第4話

文字数 27,268文字

 形あるものはいつか壊れる。
 分厚く頑丈に焼かれた陶器もいつかは砕ける。百年の家もハイテクのビルもいつかは倒れる。遠い未来には東京の街も廃墟を経て砂漠になっていく。地球も、太陽も、銀河も含め、すべて宇宙は混沌に向かっていく。長い長い時間の後にはすべてが混ざり合い、一様になっていく。
 しかし開闢から百数十億年が経つという現在も、宇宙はそうなっていない。なぜか。まだ時間は十分ではないのか。そうではない。
 生物がいるからだ。
 生物だけは逆なのだ。時間が経つほど複雑化し、秩序だっていく。放っておくと進化してしまう。
 地球でいえば何十億年のむかし、太古の海の波打ち際で撹拌された物質が、温度や紫外線や様々な要因によって化学変化を起こし、ふと有機物になった。それが長い時間をかけて生物になり、人間になって、巨大で精緻で快適で、脆弱で複雑怪奇な現代社会を作り上げた。
 宇宙は、シンプルな混沌に向かおうとする無生物と、複雑な秩序に向かおうとする生物のせめぎあいでできていると言える。
 地球で最初の有機物がそう望んだわけでもあるまいに、いつのまにか世界はこんなにも複雑になってしまった。これから先も生物は、ごちゃごちゃと、わかりにくく、面倒くさくなっていくに違いない。
 シンプルでありたい。そう原田は思っていた。

     *

 ――かつて日本の保険業界を巨大な嵐が襲った。
 保険金の不支払い問題である。
 大手の一角を占める某社があるとき、もし保険金を払わないで済めばそれだけ会社の利益が増えるな、という当たり前のことに気づき、実行してみた。高額の保険金請求が来たらとにかく一度は難癖をつけて断ってみることにしたのだ。
 保険金支払い実務のプロ集団が知恵と技術を尽くしたので、当然ながら効果はすぐに現れた。収支は好転した。しかし苦情も爆発的に増えた。これもまた当然のことであった。
 騒ぎを嗅ぎつけた週刊誌が記事にすると、世論はたちまち燃え上がり、正義感と嗜虐の化身となった大衆が、某社に対し一斉攻撃を始めた。度を越した顧客軽視と利益至上主義の社風は断じて許されるものではない。責任者は世間に向かって謝罪と説明、そして辞職すべきだ。
 世論の嵐を重く見た監督当局は、某社に対し臨時の立ち入り検査を実施し、すみやかに行政処分を決めた。二度にわたる業務停止命令。業界でも前代未聞の苛烈な措置であった。
 その年、同社の売り上げは前年比四割減となり、役員の半分が引責辞任を余儀なくされた。
 これを見た同業他社の経営陣は震え上がった。次の当局検査で同じような事実が露見すれば、自社も同じ目に遭いかねない。
 みなただちに自社の運営の洗い直しを始めた。少しでも問題になりそうな、すなわち払い渋りがうかがわれるような案件があれば、その記録は「誤解を招かぬよう」「適切な整備」が行われた。払う払わないで折衝中の苦情は、当の相手が不審に思うほどの突然かつ極端な譲歩によって収束が図られた。いずれも水面下で、かつ迅速に。
 その中にあって東西生命は暢気だった。安易で姑息な対応を潔しとしなかったわけではない。もともと陽だまりのお公家さんと揶揄される社風であった。今日できることは明日もできるとばかり、ことなかれ主義と先送り文化の中を生きてきた彼らは、隣家の苦境を間近に見ながら、それを自社と地続きのリスクと捉えることができなかったのである。
 自社も似たような問題はあるだろうが、あの会社ほどひどくはないだろう、うちはきっとだいじょうぶという根拠のない安心に浸っていた。これが彼らの不幸であった――。

 という書き出しで始まるレポートの束を、原田はフロア北側の大型キャビネの奥深くに見つけた。うっすら埃をかぶっていた。ベテランたちに聞いても心当たりがないという。
 砕けた内容から会社の公式な記録でないのは明らかだ。どうやって知ったのかという内容も多く、そこは創作であろう。が、読み物として面白く、当時の雰囲気もよく伝わる。書き手が楽しんでいるのがわかる。原文はかなり長いので、適当に端折って以下に記す。

 ――初夏のさわやかな朝、検査官たちはやってきた。十四人の無表情な一団であった。
 主任検査官は五十がらみの背の低い男。色白で小太り。彼の細い目は、最初から功名の野心に燃えていた。すなわち、旬の素材で華々しい料理を作って――保険金の不支払いにかかる悪徳保険会社の不正を暴いて――みずからの名を役所じゅうにとどろかせるのだ。
 日本の金融機関は数年に一度、監督当局の検査を受けることになっている。国民の生活と財産に深く関わるその業務が適切に行われているかを検証するためである。ここで不正が見つかれば、当局は是正を促し、重大な場合は行政処分を行う。極端に悪質な場合は事業免許の取消しもありうる。当然ながら経営陣の関心は高く、当局検査となれば通常業務そっちのけで対応する。トップが振り回されるということは下っ端も振り回されるということであり、すなわち会社全体が振り回される。
 当局検査――それは避けがたい災厄のように、数年に一度、必ずやってくるのである。
 この年の東西生命の検査で最初にやり玉にあがったのが、六年ほど前の保険金部の業務運営計画であった。年度計画にこういう一文があったのだ。
「保険金等の支払査定をより厳格に行い、適切な支払いを目指す」
 主任検査官は、「より厳格に」に目をつけた。これは従来よりも査定を厳しくするという意味であり、払えるものも払わずにすまそう、顧客の利益を犠牲にして自社の収益を上げようという意図の現れであると断じた。会社の顧客軽視の姿勢の証左として指摘項目第一号にすると告げた。
 会社側にとっては青天の霹靂、突然の危機の出来であった。主任検査官に呼び出された検査対応事務局長である総務部長はうろたえた。いえいえ、これは適切に査定をしようと言っているだけで、不当な査定をする意図など毛頭ありません、ですから何も問題はないのですと説明した。
 しかし主任検査官は納得しなかった。これは当年度の役員会で決裁された正式な保険金部の業務運営計画であり、この年の保険金支払い査定はこの方針にしたがって行われたということだ。従来より査定を厳しくしたら、従来より支払いが減るという以外に何が起こるというのか。そう詰め寄ったうえで、ポツリとこう言った。
「御社も某社と同じなのですね」
 その瞬間、総務部長は、広い検査会場で会社側の人間は自分一人であることに気づいた。
 十四名、計二十八個の眼球と二十八枚の眼鏡のレンズから発せられる冷徹な視線と反射光を意識した途端、彼の鼓動は早くなった。
 案件はただちに総務部担当役員に報告され、当該役員の指示により保険金部に連携された。すなわち検査官対応の丸投げである。
 組織の常として、投げられた仕事のボールはとりあえず打ち返そうとするものだ。当初、保険金部もそれを試みようとした。しかしながらこと本件については、保険金部が「うちの案件ではない」と主張するにはいくらなんでも無理があった。やむなく引き取るしかなかった。
 当局検査での検査官の指摘に対して、会社側には弁明の機会が与えられる。弁明に検査官が納得すれば指摘は取り下げ、あるいは修正がなされる。と、建前はそうであるが、何と言っても、相手はこの手の議論と指摘を主要な業務としている人間である。弁明、すなわち反論、論破には相当に堅固な反証と理論武装が必要で、それができるくらいなら最初から指摘などされたりはしない。検査官を論破できないなら、会社は「ご指摘の通りです」から始まる回答文書に印をついて提出しなければならない。不適切な運営を認めるわけだ。この回答書の数が検査の成果、すなわち検査官の手柄であり、これが増えるほど会社には行政処分が近づくことになる。
 保険金部では、部長以下各課の課長が集まって対応を協議した。該当の計画を策定したときの保険金部長はすでに定年退職しており、転居していて連絡がつかなかった。当時の傘下課長たちもなぜかみな転職等で社に残っておらず、策定の経緯背景を聞くことができなかった。現任の保険金部はじめ幹部らは知恵を絞り、なお他部署への責任転嫁を含む対応策を一晩かけて検討したが、有効な反論を思いつく者はなかった。
 これが一件目の指摘となった。

