に使えるのは明らかに私。兄にはいろいろと迷惑をかけられたが、これで水に流してもよい。金は私がもらう。
 この件についてはこの後、もっと詳しく話しあったほうがよいと思う。このホテルの高級レストランでおいしい食事をした後、部屋で、時間をたっぷりとって――。
 弟。年齢は原田とそれほど変わらないはずだが、ずいぶんと若めの――チャラい――服装で、金髪で鼻ピアスをしていた。ガキが歳だけ重ねてしまったようなタイプ。貧弱な語彙を駆使して次のようなことを話した。
 ――嘘つきども。みな兄のことを嫌っていたくせに。
 兄はとんでもなく優秀な頭脳を持っていたが、弟の俺は正反対に、勉強が全然できなかった。高校を出てすぐに就職し、いくつか職を変え、今は池袋のパチンコ店で働いている。
 兄と俺はとても兄弟とは思えないほど違っていた。ああ、よくそう言われた。周りにはさんざん馬鹿にされた。でも俺は平気だった。兄を尊敬していたからな。兄とはとても仲がよかったんだ。家族で兄とうまくいっていたのは俺だけだ。兄は家族との関係に悩んでいた。それを知っているのも俺だけだ。兄は俺には優しかったんだ。
 俺は近々結婚する。相手は世間知らずの純粋な子で、汚い大人の世界など知らない。俺は出来の悪い、うだつの上がらない男だが、彼女のことは本気だ。幸せにしてやりたい。
 しかし、これまで俺もいろいろあった。悪い仲間とつるんでいた時期もある。そのせいであまり筋のよくない方面に借金がある。金額は――あまり小さくもない。いや、一千万まではない。元本は。そのことは……借金があることは、彼女はたぶん薄々感づいてはいるが、金額は知らない。知ったらきっと驚くだろう。悲しむだろう。結婚までにぜひともきれいにしておきたい。安心させてやりたい。
 相手は妊娠している。おなかの子には障害があることが分かっている。中絶も考えたが、彼女が泣くので産むことに決めた。この先、育てるには大金が要る。
 一度、兄の見舞いに行った。見舞いに行ったのは家族では俺だけだ。そのときに結婚と子どもの話をした。兄は「おめでとう、だいじょうぶだ。何も心配するな」と言ってくれた。そのときは意味がわからなかったが、いま考えればこれは決定的なひと言だ。俺の経済状態を察して、金銭的な援助をしようと約束してくれたとしか思えないではないか。兄は、自分をいちばん理解している弟を選んだのだ。
 工場もレストランもくだらない。歌舞伎町のホストなど論外だ。こちらは子どもの人生がかかっている。人の命ほど大切なものはない。生命保険会社の人ならわかるだろう。受取人は絶対に俺だ。それが兄の意思だ――。
 故人を悼む言葉はついに誰からも聞かれなかった。原田の心は沈んだ。
 話し合いは難航が予想され、その通りとなった。

 各部署の古株に聞いてみたが類例を知る者はなかった。相談先の法務部の担当者も頭を抱え、上に相談してみると自信なさそうに言うばかりだった。顧問弁護士からも役に立ちそうなアドバイスはなかった。供託を試みたが供託所にも断られた。原田は債権者不確知、すなわち受取人が誰かわからないという理由で供託しようとしたのだが、このケースでは四人のうち誰かということはわかっているのだから、会社が規定にしたがって決めればよい、というのが供託所の担当者の言い分だった。
 法的手段も検討したが、会社からアクションを起こすのはためらわれた。そもそも何を訴えるのか。四人のうち誰かが訴訟を提起してくれればそれに乗っかることもできるだろうが、会社から誰かひとりに提訴を依頼するのも肩入れするようで不自然だ。結局、話し合いで解決するしかなかった。
 ここで法務部長が出てきて、こう言った。
「代表受取人を選定してもらうんだな」
 単純に保険金を均等に分ければいいようだが、ことはそれほど単純ではない。保険金は契約者が指定した割合でしか払えないからだ。名義変更の書類は三通あるが、どれも「××が全額を受け取る」というものであり、「三人で均等に」というのは一枚もない。したがって会社側が勝手に分割して支払うことはできないのである。
 代表受取人は、受取人が複数いて、それぞれの受け取り割合が決まっていない場合に、顧客側で設定してもらう代表者だ。受取人が死亡していて、その相続人が複数いる等のケースの対処方法である。
