三の段

文字数 3,282文字

 軍病院はまさにぎゅうぎゅう詰めの大混雑であった。
 これまでの戦争では魔法による障りに起因する傷病兵が大半だったのに、この国分戦線はこの半年ほどで様相ががらりと変わっていた。
 新帝国軍は攻勢正面に魔法兵を置かず、機械化部隊で投射兵器を多用するので、外傷による負傷兵が圧倒的に多数となって病院に担ぎ込まれることになったのだ。
 結果的に医師も、傷を見る外科医ばかりが忙しくなり、魔障を取り除く術医の出番が減った。
「まいった、私は血を見るのが苦手なのに」
 困惑の表情で負傷兵の腕に包帯を巻きながら呟くのは、王軍医務隊の法術医師コーラル中尉。彼に包帯を巻かれながら兵士が怪訝そうに聞いた。
「医者なのに血が苦手なのですか?」
「ああ、だから魔障専門医になったのに、王立奨学金で医学校に行ったのが運の尽き、軍医に召集され前線に送り込まれ、けが人の面倒を見ておる。まったく不幸の極みだ」
 包帯を巻かれる兵士がため息を吐いた。
「先生、あまりそういう話は患者の前でしないほうが良いですよ」
「おっと、それもそうか。君の怪我は程度が軽い、腕は一週間もあれば動かせるだろう。たぶん」
「確約じゃないんですね!」
「うむ、専門外なのでな」
 軽く手を振り、次の患者に向かおうとするコーラルに看護兵が声をかけてきた。
「コーラル中尉、ワダッシュ軍病院副長が呼んでおります」
「ほう、なんだろう。まあ血塗れになるよりはましだ、すぐ行こう。で、副病院長はどこに?」
 看護兵が建物の一番北端を示して言った。
「手術室です」
「げ!」
 コーラルは露骨にのけぞった。
 医師になるとき一番嫌だったのが解剖実習。とにかく血が嫌いな彼は、手術とだけは関わりたくないと魔障を必死に勉強してきた。という訳だから、この反応は条件反射的に出たものである。
「急いで来てくれとのことでした」
 駄目押しの一言で、コーラルは表情をこわばらせたまま手術室へと向かわざる得なくなった。
 負傷兵は廊下にもあふれている。横たわった兵士を踏まないように気を付けながら、何とか手術室にたどり着いたコーラルは、その扉を開けようとしたとき大声で一喝された。
「軍医! 前室で消毒をしてください!」
 それは女性看護兵の声だった。
 振り返ると、金髪をきりっとひっつめた若い看護兵士が腰に手を当てコーラルを睨んでいた。薄青い制服は、そこら中血の染みだらけである。
「アグネス伍長、こ、これはうっかりしてた、あはは」
 女性看護兵は指をビシッと突き付けてコーラルに言った。
「軍医中尉は血がお苦手でしたね、だからと言って手術室への入室手順まで失念されてはいませんよね」
「ま、まさかね、副病院長が急げと言っていたそうなので、その、うっかりだよ」
 実際のところ、消毒の事は完全に頭から抜けていたのだが。
 ジョーラルは頭を掻きながら慌てて準備室に飛び込み、両手を盛大にシャボンで洗うと、消毒液に肘まで漬け、後をついてきたアグネス伍長に貫頭衣式の手術服をかぶせて貰った。
 手術室には副病院長と三人の看護兵、そしてもう一人の軍医、こちらは外科が専攻のバーミングス大尉が居た。
「ああ、コーラル中尉待っていた!」
 歩きながらアグネスにマスクをして貰いながら近づくコーラルに副病院長が声をかけた。
「どうしたのでしょう、自分にはあまり縁のない場所のような気がしますが…」
 コーラルが恐る恐る聞くと、副病院長は首を大きく横に振った。
「貴様しか対応できそうもないのだ、見てくれ」
 示された先は、無論手術台だ。
 気乗りしないまま視線をそこにやったコーラルは、思わず口を大きく開き意味不明の声を漏らした。
 当然そこには患者である兵士が横たわっていた…のだが、その身体は宙に浮きあがり発光していた。
「魔術暴走! これは、患者本人の魔術ですよ! どうしてこうなったんです?」
 コーラルの問いにバーミングスが答えた。