 次の日、検査官は、保険金部の名簿と担当職務の一覧に記載のある全員の職務経験年月数を記入し提出せよと言ってきた。期限は翌日の正午。午後イチで使用するとのことであった。
 指示があったのは主任検査官の帰り際、すなわち午後八時過ぎであった。命じられたのは総務部長で、ようやく帰るのかと安堵した彼は、あまり疑問に思うこともなく受けてしまった。
 実はこれは巧妙な罠であった。いやがらせといってもよい。保険金部は多くの派遣やパートを含めた三百名以上のメンバーで構成されており、異動も激しい。全員の経歴を把握するのは人間の技ではなく、かつ派遣社員の職歴は派遣会社にしかない。人事部あたりに元データの一覧があってそれを転記すれば済むという話ではなかった。
 検査官退出の報をフロアで待っていた保険金部の職員たちは、指示を聞いて騒然とした。総務部長は大バッシングの的となった。しかし受けてしまった以上、やらざるを得ない。緊急連絡網を広げ、みなで手分けして全員の自宅に電話をかけていった。バッシングに時間を割いたために電話をかけ始めたのは午後十時を回っていた。たいてい家人の不審を買い、まるで苦情対応のようであった。
 徹夜で確認を続けて約八十三パーセント、翌朝出社してきた職員を捕まえて約九十九パーセントまで完了した。午前十時半の段階で残り二人。ひとりは風邪だと偽ってパチンコ屋にいるところをつかまえ、あとはフロア最古参のベテランパートの女性だけになった。よし、何とか間に合いそうだ。みながそう思ったとき、重大な問題が判明した。
「九ちゃんは旅行ですよ」
「どこだ。旅館に電話を」
「たしか……ニュージーランドのお友達のところ」
 誰も連絡先を知らなかった。当時まだSNSはなく、携帯電話を海外に持ち出す人も少なかった。実家のご両親なら知っているだろうと思われたが、実家の連絡先がわからない。記載があると思われる履歴書は派遣会社にしかないのだ。
 派遣会社に電話をしたが教えてくれなかった。個人情報保護法施行後であるから至極真っ当な対応であるのだが、保険金部長の耳には冤罪事件の有罪宣告にも等しく響いたに違いない。部長は色を失い、がっくりと椅子にへたり込んだ。するとそばで聞いていた男性副長がひょこんと立ち上がり、「ぼく、行ってきまあす」と言って、すたすたとオフィスから出て行った。
 普段からコミュニケーション能力に多少難があり、仏像鑑賞とスイーツ巡りとモデルガン造りが趣味という噂の青年だった。みな呆気に取られたが、一職員の奇行に気を取られている場合ではなかった。若手からベテランまで交替で受話器の向こうのわからずやに対して必死の説得を続けたが虚しかった。ああ、どれほどの努力を重ねても叶わぬことはあるのか、僕たちは一体どうなってしまうのか――悲壮で奇妙な連帯感がその場を支配しかけたそのとき、受話器の向こうの背後がざわついた。「誰ですかあなたは」という声が聞こえた。
 先ほどの副長が現地に到着したのだった。フロアに「おお」というどよめきが起こった。
 そして約二十分後、その副長から連絡が入った。先方の責任者に詰め寄り、涙と鼻水を垂らしながらひたすら土下座を続けた結果、半ば恐怖を感じた相手がつい漏らしてしまったという九ちゃんの実家の電話番号が告げられた。こうして彼は伝説となった。
 実家の父上は幸いにも異国の友人宅の電話番号を知っており、かつ友人は日本人であった。突然の連絡に野太い声で不満を表明する重鎮パート女史に事情を説明し、十六年五カ月と聞き出したのが十一時五十分、パソコンに入力して印刷しようとしたらプリンターが紙詰まりを起こし、別のプリンターで印刷し終えたのが十一時五十六分だった。
「走れえっ」
 叫ぶ保険金部長に応え、資料をつかんで駆け出したのは三十歳の男性副長だった。エレベーターホールに出てみると、この時間はどれも昼食に向かう職員で下向きの各駅停車である。検査会場は最上階、はるか十フロアも上だ。エレベータを待っていては間に合わない。
「くそっ」
 彼は階段室に向かい、らせん状の階段をカンカンと駆け上がった。が、学生時代は陸上部だった彼も入社して七年、体力は落ちていた。息が切れ、足が上がらない。思えばここ数年は運動らしい運動をしていない。先月の定期健康診断で中性脂肪が平均より高めと出た。ショックだった。彼は職場の中高年たちの茶飲み話のような不健康自慢が大嫌いだった。自分もあんな風になるなんて考えたくもなかった。腹が醜くせり出してくるなんて。後頭部から加齢臭を発するようになるなんて。年寄りなんかクソくらえ。無茶な要求をきいてしまった総務部長も、自分に走れと命じた保険金部長も――怒りは体の底からふつふつと沸き上がり、ついに口をついて出た。
「馬鹿もんっ」
 それが大嫌いなはずのオヤジ言葉であったことに軽いアイデンティティの崩壊を感じながらも、彼は走った。かつて若者であったサラリーマンがそこにいた。
 心拍数と太ももの疲労が頂点に達する頃、彼はついに最上階にたどり着いた。階段室からエレベーターホールに出ると、総務部長がそわそわしながら待っていた。「おお、来たか」。
 副長は肩で息をしつつ、握力と汗でたわんだ資料をバトンのように差し出した。それを総務部長が受け取る。あとは頼みます、よし任せろ。男どうしの熱い視線が交差した次の瞬間、総務部長は颯爽と検査会場に向き直った。ドアが開かれたとき、正午を告げるチャイムが館内に鳴り響いた。
 ――間に合った――
 疲労と安堵、そしてあふれる達成感。
 副長はその場に、横座りにくずおれた。

 もちろんそれで終わりではなかった。翌日の午後、主任検査官は、資料を精査したところ重大な事実がわかったと総務部長に告げた。
 ――御社の支払い査定担当者の平均業務経験はわずか五カ月である。支払い査定は本来、専門的な医学・約款・法律知識が不可欠のはず。東西生命の事務ミスによる支払い漏れの発生率は業界平均にくらべて〇・一ポイントも高いことがわかっているが、原因はこの経験不足、知識不足ではないか。保険会社の根幹業務である保険金の支払いをおろそかにしているとしか思えない。こうした人事政策を放置している経営陣の認識は甘いのではないか。
 問題がないというなら、保険金の支払い査定を適切に行うには平均五カ月の経験で十分であるということを、客観的かつ明確な根拠を示して説明せよ。人事政策の見直しをしてこなかった経営陣の見解も聞きたい――。
 その晩の対応検討会には、保険金部の部課長と総務部長のほかに人事部長も呼ばれた。査定担当の経験年数も事務ミス発生率も厳然たる事実であり、否定のしようがないという点で見解の一致を見た。原因分析については、その場にいなかった商品開発部の、事務設計を考慮しない不届きな開発姿勢と、予算不足を理由に改善を渋るシステム部門の怠慢によるものということでこれまた一致したが、会社として検査指摘への反論にはならない。検討会は午後十一時を過ぎて静かに終わった。深夜になってもみな沈んでいた。
 指摘はこれで二件となった。