 権利を持つ全員の同意を得て代表者一人を決め、「会社はその人に全額を支払うから、あとは当事者間で分けてください」ということにする。代表受取人に支払えば、会社は債務から解放される。その後、実際にどう分配されるか、あるいはされないかは、会社の関知するところではない。
「あのメンツじゃ、まとまんねぇかも知れねえがな」
 全社の法の番人たる法務部長は、少しガラが悪かった。

 第二回の会合は流れた。誰も姿を現さなかったのだ。会社側は肩透かしを食らった。それでいて各人による個別の攻勢は激しくなっていった。それは原田に集中した。通常業務に加えて青木家の対応もこなさなくてはならなくなり、原田の仕事は倍増した。
 父親は、連日のように支払いはまだかと催促の電話をしてきた。そして第二回会合の予定日の一週間後、昼間から泥酔状態で東西生命本社に乗り込んでくると、受付前のロビーでおれの金を早く払えこらあと喚きながらゴルフクラブを振り回し、調度品のガラステーブルを叩き割った。ロビーは一時、逃げ惑う他の来客と受付嬢たちの悲鳴でパニック状態になった。幸い人に被害はなく、守衛二人が父親を取り押さえ、警察に突き出した。翌日の新聞がこの件を報じた。
 母親の若い「彼氏」と友人五人は、実際に固い絆で結ばれていた。絆とは金銭への欲であった。彼らは同じホストクラブの従業員で、昼間に東西生命の本社ご来店センターの前にたむろして来訪の客に下品な冗談を浴びせ、職員が警察を呼ぶといなくなり、警察が帰るとまた戻ってくるというのを何度も繰り返した。さらに契約もないのにコールセンターに何度も電話してきて、根拠も内容もない言いがかりの苦情を高圧的に繰り返した。オペレータでは対処できず、上役が出てやめてくださいと頼んでも聞かず、しばらく経ってから保険金部の原田に回せと言うのが常だった。
 妹は社長あてに投書をしてきた。原田から、保険金を支払う代わりに一晩つきあえと言われた、セクハラ行為を受けたという内容だった。原田は理解のない部課長への弁明に苦労したが、幸いにもホテルのバーテンダーがその夜のことを覚えていて、原田がその夜の妹の誘惑をはねつけたことを証言してくれた。
 弟は兄の遺言状が見つかったと原田に連絡してきた。朗報かと思ったが、実物は一目で偽造とわかるお粗末なもので、ワープロの文書に三文判が押してあった。誤字が多く、内容も北海道の障害者施設に全額を寄付するという不自然極まるもので、施設の代表者として記載のある人物の名前をネットで調べると、過去に何度も摘発されている詐欺の常習者とわかった。弟の債権者に関係ある人物と思われた。原田は弟の婚約者を不憫に思った。
 原田は、上司と関係部署の許可を得たうえで、この件の対応を顧問弁護士に一任することにした。以後、本件に関する連絡はすべて代理人弁護士を通してもらうようにするのだ。これで応対の手間と気苦労から解放されると、原田は期待した。
 弁護士から四人にそのことを通知し、あわせて以後はあまり非常識な行為に及ぶと警察に通報すると警告したところ、逆効果になった。いっぺん警察沙汰を起こした父親はさすがにちょっとおとなしくなったが、新宿のホストたちは当の弁護士の事務所に乗り込んで什器備品を破壊したり、大声で事務員を威嚇したりした。弁護士事務所は被害届を出し、ホストのうち二人が警察に連行された。
 妹は第二弾、第三弾の社長あて投書を送ってきた。そのたびに原田は自身の潔白を証明しなければならなかった。時間と体力を費やした。それが妹の狙いのようだった。
 弟は新しい遺書を発見し続けた。不備や虚偽を論理的に指摘されても、紛らわしい遺書を残した兄が悪いのだと開き直り、悪びれもしなかった。弟はまずコールセンターにかけてきて原田につなぐよう求めてくる。コールセンターの番号は広く一般に公開しているもので、弟からの電話だけを選別して拒否することはできない。弟は非通知でかけてくるのだ。コールセンターから原田に、仕事に支障が出るから何とか止めさせて欲しいと苦情が来た。
 顧問弁護士からは、あわせて代表受取人の提案もしてもらったが、誰も耳を貸さなかった。みな異口同音に、金は全部自分のものなのだから、ほかの連中の同意など不要だと言った。
 顧問弁護士が呆れた。今どきここまで法律を恐れない、つまり世の中の仕組みを理解していない馬鹿――失礼、法律弱者――がいるとは。戦慄すら覚えますと言った。弁護士は面倒な対応を根気よく行ってくれたが、案件は泥沼化した。長期化は避けられない様相となった。

