あるいは転送不要のチョコレート

文字数 5,889文字

 今、私の目の前の机に、小さな箱が置いてある。
 手のひらに載るくらいの立方体で、十字にリボンが掛けられ、包装紙は白地に赤のハートマークを散りばめたかわいらしい物。プレゼントに違いない。
 私の手提げ鞄から出て来た。当然、私はこれを誰かにあげるつもりだったみたいなのだけれども、その誰かが誰なのか、思い出せない。
 遡ることおよそ三ヶ月、二月の上旬にちょっとした事故に遭い、私、島原冴子(しまばらさえこ)は一時的に記憶喪失になった。そのことが原因かもしれない。

 どんな事故だったのかは、この際関係ないのだけれども、簡単に触れておく。
 といっても、私自身、事故前後の記憶は今もほとんどないので、大半はあとから教えてもらった話になる。
 中学生の私は、中学生らしい?思慮の無さで、横断歩道橋を駆け上がっていた。行き交う人は見当たらなかったのだから、駆け上がる行為自体は、さほど大きな問題ではないよね。問題は、前日に降って多少残っていた雪への注意が疎かになってしまった点。一旦溶けかけ、また凍ったそれに足を取られ、派手に転がり落ちた結果、頭を打った、らしい。
 ただし自らの名誉のために付しておくと、私もとことんまで愚か者ではなく、転ぶきっかけは他人にあった。私が昇ってきたのとは反対側から、ひったくり犯が警察に追われて逃げてきたのだ。階段を昇りきった丁度そのとき、そいつにぶつかられ、バランスを崩す。なんとか踏ん張ろうとしたが、氷のおかげであえなく、ずだだだだーっと滑り落ちた、らしい。
 その後、物理的な怪我の治療に二週間ほど、記憶を取り戻すのに二ヶ月ほどを要した。新学年のスタートに間に合ってよかった。
 よくないのは、最初に言った、謎の小箱の存在。
 我が校の指定鞄は、大きな底板が施してあるのだけれど、割と簡単にずらせるようになっており、生徒の中には改造して鞄をダイエットさせる人もいた。私はしていなかったのだが、そのことが小箱発見を遅らせる。記憶を取り戻し、ほっとした心持ちで、学生鞄を見ると、底がやけに不細工だと気付いた。調べてみると、底板の下に小箱が隠れていたという次第。

 全然覚えがないので、まずは開封してみる。自分の用意したプレゼントを相手に渡す前に開けるとは情けない。
 中身はチョコレートだった。
 季節を逆算すれば、バレンタインデーのプレゼントと考えるのが自然。手作りではなく市販品だったが、定価を見ると、結構気合いの入った値段(中学生にしては)。故に、私には本命がおり、その人に渡すつもりだったと推測できるのだが……思い出せない。
 恐らく、その異性とは片思いなのだろう。すでに付き合っていたのなら、いくら何でもきれいに思い出しているはず。お互いに恥ずかしがって伝えられないものの、両思いということもなくはないだろうけど、それなら事故に遭ったお見舞いと称して、訪ねてきてくれてもいいじゃないの。そういう異性が一人もいなかった事実から推して、やはり、私の恋は、まだ片思いなんだ。
 それから、私は私が誰が好きなのかを知るために、行動を起こした。
 最初は、女友達への聞き込み。が、結果は空振り。誰それ君が好きなんだとは打ち明けてはいなかったようだ。まあ、それは分かる。現時点の私だって、好きな異性の名を他人に教えようとは思わない。そういう性格は、事故前も一緒だろう。
 当然、家族にも打ち明けていなかったし、日記の類も書いていない。せめて、住所録にメモをしてあって、その人の名前のとこだけ特別な印を付けてあるとかないかな?と期待を込め、自分の手帳等を調べてみた。しかし、これまた成果なし。

 私も私だ。好きな相手に気持ちを打ち明けるのに、気の利いた手紙ひとつ付けないなんて。
 いや、実のところ、メッセージは付いていたのだ。開封したとき、中から一枚の紙が出て来た。便箋ではなく、小さな千代紙。事故の際に、私と同様に衝撃を受けたのか、角っこが小さく折れ曲がっている。その裏の白い面に、文字が鉛筆で書き込んであった。
 たった一単語、「冴子」とだけ。
 私の名前を書いてどうする。いやいや、送り主は私なんだと知らせたくて、名前を書くのは分かる。直接手渡す勇気が持てなかったなら、当然だ。いいとしよう。
 だが、もうちょっと他に書くことがあるだろう。思いの丈とまでは言わずとも、あなたのどこそこを好きになりました、みたいな。相手の名前も書いてしかるべし。
 なのに、この私と来たら、緊張してたのか恥ずかしかったのか知らないけれど、何にも書いてない。自分の名前を書くにしても、「冴子より」ぐらい書けなかったんだろうか。
 その割に千代紙の柄が、動物の雌の性を表す♀マークだと気付いたときには噴き出してしまった。一体、何をアピールしようとしてたの。