 検査官は次に、過去に東西生命が開発した業界初の生前給付型の保険商品を狙った。この商品は、それまで死亡または高度障害状態にならないと支払われなかった保険金を、ガンなどの重い病気になったらその時点で、生存中でも支払われるようにした画期的な商品だった。発売当時、経済誌やマスコミから喝采を浴びた名品である。
 主任検査官が問題視したのは請求手続きであった。
 ――ガンにかかったら保険金が出る。素晴らしい。しかし受取人、つまり請求をするのは被保険者本人だという。ガン告知を受けていなかったらどうなるのか。被保険者は自分がガンだと知らない。それでは請求が出てくるわけがない。請求がなければ払わない。なるほど、実に巧妙な手口ですね――。
 ガン告知は当時、まだ一般的ではなかった。
 総務部長は反論した。これは被保険者が、治療費や残りの人生を有意義に過ごすために使ってもらおうと作った保険であるから被保険者に支払う設計としたもので、支払いの不当な抑制のような不適切な意図はない。その語尾はかすれていた。
 その夜、この指摘を巡って商品開発部と保険金部の間で対策会議が持たれ、椅子が破損するほど激しいやりとりとなった。議事録が作成されたものの、二日後に破棄された。
 指摘は三件となった。
 事態はさらに悪いほうに展開した。主任検査官はこう言ったのだ。こうして多くの不備が明らかになった以上、過去の保険金支払いの再点検が必要ではないか。これは命令ではなく、あくまでも東西生命が自発的に行ってはどうか。対象はそう、過去五年間くらいが適当ではないか。
 五年分の査定、つまりこの間の保険金部の仕事を、ほぼ丸ごとやり直せということである。総務部長は思わず叫んだ。「無茶だ。正気の沙汰じゃない」。すると主任検査官の眼がギラリと光った。しまった、罠だ。総務部長が気づいたときはもう遅かった。
「今のご発言でよくわかりました。御社の顧客軽視は徹底していますね。失われた顧客利益を回復する方法があると指摘し、その具体策まで示唆して差し上げているのに、それらを一切無視するのですね。これはもう消費者、いや社会に対する挑戦と言わざるを得ない」
「や、――やらせていただきます」
 これを伝えられた保険金部長は、まず部課長レベルで内密に相談して基本方針を決め、決定事項を細心の注意を払ったうえで部内に通知することとした。――というのに、なんと重圧に耐えきれなくなったK課長が、何の予告も根回しもなく、突然フロアの朝礼でぶちまけてしまった。
 フロアにはたちまち悲鳴と怒号があふれた。若手の一般職員たちは業務量を想像して泣き崩れ、ベテラン連中は、できるわけないでしょう、やるなら人を六倍に増やすか給料を六倍にしてください、と課長に詰め寄った。中堅らはこっそり帰宅した。トイレに駆け込もうとした派遣社員が電源コードにつまづき、シュレッダが倒れた。破細くずが舞い上がると、なぜか拍手が沸き起こった。
 ワンフロア下の経理部の係員は、この日の朝礼時に天井がグワンと揺れたんです、という証言を残している。何があったのかと、保険金部フロアに野次馬が集まる段階になって、総務部から警備員二名が派遣され、すぐに増員された。騒ぎが落ち着くまでには約一時間半を要した。
 阿鼻叫喚の中、自席の隣の床に正座して小刻みに震えていたK課長は、ビル内にある診療所に搬送された。その日はずっとベッドの端に腰かけて、右足を揺らしながら、何かを繰り返しつぶやいていたという。診療所の女医はニコチンガムをくちゃくちゃと噛みながら、まったく検査になると増えて困るわ、と舌打ちした。
 その後、部長、K課長の隣りのH課長と実務を担う係長やベテラン一般職員たちで対応の協議が行われたが、自分たちだけではどうにもならない、人事部に対応を要請するしかないということになった。
 そもそも事務ミスが起こるのは、業務量が増え続け、人手が追いついていないからだ。三百人を超える組織といえどもマンパワーに余力があるわけではない。
 高度成長からバブル期にかけて、保険業界は保険金額の高額化と保障内容の細分化に邁進した。その結果、専門家でもにわかに理解しがたいような複雑怪奇な保険商品がいくつも出来上がった。
 すでに述べたように、商品開発部門の担当が商品を作る際に、事務の取扱いの詳細までは考えないから、事務の流れや帳票は、商品の販売が決まった後に、事務担当の部門が後追いで作成する。たとえば保険金の請求では、請求書の項目を詳細に作れば査定はしやすいが、わかりづらくて記入が面倒だという苦情と不備が増える。簡素にすれば苦情と不備は減るが、厳密な査定がしづらく支払いミスや事実確認のコストの増加につながる。結局は中間をとって、一部を簡便にしつつ他を少し詳細にして折衷案を採り、というかお茶を濁し、残りは経験とカンに基づくハンド処理でカバーすることになるのだ。
 こうして新商品ができるたび事務部隊の仕事は多岐にわたって複雑な申し送り事項が増えていく。仕事は属人化していく。
 保有契約が増えるにつれ事務部隊の人数も増えるが、教える側のベテランには余裕がない。事務構築とマニュアル作りが追いつかない。ベテランは当然のように知っている基礎知識を新人は知らないという状態になる。その格差がだんだん大きくなっていく。
 職人仕事のような高度な「技」は、一部のベテランの間でのみ伝承されていく。分担がいびつになって業務量が偏り、グループ間や担当者間の不平が蓄積されていく。人も組織も疲弊し、爆発を待つばかりになる。この頃の保険金部がまさにこの状態であった。ここに五倍の業務を上乗せするなどできるわけがなかった。
 したがって検証業務を行うにはそのための部署を新設するしかない。組織の新設は役員会による決裁が必要となる。議論は紛糾したが、最後は総務部長の涙がものを言った。どの役員も男の涙を見るのは久しぶりであった。
 こうして過去の案件の検証だけをミッションとする超後ろ向きの巨大組織、保険金検証センターの設立が決まった。
 人員は、過去に支払い事務の経験のある職員を全国の支社から呼び戻し、退職した職員の再雇用、さらに派遣・パート社員の大量採用でまかなった。緊急人事であった。
 このとき人事部は、派遣・パートの応募を増やそうと、処遇を通常より高めに設定した。すると既存組から不満が出て、既存組の処遇も上げることになった。そうすると一部のベテランパートの報酬が、正社員である一般職員の給与を時給換算で上回るケースが生じ、今度は一般職員からおかしいのではないかと声が上がった。結局これも高い方に合わせざるを得なくなった。一カ月で二度の給与改正が行われたのは前代未聞であった。
 執務スペースの確保には不動産部が動いた。適当な賃借物件がなかったので、やむなく近隣にあった関連会社や力関係から無理を言える取引先を狙った。これらをなかば強引に追い出し、法外な賃料で借り上げた。
 緊急人事は異動シーズンから外れていたので、呼び戻した職員たちの中には、二か月前に東京から地方に家族帯同で引っ越したばかりの職員も多く、父親だけが東京に戻れることで家庭内の不和を惹起する事例が相次いだ。何とか妻子を説得してリターン人事に応じた職員たちも、居住物件が見つからないという問題に見舞われた。人事部はやむなく、ウィークリーマンションやビジネスホテルを、これまた法外な価格で長期間借り上げざるを得なかった。
 経理部がオフィス家具を、情報システム部がイントラ回線を、それぞれ週末に徹夜をして設置し、なんとか執務フロアの形ができた。肝心の業務については基本的な事務のフローも決まっておらず、所属長人事さえ未定であったが、それまでにすでに膨大な手間とコストが費やされ、関わった職員たちは疲労困憊であった。
 かつて陽だまりの公家と呼ばれた職員たちの顔に、死相にも似たどす黒い帯状の影が差すようになった。