 法務部長が奇手を提案してきた。
 故人が名義変更の書類を書いた順番で決めてはどうかというのだ。
 名義変更の請求は契約者の権利であり、契約期間中であれば何度でも行うことができる。契約者が請求書に記入して会社に提出すればいい。つまり、いちばん最後に記入した書類に名前を書かれた人物こそが最終的な受取人になる、という理屈である。
 こじつけに近いうえに、どうやって調べるのかという問題があるが、無理やりにでも決着をつけるにはこれしかねえんじゃねえか、駄目もとで病院に訊いてみろ、と法務部長は言った。
 四人に提案すると、全員がそれぞれの理屈でひとしきり不満を述べたが、約五時間の会合の末、そうして選ばれた一人を代表受取人にする、実際の受取比率は別に決める、ということでなんとか合意した。ほかにどうするのか、という問いに対する答えを誰も持っていなかったのだ。彼らも相当に疲れていて、早く決着をつけたがっていた。被保険者の死亡からすでに二カ月が経っていた。
 記入日付の当日はすでに入院中であったから、故人が書類を病室で作成したのは間違いない。記入順の確認は、原田と顧問事務所の若手弁護士が、病院に出向いて行うことになった。病院に着くと、その直前に凶悪かつ軽薄そうな若造の声で、母親に有利な証言をしろ、そうすれば悪いようにはしないという匿名の脅迫電話が入っていたことが判明した。
 故人の病室を担当していた看護師は、大柄で不機嫌そうな年配の女性だった。脅迫電話も意に介する様子はなく、ある時期に何やら書類に記入していたのは知っている、しかしそれが何だか知らなかったし、だから記入の順番もわからないと語った。わかるわけないでしょう、という響きが含まれていた。ほかに知っていそうな方は。いませんね。原田と若手弁護士は肩を落とした。
 が、彼女はそこで三つのことを証言した。
 一つ目は「これでだいじょうぶだ、エリカワ」。患者が独り言のようにそうつぶやくのを聞いた、そう聞こえたと言うのだ。エリカワさんとは誰でしょう。さあ、わかりません(わかるわけないでしょう)。二つ目は、亡くなる一か月ほど前、患者が一週間ほど外泊したことがあるということだった。自宅にいると言っていたのにそうではなかった。どこにいたのかと訊いても故人は答えなかったという。三つ目は「入院中に、弟さん以外に何度か見舞いに来ていた男性がいます。たしか若い弁護士の先生。オガサワラという名前の」という事実だった。
 江利川、絵里川、襟川。家族や工場の従業員に心当たりはなく、古巣の会社、幼小中高大の卒業アルバムにもそのような名前の人物は見当たらなかった。
 無断外泊の間に故人がどこで何をしていたのか、遺族にも心あたりはなかった。無事に戻っているのだから事件性はないのだろう。遺族が問題にしていない以上、もはや調べようもない。
 小笠原弁護士はすぐに見つかった。故人の幼馴染で小学校からの同級生だ。今は品川の弁護士事務所に勤めている。連絡をとり、話を聞いた。スポーツマンタイプの颯爽とした好男子であった。
「あいつはとにかく勉強ができました。とんでもなく頭がよくて、まさに天才でした。ただ完璧ではなかった。むしろかなりの変人だったというべきでしょう。当時、僕たちは大いに嫉妬と羨望とを感じ、同時に性格的な欠陥をあげつらって、あいつに対する自分たちの劣等感をなだめようとしていました」
 若き弁護士の話によれば、故人は幼いころから神童と呼ばれていた。都内有数の進学校から当然のように東大に進み、誰もが一流企業という大手電機メーカーに入った。二十代の終わりにシリコンバレーで急成長中のITベンチャー企業にヘッドハントされ、アメリカに渡った。そこで役員待遇で、破格の報酬とプールつきの豪邸を手に入れた。
 しかし四、五年後、そのITベンチャーは、経営上の不正を暴かれ、複数の訴訟に負けて倒産した。急成長は違法で悪辣な経営手法の成果だったのだ。経営陣のほとんどが逮捕され、刑事責任を追及された。
 彼は不正に関わっていなかったので逮捕をまぬかれ、職と財産を失って帰国した。東西生命の契約は、まだ羽振りのよい時期に一時帰国し、そのときに、気まぐれのように加入したものだった。高額の保険料は一時払いされていた。
