第1話  アメスピメンソール

文字数 2,960文字

 大学生になったら新しい自分に生まれ変わるんだ。これまで我慢してきた好きだったこと、特に音楽やギターなんか目一杯やって、新しい友達も、初めての恋もたくさん経験するんだ。もう、大学生になって親元を離れるんだから、これまでの勉強漬けの真面目君なんて仮面を脱ぎ捨ててやるんだ。もう大学生で、大人なんだから自由なんだ。
 彼、椎名圭はそう息巻いて地元から遠く遠く離れた都会の大学へと進学した。高校にいた時も、友達は大人しいやつらだが数人いた。それでも、地元の大学に進学するということは、友達以外の知り合いも大勢進学するはずで、彼にとってそれは肩身の狭い思いをすることは分かっていた。だからこそ、敢えて彼から地元を離れていくことを選択した。彼は春休みのうちに、誰にも知られないうちに、イメージチェンジをしていた。初めて買ったメンズ雑誌を眺めながら流行の髪形にしてもらうため、お洒落な美容室にも足を運んだ。それから、親にも知られないうちに新しい流行の服も買いに行った。
 大学に入学したら新歓というものが盛んに行われていた。校内に一歩でも踏み入れたら様々なサークルの先輩達から、馴れ馴れしく、是非うちのサークルへと言わんばかりに、それぞれ山のように手作りのチラシを渡してくる。それでも、彼はバンドで音楽がやりたかったから新歓の出待ちで貰ったチラシをすぐ近くのごみ箱に捨てた。ゴミ箱はすでに沢山のチラシで満杯だった。
 入学式が終わったら最初の一週間はオリエンテーションというものがあった。その隣では新歓イベントが開催されており、新歓ブースというものが設けられていた。彼は正直どのサークルでもよかった。ただ、メタルはあんまり好きではなかったから、それだけは候補から外した。彼はギターを数年独学で練習し続けて、それなりには弾けるようになっていたが、腕に自信がなかったから一番小さなサークルにしようと思った。軽音サークルを名乗るブースをサラッと回り、どれが一番小さいサークルか見極めた。そして彼は一番規模の小さなサークルに出向いた。
 そのサークルはオリジナルの曲を作って演奏するというサークルだった。ジャンルは問わないというから、彼にとってちょうどよかった。彼にはとても尊敬するミュージシャンがいた。彼はそんなミュージシャンのようになりたい、彼の作るような音楽を奏でられたらそれだけでよかった。説明を受けたその日の夜に新入生のための花見会という名の上級生のための飲み会が大学の近くの神社で開催されていた。彼は迷わずそのサークルに顔を出した。
 「お、君、来てくれたんだね」
 女の部長は嬉しそうにしていた。どうやら彼が一番乗りだったようだ。それからほどなくして数人の同級生がその場に集まってきた。18時を回ると花見が始まった。最初に新入生たちが自己紹介をした。それぞれ名前、学部、パートを時計回りに述べていった。花見も盛り上がってくると、上級生は出来上がっていた。中にはちらほら酔っぱらっている同級生もいた。そんな彼らを見て彼は大人だなぁとしか思っていなかった。
 花見も終わって、彼は本格的にそのサークルに入部することに決めた。とにかく早く音を鳴らしながら練習がしたかった。彼は一人で練習していた。このままずっとバンドを組めなかったらどうしようなんて不安になっていた。しかし、その不安はすぐに消えた。しばらくしてから飲み会で先輩とバンドを組めることになった。その先輩はすべて彼任せで初めて曲作りをする彼は戸惑ったが何とかやっていた。しばらくして彼は話しかけやすそうな雰囲気の同級生をベースに誘った。彼は快諾してくれた。この頃には、ほとんどの同級生はサークルのメンバーになっていた。
 彼はサークルで友達を作っておきたかった。同級生の間で居場所が欲しかった。ある日のサークルのミーティング後に、彼は近くにいた同級生におすすめのバンドを教え合って、CDを貸し合うことにした。彼がCDを聴き終えた後、別の日のミーティングで、それを返そうとしたとき彼は失態を犯した。CDを借りた同級生に似た風貌の、違う同級生に話しかけてしまった。その同級生は色々と彼とはそりが合わなさそうだったから、敢えて距離を詰めていなかった。しかし、その失態のせいで、彼はその同級生に強引にバンドに誘われ、断ることもできずそのままずるずると事が進んでしまった。
 それからというものの、その厄介な同級生に彼は日に日にストレスが溜まっていた。もともとメタルが好きでなかった彼は最初にその旨を伝えていたのにもかかわらず、その同級生と組んだバンドではメタルを強制されていた。また、プライベートでもやたら距離が近く、そんなに仲もよくないのに長文のメンヘララインを送りつけてきていた。そんな中、このサークルでは毎年恒例の夏合宿というものが行われる。その夏合宿では普段組んでいない人とも自由にバントを組んでコピー演奏するというものだった。夏合宿直前のミーティングではサークルメンバー全員のプロフィールが書かれた、ふざけたしおりが配られた。その中に一人のプロフィールが彼の目にとまった。彼は中川誠といった。その人は彼と音楽の趣味がとても合いそうだった。しかし、彼のことを思い浮かべてみると、その他の部類で合わなさそうだったからこの時点では話しかけなかった。
 夏合宿では、同級生ともある程度打ち解けることもできていた。彼はサークルで仲良くなった同級生に、ムカつくアイツのことも全てぶちまけてスッキリした。なんか、その同級生ともっと打ち解けることができたような気がした。
 秋になって、本格的に1回生のバンドが始動し始めた。そんな中、夏合宿前から気になっていた彼が演奏した曲は、やはり彼にとって一番良かったと思った。彼がなかなか誠に話しかけることができなかった理由は、彼の素行が彼にとってその時は怖く、そして、大人に見えたからだった。たったそれだけだった。秋の演奏会で、彼が嫌なアイツと組んでいるバンドは散々だった。それから彼はやけ酒をするようになった。
 冬の代替わりの時、彼は誠がサークルを離れることを知った。彼曰く、「何か合わない」ということらしかった。彼は、ここで誠に話しかけないとこれが最後になってしまうようで何か嫌だった。彼ともっと音楽の話をしたいと思った。それで、彼はお酒の力を借りて誠に話しかけた。彼と話した時間は、飲み会の終盤でとても短い時間だったが、とても充実したものだった。彼の音楽センスも考え方もとても格好良かった。彼は、誠のようになりたいと思った。そして帰りの駐車場で一服している彼を大人だと感心しながら眺めていると、誠はさり気なく一本彼に渡した。
 「吸う?」
 彼は少し怖かったが、それでも今日は何故か吸ってもいい気がした。誠が彼の煙草に火をつけた。初めて吸ったが、彼は咽ることはなかった。
 「やるやん」
 誠は嬉しそうに声をかけた。彼はまんざらでもなさそうに言った。
 「まぁな」
 彼は大人になれたような気がした。冬の寒さとスーッと薫るメンソールに、心地良い酔いを肌で感じた。

※このお話はフィクションです。お酒・たばこは20歳になってから。

 
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