 保険金検証センターの設置の決議と前後して、検査官十四人全員による保険金部フロアへの立ち入り検査、通称「ガサ入れ」が行われた。当局検査では恒例行事だが、今回、冒頭から標的にされ続けていた保険金部は、とても準備ができていなかった。結果、監督官庁に見られるべきではない資料が大量に押収された。
 職員たちは、フロアにやってきた検査官たちを見ると驚愕し、蒼ざめ、悲鳴を上げて卒倒した。検査官たちは手慣れたもので、慌ててシュレッダ室に向かおうとする職員を呼び止めて持っている資料について機関銃のような質問を浴びせたり、入社間もない一般職員に半年も前の会議の内容について説明を求め、答えられないとデスクの中身をごっそり押収したりした。
 凍りついたフロアを検査官たちが蹂躙していった。それは昼過ぎから夕方まで続いた。百を超えるダンボールがフロアから検査会場に運ばれていった。検査官たちが去った後はみなぐったりとして、白いブラインドが風に揺れるのをぼうっと眺めていた。
 ――その夜。
 保険金部長は追い詰められていた。部下たち全員が帰宅しても自席から動けなかった。自身のデスクからも多くの書類が押収されたからである。
 まずい書類があったというわけではない。あったかどうかわからないのだ。
 検査でガサ入れがあるのはわかっていた。しかし準備ができなかった。最初から相手は保険金部を標的にしてきた。その対応で体力的にも精神的にも限界だった。夕方を過ぎてから、デスクや壁いっぱいのキャビネにある大量の書類を見直していく気力と時間はとてもなかった。しかしそれでもやっておくべきだった。後悔しかない。万が一、自分のデスクから重大なものが出てきたりしたら、二度と社内を歩けない。
 書類を確かめ、必要であれば取り返したい。当然ながらそんなことは禁じられている。検査の妨害行為だ。発覚したらそれだけで行政処分の理由になりうる。しかしダンボールが運び出された時刻と検査官退去の時刻からすれば、彼らはまだ中身を見てはいないはずだ。自分の書類は十三と書かれた箱の中にある。それは運び出されるときに見て確認している。今ならまだ間に合う。こっそり取り返しても気づかれないはずだ。
 検査会場となっている最上階の大会議室のドアは施錠され、カギは検査官が持っている。とはいえ自社の会議室なのだから、総務部にはスペアがある。そのありかを、自分は知っている。
 ――このまま朝を迎えるわけにはいかない――
 五十四歳の保険金部長を危険な衝動が襲った。
 彼は深夜を待って席を立った。
 初夏である。静まり返る最上階の空気は、じっとりと不快な湿気を含んでいた。彼は小さな懐中電灯を手にドアのカギを差し込み、回した。カチリ。ごくり。緊張の汗。山積みのダンボールはすぐに見つかった。しかしそのすべては封印され、主任による割り印がなされていた。ああ、これでは開けられない。彼は暗闇で天を仰いだ。
 そのとき暗闇の奥でカリッというかすかな音がした。彼はぎょっとして懐中電灯をそちらに向けると、眼を見開き、尻もちをついた。そのまま後ずさりながら、喉の奥で「ひぃっ」という声にならない絶望の嗚咽を漏らした。
 視線の先には主任検査官のデスクがあった。そこから小さな赤い光がじっとこちらを見つめていた。闇に潜む肉食獣の眼のような、パソコンのウェブカメラであった。
 翌朝、保険金部長の入院が伝えられた。
 社内世論は荒れに荒れた。すべて保険金部に対する怨嗟と罵倒と怒号の砲火であった。それは身内であるだけに辛辣を極めた。
 当局検査でこういう事態になるのは目に見えていたではないか。他社の状況を見ながら何ら手を打っていなかったのか。検証センターの設置を余儀なくされたのも大きな失点だが、支払いを所管する部長による検査妨害は前代未聞、言語道断である。業績と風評への影響は計り知れない。これで行政処分が出されたら一体どう責任をとるのか。
 事態はとうに一部署の問題を越えていた――多くの役職員がそう気づいていた――というのに、社内では、保険金部に対する不毛な攻撃が繰り返されるばかりだった。
 東西生命は創業以来の危機に陥った。

 不在となった保険金部長に代わって、保険金部に関する検査対応は総務部長が兼務することになった。否も応もなかった。彼が自席で胃薬を飲んでいるところへ一人の女性がやってきた。後に「救世主」「検査の女神」と呼ばれる人物であった。
「ちょっといいですか。検査対応について言いたいことがあるんですけど」
 五十歳くらいか。平板な顔立ちにおばちゃん体型。ひどく不機嫌そうである。総務部長はその剣幕にやや押された。この人は誰だ。何をそんなに怒っているのだ。
 彼女は言った。
「最初の業務運営計画の件をなぜ簡単に認めてしまったんですか。あれで相手は調子づいて、以後やられっぱなしじゃないですか」
 なぜ知っているのかと問うと、資料のファイリング担当だからだと答えた。彼女は保険金部のパートで名をAといった。
「簡単に認めたわけではありません。実際に業計の記載がああなっているんです。否定のしようがないじゃないですか」
「業計、なんでしょう、ただの」
 彼女はああもうじれったい、と歯ぎしりをし、会社側の対応が頼りないので自分が意見してやる、主任検査官に会わせろと総務部長を恫喝した。その剣幕と、それまで蓄積された疲労と、この面構えならひょっとしてという期待感が、総務部長の判断を狂わせた。彼は面会を認めた。それが逆襲の始まりであった。
 パートAは検査会場に乗り込んだ。後から総務部長もついていった。Aは主任検査官のデスクの前に立つと、こう言い放った。
「そんなものを持って帰ったら、あなた本庁で大恥をかきますよ」
「何? あなたは誰だ。何を根拠にそんな失礼なことを」
 彼女は問うた。重要なのはスローガンではなく実際の運営内容であり結果であろう。該当の年度の保険金支払いは実際に他の年度に比べて少なかったのか。それを検証したのか。
「調べるまでもない。こんな顧客軽視の運営方針を掲げている時点で大問題だ」
「私は調べましたよ。この年の支払い査定は例年とまったく同じでした」
 主任検査官は驚いた顔をした。
「調べた? 嘘だろう。何千件もあるのに」
「不支払い案件の占率は、総件数と判定件数から計算すればすぐにわかります。別に例年と変化なし。あとは念のために、この年の支払いで通常より査定に時間のかかった案件をサンプルとして五十件ばかり見てみたんです。他の年と違った方針で査定されたものは一見もありませんでした。つまりこの年、業計にうたったような運営は、実際にはなされていなかったんですよ」
 主任検査官は眼を丸くした。
「役員会の正式決裁を、一部署が無視したというのか。ありえない」
「ありえたんですよ。このいい加減な組織では」
 Aは以下のようなことを威圧的に説明した。
「この会社は、大きな方針の変更などに対応するのが驚くほど遅い。変化に鈍感です。このときの方針変更は、当時の役員会で決裁されたものの、誰も部内に徹底しようとしませんでした。部課長はみな、誰かがやるだろうと思っていた。やってくれただろうと思っていた。それだけのことです。組織としては論外、ぜんぜん駄目。しかし驚きました。当局の検査官様が、そんなことも調べずに、指摘事項に挙げておられたとは。これはいわば、当時の間抜けな担当者が、大した考えもなく、うっかり間抜けなスローガンを掲げちゃったただけ。文字だけで実体はなかったんです。これで指摘になるのなら、来年は顧客重視の方針を掲げることにします。そうすれば当局は東西生命の経営方針を高く評価してくださるのでしょうから」
 主任検査官はぐっと言葉に詰まった。
「それに、この業務運営方針は半年で変更されています。理由はさっき言った通り、部内に徹底されておらず運営自体がなされていないことがわかったから。半期の振り返りのときに慌てて引っ込めたんです。だから年度が終わった後の、この運営に対する事後評価は、最低のDです。支払い査定を厳しくする運営なんて、実際にはぜーんぜん行われなかったんです。当然、それによる苦情の増加などありません。――主任はもしかして、そのこともご存知ないんですか。調べていない。見ていない。おやまあ、意外ですねえ。差し出がましいようですが、貴殿のチームの方々はだいじょうぶですか。お仕事わかってらっしゃいますか。当社の業計みたいに、事実をよーく調べもせずに報告書を書いておられるんじゃありませんか」
 主任検査官は顔を激しく紅潮させ、喉の奥でカ行の子音を二度発した。
「では、この指摘は取り下げということで」
 Aはくるりと主任検査官に背を向けると、すたすた帰っていった。総務部長はしばし茫然とし、それから慌ててAの後を追った。

