序盤 3

文字数 7,893文字

「何だあれは!」
 移送を待つ、被告人控室。目の前の旧友、弁護士、冴島俊臣は明らかに怒っていた。まあ、それも当然と言える。
「裁判中ずっと不貞腐れて何もせず有罪判決を受けておきながら終わった後に無罪主張だ!? お前は……」
「わりぃ。でも、こっから巻き返すっしょ?」
「ああ、当然控訴するさ! お前がやってるわけがないからな」
「それは、友人としての発言?」
「……両方だ。馬鹿にするな」
「わりぃ。ありがとな」
 冴島は彼の数少ない友人の一人である。高校を途中退学するまでは中高と同じ進学校に通っていた。今彼は若くして司法試験に受かり、悠の弁護についている。ブランド物のスーツに身を包み、細身で頬骨が浮いているが、中身は細マッチョであり運動も出来る。明らかにアメリカドラマの見過ぎだな、と思ういで立ちをしている。実は伊達眼鏡であり、いつもいくつかの色眼鏡を使い分けてモテようとしているかっこつけ野郎だ、と悠は分析していた。
「もうお前の『わりぃ』は聞き飽きた。僕の経歴にはちゃんと『名人を無罪にした有能弁護士』という肩書を付けるんだ。恩返ししたいならちゃんと協力してくれ」
「……わかってる。やるさ、勝負を始めたからな」
 ――裁判の終わり。有栖川春とした勝負の約束。
『姉さんを殺した真犯人がいるっていうなら、ここに連れてきなさいよ!』
 ――そいつはいる。俺のすべてを奪った、真犯人は必ず。
 ――春ちゃんは、芙美子に似ている。
 ダブったのだ。その罵倒が、その姿が、妻に。
『犯人を捕まえて』
 彼は妻に、そう言われた気がした。 
 だから彼は、何年かけても、牢に繋がれても、それこそ脱獄してでもそいつを捕まえる気はあった。いや――そう、言われるまでもなかったのだ。有栖川春との約束は『きっかけ』だ。俺はもう準備を始めていた。ただ、誰かに言って欲しかっただけなのだ。ゲームの、開始、その合図を。
 冴島が「馬鹿なことを考えるな」と小声で俺に耳打ちする。
 すまないがその願いは聞けない、と彼は心の中でそれを否定する。
「お前の考えていることぐらいわかる。僕が必ず救い出してやるから、それまで踏ん張れ」
「信用しているよ」
 嘘だ。俺は他人をあまり信用していない。冴島には悪いが、弁護士なんて誰でもよかったし、裁判の結果もどうでもよかったのだ。
 彼はこの世で最も大事な物を失った。妻と息子。かけがえのない、家族を。
 昔の俺を知っている人間ならさぞ可笑しいだろうと思う。刹那でしか生きられない。ゲームの中の真実しか見えてない、限定的な、隔離された、狭い世界の暴君。
「そうだ、カインからも伝言だ」
 不意に旧友の名前が出される。
「カインが?」
「ああ、あいつもお前の為に協力するってよ。第二審からは大弁護団だ。しかも世論も逆転させるって言ってる。財産全部突っ込んでもお前を助ける、だとさ」
 カインと冴島も旧知の仲だった。そもそも悠よりも先にチェスをしていたのは冴島だった。その縁もあって、カインとも知り合いになっていた。
「はは、金ならあるって言っとけよ。お前の未来の子供の為に貯金しとけってさ。それに、グランドマスターが三人もいたらそれこそ反則じゃね?」
 こんな墜ちた男に金を使うことはない――本気でそう思う。
 今の俺は牙と爪の折れた獣だ。しかしその身であっても今から戦いを挑むのだ、本気で。自分でも久しく――その感覚を忘れていた。
 彼は考えた。まずやるべきことは――自由を得ることだ。
 無罪を勝ち取ること。それが最も良いことではあるが、それは今回に限り、二の次、だった。それでは俺の『勝ち』じゃない。
 自分の家族を殺したという不名誉を雪ぐことが目的ではない。自身の手で犯人を見つけ、文句のつけようのない形で有栖川春にそれを示す、それが俺の始める決闘(ゲーム)だ。
 出るためにはどうするべきか。それに頭を巡らせる。やはり、取り調べ中か、移送中がベストだろう。問題は協力者が必要だ、ということだ。冴島にはそれは頼めない。俺一人で外に出るのは無理だ。誰か隙を作ってくれるような相手がいる。
 彼はほんの一瞬だけ目を瞑る。『現実』を『ゲーム』へ落とし込むために。
 ゲームを始める為に、これは必要な儀式。
 駒を並べる。盤上(げんじつ)に。
 盤上にはまだ、王(おれ)だけ。相手の持ち駒は分からない。
 だが、俺は自由だ。盤の上では自由なのだ。
 最強の駒であり、最強のプレイヤー。力を発揮できる場に出して貰えれば、何でも出来る。だから、後悔させてやろうじゃないか。
(俺は、お前を見つける。それがお前との勝負だ。それでいいか?)