 思い出せないなら、刺激を少々与えてみれば、変化が生じるかも。
 そう考えて、一年生のとき同じクラスだった男子を一人ずつ、じっくりと吟味してみた。
 でも、クラスメートの誰かだという保証はないし、同学年であるかどうかさえ、確実ではない。極端なこと言っちゃえば、相手が生徒なのか先生なのか、はたまた、どこかで見掛けて一目惚れした中年男性なのか、まるで手掛かりがない。
 それでも、私はそれなりに常識の持ち主だと自認してるから、こんな可愛らしくしたチョコレートをあげようとする相手は、それなりに絞り込んでいいとも思う。もう一つ、私は好きな相手は身近にいないとだめなタイプで、クラスが違うだけで、親しみを持てない傾向がある。
 よって、クラスメートの中にいる可能性が、最も高い。そう断定した。断定しないと、前に進めないという事情もある。
 そんなこんなで、私の琴線に引っ掛かった男子は、三人いた。
 一人目は、千堂千明(せんどうちあき)。母親の再婚でこういう名になったが、本人は気に入っているとのこと。そんな逸話を私が知っているのは、彼とは幼馴染みだから。幼稚園からずっと一緒というのはさほど珍しくないにしても、ご近所だし、他の男子と比べたら、よく話をする相手だ。どこがどう好きだと具体的に説明はできないものの、何となくいい感じ。
 二人目は、百井翔太郎(ももいしょうたろう)。顔で選んでみた。やんちゃ系アイドルって趣かな。運動神経もよく、たいていの球技でエース格の活躍をする。反面、勉強はてんでだめ。私は男っぽいところがあるとよく言われるのだが、その一つに野球好きというのがあると思う。百井とは野球の話で盛り上がった覚えあり。ただ、その他のジャンルは話題が合わなかった気がする。
 三人目、十村聡(とむらさとる)。かしこい。他の女子と一緒に、勉強で助けてもらったことがある。野暮ったい眼鏡を掛けているが、外せば割といい顔立ち。ハンサムではないが、優しさが滲み出るような。言動も優しく、気遣いのできる人。一対一で話したことはほとんどないが、だからこそ私は直接気持ちを打ち明けようとはせず、プレゼントを靴入れか机の中にでも置いておこうとしたのかもしれない。
 とまあ、とりあえず三名に絞り込んでみたものの、今ひとつ、ぴんと来ない。クラスメートにいるという前提が外れているかもしれないだけに、不安にもなるというもの。
 確かめるに越したことはないと、私は友達数人をつかまえ、念押しした。
「ひょっとしてだけど、一年のとき同じクラスだった子って、全員、この学校で進級した? 二月まではいて、その後、転校とかでいなくなった人は……」
 すると、亜美(あみ)絹恵(きぬえ)末子(すえこ)の三人は顔を見合わせ、改めてこっちを向くと、「うん」と声を揃えた。そこへ、絹恵が付け加える。
「転校した人なら一人いたけれど、女子だったし」
「そうそう、多田(ただ)さんがね」
 呼応するのは亜美。私の方を見ながら続ける。
「冴ってば、覚えてないの? 中学になってからの知り合いだけれど、割と話してたよ」
「……ああ、思い出してきた」
 お嬢様かつお姉様キャラの子だ。取っつきにくかったのは最初だけで、慣れると楽しかった。占いやおまじないの類が好きで、よく披露してた。私は彼女の存在を忘れていた訳ではなく、男子しか頭になかっただけ。
「私の頼りない記憶を辿ると……多田さん、バレンタインの前には転校する予定だったはずよね?」
「はずよねって。あ、そっか。冴子が入院中に、転校したんだったわ」
 私の記憶がだいぶ復活していることを確認できた。この勢いで、告白相手も思い出したいものだけど。

 さて。
 男子三人を候補としたまでは、当たっているとする。ここからが手詰まり。彼ら一人一人に、「二月頃、私から何か妙な感じを受けなかった? 視線を感じたとか?」なんて聞いても、埒が明くとは思えない。まさか、チョコレート贈答宣言をしていたとも考えにくいし。ううん、予告では義理チョコと思わせておき、当日に本命チョコを渡す、なんていう作戦を立てた可能性だって、なきにしもあらずよね。私のことだから、ストレートにはしまい。
 ヒントがどこかにないものか。
 私は現場百遍ならぬ現物百遍とばかりに、チョコレートの小箱をためつすがめつした。チョコは既製品で、高価である以外に特別な意味はない。メッセージにも特徴がない。となると、あとは千代紙と包装だけ。
 千代紙……こういうマークが入ったのを、どうして選んだのか。誰にあげるにしても、この千代紙を使うことはあり得ない。と、思うんだけど……記憶喪失の前後で僅かながら性格が変わったのかしら、私。
 包装に関しては、逆にありきたりで、これといった手掛かりは見当たらない。それでも、店のロゴに気付いた。
 次の瞬間、ばかだなあ、私、と自分の頭をこつんとやりたくなる。
 買った店に行けば、店員さんが何かを覚えているかもしれない。たとえば、カードに書くメッセージに関して、一度は相手の名を口にした私だが、結局は取り消してしまった、なんて。都合よすぎるかな。
 それでも、何らかの手掛かりにはなるはず。そういえば、妙な柄の千代紙は、この店で用意されたメッセージカードの一種なのかも。だとしたら、合点が行くじゃないの。
 そんな経緯で、私は翌日の学校が終わると、くだんの店『しゃぽうる』へ急いだのであった。