 二つ目は以下のような調子だった。
「査定担当者の経験年数が短いことが問題であるということですが、では教えてください。当局は何年だったら十分だとお考えなのか」
 主任検査官もAに対し警戒をしていた。
「論点をずらすな。問題は査定ミスによる支払い漏れが多いということだ。その原因のひとつが経験不足ではないかと言っているのだ」
「よくわかりました。問題は経験の長短ではないのですね。では『経験が短い』という指摘には意味がないので文章から削除すべきですね。もう一つ、ミスが『多い』というからには多寡の基準があるはずです。何件以上だからバツと。それは何件なのでしょう」
「――そんな基準など一概に決められるものではない」
「つまり経験が短いと書いたが実は長短は問題ではない。ミスが多いと指摘をしたが多寡の判断基準はない。不明確ですねえ。ミスが多いような気がするなあ、それは経験が短いからのような気がするなあ。そう呟いているだけ。そういうことですね」
「詭弁だ。これだけあるのだから多いと言って間違いない。契約者に不利益を与えている自覚はないのか」
「これが傍観者の感想に過ぎないという自覚はないんですか」
「傍観者とは何だ。当局を愚弄するのか」
「あいまいな寝言みたいな感想など当事者の態度ではないでしょう。当社の事務ミスが多いってことは私らだって認識しますし、減らすための努力なんてあなた方に言われなくてもやっていますよ。苦情に対応するのも私たちなんですから。まあ、当局は東西生命の支払い漏れの事務ミスが業界平均と比べて〇・一パーセント『も』高いとご認識されているということですが、私見を申し上げれば、この程度は誤差の範囲だと思いますけどね。実際、〇・三パーセント低い年もあるわけですから。
 今あたしらは、事務的なミスを減らすために、事案の類型と軽重のマトリクスを作って、過去三年分の事例の統計を取って、原因分析と再発防止策の策定をしています。部内のパート仲間で定期的に検証のためのミーティングをしています。それで事務の流れを変えたり、予算の範囲でシステム部に協力を仰いだりして、徐々に成果も出していますよ。部課長にはいっぺんお話ししましたけど、あまりご理解できないようだったので、それきり報告はやめましたがね。
 数値目標も決めています。事案の軽重によって、重大・要報告・報告不要の三段階に分けて、それぞれの発生件数を全体の何パーセントまでに抑えるか。そうだ、検証会議の資料をお持ちしますからぜひご覧くださいな。今後の運営の参考に、主任検査官のご意見もぜひお聞かせいただきたい。なんならミーティングにご参加いただきたい」
「そんな時間はない」
「やっぱりそういう態度ですね。これこそまさに事務ミスを減らすための方策なのに、そんなものには興味がない。あなた方がやるのは減らせ、という指示をするだけ」
「具体的な方法は当局が決めることじゃないと言っているんだ」
「それがなければ指導になんかならないと言っているんですよ」
「その言い方は何だ。自分たちの不届きを棚に上げて」
 Aはぐい、とあごを上げた。
「本気で業界をご指導なさろうというなら、地獄の果てまでつきあうという気概を見せてくださいよ」
「じ、じご」
「指導っていうのはねえ、具体的でないと効果がないんですよ。課題も解決方法も、案件ごと、会社ごと、部署ごと、担当者ごとに違う。東西生命保険金部の目下の課題は支払いミスの削減だ、そこまではいい。その後です。この部は今こういう状態だから、こういうやり方でやるのがよいだろう、こういうふうにこれをやっていつまでにこういうミスを何件減らせ、と具体的に言ってください。あなた方のお仕事はミスを減らすためのご指導をすることなんでしょう? なんだか多いような気がするけど、なんとかならないかなあ、減ったらいいなあ、なんて言うだけなら傍観者の感想と同じ。そんな監督ならあたしだってできるわ。そんなもの意味がありません。聞くだけ時間の無駄。細かいやり方なんか知るかというなら口は出さずに黙っていなさい。まあ、方法は任せるというのもわからないではないですが、だったら監督側の責任者としての、結果を出させるための本気度を見せていただきたい。『やり方は任せるから、何が何でもここまでは死ぬ気でやり上げろ、そのかわり、もし出来なかったら俺も責任取って、役所で腹を切ってやる』と、そこまで言ってくださるのであれば、こっちだって少しはこの人の話を聞こうか、この人のために頑張ろうかって気になりますよ。本気のご指導というのはそういうもんなんじゃないですか。そんな覚悟と矜持のあるセリフをあなた、役所に入って今までに一度でも吐いたことがありますか。どうせ民間に対しては、おれの在任期間中に面倒を起こすな、おれの出世の邪魔をするな、くらいのことしか思っていないんでしょう」
「そ、んなことは、ない」
「自分は一切リスクを取らずに、安全な場所から、まったくもって陳腐な、誰でも言えるような、毒にも薬にもならない感想を吐くだけ。検査といってもあらかじめ決めた結論に合う材料を見つくろいに来るだけ。相手の実情を見極めたうえで、真の課題は何か、本当に役立つ解決策は何かを考えることもしない。業界を、その会社をよくしてやろうなんて、本心ではこれっぽっちも思っちゃいない。それがあなたの部下たちにも見え見え。そんな人の言うことに、ふん、説得力なんかあるわけないでしょう」

 三件目。Aはこう切り出した。
「生命保険商品は当局の認可を得て販売しています。この商品も当局が認可した商品です。被保険者からの請求に問題があるというなら、なぜ認可申請のときにご指摘がなかったんでしょうね」
「私はそのときの担当ではないので詳細は承知していない。それに当局も万能ではない。認可のときに約款のあらゆる条項を詳細に吟味するのは不可能だ」
「ではそれを会社ではなく、広く消費者に向かって発表してくださいな。当局だって間違いを犯す、役所だって民間並みにミスや見落としはするのだと」
「そんな必要はない。なぜなら消費者の関心はそこではないからだ。問題は、契約者が自分に請求権が発生していることに気づけない可能性だ。高い保険料を払い込んでいたのに保険金を受け取れないという可能性だ。当局のせいにするな。そういう商品を作って申請してきたのは会社だ。当局は認可したに過ぎない。商品の内容に関する責任の主体はあくまでも会社だ」
「主任検査官はあくまで不支払いはけしからんというお立場なんですね」
「当然だ。保険金を支払うのが保険会社の社会的使命ではないか。存在意義ではないか。それからすれば、そもそも保険会社はできるだけ支払おうというのが基本姿勢であるべきだ。この商品は請求自体を困難にしたもので、商品の体をなしていない。このような商品は消費者保護のためには募集停止も検討すべきだ」
 ふふん、とAは笑いながら、これをご記憶ですか、と数枚の古い新聞記事のコピーを持ち出した。主任検査官がひったくるように受け取る。
「何だこれは――今は関係ないだろうが」
 それは十年も前の新聞の社会面の記事だった。保険金詐欺を糾弾する内容。当時、W県やS県で保険金目当ての殺人事件が続発したのだ。
「このときも保険業界は激しい非難を浴びました。ただし内容は今と正反対でした。つまり『なぜそんな契約を引き受けたのか』『なぜ詐欺師に大金を払ってしまったのか』。加入時は契約欲しさに引受審査を甘くしているのだろう、支払い時は苦情怖さに査定を甘くしているのだろうと言われました。そんな姿勢でいいのか、そんな安易な姿勢が保険金殺人を助長するのだ。そういう世論が高まり、社会問題化したのを受け、当時の生保協会長は国会に呼ばれました」
 みな忘れかけているが、確かにそんなことがあった。
「当時は『どんどん引き受けて、どんどん払う』ことは悪とみなされた。査定は厳しくせよという風潮だった。先の業計が支払い査定を厳格に、としたのもこうした世間の動きを受けてのものです」
 コピーをつかむ主任検査官の額に汗が浮かんできた。
「そ、それがどうした。払ってはいけないものは払ってはいけない。払うべきものは払わなければならない。それだけのことだろうが」
「その通りです。でもそのとき当局は、業界に向けてどういうご指導をされたんですかねえ。世論に応えて、査定を厳しくしろという方向でお話をされたんじゃないですか。そう言えば業界がどう反応するか、国会にまで呼ばれて袋叩きにあって、もうこりごりだという業界のお偉いさんがたがどういう行動に出るか、十分にわかったうえで」
「またしても当局のせいにするのか。世論は消費者の声、納税者の声だ。監督行政において考慮に入れるのは当然だ。民間は世論のニーズに沿った行動を、つまり保険会社であれば、保険金はできるだけ払おうというスタンスでいるべきなんだ」
「世論ねえ。世論って何なんでしょうねえ。たとえばテレビのワイドショーは、大きな災害が起こったら、こういうときの避難のために車のガソリンは常に満タンにしておきましょうと言う。でもガソリン価格が上がってきたら、ガソリンタンクを半分にすれば車体が軽くなって燃費がグンとよくなります、これが賢い消費者のやり方ですねと言う。同じコメンテーターが言うんですよ、悪びれもせずに。それをぼーっとした視聴者がぼーっと見て、ほう、なるほどと思う。もしガソリン半分のときに災害が起こって、多くの人がガス欠で避難所にたどり着けなかったら、コメンテーターは避難所の場所が悪い、渋滞するような道路行政が悪いって言うんですよ。視聴者もそうだそうだって思うんですよ。深い思慮も一貫性も自己批判も一切なしに。マスコミはそれで道路行政の担当者をつるし上げるんですよ。これが世論だと言って。
 世論なんて、芯のところはそんなものですよ。その周りに、不安とやっかみと被害者意識と嗜虐趣味と、面倒くさいことは考えようとしない横着心と無責任さと、とにかく人間心理の下衆なところがいっぱいくっついて、雪だるまみたいにどんどん膨らんで、収集つかなくなったもので出来ているんですよ。そんな胡散臭いものを、一国のお役所が、政策判断の中核に据えちゃったら、行政が危ういものになって当然だと思いませんか。
 昨今は、消費者保護ってやつがもてはやされていますよねえ。欧米を中心とした諸外国では消費者は日本より手厚く守られている、日本も見習え、みたいな話ですけど、本当にそれだけでいいんでしょうかね。確かにあちらでは、消費者の権利は規制や契約で手厚く保護されています。でもそれは義務と表裏一体なんです。自分の権利を守るためには法令や分厚い契約書や保険約款を読んで、きちんと理解して、必要なときには自分で戦わないといけないということを、あちらの消費者は知っています。自分で理解したり戦ったりするのが出来ないなら、誰かに代わりにやってもらう、それにはそれなりのコストがかかるということも知っているんですよ。日本は何となく、消費者に受けのよさそうなところだけを採り入れちゃったんじゃないですか。そんなことだからこの国ではいつまで経っても自立した消費者が育たないんですよ。消費者が甘えるんです。こないだまで行政が盛んに言っていた消費者教育、消費者の自己責任っていうのは一体どこに行っちゃったんですか。
 あたしには法律に詳しい友人もたくさんいますけどね、生命保険において、保険金の支払い事由が発生したらまず客側から会社に連絡をするのが大原則だと、みなそう言っていますよ。それを崩したら生命保険事業なんか成り立つわけがない。
 あともう一つ、老婆心ながら申し上げれば、お役人としてもう少しじっくりお考えになったほうがいいんじゃないですかねえ。
 世論っていうのは、あっという間にコロッと変わって、昨日と今日で正反対になることなんかしょっちゅうあるんですよ。気づかない人も多いですけどね。しかもタチの悪いことに、そのことを絶対に反省なんかしませんけどね。まったくもって無自覚ですから。それはもうすがすがしいほどに。
 今の世論にぴったり沿うような方針で検査に乗り込んでこられた主任検査官様は、あくまで『どんどん払え』のお立場だとおっしゃいましたが、そうやって今、ことさらに、おれは絶対にこっち側だ、とお立場を明確に決めてしまわれるのはいかがなものでしょうねえ。どんな案件についても、将来のあらゆる可能性を想定して逃げ道を用意しておくこと、どの方向から弾丸が飛んできてもかわせるように細心の注意を払ってあいまいさを残しておくこと、それが優秀なお役人の仕事ってものではないんですか。
 来月にもひどい保険金殺人が立て続けに起こったりしたら、世論はあっという間にひっくり返ってしまうかもしれませんよ。再び『なぜそんなに簡単に払ってしまったんだ』と東西生命がバッシングを受けたら、『うるさい、それは俺がやらせてるんだ。文句があるなら俺に言え』と、貴殿が矢面に立って、世論を相手に、つまりは覗き見主義的で、品性下劣で、弱いものいじめが大好きで、サディステックでヒステリックで誇張報道や大衆扇動の責任なんか絶対にとろうとしないマスコミ連中を相手に、弊社と一緒に戦っていただけるのでしょうね」

