第1話 空母機動部隊 特攻出撃方用意

文字数 5,209文字

【プロローグ】
 太平洋戦争終盤、1944(昭和19)年10月に、日本海軍が米軍によるフィリピン東方レイテ島上陸を粉砕すべく発動した、乾坤一擲の「捷一号作戦」(いわゆるレイテ沖海戦)は、正規の作戦としての航空機による敵艦船への体当たり攻撃、即ち神風特別攻撃隊が初出撃したものの、空母4隻や戦艦武蔵など多数の艦艇を失う大敗北に終わった。

 その後の同年12月初旬、日本海軍は、折から始まったフィリピン決戦において、レイテ島付近の米軍艦船に、空母艦載機による体当たり攻撃を実施する「第一次神武作戦」を泥縄的に立案した。
 昭和20年1月中旬から下旬にかけて実施される見込みの本作戦のため、雲龍型航空母艦の一艦である「蛟龍」は、シンガポール南方、スマトラ島沖のリンガ泊地にて猛訓練を重ね、フィリピン方面に向けた出撃に備えていた。

 ところが、ある日突然、蛟龍は、同伴予定の戦艦、駆逐艦、給油艦をはじめとする艦隊ともども消息を絶つ、と言うか消失することになる。

 時を同じくして、千島列島最北端の占守島と南隣りの幌筵島に向けて航行中の艦隊が、歯舞諸島南東海上で消息を絶った。この艦隊は、両島に展開する陸軍第九一師団及び海軍第一二航空艦隊隷下各部隊へ兵員、武器、弾薬その他を補給する目的の、特設水上機母艦(兼物資輸送)、輸送艦及び護衛の艦艇から成る、艦隊というより、輸送船団に近いものだった。

 また、米軍侵攻近しと思われている硫黄島の守備強化を主目的とした輸送艦隊が、米軍の攻撃を躱すため分散して横須賀軍港から出航し、中継地の父島を目指していた。
 先行の輸送船団が米軍潜水艦の攻撃で大損害を被った直後であり、この輸送を送り出す方も行く方も輸待つ方も、それぞれ祈る思いで安着を待っていたのである。
 しかし、彼らも、やっと父島へ到着したと思ったのも束の間、忽然と姿を消してしまうのである。

 さらには、敵中に孤立する形となっていたトラック島へ、新鋭の艦上偵察機「彩雲」2機を密かに輸送中の伊号第103潜水艦と、千島列島上空を飛行中の陸海軍機大小合わせて数機も消息を絶ってしまった。

 貴重な空母戦力と輸送艦隊を喪失したため、極めて限られた範囲ではあるが、それなりの捜索活動が行われたものの、全て一切の手掛かりは得られなかった。
 それぞれの海域で敵の行動が見られなかったことや、どの艦からも会敵や被害報告の通信がないことなど、不審点は多々あったが、

「敵機動部隊若シクハ潜水艦ノ攻撃ニヨリ喪失セシメラレタモノト認ム」

と半ば強引に「喪失」が結論付けられて終わった。

 しかし、これらの艦艇と航空機は、米軍相手に何ら成すことなく「この世界」からは消失したが、部隊を変えて異世界に出現し、将兵の「御国のため死んだ戦友たちに続かねばならない。早期の帰還を。」という意図とは別に、異世界民が肝を潰す大活躍を見せてしまい、その情勢を引っ掻き回すことになる。 

 ◆◆◆◆

  第一次神武作戦「空母機動部隊特攻出撃方用意」

・リンガ泊地
 リンガ泊地は、シンガポール南方80㌋のリンガ諸島とスマトラ島の間の海域に日本海軍が設けていた、艦艇の停泊地である。

 海域が広く、敵潜水艦の脅威が少ないため艦隊運動等に関するあらゆる訓練が可能で、スマトラ島パレンバンの油田と製油所、軍港のあるシンガポールが近いこと、などの利点から、重要な根拠地として使用されていた。

 これから実施されようとしている「第一次神武作戦」においても、参加艦艇はここへ集合し、出撃することとされていた。

・作戦準備

 1944(昭和19)年12月、日本海軍がレイテ沖海戦(捷一号作戦)で惨敗し、レイテ島、ルソン島などを巡る比島(フィリピン)決戦が叫ばれているこの時期、日本海軍は、全軍の総攻撃に呼応して、新たに小規模な機動部隊を編成、航空決戦に参加させる「第一次神武作戦」を立案した。

 本作戦は、主として空母から発進する特攻機の体当たり攻撃によるもので、聯合艦隊司令長官豊田副武大将から、作戦の指揮官となる第25航空戦隊司令官桑園了也少将に示達された作戦概要は、当初は以下のとおりとされた。

