第5話 そして…

文字数 1,737文字


「飯でも食わないか?」
 いつもの誘い文句だ。
「ああ、いいよ」
 高坂のほうもいつもと同じ返答をする。
 頭取室に入って行くと、田村耕造が椅子から立ち上がって軽く手を挙げて迎えてくれた。
「よっ、元気か」
 田村の第一声はいつもこれだ。
「ああ」
 私の答えもいつも同じだが、自分でも愛想がないと思う。
 こうして3,4カ月に一度くらいの頻度で田村は自分のことを昼食に誘う。とはいっても、外で食べるのではなく、この頭取室で食べる。田村の忙しさを考えれば当然のことだ。
「今日も寿司にしたけど、良かったか?」
 これも毎回同じ台詞だ。自分が食べ物の中で一番好きなのが寿司だと田村は知っている。一方の田村はてんぷらが一番好きだと自分は知っている。でも、この会食ではいつも自分を優先してくれる。それが田村なりのおもてなしなのだろうが、自分からすれば、へんに気を遣い過ぎだと思っている。
「俺はお前が知っているように寿司が大好物だから嬉しいけど、たまにはてんぷらでもいいぞ」
「いや、今日は俺も寿司が食べたい気分なんだ」
 今日はと言ったが、いつも寿司だ。
「あっ、そう。それならいいけど。なんか毎回同じこと言ってるような気がするけど」
「まあ、そんな細かいことはどうでもいいだろう。さあ、座って」
 室内の応接セットのテーブルの上にはすでに高級寿司が用意されている。
「毎度おいしそうだな」
「そう、じゃない。おいしいんだよ」
「わかってるよ」
「じゃあ、さっそく食べよう」
 銀座の超有名店に特別に出前で配達してもらっているものなので、当然ながら美味しい。


 田村と高坂は同期入社組だった。もちろん、同期といっても数多くいたが、田村と高坂は同じ大学出身者ということや趣味が同じといいうこともあって馬が合い、すぐに仲良くなった。一緒に飲み、一緒に遊び、一緒に上司の悪口を言い合い、会社の将来について真剣に論議もした。だから、高坂は田村のことが大好きであり、だからこそ大嫌いでもあった。それは今でも全く変わらない。
 色んな意味で同じレベルだった二人は、仕事面ではライバルでもあった。お互い切磋琢磨し、途中までは互角だった。しかし、ある時期から田村が高坂を追い抜き、どんどん出世し、なんと頭取まで昇りつめてしまった。一方の自分は本店にはいるものの、総務部付きの特別職(部長待遇)という、よくわからない立場になっている。当然二人の接触の機会はまったくといっていいほど無くなった。
 ところが、ある日突然、頭取になった田村から高坂の元へ内線電話がかかってきた。
「飯でも食わないか?」
 元同期とはいえ、今や頭取になった田村からの誘いをどう受け止めればいいのかわからなかったが、頭取の要請を断ることなどできなかった。
 こうして始まった昼食会だったが、二人きりの時、田村は同期としていつも一緒につるんでいた当時と同じようにため口で話しかけてきて、それを自分にも応じるように求めた。頭取にため口なんてと、最初は戸惑いもあって断ったが、田村が譲らなかったため現在まで続いている。
「最近どうなの? 行けてる?」
 田村が共通の趣味の釣りことを訊いてきていることはすぐにわかった。
「う~ん。たまにね」
「そうか。たまにでも行けるのは羨ましいよ」
 頭取となった田村にはそんな時間もないのだろう。そう思うと、ちょっとかわいそうになる。
 この場では仕事の話はしないのが暗黙のルールになっている。必然、趣味とか、お互いの家族のこととか、最近巷で流行っていることとかについて会話することになる。そんな話を交わすだけで昼休みの1時間分なんて、あっという間に終わる
 だが、その日の田村は珍しく高坂の現在の仕事に関連した質問をしてきた。
「前から訊きたかったんだけど、もし高坂が自分の人生でやり直すことができるとしたら、何をやり直したい?」
 田村がこの質問に深い意味を込めているとは思わなかった。
『なんとなく訊いてみたくなった』
 そういう顔をしていた。
 何と答える?
 自問自答してみたが、考え過ぎてもどうせ碌な答えなど出て来ない。
 なので、瞬間に思いついたことを言った。
「う~ん。この銀行に入らなかった人生かな」
「ほう。それは何で?」
「田村と出会わないで済んだから」
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