 結局これら三件の指摘がなされることはなかった。しかしAの主張が通ったというわけではない。
 実は、Aを相手にするのは面倒だと感じた主任検査官は、裏で会社の上層部に手を回し、総務部長とAを担当から外すよう圧力をかけてきた。あからさまに他部門への締めつけを強めたのである。人事部門の担当役員を呼びつけて、過去数年間の時間外手当ての支給に疑義があるから全職員の勤務実態を再検証せよと人事担当役員に言ってきたり、小さなシステムトラブルをことさらに取り上げてシステム部担当の役員に巨額の費用のかかる再検証を求めてきたりした。
 Aの出現で痛快な思いをしていた総務部長は、社長室に呼び出され、上級役員たちから叱責された。社長はこう言った。
「余計なことをするな。検査官だって手ぶらで帰るわけにはいかないのだから、検査のときは適当なお土産を持たせてやるものだ。それが長年の、当局と業界の、あうんの呼吸だ。お前はそれをぶち壊そうとしている。いいか、もうあの女には応対をさせるな。さもないと当局の怒りを買ってとんでもない処分を受けることになりかねない。数万人の職員がみんな迷惑をこうむるんだ。それが全部、君の責任になるんだぞ」
 これを聞いて総務部長は悟った。保険金部が処分されるのはすでに既定路線になっているのだ。そしてその処分がいかなるものであろうと、自分はその責任をとる形で切り捨てられる。そういうシナリオがすでに上層部では出来上がっている……。
 これが二件目と三件目の反論の間の出来事であった。つまり三件目について、本来ならAが主任検査官と対峙する場はないはずだった。しかし、社長らの前でいったんはAの担当外しに同意した総務部長は、自席に戻って考え直した。いずれ切られるのだ。半分自棄になっていた。
 社長が言うところの「当局とのあうんの呼吸」は、もう過去のものではないか。つまり社長は、あの主任検査官のことをよくわかっていないのではないか。最初から功名の野心満々で、処分を下すことありきで乗り込んできているのは明らかだ。おそらく彼は、社長の考えている適当な手土産くらいでは満足しない。玄関先で駄菓子を渡して体よく追い払おうとしてもだめだ。まだうまいものがあるはずだと土足で上がり込んでくるだろう。キッチンの冷蔵庫を勝手に開けて飲み散らかし、食べ散らかして行くに決まっている。
 総務部長はそう考え、相手が監督当局であろうと会社として主張すべきことは主張してやろうと決意を固めた。上層部の意向など知るか。とことん戦闘姿勢を貫くことにしたのである。最後までAに応対をさせたのは、総務部長の独断だった。
 後でそのことを知った上層部は烈火のごとく怒った。主任検査官は事前の合意事項が守られなかったのは大変遺憾だとコメントした。総務部長は覚悟し、瞑目して処分を待った。処分の程度に納得感がない場合は、弁護士を雇って会社とやりあう準備までしていた。
 ところが、ここで大きく風向きが変わった。
 営業部門における重大な不祥事が明るみに出たのである。
 ある支社で不正契約が大量に見つかった。顧客の同意を得ていない架空の契約である。これは保険業法で禁じられた不正行為であるばかりか、有印私文書偽造・行使、詐欺など多くの犯罪にあたる可能性があった。
 長引く不景気で落ち込んだ成績を補うために営業現場が手を染めた。それを現地のトップが黙認し、恒常化した。またしてもマスコミが飛びつき、悪徳企業・東西生命の悪行を激しく、声をからして糾弾した。
 事態を重く見た当局は、別の検査班を編成して東西生命に送り込んだ。進行中であった支払い関係の検査はこれに吸収された。以後、保険金部の罪は忘れ去られた。検査官から何かを求められることもなくなった。代わって営業部門が嵐のような集中砲火を浴びることになった。
 やがて東西生命に厳しい行政処分が下った。それは某社の処分を大きく超える、日本経済史上最大の規模となった。経営陣がカメラの前で頭を下げる映像が繰り返しメディアで流され、その年の東西生命の業績は前年の半分になった。覚えきれないほどの役員が交替した。この話題は、一週間後に北関東の田舎町で一家五人殺害事件が発生するまで、新聞とニュース番組のトップを飾り続けた。
 ちなみに、東西生命に対する行政処分の報道において、不支払いの不の字も出てくることはなかった。保険金不支払いの問題は、某社への行政処分が下った時点でニュースバリューはなくなっていたのだ。大衆は飽きたと判断したメディアは、そのことにほとんど触れなかった。
 不支払い検査の主任検査官であった人物は、二つの検査班が合流したときに担当を外れたらしく、いつの間にか見かけなくなった。前後して保険金部のパートAも社を去った。その後、総務部長が個人的に調査したところによると、Aは実は外国帰りで、夫は元FRB(米国連邦準備制度理事会)、つまりアメリカの中央銀行の検査官だったらしい、だからきっとAもそうだったに違いないというまことしやかな噂が流れ、すぐに消えた。
 実は、保険金部にはこのときひそかに、行政処分を逆手に取って、長年の悲願であった定員拡充やシステム化予算の増額を実現しようとする若手中心の動きがあった。しかし支払いに関する行政処分がうやむやになり、はるかに大きな騒ぎが起こったことで、関心はみなそちらに向いてしまった。社内世論形成のタイミングは失われ、心ある若者たちの目論見は外れた。
 結局、全社を挙げて大騒ぎをした支払い事務に関する数々の課題は、何ら手をつけられることなく放置されたのである――。