 姿の見えない敵に彼は語り掛ける。返事はない。
(持ち時間は――三か月ってところか)
 その辺が限界だろうと彼は判断する。
 長引かせる気は毛頭ない。むしろ、長引いて困るのは彼だ。日本の警察は優秀だ。不手際も不祥事もあるだろうが、それを差し引いてもマンパワーに抗うには限界がある。持って、三か月。これが彼の体内時計が示す、限界時間(リミット)だった。
 さしあたって自分がやるべきことを彼はすぐに脳内で優先順位のインデックスをつけ整理する。
 まず彼が何を置いてもやらねばならないこと、それは――逃亡だった。
 一旦姿を隠さねばならない。今ある装備――このTシャツとジーンズのようなラフな格好では幾ばくもなく捕まってしまう。資金と、隠れ家。その二つを手に入れるためにもまずは警察の第一陣、その包囲網から逃げきらねばならない。警察の配備はおおよそ通報から10分~15分。それまでに出来るだけ速やかにこの場を立ち去る。しかし、人の足では限界がある。逃げるなら車で移動した方が楽だし安全だ。公共機関の鉄道などは監視カメラも多いし使えない。タクシー等も今や車載カメラが設置してある。一般人の、それも自分を知らない人間にそれとなく乗っけてもらうのが最も現実的だ。それが彼の結論だった。しかし、簡単にそれが手に入るかは別の問題だ。
「ルールは、いるからな」
 どんなゲームにもルールはある。そしてこれが彼がこのゲームにこれから課す、縛り(ルール)だった。
 盗みはしない。したとしても『借りる』だけだ。ちゃんと返すし、金は弁護士の冴島経由で請求してもらえるように最後は手配すればいいだろう。少なくとも、法で禁止されている行為は出来るだけ慎む。だから当然暴力も振るわない。それでは普通の犯罪者だ。
 俺を犯罪者だと周りは扱うだろう。しかし、自分はそうじゃない。出来る限り、やむを得ない事情、正当防衛を除いて自分からそういった行為に手を染めることは厳禁にする。そうでなければ、きっと意味がないからだ。出来るだけ健全に、逃走するのだ。そう考えたらなんだか愉快な気分になる。――そして、すぐに妻と息子に対して申し訳ない気持ちになるのだ。
 とりあえずはこれだけをルールに追加した。ほかに必要に応じて追加するだろうが、当面これで問題はないだろう。健全な一般市民として行動し、自分からは出来る限りの迷惑を掛けない。車を借りた時点で迷惑はかけているのだが、それは自分を犯罪者だと扱う警察と仕組んだ犯人が悪い。そこに関しての議論は永久に平行線だろうな、と彼は思う。今は時間がないから結論は保留した。
 ゲームに勝つために必要なことの順位の一位は、いつでも準備だ。どんな些細なことも何かの役に立つ。いや、役に立たないことも多い。それでも準備を怠らないこと、それが勝ちを積み重ねることに繋がると彼は信じていた。だからこそ、彼はいまこの時も準備を怠らなかった。そう――裁判中でさえも。
「なあ、そのファイルちょっと貸してくれるか?」
「……時間はないぞ?」
「ちょっとだけ調べたいことがあんだよ。心配するな、すぐだから」
 紙クリップで纏められた資料を冴島は彼に渡す。
 数ページパラっと見ただけで彼はすぐにそれを冴島に返した。
「……相変わらず早いな」
「だろぉ?」
『これ』が役に立つ――かはまた別の話だ。戻って取り調べの間、どこかでまた使うことがあるだろうさ。そう彼は考えた。しかしそれが存外早いことになるとは思わなかった。
「で、移送はどうすんだ?」
「ああ、ちょっと時間がかかってる。何せあの量だ」
 外は物凄い報道陣らしい。