 帰国後、古巣の大手電機メーカーからかなり熱心な復帰の誘いもあったのだが、彼はなぜかそれを断って父親の工場に入った。そして半年ほど働いた後、病に倒れた。
 ――あいつには友人と呼べるような人はほとんどいませんでした。家族からも孤立していました。でも僕とはなぜか気が合った。アメリカ時代を除いて、年に三、四回程度は一緒に飯を食べていました。
 さっきも言いましたが、あいつは神童でした。
 勉学では、あらゆる模擬テストで全国成績優秀者のリストの上位に名前が載りました。絵を描けば全国レベルのコンクールで上位入賞を果たし、美術教師は美大進学を勧めました。運動は全国レベルとはいきませんでしたが、それでも短距離で都大会の上位に食い込みました。
 小学三年生までに図書室の蔵書をすべて読破し、中学を卒業するまでに絵画、外国の古典小説、プラモデル、昆虫採集、ギター、絵画、鉄道旅行と、数えきれないくらい趣味を次々と変えました。そのすべてを非常に高い水準でマスターして周囲を驚かせました。
 ただし、天才肌の人物にはよくあるように、何かに興味を持つと、とてつもない集中力を発揮して素晴らしい成果をあげるのですが、その間、ほかの物事はまったく目に入らなくなるのが難点でした。そして興味の対象は短期間で次々と変わるのです。ついさっきまで熱中していたものに、次の瞬間にはもう見向きもしなくなる。ひどいときは忘れてしまう。それはもう、周囲が唖然とするほどの豹変ぶりです。
 そしてとんでもなく思いやりのないやつでした。おそらく同級生のほとんどがそう思っていたでしょう。周囲に気を遣うとか、相手の気持ちを考えることができない。何かを思いついたら即座に行動に移してしまう。授業中に突然立ち上がって教室を出て行ったり、思ったことをすぐに口に出して人を傷つけてしまうのはしょっちゅうでした。
 きわめて優れた頭脳から凡人に向けて発せられる、純粋で冷酷な批評です。「なんでそんな問題が解けないの馬鹿じゃないの」「三年生の問題じゃんやり直して来いよ」黒板の前で泣いた女子が何人いたことか。悪気はない。だからこそ鋭いナイフのように相手に突き刺さるのです。
 日本の学校は、空気を読むことを学び、組織力と協調性を培う集団生活の場ですから、あいつが浮き上がるのは仕方のないことでした。それでも誰一人、面と向かって非難できないのです。成績ではあいつの足元にも及ばないのだから。
 電子工学に進んだのは、たまたま就活のエントリーシートを書くときにそれにまつわることを考えていたからだと言っていました。つまり興味あるものごとのうちの一つでしかなかった。それでもあいつは入社直後から頭角を現しました。若くしてヘッドハントにあったのも、その評判が海外まで聞こえたからです。
 アメリカ行きを決めたときは、一流企業の誠意ある慰留を一顧だにせず、家族には相談どころか渡米の予定すら告げなかったそうです。ある日散歩にでも行くように家を出て、そのまま成田から飛行機に乗った。
 私は弟から聞いたのですが――弟のことも小さいときからよく知っています――急にいなくなり騒ぎになった。携帯電話もメールも応答がない。これまでも無断外泊などはよくあったが、三日間も音沙汰がないのはさすがにおかしい。事件に巻き込まれたのかもしれない。捜索願を出そうかという段になって、工場のパソコンに短いメールが届いた。会社を辞めた、アメリカで仕事を得たから引っ越す、煩わしいから探すな。そういうことが書いてあったそうです。肝心の住所や就職先は書いていない。訊かないと教えようともしない。親父さんの怒りは相当なものだったと聞いています。
 妹には同情します。兄ほどではなかったものの、彼女も成績は相当によかった。兄とは違って常識や社交性やバランス感覚も備えていて、学校ではリーダーシップを存分に発揮していました。総合的には彼女のほうが優秀だという先生もいましたが、大半の人はそう見ませんでした。兄の印象があまりにも強烈で、彼女はその陰にかすんでいました。
 弟はまったく反対の意味で気の毒でした。まるで兄弟とは思えないほど勉強ができなかった。運動も芸術も駄目でした。いわゆる落ちこぼれで、リーダーシップなど望むべくもない。その格差たるや天と地で、いつも比較され、からかわれ、馬鹿にされていました。
 でも不思議と兄弟仲はよかったようです。高校からは兄とは別の学校になって、そこからはあまり良い友人に恵まれず、今に至っています。筋の悪い借金はその頃の交友関係から始まっています。