「右肩下に散弾が食い込んでいたので除去する為に麻酔をかけメスを入れた瞬間、暴走が始まった。こんな膨大な反発魔量を持っていたら、触れるはずもない。本人が浮き上がる程の反発なのだ。文字通り手足も出せん」
「生理反射でこうなったと? いやいや、発動因子が何であれこの量は尋常じゃない。この兵士の潜在魔力量はどうなっているんだ…」
 コーラルがごくりと唾を飲み、浮き上がった兵士を観察する。
 まだ十代と思しき少年兵だが、意識を失くしているのにその身体は恐ろしく強い魔力で覆われ、完全に外界と遮断されていた。
「魔法の発散を止められんか?」
 副病院長の言葉にコーラルは答えた。
「少し待ってください。どの程度の潜在量があるのかは判りませんが、このまま放出していたら魔力は周囲の空間に干渉を始めて我々まで危険になります。なんとか暴走を止めないと」
 ようやくコーラルの表情が真剣なそれに変わった。
 魔法の属性はそれを発動させる本人の固有スキル。つまり、この患者の持っている魔法は反発。いわゆるシールド系魔法だ。
 しかし、これほど強大な発散量を持つ事例をコーラルは見たことがなかった。攻撃系魔法であれば、この数十分の一の魔法量であらゆる物を破壊できるだろう。遮断系魔法はその固有密度が重要となるので、通常は数十センチ四方をシールドするだけで本人の魔力の全力が必要となる。
 ところが、この患者は全身を覆ったシールドがすべての物質に対し反発を起こしている。だから宙に浮いてしまっているのだ。
 魔法がこのまま流出し続けた場合、周囲に居る人間の魔力との相性などによって干渉魔力場が形成され、本人の意思に関係なく合成魔法が発動してしまう可能性が高い。
 往々してそれは、爆散系魔法という厄介な形になる。と学校で習っていた。
 冗談じゃない、この量の魔力が他の魔力と結ばれて爆散したら、この病院なんて簡単に吹っ飛んでしまうに違いない。
 コーラルは必死で考えた。
 暴走の原因は?
 傷に対する防御反応か…
 無意識でこれが発動したとすると…
 コーラルは慌てて手術室内を見渡した。彼は、その場に居る人間の階級章を片端から確認したのだ。
 階級章は単なる軍の階級だけでなく、固有魔法属性を色で表している。
 コーラルが探していたのは、青。音響系魔法の術者だ。
 その場の人間で青い階級章を付けていたのは、ただ一人。アグネス伍長だった。
 コーラルは、アグネスの肩を掴むと叫んだ。
「アグネス伍長、歌え! すぐに目覚めの歌を唄うんだ!」
「え?」
 アグネスが目を真ん丸にしてコーラルを見返した。
「あの患者の麻酔を醒ますんだ。音は、反発魔法力場に干渉されない!」
 アグネスがこくこくと頷き、すぐに両手を胸の前で結ぶと、覚醒魔法の効果を持つ歌を唄い始めた。
 のだが、正直それはひどく音程の外れた代物だった。
「あう、こ、これはひどくないか…」
 思わず皆が耳を覆ったが、効果だけはしっかりあったようである。
 宙に浮いていた患者兵士の目が見開かれ、次の瞬間、彼を覆っていた魔法力場が一気に消散したのだ。
 ドスンという音を立て、患者は手術台に落ちた。
 同時に、その若い患者兵士が叫んだ。
「痛い! 何て下手な歌なんだ!!」
 手術室に居た医療スタッフたちが一斉に安どのため息を吐いた。
「助かった…」
 しかし、そんな中でただ一人、アグネス伍長だけがとんでもなく暗い顔で床を見つめ呟いた。
「あたし激しく傷つきました…」
 そのアグネスの肩を叩きながらコーラルが言った。
「よくやってくれた、君は救いの女神だったよ」
「全然うれしくないです」
 アグネス伍長の気分は深海の底まで落ち込んで浮かぶ素振りも見えなかった。
 そんな手術室内の様子を診ながら、目を覚ました患者兵士が呟いた。
「あの、ここは何処ですか? 僕は何をされているんですか?」
 それが大きな嵐の最初の兆候だとは、まだ誰も気付いてはいなかった。
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