第2話

文字数 3,131文字

2人は森を散歩していて小さな洞窟に差し掛かった時、小人に会った。
小人は洞窟の前でよくわからないものを広げていた。

「何突っ立って何見てんだ? あっちに行け」
「何をしてるの?」
「これは何?」
「うるせぇ! どっかいけ!」

小人はいつもの通り悪態を付きながら手を振りかざし、2人を追い散らそうとした。その時遠くで大きな鳴き声が響き、どすどすと地面を駆ける音がして熊が現れた。

「ようやく見つけたぞ。その金銀財宝も俺のものだ。すべてを返してもらう」
「待て、待ってくれ。お前もわかってるんだろ? 誰が依頼したか」

熊は拳を振り上げる。

「待て、待ってくれ。俺を殺したらこいつらの呪いも解ける。お前らはいいのか、熊の呪いが解けたら熊はお前らの前に姿を現すことはない」
「そうなの?」
「そうなの?」
「……」
「こいつはこの国の帝の継嗣だ。だが人を人とも思わず気に食わなければ殺し欲しいものを奪った。だからこいつの父親の帝は俺に頼んで熊の姿にして宮から追い出した」
「俺は熊の姿で彷徨って散々反省したんだ。もう以前の俺じゃない、同じようなことは決してしない」
「どうだかな? 今は力がないだけで呪いが解ければすぐに元に戻るさ。ニンゲンってのはそんな簡単にかわらねぇ」
「熊は優しいよ」
「熊は楽しいよ」
「それは今の熊に優しいのがお前らだけだからだよ。それから今の姿が熊だからだ。熊だから細けェことは理解できないんだよ。ニンゲンってのは複雑だからな。この熊はもともとニンゲンだからニンゲンに戻ればすぐにいろいろ思い出してゲス野郎に元どおりさ」
「そうなの?」
「そうなの?」

熊は2人の視線を避けるように狼狽る。
その巨大な拳はすでに力なく下されていた。

「俺は……」
「そんな事しないって言いきれんのか? できねえだろ。実際やってたんだからな」
「でも熊は戻りたいんでしょう?」
「戻ってはだめなの?」
「お前らも今のままこいつと暮らした方が幸せだぞ。お前ら熊が好きなんだろ? その姿の方がきっと熊の好みだ」
「そうなの?」
「そうなの?」
「そんなことは……前の姿でも」

熊は視線を左右に彷徨わせた。

「な、元に戻ったらお前らに会いに来たりはしねぇよ。なにせ継嗣に戻れば綺麗な人間の女が周りにあふれてるからな」
「そんなことは……」
「熊よ、お前今の生活で不満か? こいつら2人はずっとお前の側にいるぞ。お前はニンゲンに戻ったらこいつらのことなんてすぐ忘れる」
「それは……」
「お前反省したって言ったろ? 何のために人間に戻るんだ? 地位や金や宝や女が欲しいのか? 反省してないだろ」
「……わからない。わからなくなった。だがお前は逃さない」

熊は洞窟の前で陣取り、なにやら考え始めた。
洞窟は湿った岩肌が剥き出しで、その冷たさが熊の毛皮を湿らせた。

「熊は人間に戻りたいのじゃないの?」
「熊は熊の姿が嫌なのじゃないの?」
「わからない。わからなくなった。俺は熊にされたときに人間に戻りたいと思った。でもなんで戻りたいのかわからなくなった」
「戻ってなにかやりたいことがあったのではないの?」
「戻らなかったら何か困ることがあるの?」
「よくわからない、なんであんなものが欲しかったのかよくわからない。戻らなくても困らないかもしれない、困らないんだろうな、俺も、周りも」
「熊は人間のほうが幸せなの?」
「それとも熊のほうが幸せなの?」
「……わからない」

熊は当面小人を倒さないことに決めて、1人で考えることにした。
小人の洞窟の前で暮らし、小人が逃げないように見張った。

2人の母親は2人の姿が普通の娘になったことから、町への買い物などの手伝いをさせることにした。一緒に町にいって塩や青銅具などの家の周りには手に入らないものを買う。
そうすると、町の噂が2人の耳に入った。
やはり、前の継嗣の評判はすこぶる悪かった。
美しい姫をさらい、蔵を打ち壊して宝物を奪い、気に入らぬものは斬り捨てた。
そんな継嗣がいなくなり、皆が喜んでいた。