「報道もやたら過熱してる。まあ、大体お前のせいだがな」
「あー、煽ったからね」
 気にした風でもなく彼はそういう。
「しかもあの場で無罪の主張。そりゃあ集まるなって方が無理な話だろ。警備主任が頭を抱えてたぞ?」
「ん~、じゃあ俺がいい案出してあげるよ」
「……お前、自分の立場が分かってるのか?」
 はぁ、と冴島はため息をつく。
「冴島ちゃんからのアイデアだって言っときなよ。大体俺のことじゃん。自分で尻ぐらい拭けるって」
「はいはい。……で、どうすんだ?」
「先に俺の替え玉を仕立てて先に出発させる」
「ほう? で、お前は?」
「後から出る車に乗っけて移動する。シンプルだけど良さそうだろ?」
 冴島は少し考えた後、すぐに控室を出て行った。どうやら彼には提案は通ったようだ。
 別に、このこと自体が脱走の計画の一部だとは天王寺悠は考えていなかった。単に煩わしいことは早めに終わらせたかっただけだった。自分の時間を有益に使いたい。無駄に時間を過ごしたくない。それだけだった。しかし、その判断は神に祝福されていた――と言えるのかもしれない。

     ◆

 時間があれば救助に入ったかもしれない。しかし、その時間はなかった。
 彼は事故現場を去った後そう自分に言い聞かせた。別に良心の呵責があったとかではない。単に、ルール上、助けた方が良かったのか悩んだだけだ。
 彼の移送は弁護士の提案を受けたからかは分からないが彼の意のままに進んだ。彼は覆面の別の一般車両に乗せられ、替え玉の後方から出発した。
 隙があれば、逃げ出そうとは思っていた。しかし、両脇を警官に固められ、隙を伺おうと軽口を叩いても反応は薄かった。まあまたの機会に――と思っていた時だった。渋滞の幹線道路にトラックが突っ込んできたのが見えたのは。

「勝負でも何百回かに一回はあるけどさぁ」
偶然指した手がずっと先で結実するという僥倖。自分が指したわけではなく、神に指させた一手のようなそれを、しかし彼は嫌っていた。
「初手からこれとか、先が思いやられるわ」
 これから全部、自分で組み立て上げ、必ず勝たねばならない勝負。その最初が偶然から始まることに彼は不満を抱いた。しかし、これは勝負だ。割り切りは必要だと彼はすぐに切り替える。
 ――全部、思い通りになんてならない。
 そう、自分の、理不尽に命を奪われた家族のことも。
「だから、自分で出来ることはする――」
 彼は木陰に座りこみ、自身の枷を見つめる。彼は靴を脱ぎそのカバー裏に隠していた紙クリップを取り出した。先ほど冴島から渡されたファイルについていた、それを。
「結構構造簡単だったっけね」
 動画ファイルで覚えた手順を頭の中で反芻する。ネットに上がっている手錠を開ける手順を。
 手錠の構造は思ったより簡単だ。手錠の内側には歯止めがありこれでロックされる。しかし鍵穴にクリップを入れて回してみると存外簡単にこの歯止めが動いてしまう。これを下ろせれば外せる、という塩梅だ。ただしこれは、ダブルロックだ。
 ダブルロック方式で止められたその手錠は開けるコツがある。ダブルロックは手錠の側面にある小さなピン穴を押すと手錠がさらにロックされ開けることも閉じることも出来なくなるという機構だ。プロが使用している手錠は大体がこの仕様だ。側面のピン穴は鍵穴の中央下あたりに通じている。これをまず、解除する必要があった。
 彼はまずクリップを鍵穴に差し込み、カチリと音がするまで反対側に回しそれを外した。
 次に歯止めを最初の方法で外す。枷は簡単に外れた。
「ほい、練習通り」
 ――ずっと、裁判所でやっていた手遊び通りに。
