犯人は君だな

文字数 4,905文字

 とある島の豪邸で一人の男が殺された。男の名は河原町平蔵(かわらまちへいぞう)。年齢はたぶん誰も興味が無いから割愛する。高齢者、とだけ言っておこう。
 平蔵は殺された。しかも密室で。夕食の時間になっても現れない平蔵を、家政婦の池永聡子(いけながさとこ)が呼びに行ったが、部屋に鍵が掛かっていた。客人数名を招いての夕食であったため、聡子は困った。そこを偶然通りかかったのが九条令士(くじょうれいじ)である。彼は家の繋がりで平蔵の誕生祝いに出席することになった人物だ。さほど乗り気ではなかったが妹、九条和子(くじょうかずこ)が「絶海の孤島。嗚呼、何て素敵……」と恍惚の笑みを浮かべたため、この場に参加することを決めたらしい。ちなみに令士は女性10人いれば9人が見とれる美男子であり、家政婦の聡子も年甲斐もなく頬を緩ませていた。聡子の年齢は平蔵の少し下、という程度である。
 扉が開かないというので、聡子は物置にある部屋のカードキーを取りに行った。平蔵の部屋のみに設置されたカード式の鍵で、複製が難しく、島内には2枚しか存在しない。これは外側のみの機能で、内側は手動式の鍵となっている。カードリーダーにかざすと、開錠時に緑色のランプが付き、施錠時には赤色のランプが付く。カードキーの2枚の内1枚は平蔵が肌身離さず所有。もう1枚はスペアとして、ダイヤル式の金庫に保管されていた。金庫の暗号を知るのは、平蔵と聡子の2名のみである。
 そして部屋の前で待つ令士のもとに聡子が戻ると、そこには少々青い顔をした秘書の高槻成人(たかつきなると)がいた。成人は平蔵の側近であり、何度も汚れ仕事をやらされてきた人物だ。彼は部屋をノックして数回、「先生」と声をかけた。声の小ささは、相手への遠慮の表れか。その顔つきは怒られることに怯えているようでもある。
「高槻さん。鍵を持って参りましたので、そこを……」どいてくれ、という意図を汲んで成人は後ろに下がった。いつの間にいたのか、令士の妹和子が令士の腕に抱きついて言った。
「絶海の孤島、悪徳政治家、閉ざされた扉。これはもう、事件の香りがいたしますわね」
 成人と令士が見守る中、聡子はカードリーダーにカードキーをかざした。すると緑色のランプが付き、がちゃりと音が響いた。
 部屋が開くと、平蔵が奥で頭から血を流して仰向けに倒れていた。令士と聡子の二人で脈をはかり、それが死体であることを確認した。聡子はドラマのようにきゃあきゃあ騒ぐことはせず、いたって冷静に振る舞った。かつて、救急医療の職員として働いた経験があるらしい。
 このような背景において、令士はあっという間に事件を「解決」した。舞台は数時間後、広間へと移る。
「犯人は君だな」
 哀れなる秘書高槻成人(たかつきなると)はがくりと項垂れ、犯行を認めた。犯行時にアリバイが無いのは成人一人であった。そこで彼は自分を容疑者から外すために、密室トリックなどというものを思いついてしまったという。種明かしはいたって単純。紐を使って内側の鍵を外から閉めたのだ。犯行現場に戻ってきたのは、その紐を回収するため。しかし今、その紐は「証拠」として成人の鞄から発見されてしまった。成人は何が何やら分からぬという表情だったが、自身の犯行を認めた。
「いつもながらの見事な推理でした。わたくし、惚れ直しましてよ」
 探偵に愛を込めて語るは麗しき黒髪の美少女。探偵の妹、九条和子(くじょうかずこ)
「今回の事件はさほど難しいものでもなかったな。これでは僕の腕前を披露するに至らない」
「お兄様にかかれば、世紀の難事件も子供のお遊びかしら」
 絶海の孤島、悪徳代議士河原町平蔵(かわらまちへいぞう)の別荘で起きた凄惨なる殺人事件はこれにて閉幕となったのだ。