 天才とは急峻な山のようなものです。遠くから見れば美しい。しかし近くに住む人は、転げ落ちる岩に怯え、急変する天候に翻弄されるのです。青木家もそういう環境にありました。家族の関係がぎくしゃくしたのも無理からぬことだと思います。
 名義変更の件ですか。そうです。僕はあいつから相談を受け、助言をしました。今回の件で、僕は故人の依頼を受けた代理人という立場です。請求書の記入の順番は知っているとも知らないとも言えません。理由や目的もお教えできません。守秘義務です。エリカワ? いえ、それも言えません。
 調査と判断はすべて御社にやっていただくように、僕はそれを見届けるようにというのがあいつの依頼です。ご健闘を祈ります――。

 原田は故人・青木省吾の人生に興味を覚えた。
 天才にして変人、外国での成功と挫折、そして早すぎる死。波乱万丈の人生は、間違いなくドラマを持つ側の人間のものだ。自分とは同世代だがまったくの別世界だ。
 天才の思考とはどんなものか。周囲が愚かに見えて仕方ないか。それとも座標が異なるだけで彼らには彼らなりの葛藤や劣等感があるのか。
 弁護士の話には浮世離れした印象があった。世俗的な欲望は薄いが、自分の関心には容赦がない。それが満たされればあとはどうでもいい。長生きしていれば、いずれ何かの分野で名を残したかもしれない、そんな人物。
 アメリカ西海岸のプール付きの豪邸から東京下町の町工場に移り、なお恬淡としている青年の姿を何となく想像してみた。ひょろりとした無表情の風貌が浮かんだ。
 不可解な名義変更の目的は何だろう。世俗の欲など小さいはずの男が、なぜこんな金銭の面倒を残したのか。本当のところ誰に残したかったのか。家族が彼をもてあましていたように、彼も家族を憎んでいたのか。大金など渡すものか。こうしておけば保険会社は結論を出せまい。家族は大金を目の前にしながら、いつまでも手にすることができない……。
 違うな。四人が協力すれば払われてしまうのだ。金を渡したくないなら、生きているうちに解約してしまえばいい。そもそも加入などしなければいい。やはり彼にはこの世に五千万円の金を残す意思があったと考えるべきだろう。その相手は一体誰なのか。
 ――わからない――
 本人がもうこの世にいないのだから。
 法務部長に報告すると、ふん、記入の順番作戦は失敗か、でもその弁護士は答えを知ってんだよな、なんとか聞き出せねえのか、と言った。
 無理だった。

 青木省吾の死から三カ月が過ぎた。あれから二回、遺族による話し合いがもたれたが、事態は進展しなかった。毎回同じような罵倒合戦になった。参加者の表情は徐々に疲労と切迫で鬼気迫るものになっていった。
 母親の「彼氏」とその友人たちによる会社へのいやがらせはだいぶトーンダウンし、代わりに母親本人が噛みついてくるようになった。おそらく「彼氏」と友人たちは、当初聞いていたほどたやすく取れる金ではないと判断したのだろう。つまりあきらめた。他にカモが見つかったのかもしれない。もう母親に用はない。母親は「彼氏」の心変わりを察して必死なのだ。一度、原田は、帰宅時の自宅マンション前で母親の待ち伏せにあった。「私に払いなさいいいわねわかったわねいいから払うのよはら、はら」母親は原田につかみかかり、ヒステリックにそう叫んだ。近所の住人の悲鳴を聞いてその場を去ったが、去り際、原田はみぞおちに一発食らった。
 父親は――融資の返済期限が過ぎ、すでに工場は実質的に倒産していた――もとからの小柄がさらに痩せさらばえて、どす黒く落ちくぼんだ眼玉だけをぎらぎらさせていた。今や意地と執念でとにかく金を取ろうというのだった。話し合いが終わってビルを出た父親を窓から視線で追うと、明らかに堅気ではない風のひょろりとした男が現れて、悄然とした父親の肩に腕を回すのが見えた。それはまるで手足の長い蜘蛛が獲物を絡めとるようなしぐさだった。二人はもつれるように黒塗りの車に吸い込まれ、走り去った。
 妹が共同経営者を説得してつなぎとめるのは、時間が経つにつれむずかしくなっているようだった。金が手に入らなければ店を手放さなくてはならない。あの店は私の子どもみたいなものなのよ。ねえお願い。あなたにも少しあげるから。いくら欲しいのいくらだったらいいの言いなさいよねえ。彼女はヒステリックに繰り返した。幼いころから腹の底に渦巻いている兄へのコンプレックスを跳ね返すための唯一のトロフィー。店を失うことはプライドの瓦解と経済的な破綻を意味する。父親と同じ負け犬に墜ちることを意味する。そんなことは絶対に認められない。妹の顔は、皮膚が乾いて凄みを帯び、夜叉のようになってきた。
