第2話:八王子の野本家と中野の住友家の結婚

文字数 1,717文字

 野本家は、橋本駅から6キロの八王子の郊外、野本家のとして本家を中心に12軒の親戚や分家があり古くからの農家が残っている地域。1952年10月に長女の和美が生まれた。母が商業高校でソロバンが得意だったので小さいときから計算が早く、ソロバンも上手になり、中学ではソロバン3級をとった。

 長男の野本和重は、田舎の雰囲気が好きではなく、勉強して、大都会の東京の中心で仕事がしたいと考えていた。そのため中学に入ってから得意の数学と理科を中心に英語、国語を勉強して成績が良くてクラス3番以内の成績だった。中学2年の時に学年5位まで成績をあげてた。そして名門の国分寺高校をめざして1966年に合格した。

 その頃、長女の和美は、成績はクラスで10番前後で、特に勉強が好きというわけでもなく、母と同じ、国立の都立第5商業高校をめざして、1968年4月に合格した。兄の野本和重も国分寺高校でも勉強に打ち込み、1969年4月、都立大学工学部電子工学科に合格した。その後、1971年4月に野本和美がジャスコ三鷹店に就職した。

 ジャスコの若い仲間同士で、休日、西武園遊園地は、夏にはサマーランドに出かけたりし交際を深めた。その中で1973年、中央大学を卒業し、ジャスコに入社した住友次男と特に親しくなり彼のカローラで箱根や山梨の桜と桃の花見に行った。夏は、清里高原へ出かけたりして1971年10月に結婚を申し込まれて了解した。

 しかし結婚式はせずに入籍だけをした。一方、住友次男の実家は、中野の郊外で昔から住んでいた。住友次男は、2人の兄弟の次男で、長男の一郎は、慶応大学経済学部に入学後、M銀行に入社し投資の専門家になった。しかし、住友家では、お金には厳しく住友次男も就職して家を出てジャスコの独身寮に入っていた。

 結婚後、ジャスコの家族寮に入り生活を始めた。給料は、次男が月8万円、和美が6万円だった。しかし食料品は、売れ残り品を買ってきて特に、ぜいたくをせず、次男は、月に2万円で生活しようと提案。1972年9月、和美が体調が悪いと言い医者に行くと妊娠とわかり出産予定日が197年2月13日と判明。

 お腹が大きくなり12月の検診で、もしかしたら双子かも知れないと言われた。その予想通り双子と判明、1975年2月10日に入院して13日に、無事双子の男の赤ちゃんが誕生し、健一と健二と命名。双子ので、面倒見るのが大変で、野本和美の両親の住むの農家を改修して住んだ。住友和美は、小さい頃から、質素な生活には慣れていた。

 そこで母から教えてもらった、食費を抑えても、美味しいおかずをつくる方法を実践した。その方法1が、多種類の卵料理をつくるべし。ゆで卵もマヨネーズと混ぜて、サラダやトーストにつけて食べる。干しエビや「ちりめんじゃこ」、ねぎのみじん切りと混ぜて食べるべし。その方法2、小麦粉を多用すべしと教えられて育った。

 小麦粉にいろんな物「タコ、イカ、バラ肉炒め、ベーコン、キャベツ」と作り、味付けもソース、醤油マヨネーズ唐辛子などもアクセントになり食欲が増す。おやつとしても干しぶどうを混ぜたりしてホットケーキ風に味付けしてつくれば最高。ジャガイモが安い時には、挽肉やカレー粉を入れて、多くのコロッケをつくると割安。

 小麦粉でも強力粉が手に入るなら普通の薄力粉と半々に混ぜて、中力粉にすれば、塩と水を入れて練って麺にすれば、うどんになる。少しのイーストを入れて、お湯で混ぜて、ボールに入れて、フライパンに熱い湯を入れて20分、お湯の上にボールを置いて発酵させると膨れる。それを等分して団子状にして板の上に置き濡れふきんで覆い10分でナンが完成。

 そのナン生地が完成。それを大きなプラスチックシートの上でのし棒で直径20cmの円状に広げる。広がった物をフライパンで、両面、多少焦げ目がつく位、中火で焼く。

 焼いた物を適度に水分が飛ぶように生地の表面温度が常温に下がるまで、冷ましてチャックつきのビニール袋に入れて、冷凍庫なら長期間保存可能である。ナンの上にトマトソースを記事の上に伸ばし肉や貝、野菜、とろけるチーズを載せ、レンジで温めるとピザの完成である。
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