「あの、ちょっと待ってください」
 声をあげたのは一人の中年男であった。いかにも冴えない、田舎企業の営業マンと言った風貌である。くたびれたスーツは量販店の安もので、どうしてこんなところにいるのかと誰もが疑う。実際、彼がここにいる理由を誰一人知らないのだ。
 綺麗に収まりかけた舞台は乱された。令士は少々不機嫌な面持ちで男に声をかけた。
「どうかしましたか? 僕の推理に何か疑問でも? まさか他に犯人がいる、とか言わないでくださいよ」
「いえ、犯人はそこで項垂れている高槻成人さんで間違いないでしょう。厳密に言えば、河原町平蔵さんを殺した犯人、となりましょうか」
「厳密に言ったところで何だと言うのかしら、お・じ・さ・ま」
 和子が男につめよる。その剣幕に男は見るからに情けなく脅えた。
「すいません。わたくし、蘆屋都々(あしやとと)と申します。東京港区の新橋で働くサラリーマンです」
 和子はゴミを見るような目で都々を見た。「新橋」という言葉が彼女にとっては下品の象徴であったのだろう。彼女は特に理由もなく新橋を蔑んでいた。
「その蘆屋都々(あしやとと)さんは、この場において何か異議をお持ちで?」
「はい。私が疑問を抱きましたのは、高槻がこの別荘に来たのは初めてだと言う点についてです。この点については当人だけでなく、故人の河原町平蔵さんにも確認の取れているところです。話を聞いていた方も何人かおられるでしょう」
 都々が周囲を見ると、頷く者が数名いた。
「ありがとうございます。そこでこう考えたのです。これほど手間のかかる密室トリックを、いったいどこで考え付いたのか、と。高槻さんは明らかに部屋の間取りに不慣れでした。なんせトイレに行こうとして何度も台所に迷い込むような方でしたからね」
 令士は静かに頷いて話の続きを促した。
「そこで仮説を立てました。誰かが高槻さんに殺人の手引きをしたのではないか、と」
 その時になって当の高槻成人は顔を上げて周囲を見た。成人は周囲の視線に怯えながらもふるふると首を振った。誰かに手引きされたわけではないらしい。
「犯人が否定しているが。これで君の推理は終わりかな?」
「では高槻さんに伺います。あなたはどうやって今回の密室殺人を思いついたのですか?」
 返って来たのは沈黙であった。都々は続けて語った。
「私の仮説です。高槻さんはそもそも密室殺人を行ったつもりもない。ただの偶発的な事件であった。違いますか?」
 その時、成人が勢いよく首を縦に振って、泣きさけぶように言った。
「そうだ! 密室だのなんだの、俺の知ったことじゃねえ! 俺はただあんちきしょうが憎くて、咄嗟に手元にあったガラスの灰皿でぶんなぐっちまっただけだ。だってよ、あんなちょうどいい灰皿が置いてありゃあ、そりゃあやるしかねえだろうが!」
 成人はおいおい泣き喚いた。あまりに煩いので、しばしご退場願うことにした。絶海の孤島ゆえ、逃げる心配は無かったし、万が一自殺しても気に病む者は誰もいない。
「ガラスの灰皿。これもわたくしが疑問を持った点です。河原町平蔵(かわらまちへいぞう)さんは自他共に認める嫌煙家でした。当然、家政婦の方も喫煙は禁じられていたでしょう。
 都々が家政婦池永聡子を見ると、彼女はこくりと頷いた。
「別にタバコなど吸わずとも、灰皿くらいあっても良いでしょう。嫌煙家と言えど、目上の相手を呼ぶ際には灰皿を出し、我慢することもあるのではなくて?」
「そうですね。もし灰皿だけであればさほど気にしなかったかもしれません。しかし、鍵を操作する紐はやりすぎでした。あんな、扉の鍵を閉めるのにちょうどいい長さの紐、どうやって準備したんでしょうか。成人さんの鞄から紐が見つかりましたが、紐の残りはどこに? 切る時にハサミは使わなかったのでしょうか」
 和子の顔つきがにわかに冷たくなった。代わりに令士が答えた。
「なるほど。確かに灰皿にしても、紐にしても、疑問は残る。しかしそれは些末な問題ではないかな。実際に高槻成人は河原町平蔵を殺したと自供している。記憶に混乱があるかもしれないが、密室を作り出したのも彼で、その証拠が出ている。証拠の証拠、などとやり始めればキリが無いだろう」
「疑わしきは罰せずが基本です。しかし、疑わしきをとことん追求するのが探偵です。あなたは、そうではないのですか?」
 令士の視線が鋭くなった。
「気になるようですね。良かった。では、わたくしの仮説をお聴きください。殺人犯は高槻成人で間違いないでしょう。しかし密室を作り上げた犯人は誰か。わたくしは、あなた方兄妹ではないかと考えております」
 令士も和子も黙ったまま都々を見た。他に数名のギャラリーがいるが、物語には影響しないモブ。
「さほど難しい話ではありません。まず、九条和子さん。あなたは殺人の現場にいて、クローゼットかどこかに身を隠していた。そこで高槻成人が殺人を犯すところを確認する。高槻成人は犯行後に逃げたが、あなたは中に留まり、内側から鍵をかけた」
 つまり、令士と家政婦が部屋の鍵を確認した時、中には平蔵の死体と九条和子が潜んでいたということになる。
「あなたは平蔵の持つカードキーを持って外に出た。その時外にいたのは令士さんだけで、家政婦の池永聡子さんはスペアキーを取りに向かっているところだった。外に出て鍵をかけ、何食わぬ顔で今度は秘書の高槻成人さんを呼びに行った。カードキーは令士さんに渡しておいたのかな。そうすれば、死体確認時に戻しておくことも簡単だ」
「面白い話だが、推測の域を出ないな」
「もちろんです。疑わしきは罰せず、ですからね。でも和子さんの荷物を調べさせていただけますか? きっとあると思うんですよ。仕掛け糸の残りが」
 九条和子は全く顔色を変えず、柔和な笑みを浮かべている。その余裕の態度こそが真実のありかを示しているようであった。
「仮に、君の言うことが真実だったとして。それでいったい何が問題になるのかな。別に殺人の実行犯というわけでもない。高槻成人に殺人を教唆したわけでもない。ただのいたずらで密室を作り上げただけだ。実行犯がそこにいるのに、こんな枝葉末節を気にする余裕もないだろう。もちろん、仮にの話だけれどね」
 令士の言葉に都々は頷いた。そして少しだけ低めの声で言った。
「……ああ。だから今回のこれは忠告だ。あんま、調子に乗るなよ。ガキども」
 雰囲気が変わった。新橋の冴えないサラリーマンは、ちょっと怖い上司くらいの凄みをきかせて二人を見た。和子は目で強く反発し、令士は小さな苦笑と共に受け止めた。
 絶海の孤島、悪徳代議士河原町平蔵(かわらまちへいぞう)の別荘で起きた凄惨なる殺人事件は今度こそ閉幕となったのだ。