「フェアに見せてたのに、誰も気付かないもんだねえ」
 そう、彼は勝負の前に公平に、見せ続けていたというのに。誰も彼の手元の動きに注意を払わなかった。いや、注意しかせず、本意に気付かなかったのだ。取り調べ中に隙を見て、と思っていたのだがその必要はなくなった。手錠に繋がれていた腰縄もついでに外してしまう。
「さて、移動しようか」
 彼は考える。とはいえ、道路は駄目だと。この事故で周囲は渋滞だらけになる。一番取りたかった車という移動手段が使えない。すぐに検問に引っかかるのが落ちだろう。
 繁華街が近い。人目も多い。当然監視カメラもだ。すぐに通報されることになる。しかし、迷いは禁物だ。目指す場所――そう、不確定は駄目だ。彼は靴底のラバーを力強く押す。するとゴムと靴底の間に切れ目が浮かび、そこから一枚の紙片が取り出される。千円札だ。両靴に一つずつ、彼はお金を仕込んでいた。一万円を仕込むことも考えたし、逃走資金は多い方がいい。しかしどうせ、はした金だ。潤沢な逃走資金とは言い難い。彼は今だけでいいから使える、細かいお金を入れることにした。
(電話が掛けられれば十分だ)
 幸い今隠れている公園の木陰の近くに公衆電話があった。彼はそこからある場所へと電話を掛ける。数回のコールの後、相手が出た。
「――はいこちら×××」
「あの、すいません。※※※さんはいらっしゃいますでしょうか?」
「……それは私ですが、失礼ですがどちら様ですか?」
 そのやり取りだけで彼は電話を切った。
 いる。ならすぐに行動を起こすべきだと彼は判断する。目的地は決まった。ここからは速度と、他人の目、監視カメラとの闘いだった。
『移動することも気付かせてはいけない』
 難題だな、と思う。これは入玉戦だ。逃げようと思えば先回りされる。入玉とは、相手の陣地奥深くに王自ら入り込み、絶対に王手を掛けられない安全地帯に逃げ込むことだ。ただし、逃げること――その意志に相手は敏感に反応する。先回りし、それを許そうとしない。だからこそ、ルートが大事なのだ。
 昔見た映画で、ある逃亡犯は地下下水を通って移動していた。なるほど、理には適っている。誰の目にもつかず移動するにはそれは最適かもしれない。しかし、これは数か月に渡る逃亡劇になる。犯人を見つけるためには絶対に協力者を得なければならない。そのための人員を誰にするか、それも彼はすでに選んでいた。その人物にこれから会うつもりだった。その際に、下水の臭いを漂わせて会うのは色々問題があった。それは後に、仮に協力を得られなかった場合、逃げる際あまりにも目立ちすぎる。
(まあ、大丈夫だとは思うけど)
 念には念を。そもそも下水に関しては全く詳しくない。というか、そんなことを調べるのは無理だった。元々彼はこの位置から逃げ出すつもりはなかったのだ。予定と違う――そんな棋譜はごまんとあるのだから。
 彼は裏路地へと入る。そして屋上のありそうなビルの非常階段を上り始めた。
(運動は得意だったけどねえ)
 棋士という職業はかなり不摂生だと彼は思っている。だからこそオフは――というか彼にオフはほとんどなかったのだが、その合間でも必ず運動は欠かさずに行っていた。その中で最も欠かさなかった。その不摂生なイメージとは真逆に、春は登山、夏はサーフィン、秋はマラソン、冬はスノボや冬登山――。肥えた身体では思考は鈍るのだ。必ずしも――それがすべてのプレイヤーに当てはまるとは思っていなかったが、少なくとも彼のパフォーマンスを最大限に発揮するにはある程度の身体能力を持つ方が調子がよかったのは事実だ。すべてのことは盤上へと繋がる。そう、自分の身体そのものが資本であり、そこから脳へとすべてのイメージを繋げていくにはこれが最適だと。
