第3章 哲学の現在

文字数 1,470文字

第3章 哲学の現在
 西田は、1945年6月4日、尿毒症によって急逝する。彼は、結局、日本の敗戦を眼にすることなく亡くなる。自分の主観主義が戦争を捉えるには限界があったことを自覚していたかどうかは定かではない。

 西田以降、戦後になっても、主観主義が若者の間で流行している。60年代のカリスマ吉本隆明も、思想内容は違うが、姿勢は西田とよく似ている。吉本は、外来思想を拒み、文献学的アプローチを否定、我流の用語と論証を用いて、主観主義的な解釈を展開する。

 今日でも、自身の主観を相対化せず、自分の経験や実感から事象を解釈する主観主義的思考の人気は依然として巷に根強い。このショートカットは自らを容易に納得させられる。しかし、それは社会や歴史の問題には向かない。哲学は自らを蝕むこうした安易な主観主義を批判しなければならない。

 イマヌエル・カントが形而上学に熱烈な片思いをし、その研究の道に進んだ18世紀、大学における哲学の地位は低い。神学部を頂点として法学部や医学部がそれに続き、哲学部は下級学部と見られている。しかし、その反面、最もエネルギッシュで、活気に溢れている。その理由は哲学部のカバーする領域が非常に広範囲だったからである。当時の大学で専門的に扱われていなかった物理学や地理学などのみならず、上級学部の領域である宗教や法律、生命もアプローチによっては考察することができる。哲学部はジェネラリストの場である。

 けれども、高度に専門家・再分化されると同時に、学際化も進んだ現代における哲学の役割は限定されている。思想史は、思考自体を考察するためにも、必須である。思考の理念型の研究は決して古びてはいない。実際、哲学の学習を積まなかったものたちの言動はお粗末極まりない。しかし、個別性を配慮しなければならない主観性の領域を扱うには抽象的であり、一般性を考慮しなければならない客観性の領域に対処するには曖昧である。哲学は、現代社会では、主観性の面でも、客観性の面でも不徹底である。

 けれども、哲学は教養、すなわち思考のインフラとして働いている。ミミシェル・フーコーは、刑務所や精神病院など制度の歴史を遡行する。ミハエル・バフチンは、史料がない中世の民衆文化をフランソワ・ラブレーを手がかりに描いている。これらは現代哲学の可能性の一つである。特定のテーマを設定し、哲学的素養に基づき、歴史を辿る。哲学はもう主役としてはお呼びでないが、実力派のバイプレーヤの役割が待っている。現代の哲学が「自覚」すべきは陰徳である。
〈了〉
参照文献
西田幾多郎、『善の研究』、岩波文庫、1979年
同、『場所・私と汝他六篇』、岩波文庫、1987年
同、『論理と生命他四篇』、岩波文庫、1988年
同、『自覚について他四篇』、岩波文庫、1989年
同、『西田幾多郎随筆集』、岩波文庫、1996年
同、『西田幾多郎歌集』、岩波文庫、2009年
『日本の名著47』、中央公論社、1977年

上田閑照、『西田幾多郎 人間の生涯ということ』、同時代ライブラリー、1995年
柄谷行人、『ヒューモアトしての唯物論』、筑摩書房、1993年
小坂国継、『西田幾多郎の思想』、講談社学術文庫、2002年
坂口安吾、『堕落論』、角川文庫、2007年
下村寅太郎、『西田幾多郎─人と思想─』、東海大学出版会、1965年
永井均、『西田幾多郎 〈絶対無〉とは何か』、 日本放送出版協会、2006年
中村雄二郎、『西田幾多郎』全2巻、岩波現代文庫、2001年
青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/
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