 九条和子は人の悪意を増幅させる、そのような技術を持っている。政治家に恨みを持つ秘書の感情をコントロールすることなど容易である。悪意を高めたのち、シチュエーションを整える。そうすれば、1割か2割程度の確率で殺人事件が起きるのだ。確率が低いと思われるかもしれないが、繰り返せば良いだけのこと。不発に終わったとして、負うリスクは少ない。
 九条令士は飢えていた。世の中、そうそう大きな事件など起きるものではない。行く先々で不可思議な事件が起きるのは漫画や小説の中でだけ。殺人事件の大半(ほぼ全て)は物的証拠により検挙されるようなもので、推理小説のようなトリックなどさして意味を持たない。
 二人はいくつもの難事件を生み出し、それを解決するという遊びを続けていた。自身は決して手を汚すことなく、むしろ名声を高めさえした。その遊びに疑念を抱き、暴いて見せたのが蘆屋都々(あしやとと)という男である。
 九条令士は不敵に笑い、妹は兄の上機嫌に喜びを得る。
「お兄様、なんだか嬉しそう」
「それはそうさ和子。なんせ僕らは敵に出会えたんだ。これほど喜ばしいことはない」
 令士にとって憎むべきは退屈である。それが揺るがされること。つまり、思い通りにならないことは彼にとって何より歓迎すべき事態であったのだ。
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登場人物紹介

美青年探偵:九条令士《くじょうれいじ》:好きな有名人はヴィトゲンシュタイン。

悪女:九条和子《くじょうかずこ》:お兄様ラブ。美男子以外は死ね。

悪徳代議士:河原町平蔵《かわらまちへいぞう》:殺されても仕方ない悪人。死んだ。

哀れなる秘書:高槻成人《たかつきなると》:平蔵に恨みを抱く中年男子。

家政婦は見ない:池永聡子《いけながさとこ》:平蔵に振り回されて疲れた老女。

中年探偵:蘆屋都々《あしやとと》:新橋で働くサラリーマン

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