1 艦艇
(1)空 母 第25航空戦隊 蛟龍 雲龍(第二次作戦は損失を見越し葛城を加える)
(2)駆逐艦 第11水雷戦隊第43駆逐隊 秋月型駆逐艦×4
2 航空機
(1)索  敵 艦上爆撃機 彗星×12機(第601海軍航空隊)
(2)電探索敵 艦上攻撃機 天山× 3機(新規編成隊)
(3)制空隊  零戦×60機(第601海軍航空隊及び戦闘308飛行隊若しくは他隊編入)
(4)対潜警戒 九九式艦上爆撃機×6機
3 作戦実施時期
  昭和20年1月下旬
4 攻撃目標
  比島(フィリピン)東方敵機動部隊、比島東方敵増援部隊、レイテ方面敵艦船。
5 準備
  本作戦を「第一次神武作戦」と呼称。「葛城」は第二次用人員機材を搭載し、別に昭南(シ
 ンガポール)に進出の上、第二次以降の「神武作戦」を昭南に於いて錬成準備すること。

・作戦変更
 雲龍喪失
 捷一号作戦に置いてきぼりを喰ったか、海戦後にリンガ泊地へ集合して訓練に励んだ各艦だったが、12月19日、呉からマニラへ向かって物資輸送中の雲龍が、米軍潜水艦の攻撃で沈没したために初期の計画に狂いが生じ、空母が蛟龍1隻のみとなってしまった。

 しかし、後続の空母「葛城」の到着を待っていては、海軍基地航空隊と陸軍の総攻撃に合わせた同時作戦実施が見込めないことから、不足する攻撃隊の機材を、事実上の水上爆撃機であった「瑞雲」に肩代わりさせることとして、以下のとおり再編を行った。
 
・部隊再編
1 聯合艦隊付属第25航空戦隊
  ※雲龍型航空母艦 蛟龍(総旗艦)
(1)零式艦上戦闘機 五二型乙×27機(戦爆18機、制空隊9機) 
(2)艦上戦闘機型   紫電改×9機(制空隊)
(3)艦上攻撃機     流星×6機(急降下爆撃)
(4)艦上爆撃機     彗星×6機(偵察型、索敵)
(5)艦上攻撃機     天山×3機(電探索敵)
   (以上第601海軍航空隊及び戦闘308飛行隊他より編入)
(6)九九式艦上爆撃機    ×3機(対潜警戒) 

2 第2艦隊第4航空戦隊分派
  ※伊勢型航空戦艦 出雲
  水上偵察機 瑞雲×22機(急降下爆撃、第634海軍航空隊)
3 第11水雷戦隊第43駆逐隊分派
(1)秋月型駆逐艦 葉月
(2)秋月型駆逐艦 紫月
(3)松型駆逐艦  (くぬぎ)
4 艦隊付属
  速吸型給油艦 野付(瑞雲搭載)  水上偵察機 瑞雲×7機(急降下爆撃、第634海軍航空隊)
  (※は、それぞれの旗艦)
 
・新型機の搭載
 紫電改
 制空隊(攻撃隊直掩及び艦隊直衛)には、陸上の基地航空隊で運用が始まったばかりの紫電改(艦載型)を加えた。
 空母では試験的運用の域を出ず、絶対数も不足していたことから、後に「剣」部隊(第343海軍航空隊)として名を馳せる紫電改での部隊編成を進めていた、後に司令となる海軍軍令部作戦課員の源田実大佐が、本作戦を聞きつけ

 「無駄遣いをするな!」

と航空部に怒鳴り込んだという伝説がある。

 流星
 流星は、艦爆と艦攻を一体化した進歩的設計であり、ようやく量産が途に就いたばかりで、数も揃わず実戦経験もなかったが、雷撃・急降下爆撃のいずれにも利用できる流星を

 「基地航空隊編成の邪魔をするな。」

という反対を押し切り使用することとした。

 海軍は、2年前、量産が始まった艦爆彗星を、優速であることから、艦上偵察機として使用し始め部隊編成を遅らせた苦い経験があったが、全く懲りなかった。
 

・作戦
 特攻前提
 本作戦のメインは、計画に明記こそされていないものの、体当たり攻撃による、いわゆる「特攻」である。

 零戦五二型乙27機のうち、「戦爆」と称される25番 (250kg爆弾)を装備する機体は18機で、本来は、さらにこの2倍の戦爆が加わる予定のところこれが変更され、瑞雲29機が追加となったのは既述のとおりである。