 弟は相変わらず「新たに見つかった」という兄の遺言を弁護士に持ち込み続けていた。その方法しか思いつかないのだと思われた。どれも顧問弁護士が鼻で笑う代物だった。
 一度、弟の婚約者という人物がオフィスに原田を訪ねてきたことがあった。弟には内緒だと言っていた。まだ幼さの残るショートカットの女性で、弟とはおよそ不釣り合いな相手に見えた。ふくらみ始めたおなかを撫で、わたしたち三人なんですと幸福そうな表情で言った。それから自分の婚約者がどれだけ純粋で、自分のことを大切に思ってくれているか、頬を紅潮させ、瞳をうるませて訴えて帰って行った。まっすぐな視線が目に残った。
 小笠原弁護士とは連絡がつかない日々が続いた。法務部長も忙しいのか、あるいは関心をなくしたのか、この件に触れてくることはなかった。
 神経をすり減らし、消耗した。原田にも限界が迫っていた。

 結論が出た。
 父親と母親がほぼ同時に倒れたのがきっかけだった。父親は肝硬変、母親は脳梗塞。どちらも長期の入院治療が必要となった。二人は長男が死んだ病院に入院した。これまでの経緯を考えれば二人抜きで協議を続けるのは現実的ではない。回復まで待っていては数カ月も先になるだろう。
 それを知った妹が音を上げた。均等でいいから払ってほしい。もうこれ以上は待てない。店はいったんあきらめる。彼女は売り上げの回復を焦って街金に手を出し、思うような成果を挙げられないでいた。
 弟も不貞腐れたように同意を表明した。妻の臨月が迫っていた。
 父親は病床で天井を見つめたまま、しわがれた声で工場倒産に続く敗北を受け容れた。
 母親だけは呂律の怪しい口調で激しく抵抗した。原田たちがほかの三人は合意したと説明したところ、母親は涙と鼻水とよだれを流して暴れた。病状に障るから、と看護師が原田たちを病室から追い出した。しかし翌日、改めて訪問したときには、彼女はあっさり同意した。前日とは見違えるように老け込んでいた。失恋。原田はそう確信した。
 翌週、無理をして一時退院してきた両親を含む四人は、東西生命本社の会議室で、妹を代表受取人とする代表選任届に記名、押印した。ようやく解決だ――原田は胸をなでおろした。
 ところがそこで、手続きを見届けたいと同席していた小笠原弁護士が、すっくと立ち上がって言った。「ようやく私の出番です」。そしてアタッシェケースから一枚の書類を取り出した。
 四枚目の名義変更請求書であった。
 家族の間で合意がなされたら提出するように、と故人から依頼されていたという。日付はあの三枚の翌日で、つまりこれがいちばん新しい。これに書かれている人物こそが本当の受取人です、と弁護士は言った。書かれている名前は、
 ――青木エリカ――
 みな顔を見合わせた。誰だ。姉でも母でもない。弁護士は続柄の欄を指した。
 ――妻――
「は?」「兄は独身」「間違いだ」「謄本で確認したじゃないか」、四人の怒気を含んだ声が部屋にあふれた。小笠原弁護士はさらに二通の書類を取り出した。死亡保険金請求書と何やら戸籍の書類であった。請求書には英字で青木エリカの署名があった。弁護士が説明した。
「故人は、死ぬ前にアメリカ人女性と婚姻したのです。死亡直後の謄本に記載がなかったのは、アメリカでの結婚を日本の戸籍に反映するのに時間がかかったからです。ここにお二人の婚姻が日本でも証明されました。名義変更請求書も故人が生前に作成したものですから有効のはずです。したがって保険金は奥様にお支払いいただくことになります」
 ふ――ふらけるんやないわよ。最初に叫んだのは母親だった。顔を真っ赤にして、唾を飛ばし、車椅子から転げ落ちた。それを合図に他の三人も吠えた。弁護士は書類を残して素早く部屋から退出してしまったので、残された原田たちが詰め寄られた。騒ぎを聞いて警備員が駆けつけた。窓ガラスの一部が破損し、びっくりするほど大きなガシャン、という音が響いた。

 その日を最後に、青木家の人たちと会うことはなかった。原田に平穏な日々が戻ってきた。後日、小笠原弁護士がやってきて保険金支払いまでの流れを確認していった。そのとき原田はあらためて説明を聞いた。