この逃亡劇において、彼は自身の体力的な準備においては余念がなかった。そして『やるかもしれない戦法』に対する知識も。彼は若いころによくやっていたことを思い出す。他人の迷惑を考えるようになったのは――そのあとだったな、と。
「さてと」
 屋上まで上がって彼は改めて確認する。『道筋』を決めるために。
 目標とする地点は住所から判断するとあの先――そこへ至る道筋は長く、険しい。大小のビル、人の群れ。それに潜む、警察の目。それはさながら彼(玉)を阻む、相手の持ち駒だった。それでも彼に選択肢はなかった。前に進む以外の。
彼の体が小刻みに震える。怖いからではない。そう、武者震いだ。手と足をほぐす。入念――とは言い難いストレッチだが、何十分もそれに興じるわけにはいかなかった。
さあ――行くか。
よじ登り、フェンスを越える。彼は助走をつけてビルの屋上を走る。そしてビルの縁から――跳んだ。

    ◆

「逃げた?」
 その第一報が部下から知らされすぐに警視正の上城実俊は現状の指示を出した。現場の混乱、死傷者の把握、交通整理、それを置いてなお、最も大事なこと――『天王寺悠の確保』である。
「必ず捕まえろ。初動がすべてだ。あと彼の立ち寄りそうな場所に全てに人員を派遣しろ。今すぐに、だ」
「『便利屋』さんがせいが出ますなあ」
 彼が怒号交じりに部下に指示しているのを奥の廊下から見ている同期の警視正が揶揄する。
 ――便利屋。警視正、上城実俊に授けられたそれは、嘲笑と実績を兼ね備えていた。
 彼は四十歳で、キャリア組の中では決して昇進が早いほうではなかった。それは彼が率先して扱うものに起因していた。そう、彼が片付ける多くの事態は、大抵が他人のしりぬぐいなのだ。
 他人から乞われ、押し付けられたものを粛々と、しかし確実に処理する。そこからついた異名、それが便利屋の称号である。
 決して昇進の為だけではない。彼のそれは信念という名の妄執ですらあった。
「どうせすぐ捕まるさ、日本は狭いんだから」
 能天気にそう言う同期の嘲笑は誰の耳にも届かなかった。しかし、そういう意見を言う奴がいるなら困ったことだ、という思いを上城は抱いていた。
 逃亡犯の多くはすぐに捕まる。しかしそのほぼすべては『初動』でしかない。時間がたてばたつほど綺麗に捕まえることは困難だ。しかし皆が楽観視しているのは天王寺悠が有名人であり、連日報道を受け顔も名も知らない者のほうが多いからだろう。どうせどこに逃げても捕まる。協力するものが現れたとしても彼を匿える様な人物はすべて立場がある。リスクは果てしなく大きいし、監視の目もつくだろう。
 ――袋のネズミ。部下に緊迫感が感じられないのは、通報のあった場所へ赴けばいいだけだから――。
 果たして、本当にそうなのだろうか? 何を不安に思っているかと言えばただの『勘』だ。上城は将棋が好きだ。子供のころ道場に一人で通いつめ、夕食になっても帰らず怒られたこともしばしばだ。しかし、そんな自分の才能の限界をほどなくして悟り、それ以外の道へ進んだ。だから、名人というものがどれほどの才能かは分かっている。しかしそれは盤上の話であり、現実とは違う。それでもなお、あの異質の名人を見ているとその不安を消しきれないでいた。何もかも、常識を破ってきたその才に。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み