 したがって、攻撃の中核を担うのは、零戦18機と瑞雲29機の、合計47機ということになる。

 もっとも、零戦に関しては、搭乗員について「志願」を前提としており、暗黙の特攻志願と汲み取れるが、海軍には

「練度が高い水偵(水上偵察機)は、特攻には勿体ない。」

という意見もあって、瑞雲隊に関して言えば、特攻前提とまでは言い切れなかった。

 とはいえ、通常攻撃であっても、水上機である瑞雲には大変な任務であると考えられた。

 瑞雲は海軍が誇る高性能機ではあるが、それはあくまでも

 「水上機としては」

であって、単に飛行機としてみるならば、最高時速243㌩(448km/h)程度で、「鈍爆」と揶揄される九九艦爆二二型より若干速い程度でしかないのである。

 こうした状況下では、通常攻撃(一応、急降下爆撃と なってはいるが、この頃になると被撃墜率の高い急降下爆撃は行われず、降下角の浅い緩降下爆撃戦法が採られていた。)は、困難であると言わざるを得なかった。

 給油艦野付(のつけ)の参加

 速吸(はやすい)型給油艦野付は、元々はその名のとおりタンカーであるが、艦の前楼と後楼の間に飛行甲板を張り、カタパルトなど必要な施設を設け、瑞雲の運用が可能にしてあった。
  
 これは諸外国でも見られた例で、空母の戦力不足を補うためだった。

 索敵
 彗星6機は、艦爆ではなく偵察目的のみの使用で、扇形の索敵線を描いて飛び、敵艦隊発見後は接触を継続するはずであった。

 ただ、本来は雲龍から発進するはずの彗星6機が欠けているので、ここは、基地航空隊の索敵機と上手く連携する必要があった。
 
 天山3機は、文字どおりの電探(レーダー)索敵機で、夜明け前に敵艦を発見し友軍機を誘導することが理想ではあったが、米軍はレーダーを備えた夜間戦闘機を運用しており、夜間飛行も安全とは言えなくなっていた。

 対潜警戒
 作戦の当初計画では、対空・対潜能力のいずれにも優れた秋月級駆逐艦を充てることになっていたが、数が揃わず、駆逐艦は3隻、うち「秋月」級は2隻のみで、1隻は「松」級の櫟となった。

「松」級駆逐艦は、「雑木林」などと揶揄されることもあったが、主砲に12.7cm高角砲を採用するなど対空戦闘能力を高め、レーダーや水測機器、爆雷兵装なども当初から十分備えた上、ボイラーとタービンを2セット整え打たれ強くなるなど、ある意味、本来あるべき駆逐艦の姿を当初から備え、昭和18(1943)年以降の短期間に、急ピッチで多数が建造されている艦型であった。

 これら駆逐艦のうち、葉月と櫟はすでにリンガ泊地へ到着・合同し、蛟龍や出雲と訓練を開始していたが、紫月は、他の船団護衛に当たっており、合流が遅れる見込みになっていた。

 また、本作戦参加のため蛟龍に搭載された九九艦爆は、開戦当初、多数の敵艦船を沈めて大活躍だったが、すでに決定的に鈍足となり、味方からも「鈍爆」とか「九九式棺桶」などと呼ばれ、敵に発見されればまず助からな いという、恐るべき機体となっていた。

 ただ一つ、敵潜水艦を発見しさえすれば、そのまま急降下爆撃が可能という特性から、対潜哨戒任務に用いることとされていた。

・出撃準備
 訓練
 捷一号作戦に置いてきぼりを喰った形の各艦載機は、スマトラ島パレンバン産の燃料が豊富なリンガ泊地で十分な訓練を行い、搭乗員がめきめきと練度を上げていた。 
   
 また、発着艦の訓練から、爆撃、空戦に至るまで、内地で行う半年分以上の訓練が、1か月半ほどの間に可能となったため、空母艦載機と瑞雲による訓練のほか、対空、対潜や艦隊運動の訓練なども、普段の数倍の密度で実施することができ、艦隊全体の練度も急速に上昇していた。

 戦意
 今回、はっきり「そうしろ。」と言われてはいないが、敵艦への攻撃戦法は、原則体当たり攻撃で、米軍の制空権下にあっては、水上艦艇もただでは済まないことは誰の目にも明らかだった。
 
 したがって、全体的には

 「神風特攻隊の一番槍として、見事に敵空母へ体当たり散華した関大尉に続け!」

という勇ましい意見と

 「あーあ、俺はもう生きて内地に戻れないや。」

という諦めの意見が混在していた。


 出撃用意
 欧米では、クリスマスを迎える準備で華やかとなる12月の中旬過ぎを迎え、蛟龍と出雲をはじめとする日本艦隊の各乗組員は、最後に上陸したシンガポールでの思い出などに浸りつつ、故郷の家族への最期の便りを(したた)めるなど、自らの身辺を整理し、各艦は、燃料及び弾薬その他必要物資を満載し、艦の武器、搭載機その他の整備を万全として、作戦の発動と出撃に備え
ていた。

 さて、以上のとおり、リンガ泊地で空母機動部隊による特攻作戦の準備が着々と進んでいた頃、北太平洋では、北千島に向かう小艦隊が航行中であった。
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