 急く私の気持ちに反して、私にチョコレートを売ったという店員さんは、見付からなかった。繁忙期にはアルバイトを入れる、特に二月は確実とのことなので、もう店にはいないのかもしれない。いても、覚えてもらってない可能性、大いにある。考えてみれば当たり前だ。
 それでもだめ元と、特徴的な千代紙を取り出し、ガラスのカウンターの上に広げる。角の折れ目を伸ばしてから、見てもらった。
「こういう柄のメッセージカードを選ぶ人って、そんなにいないと思うんですが……」
 その滅多にいないであろう一人が私なのだと、少なからず恥ずかしさを感じつつ、尋ねる。
 対して、目の前の店員さんから返ってきた答は、意外なものだった。
「あら。これは当店のカードではありません」
「え? そ、そうなんですか」
 てことはつまり、私が独自に選んでここに持ち込み、包む前に入れてもらった? うー、何でまたそんな真似を。
 頭を抱えていると、近くにいたもう一人の店員さんが、カウンターの千代紙を覗き込み、すぐに声を上げた。
「あっ、これ、見覚えがあるわ」
「本当ですか? お、思い出してくださいっ」
 その人の方に振り向き、顔を近付ける。ところが、相手は首を横に振る。
「あなたじゃないわ。こんな変わった柄の紙を持ち込む人なんて、凄く珍しいから、よく覚えてる」
「……」
 分かった気がする。
 私がチョコレートを渡そうとしていた相手の正体、ではなくて、事の真相が。

 我が校では、卒業名簿はあっても、クラス単位の連絡網はない。一年生のときもそうだった。個人情報漏洩の恐れを、なるべく低くするための対策らしい。同じ理由で、先生に聞いたって、教えてもらえまい。
 故に、“その人”の連絡先を知るためには、多少の段階を踏む必要があった。友達の友達を手繰っていき、その人の小学校時代からの知り合いにコンタクトを取り、次にその人の現在の連絡先を知っているか否かを問い合わせ、答がイエスで、ようやく「教えて」と頼める。これで拒まれたら、またやり直しだ。
 幸い、私が行き当たった最初の相手は、すんなりと教えてくれた。
 そして、今から、その人に電話を掛ける。
「――もしもし、多田さんのお宅でしょうか?」
「はい――あ、その声……冴子?」
 聞き覚えのある声は、お互い様らしい。私は口調を若干改めた。
「多田さん。もしかしてだけど、多田さん、今年のバレンタイン頃、私にチョコレートをくれた?」
「ええ。やっと気付いてくれたのね。三ヶ月か、ま、ぎりぎり合格」
 当たり前のように答える多田さん。こっちはがっくりとうなだれた。疲労感を激しく覚えた。
「先に聞いとく。私が事故に遭ったって、知らないでしょ?」
「――え? え?」
 うろたえる様が、電話越しにでも感じ取れた。こんな多田さん、初めてだ。できることなら、その姿を、目の前で拝みたかったな。
 私は事の次第を掻い摘んで伝えた。それからしばらくは、相手からのお見舞いと謝罪の言葉を程々のところで食い止めるのに、また言葉を費やす。
「――でね。チョコの箱に気付いたのが、ついこの間。でももらったという記憶が抜け落ちていたせいで、私が誰かにあげるために買った物だと信じ込んでしまってたの」
「事情を分かった上で、敢えて苦言を呈しますけどね、冴子。字を見て気付かなかった?」
「どの口が言うか。あれ、私の字に似せてたでしょ。もしかして、何かのおまじない? それとも、気付かれにくくするため?」
「両方。好きな人の名前を、その人の筆跡に似せて書くと、思いが叶うっていうのを雑誌で読んで、試したのよ」
 再び、疲労感が私を襲う。が、どうにか踏ん張った。
「あの♀マークの千代紙にも、意味がありそうね」
「あれは、送り主が女だっていうヒントと、冴子に宛てたっていう意味よ。そこから気付いたんじゃなかったの?」
「?」
 理解できない。私は店員さんの証言で察しを付けただけだ。
「角を折って、上下逆になったマークが、裏の『冴子』の頭に来るようにしてたでしょうが」
「……言われてみれば、そんな気も」
 あの折れ痕は、事故の衝撃のせいではなく、意図的な細工だったのか。しかし、その意味はまだ分からないでいた。
「♀を上下逆にするとtoになるでしょ、縦書きだけど」
「『to 冴子』だって言うの?」
 そんな判じ物、分かるかっ!

――おしまい
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