しばらくたって2人は洞窟の前に行くと、熊は随分と痩せていた。
小人が逃げないようにずっと見張っていたためだろう。
食べ物を食べていないようだった。
2人が何やら木の実や果物を集めてもってきても、熊はわずかに食べはするものの、やはり悩み続けているようだった。

「白練、私は熊が好きよ」
「真朱、私も熊が好き」
「そちらのほうが幸せそうよね」
「そうね、私もそう思う」

2人は熊の横を通り過ぎ、鉱石混じりのほの白い水滴が垂れ落ちる洞窟の内側に足を進める。
その奥では小人がやはり様々なものに囲まれて座っていた。

「よう、来たか2人とも。熊が出してくれねぇんだよ。まあ食うもんはいくらでもあるから熊がくたばるまで待つさ」

小人のいつもの悪態はなりを潜めていた。
外は春で満ちていても洞窟は暗くて寒い。食べ物はあっても長い逗留は堪えるのかもしれない。

「このままでは熊が死んでしまうわ」
「熊はきっと決められないもの」
「嬢ちゃんらが家に連れて帰っちゃどうなんだい? ついていくと思うぜ」
「そうかもしれない、でも私は熊が幸せなほうがいいの」
「そうね、あなたがいる限り熊は悩むわ。だって呪いを解く方法があるのだもの」
「俺を殺しても誰も喜ばないぞ」
「そうかもしれない、でもそんなことは関係ないの」
「そうね、なんだかこれは不自然だわ」

小人はふぅ、と息を吐き、諦めたように言った。

「仕方ねえな、嬢ちゃんたちは俺よりでかいからな。俺なんて簡単に殺せるだろう。でもなんでだ?」
「私もわからないわ。でも今の熊はとても苦しそう。どうして自分で呪いを解かないのかしら」
「私もわからないわ。町の噂は幸せそう。どうして悩むのかしら」
「そうだよな、俺もそう思うよ。俺も熊が来たらああ言えと言われただけだからな。人間はよくわからねぇ。なんであれで悩むんだ? でも嬢ちゃんたちは今のほうが得だろう? なんで呪いを解こうとするんだ? 間違いなく熊はいなくなるぞ」
「熊はいろいろなものを私達にくれたわ。だから私達はお返しに呪いからの開放を贈るの。だって不自然だもの」
「いなくなってもかまわないわ。呪いがなくなってしまえば悩みようがないもの。そのままでいいじゃない。だってそれが自然でしょう?」

2人は手に持ったナイフで小人を刺した。
その瞬間、小人からたくさんの金色の光が溢れ、洞窟を染め上げ、一瞬後には暗闇が落ちた。
2人にまとわりついた金糸は仮初の姿の呪いをとき、2人はいつもと同じように洞窟をのたのたと這って入り口に向かう。
洞窟の入り口には熊の毛皮を脱ぎ捨てた長身の人間の男が立っていた。毛皮と同じ濡羽のようなつややかな黒髪と変わらない檳榔子黒の目で2人を見つめ、2人に近寄り抱き寄せた。

「呪いがなくなってしまった。呪われたままでいることはできないんだな」
「熊は好きなことをすればいいと思うの。白練もそう思ってる」
「俺は今はまだ熊の心が残っている。でもそのうちなくなるかもしれない。そうすると2人のことを忘れてしまうかもしれない。戻らないかもしれない。よかったのか?」
「わかってる。でもそれが自然なことなのでしょう」
「俺はろくな人間じゃない。ろくなことはしないかもしれない」
「熊が好きなことをすればいいと思うわ」
「そうか。ありがとう。きっと、また会いに行く」

最後に熊は白練の柔らかな絹のような肌をなで、真朱の美しい唇にふれて立ち去った。
家に戻った2人に母親は少し残念そうな顔を見せたが、いつのまにかいつもの日常に戻った。
2人はいつも一緒で、日中は畑の畝を耕したり、のんびり糸を垂らして釣りをしたり、夜は森や野山を見て回って過ごした。

そして今年も白く冷たい冬が来る。
吹雪の夜は扉が叩かれるのを待っている。
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