      *

 十二月の週末。朝七時の少し前。
 原田は自宅前の道端でスニーカーのひもを結び直した。服装は防寒の運動着である。白い息を吐いて軽くストレッチをする。二キロほど離れた神社まで、往復約四キロのランニングに出るのだ。
 社会人になってもうすぐ十年。時はあっという間に過ぎた。忙しくてまともに運動などしてこなかった。学生時代に比べて体が重く、固くなっているのがわかる。職場で腹回りがどうとか、どこのジムに通っているという話が耳につくようになってきた。
 スポーツジムへの入会も考えたが、近所にはマッチョばかりが集まるというハードなジムしかない。何となく気後れがする。そこまで本格的にやりたいわけではない。
 初心者はまずランニングだ。走ろう。そう思って秋口から始めた。健康が大事だと素直に考え方を変えていかないといけない。三十代はきっとそういう季節だ。
 札幌から本社に異動になったとき、都心から電車で三十分ほどの、この街にある単身者用マンションを住み家に選んだ。引っ越して来たら近くに大きな神社があるとわかった。休みの日に行ってみると思いのほか荘厳な場所で、気に入った。社伝によれば二千数百年の歴史があるという。
 ――本当かな――
 そう思わないでもないけれど、調べてみると寺社には相当に古いものが多い。長い歴史に耐えてその土地を守護してきた……となれば、近辺は自然災害に強い土地柄に違いない。二〇一一年三月を知る世代としては、無関心ではいられない。
 つられて土地の歴史にも興味が沸いた。最近は江戸時代より前の東京の様子に関心がある。日本の中心は長らく関西にあったから、教科書に出てくる地名もあちらのものばかりだが、関東にだってムラやクニがあり、縄文人やサムライがいて、たくさんの人生が――ドラマが――あったはずだ。やがてその通りだとわかった。興味を持ってしまえば知ることはとても楽しい。さすがに地元の図書館には郷土史の資料が豊富にある。
 走りだす。空気が冷たい。ランニングの消費カロリーは疲労のわりに小さいというが、まあ、いいじゃないか。体を動かすのは理屈抜きで気分がいい。このルートならご利益も期待できそうだ。
 原田は走りながら音楽を聞かない。ヘッドホンをすると風を感じないのと、ランニング中は考えごとをすることにしているからだ。何となく血流がよくなって、よい思考ができそうな気がする。
 自宅から旧国道を少し走ると参道の入り口に着く。一の鳥居がある。ここから社殿まで約二キロ、北へ向けてまっすぐな参道が伸びている。整備されていてランニングには最適だ。道の両側には並木があり、ケヤキ、クスノキ、桜などが植えられている。今の季節は葉を落としてあまり愛想がないが、晩秋は紅葉がきれいだった。初夏の新緑も楽しみだ。休日は原田と同じようなランナーがたくさんいて、思い思いのペースとスタイルで走りを楽しんでいる。
 一の鳥居の付近はまだ街の気配が濃い。参道沿いにはレストラン、図書館、コーヒー店、美容院、小学校などが並んでいる。最初の頃は小学校の手前でへばっていたが、今はもうだいじょうぶ。赤信号以外では止まらないと決めている。ゆっくりでいいから走る。歩かない。
 この日の考えごとのテーマは、こう決めていた。
 ――人生について――
 大げさな。深刻ぶって。というのはちょっと置いておく。
 きっかけは大沢さんの死だ。あの人の飲み話は今も忘れられない。話は残り、人は逝く。こうやって時は流れるのだと思った。
 葬儀はこぢんまり、というよりこざっぱりしていた。大沢さんと一緒に店を始めた鷲山さんという女性が原田のことを知っていた。この人が連絡をくれたのだ。冒険家みたいな印象のさばさばした人だった。
 小さな葬儀場だが参列者は存外多かった。外国人が目立った。鷲山さんによるとアメリカ時代からの友人のうち日本にいる人たちだという。ちょっと早かったけどいい人生だったんじゃない、こうして友人には恵まれたんだから。彼女はそう言って微笑んだ――ちょっとだけね、早かったけどね。
 ――割りを食ったばかりの人生ではなかった――
 年を経て大先輩の新しい顔を見た気がした。思えば彼も主人公だった。
 一方、自分のことは、
 ――傍観者――
 そう思う。よい意味ではない。凡人であることはずっと前から自覚しているが、ここへきてこの三文字も意識するようになった。
 どういうことか。
 自分は、主人公になれない我が身を嘆きながら、その実、なりたくもないのだ。そのことに気づいた。
 なぜかと言えば、ストーリーの主人公ともなれば、壁にぶつかり、辛い思いをして乗り越えなければならないからだ。そうでない物語もあるけれど、たいていの場合、主人公の苦難や葛藤が小さければ感動も小さい。ドラマとして面白くない。そのことを思うと、主人公をやるのは、
 ――億劫だなあ――
 そう思ってしまうのだ。率直に言ってそれが一番近い感情だろう。
 フィクションであれば、どんなに高い壁であろうと、作者の意向次第で越えることができる。しかし現実世界でそんな保証はない。努力はたいてい報われない。才能にあふれた人、とびきり優れた容姿の持ち主ですら、みなが成功者になれるわけではないのだ。
 自分は凡人。これまでの人生で成し遂げたことは一つもない。何度倒されても不屈の闘志で立ち上がり、歯を食いしばって戦い続け――なんてことはとても無理。きっと途中で相手の気迫に負け、あるいは弱気になってくじけてしまう。努力を持続できるのも才能であり、それは自分のものではない。
 負けた後のこともある。むしろこの方が大きいかもしれない。
 何かに挑戦して失敗したら、もっともらしい言い訳を考え出さなければならない。本気を出さなかったのだとか、想定外のことが起こったからだとか。
 凡人であればこそ、ちっぽけな自尊心を守るために自己弁護や心理学上の合理化をせずにはいられないだろう。自分に対して必死に言い訳をするのだ。そんな自分の姿を想像すると、むしろ失敗そのものよりみじめに思える。
 ――そんな思いをするくらいなら――
 最初から主人公など望むまい。どうせ務まらない。主人公が負け続け、言い訳ばかりをしているストーリーに、誰が魅力を感じるだろう。
 それに仕事柄、自分はよく知っている。他人は恐ろしいのだ。どんなに温厚な人でも、たとえば金という魔物にとり憑かれれば、いともたやすく豹変する。長男の保険金に翻弄された青木家の人々を思い出すまでもない。目の前に金があり、手が届きそうだと思った途端、あらゆる人間が火のような守銭奴になるのだ。
 さらに現代は、そうした人間たちの欲望がネットワークでつながっている。地球を包みこむ巨大な電子のクモの巣。その上を得体の知れない捕食者が徘徊している……。
 そう、現実世界で主人公が立ち向かうのは、世界じゅうの悪意を一つにつなげた巨大な魔物かもしれないのだ。
 ――勝てるわけがない――
 凡人は悪いものに見つかったら終わり。なるべくじっとして、目立たないでいるに如くはない。――こうして自分は傍観者でいる。
 参道は途中で東西に走る幹線道路を三つ横切る。二本目の、ターミナル駅に続く二車線道路を渡ると道幅を広げ、細長い公園のようになる。空が広くなる。その中心線を走っていく。やがて三本目の幹線道路であるバス通りを越えると、立派な狛犬が二の鳥居を守っている。沿道の樹々が荘厳さを増す。ここから三の鳥居までは森閑とした雰囲である。初詣の時期にはたくさんの露店が並び、にぎやかな人出を集めるという。
 大沢さんもかつて傍観者だった。それを何十年も引きずった。だが会社の外ではそうではなかった。葬儀に集まった多くの人たちがその証拠だ。
