二の段

文字数 2,893文字

 外テリアルの北東に張り出すザクス半島。その付け根西半分を峻険なカーナル山脈に閉ざされ、東半分はエゼセ峡谷を境に広大な緑黄原野と穀倉地帯のバン・ザクス平野とに分けられている。
 平野の突き当たり、東西に延びる海岸線の東の端は新帝国との国境線まで続く広大な湿地帯ハムナス湿原である。
 いかなる兵の進入をも拒むこの湿地帯を迂回した機械化兵力を中心とする新帝国軍は、バン・ザクス平野をほぼ席巻する規模の反攻部隊を送り込んできていた。
 皇帝一族が粛清された後、新帝国では民衆軍が組織された。これまでの兵務だけを行ってきた兵士階級ではなく、農民や商人さらに工員などから広く徴兵された兵力は、旧皇国軍の戦力を一気に倍にした。
 レクノ王国軍は、この専門の教育を受けていない兵を脅威とは見ていなかったが。新帝国軍は愚鈍ではなかった。精兵としての訓練を受けていない民衆兵は、機械化兵器の操作に専念することで戦場に投入されていたのだ。
 これまで、機械兵器は魔法に対し脅威にならないと断じていた王国軍人たちは、膨大な量の機械兵器を前にそれが間違いだったことを認識させられた。
 個々には魔法攻撃に脆い機械兵器だが、魔法で破壊された兵器は修理でまたすぐ戦場に戻ってくる。これを操る兵士は無数に用意され、魔力を消耗した王国軍の魔法兵士たちは結局押し切られてしまうのだ。
 この新帝国軍の攻勢で、北部戦線はレクノ王国の全面的守勢、いやもはや敗走寸前の状況に追い込まれていたのだった。 
「芳しいニュースは皆無だな」
 港湾都市ルーナにおかれた遣北軍第3支衛司令部。ザクス半島方面の前線を指揮するこの司令部の長である、ウェストハム中将は届けられた報告に目を通すと、露骨に顔をしかめ副官に告げた。
 副官は、自分のメモを見ながら返答した。
「主戦部隊司令官の意向で、主力部隊は原野まで後退し態勢を整えるとのことです。この時間稼ぎのために、ユースチス卿の率いる魔道士装甲騎兵軍団が平野部まで前進しました」
「ふむ、なんとか山脈の南までで敵を阻止する構えか。しかしな、このままだと我々は戦線の奥に置き去りにされてしまう危険があるな、敵の機械化部隊の進撃は呆れるほど速い。馬より速いとは呆れたものだ、我が軍が使ってる機械兵器の倍は速度がある。どうなっているのだ、あの中身は」
 ウェストハムが地図を見ながら考え込んだ。
「とにかくどの属性魔法でも簡単に足は留められるのですが、中の兵士を撃つことができないので、すぐ修理して動き出します。攻撃力というより防御力で負けている感じです」
 副官の言葉にウェストハムは首をうなだれた。
「聞いてないぞ、こんな戦い方があるなんて。あいつら、進むことしか考えてない、我が軍の兵士が残っていても無視して進軍してくる。まあ、結果的に後から来た歩兵に捕虜になっておるようだが。我が軍の損害はもう惨憺たるものだな」
「おっしゃる通りで、本軍司令部も戦闘方法の改革が必要だと王国に注進しております。それはそうと、敵のこの一方の流れは間違いなくこちらを目指していますね」
 もう一度地図を睨んだウェストハムが目を細め、低い声で聞いた。
「時間的に我が部隊が敵の前をすり抜けるのは無理だ。別に本国はここを死守しろなんて無茶は言ってきていなかったな?」
「はい、いつ撤退しても何処からも文句は来ないはずです。遣北司令官のスーラ大将の指示では、我が部隊は機を見て海路で退出せよとのことでしたが…」
 副官が首をかしげながら司令官を見た。
「まあ指示ではそうなっておるのだがな。そうもいかないようで困っている」
 ルーナの町は、カーナル山脈にある一大鉱山ウハムで産出する鉄鉱石の積み出し港として栄えてきた。町を軸に大きく湾曲した海岸線は、そのまま白亜の崖で作られた接岸不能の断崖地帯となって半島突端まで続く。つまり、この港がザクス半島の東側では最後の港湾となるのだ。半島の西側はカーナル山地が海まで続く人跡未踏の地域である。山脈の先は、外テリアルの生命線とも言うべき工業地帯ドメン平野が広がる。現在、防衛の主眼はこの地域の要塞化にあり、外テリアルの東側となる緑黄原野とバン・ザクス平野は、もはや捨て石も同然の状態にあった。
 だから副官の言ったように撤退についてもすでに指示が出ていた訳なのだ。
 その見捨てられた戦線の奥詰まった片隅ともいえるルーナは、まさに袋のネズミ状態に置かれていると言えた。今すぐ逃げても誰も文句は言わない。
 上部司令部が、海路からの退去を指示したのは、賢明な選択…の筈だったのだが。
「何か問題が?」
 副官が嫌な予感にかぶりつかれながら聞いた。
「海軍だ。誰も確認を取っていなかったのか上層部は…」
 ウェストハムの言葉に副官が目を見開いた。
「海軍がどうかしたのですか?」
「いや、どうも最近風通しがよくない。作戦に関する問い合わせに、まともな返事がかえってこない。王国の最高司令部から、軍病院の撤収指示がすでに出ているのに、こちらを運ぶ輸送船団についての詳報すら届かない。我が本隊の撤収については、何も返事がない。つまりだ、迎えの船はいまだに寄越すという確約すらもらえていないのだ」
「なんですって! 船がなかったら逃げようがないじゃないですか!」
 副官が両手で頬を押さえ絶叫した。
「とにかく引き続き連絡を試みているが、最悪病院船だけでも寄越して貰って軍病院の患者と医師だけでもなんとかしないと、王軍の名折れだ。海軍は、いったいどうなってるのだ」
「まずいですね確かに。この軍区の野戦病院が軒並み撤収となり、このルーナの軍病院に移送されてきた患者が、病院の外まであふれているのでしたね。先週の海上輸送でも、200名ほどしか運べなかったと聞いておりますが、いったい何があったのでしょう海軍に?」
 副官の問いに、司令官は首をゆっくりと振って見せた。
「どうも南方の共和国との海戦で大敗北を食らった余波が変な風にしわ寄せになってきている様だ。明らかに船が足りないのに、これを認めようとしない。だからだんまりをして返事をしてこない。私はそう睨んでいる」
 ウェストハムは、そこまで言うと両手を広げた。
「なるほど、何も言ってこないのでは、この先の輸送計画までまったく見えてこないというわけですね」
 副官が納得の表情を浮かべた。いや、納得してはまずいのだが、ウェストハムの言ってる事は正しい。
「すまんが誰か、海軍の指揮所に直談判に乗り込ませてくれ。最悪我々は最後でいい、病院の撤収だけは責任もって海軍に呑ませるのだ」
 ウェストハムの指示に副官は頷いた。
「了解しました。一番押しの強そうな士官を向かわせます」
「そうしてくれ」
 そう言うとウェストハムは、またしても地図を睨み呟いた。
「3日が限度か回廊を維持するのは。味方と完全に分断されるな、何日持ちこたえられるか…」
 この港が、戦史に残るほどの激戦地になるなどまだウェストハムには予見できていなかった。
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