「あの女性は、かつて青木省吾が所属していたアメリカのITベンチャー企業が買収した会社の社長の未亡人です。買収は詐欺まがいで、相当に阿漕なやり方でした。彼女の夫は絶望のあまり自死し、妻と子には大きな悲しみと負債が残りました。省吾は―――あいつは――それをだいぶ後になって、自分の死の床で知ったのです。ネットで偶然に。そしてひどく責任を感じました。あいつがそんなふうに他人のことで感情を動かすのは、本当に珍しいことだったので驚きましたよ。役員であった自分も無関係とはいえない。何とかして救いたい。しかし自分の財産は訴訟でほとんど消えてしまった。どうすればいい。そうだ、生命保険がある。自分は余命わずか。これを彼女に渡すのだ。それには乗り越えるべき障害がありました。日本の保険会社は、モラルリスク排除の観点から、家族以外の第三者を受取人にすることを認めていないのです」
 ――彼はエリカに連絡をとった。最初は当然、強い不信と反発を示された。夫の仇、悪魔の一味が今さら何の用か。人殺し、恥を知れと罵倒されてもひるまず連絡をとり続けた。
 やがて彼女は彼の思いを理解し、謝罪を受け入れた。思いを聞かされ、結婚に応じることを決めた。配偶者なら受取人となることに何ら問題はない。
 ただ、彼にはあまり時間がなかった。二人は一日も早く結婚しなければならなかった。しかし一方は日本で入院中、もう一方は子どもが病気でしばらくアメリカを離れることができなかった――。
「結婚の方法は三つ考えられました。まず、エリカが日本に来て日本の役所に婚姻届を出す方法です。これならすぐに戸籍に反映される。保険会社が問題とするのは戸籍上の続柄ですから、この方法が一番早くて確実です。しかし彼女にはすぐにはアメリカを離れられませんでした。次に、彼女に必要な書類をそろえて送ってもらい、区役所に婚姻届を出す方法も検討しましたが、必要書類をそろえるのにかなりの時間を要することがわかりました。そこであいつは、三つ目の方法をとることにしたのです。自分がアメリカへ行って結婚し、それを日本の戸籍に反映させるというやり方です」
「そんな……。あっ」
 看護師が言っていた。亡くなる前に一週間ほど無断外泊があった。
「僕が付き添ったのですがね」
「本当ですか。ステージⅣで」
「末期患者の旅行はそれほど珍しいことではありませんよ。もちろん、普通は医者に自宅療養だと嘘をついたりはしないでしょうが」
「国際結婚って、そんなに簡単にできるんですか」
「簡単ではありません。特にアメリカの移民法は非常に厳しくて、外国人が結婚目的で入国するには本来は専用のビザが必要です。専用ビザの取得には通常、厳しい審査と数か月もの時間がかかるのですが、あいつは過去に永住権を取得し、帰国後もそれを維持していましたから、そこはクリアできました」
「そうだったのか……」
「問題は時間でした。戸籍法によれば、海外での結婚はその時点で成立します。ただし、それを日本の戸籍に反映させるには、その国の在外公館を通して日本の役所に婚姻届を提出しなければならず、長ければ数か月もかかるのです。そうなるまで受取人の変更はできません」
 確かに、受取人を妻にするという名義変更請求書が提出されても、戸籍がそうなっていなければ請求は無効となるだろう。そんな人物はいないのだから。
「自分が死んだら家族はすぐに保険金を請求するだろう。その時点で戸籍に妻が反映されていなかったら、保険会社は元の受取人に支払ってしまうだろう。それでは意味がない。しかし間もなく戸籍が変わるからそれまで支払いを待てなどと保険会社に伝えたら、きっと家族にも知られてしまう。保険金を横取りされる。結婚と名義変更のことを保険会社にも家族にも知られずに、保険金の請求手続きをしばらく止めておかなくてはならない。三通の名義変更請求書はそのための手段だったのですよ。ああしておけば家族が揉めて、手続きはしばらく進まないことが、あいつにはわかっていたのです」
 ようするに時間稼ぎだったのか。原田はため息をついた。おかげでこっちはたいへんな目に遭った。