 あの場でふと考えてしまった。自分にはこれほどの交友関係はない。このまま時間が経って自分が年老い、会社を離れた後に死んだとしたら、
 ――葬儀には何人が集まるだろう――
 自分は将来、孤独になるのではないか。実はすでにそうなのではないか。そう感じていないのは、単に職場という空間を多くの人たちと共有しているからに過ぎないのではないか。
 原田は自分から積極的に人に関わっていくタイプではない。社外でも、学生時代の友人だって今はもう数年に何度も会いはしない。どこかで他人に心を許していない。
 自分の葬儀などまだずっと先のこと。正直ピンとこない。しかし入社十年は瞬く間に過ぎ、人生三十年も似たようなものだった。誰かが言っていた通り、時間が経つのは年々早くなっている。人生の終盤も存外早くやってくるのかもしれない。今の――このままの――延長線上の未来として。
 三の鳥居をくぐると境内だ。空気は一段と澄んで凛としている。ここからは走らず、歩く。呼吸を整えながら末社の前を過ぎ、御池の橋を渡って、手水舎で手指を清める。楼門を入ると見事なクスノキが高く広く枝を広げている。玉砂利を歩いて拝殿前に立ち、わずかな賽銭を投じて地域を守る。二礼、二拍手、合掌。
 孤独も恐ろしいが、他人もまた恐ろしい。
 この世は悪意に満ち、損失機会にあふれている。昔の親友だって今は金に困っているかもしれない。そういうリスクに気づいているのに、自ら出向いて行って騙されたら後悔は余計に深いだろう。こうして思考は空転する。いつも。
 ――だから――
 今日は思考の起点をちょっと変えてみようと思う。大沢さんの葬儀の日から徐々に大きくなってきている、原田の内部の声を抑えるために。あるいは対峙するために。
 呼吸と気持ちがだいぶ落ち着いてくる。
 手を合わせたまま、思考を続ける。
 往路を走りながら考えてきたのは、昨夜ベッドの中でぼんやり浮かんできたことだ。夜が明けたら走りながら整理してみようと思って、昨夜は眠った。
 奇妙なことだが、それがぼんやり浮かんだのは、このあいだ保険金部の古いキャビネで見つけた、過去の当局検査の「手記」がきっかけだった。あれは部内でちょっとした話題になった。特にベテランの一般職員たちが強い興味を示した。彼女らは書き手の正体について憶測をめぐらし、原田の知らぬ名前を投げあっていた。
 そういえばそうだった。いたいた、あったあった。今じゃ考えられないわ。まったく何やってたのかしらねえ。そう言って楽しそうに笑っていた。彼女たちにとってあそこに書かれているのは遠い過去のことなのだ。現在とは切り離された、別の時間に属するお話なのだ。
 それは原田の目から見てもわかる。今の保険金部はあの「手記」にあるような、杜撰で穴だらけの仕事はしていない。「手記」が書かれた後に一大業務改革があったのだ。大規模なシステム投資が行われ、事務処理は格段に高速かつ精緻になった。危うくて面倒なハンド処理は激減した。規定や帳票は簡素化されてわかりやすくなった。人も増えた。
 世の流れがそうだった、だから予算がついたのだといえばそれまでだが、あの検査がきっかけの一つになったのは間違いないだろう。いずれにしろ会社は変わった。人でいえばまったく別人のように。
 それまで原田は、会社というものはとにかく融通のきかないものだと思っていた。歴史と伝統で分厚くコーティングされた硬い壁は堅牢で、中の職員たちは慣例としがらみでがんじがらめにされている。会社は大きくて重い塊。変わることなどないと思い込んでいた。
 それなのに変わった。実にあっさりと。本当はそうではなかったかもしれないけれど、少なくとも原田の目にはそう映った。そうしたら、何だか自分の性格について思い悩んでいるのが馬鹿らしくなったのである。
 ちょっと説明がむずかしいのだが、変わるときは割とあっけなく変われるというか、自分が変わらなくてもいずれ周りが変わっていって同じことになるんだというか、そういうことが実感できたのだ。
 長いこと胸のあたりにつかえていたものが取れた気がした。肩の力が抜けて、心が軽くなった。パズルの終盤でピースがぱちん、と収まった感覚に近い。何だ、その向きにすればよかったのか。そうやって、すとんと腹に落ちたのだ。
 といっても、世の悪人は減っていないし、自分が強くなったわけでもない。そのことは忘れていない。だからガードは下ろさない。
 ただ、今まで三百六十度、全方向に張っていたガードを、三百五十五度くらいにしてみよう。その隙間からほんの少し手を伸ばして、その手で触れたものだけは、損得抜きで関わっていく覚悟をしよう。そのくらいなら凡人にだってできるんじゃないか。
 人も変わる。会社も変わる。世論だって世の中だってどんどん変わる。意図しても、放っておいても、何もかもが変わっていくのだ。どうして自分だけ変わらない前提で物事を考えていたのだろう。
 アメリカに住む女性と青木家の人々がいつか笑顔で歓談する日がくるかもしれない。悪い男を呪った女性はそのことを深く後悔し、懺悔の日々を送るかもしれない。不気味な未知のAIだって、何かの拍子に多くの人を救う頼もしい存在になるかもしれない。そう考えることだってできるのだ。
 気がつくといつもより長く手を合わせていた。初詣はまだ先だが、歴史ある神社の参拝者は少なくない。後ろで誰かが白い息を吐きながら順番を待っている。
 よし、と心の中で言って一礼し、拝殿の前を去る。楼門を出て、御池を渡り、三の鳥居を出たところからまた走り出す。南へ。
 日差しが高くなってくる。二の鳥居を過ぎ、小学校の辺りまで来るとさすがに息が上がってくる。足もつらくなってくる。でも歩かない。
 図書館を越えるとようやく一の鳥居が見えてくる。ここがランニングの終点だ。旧国道には行きのときよりも多くの車が流れている。くぐった。ゴール。深呼吸、心地よい疲労。ああ、戻ってきたという感覚。
 旧国道沿いのコンビニでスポーツ飲料を買えば、自宅マンションはもうすぐだ。思いのほか汗をかいたのでシャワーを浴びる。部屋は三階建て単身者用マンションの二階。ベランダに出ても眺めなど知れているが、それでも道行く人たちよりは少し高いところにいる。日はすっかり上がった。火照った体に冬の空気が心地よい。
 結局は大沢さんに教えられたのだろう。人間は複雑でややこしい。自分でもわけのわからない存在だ。顔なんか表と裏と、もっとたくさんあって、手足だって本当は何十本もあるのだ。そのすべてに一貫性がなくたっていい。昨日やめたことをまた始めてみてもいいし、その逆のことをしたっていい。臆病な傍観者の自分はそのままにして、身体のどこかほかの部分でまったく別の何かを始めてみてもいい。それで変わっていくなら変わっていけばいい。自分が今思っていることなんか、ほんのいっときの、ほんの一部だ。
 原田は決めた。
 週が明けたら神戸支社に電話をしよう。彼女はまだ在籍している。国際部の後輩にも協力を頼まないといけない。
 二人は当時、あらゆる手を尽くしたはずだ。それでも、もう一度やってみよう。今度は原田のやり方で。原田が納得するまで。
 二十五年前の死亡保険金の、受取人の行方を追うのだ。
                                       <了>

【参考図書】
「江戸氏の研究」萩原龍夫編 名著出版
「Q&A渉外戸籍と国際私法」南敏文編著 日本加除出版
「法律学全集 戸籍法〔第三版〕」谷口知平 有斐閣
「回答」フレデリック・ブラウン 創元SF文庫「天使と宇宙船」収録
エスエフ世界の名作 全二十六冊 岩崎書店

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