「実は結婚を決めたとき、病状はだいぶ落ち着いていたのです。宣告によれば余命は半年くらいでしたが、医者が自分の見立てを疑うくらい、あいつは元気でした。世の中には余命宣告を越えて生きる人もたくさんいますから、僕は、あと数か月待って彼女が来日できるようになってから日本で手続きする方法を勧めました。しかしあいつはすぐに渡米すると言ってききませんでした。そして帰国の直後、容体が悪化して起き上がるのも難しくなったのです。今から考えれば、彼女の来日を待っていたら間に合わなかったでしょう」
 謎は解けた。原田は自分が病身で長旅をしてきたような心持ちになり、どっと疲れた。
「江里川じゃなかったのか……」
 妻の名はエリカ・ルイス・アオキ。これでだいじょうぶだ、エリカは。
「そういうことです」
「でも」原田はまた少し考えて、言った。「やっぱりわかりません」
「何がです」
「実家の工場はつぶれ、父親は闇金からの借金を負ったまま入院生活を続けている。母親は脳梗塞に鬱を発症して、こちらも退院の目途が立たない。妹は金と生きがいを一度に失って、少なくない負債を背負った。弟の家族は子が生まれた瞬間から金銭的な辛酸をなめることが確実になった。家族全員が不幸に落ちたんです。それでも赤の他人の幸福を優先した故人の気持ちが、ですよ。その女性に強い責任を感じたにせよ、自分の家族のことは考えなかったんでしょうか」
 弁護士はさわやかに笑った。
「もと同級生からすれば全然不思議じゃありません。言ったでしょう、あいつは何かに夢中になると他のことは一切目に入らなくなるんです。きっと今回もそうだったんです。彼女に金を渡すことだけに集中したんですよ」
 ――これはドラマだろうか――
 きっとそうだろう。最後まで振り回された遺族の悲喜劇。だが故人にとってはサイド・エピソードに過ぎない。早逝の天才の人生はやはり、彼が成し遂げたこと、成し遂げられなかったことをメインに据えて、重厚かつ劇的に語られるべきだ。
 この案件の対応方針については社内でも慎重論が出た。本当に外国の妻に支払ってしまってよいのかという意見だ。結論はわりとすぐに出た。顛末を聞いて法務部長が発した「そいつぁ痛快だな」というひと言が決め手となった。
 たとえ戸籍に反映されても、それが死後であれば、死亡時に配偶者がいたことにはならないはずだ。そう言って、弟の結婚相手がものすごい剣幕で怒鳴り込んできたときには、会社は妻あての送金手続きを完了していた。

      *

 保険金部の同期・井上は、転落死した同期と親しかったという。葬儀の様子を語った。
「親御さんの落ち込みようがひどくて見ていられなかった。奥さんはとてもきれいな人だったが、蒼白で表情がなかった。子どもがいないのは今となってはよかったのか。
 あいつが行った投資銀行は高報酬で、中途でもなかなか入れない世界的な人気企業だ。もともと上昇志向の強いやつだった。入ってみたら肩書きも収入も格段に上がったけれど、ライバルがたくさんいて、仕事は想像以上にきつかったらしい。
 不運だったのは、あいつが入った直後に本国で不祥事が発覚して日本撤退が決まったことだ。おれは心配になって連絡を取ろうとしたんだが、返信がなかった。
 でもな、あの業界が厳しいことはみんな知っている。あいつだって覚悟して行ったんだ。絶対に自殺なんかじゃない。長いつきあいなんだから、そんなことをする前に相談してきたに決まってるじゃないか」
 原田にはわからない。ただ親しい同期にも――同期だから――言えないこともあるだろう。希望は欲望と似ている。勇気は貪欲さでもある。キャリアアップの高揚から一気に生活の危機へ。こんなはずじゃなかった。不安と焦燥、屈辱と後悔。出し抜いてはるか後方に置き去りにしてきたはずの、かつての同期から向けられる好奇と蔑みの視線。そして――わけもなく浮かぶのは――美しい妻の落胆。あるいは豹変。
 死ぬ気になればと部外者が言うのはたやすい。だが、上昇志向が強くて難関の転職を実現させる男にそれが分からないわけがない。彼はあらゆる選択肢を考え抜いたうえでビルの階段を上ったのだろう。
 ――いや、これは事故だ――
 我がことだったらと思うと身が震える。安穏の側にいることを幸運と感じる。しかし同時に原田は思うのだ。彼は物語の主人公になった。
 破滅したいわけではない。自分がそんな道を絶対に選ばないこともわかっている。
 ただ、ひどく屈折した嫉妬が少しだけ、ある。
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