四 視察 その一

文字数 4,490文字

 三洋テキスタイル訪問の話は急遽まとまった。
「では、一時にラウンジで待ってます。
 在庫の件は私が話しますので、社長たちは就任の挨拶をしてください。
 お二人が睨みを効かせれば、みな、注意して話を聞きますよ」
 メンズ事業部長はそう言って笑った。


 午後一時。
 曇り空の下、メンズ事業部長とともに三分ほど歩いて三洋テキスタイルの玄関フロアに着いた。
「Marimuraメンズ事業部の後藤です。
 本日は打ち合せを兼ねて、社長就任の挨拶に伺いました」

 後藤俊介メンズ事業部長が受付に挨拶している間、タエとケイは後藤メンズ事業部長の背後で受付嬢に御辞儀した。どう見ても、後藤メンズ事業部長がMarimuraの新社長のように見えて、タエとケイはさしずめ社長秘書といった雰囲気だ。
 後藤部長が、タエとケイを新社長だと紹介するが、受付嬢は自分と同じような世代の二人を新社長の秘書だと思ったらしく、軽く会釈しただけで、すぐさま、
『Marimuraの後藤俊介メンズ事業部長が社長就任のご挨拶に来ています』
 と社内連絡している。
「まあ、いっかぁ・・・」
 ケイはニヤリと笑って呟き、タエに目配せした。

「いらっしゃい。今日は打ち合せですか?」
 聞き覚えある声がタエの背後に響いた。
 タエとケイはふりかえった。
「ああ、先日はありがとうございました。これ・・・」
 タエはショルダーバッグから、借りていた青い傘を取りだして男に渡した。
「ありがとうございました。返すのが遅くなってすみません。
 木村タエです。こっちは大沢ケイ、義姉です」
「大沢です。義妹がお世話になり、ありがとうございました」
 タエとケイは男に自己紹介して御辞儀した。

 タエとケイの挨拶に、男が御辞儀して自己紹介する。
「メンズファブリック第一営業部の後藤俊一です。そこにいる後藤俊介の遠縁です」
「ええっ?後藤メンズ事業部長は前橋出身か?」
 ケイが驚いたようにそう言った。
 その声と口調を聞いて、後藤俊一と受付嬢が驚いている。
「ええ、私の祖父の実家が前橋です。俊一は遠縁ですね」
 後藤メンズ部長が後藤俊一との関係を説明した。
「世の中、狭いな。てことは、私たちは同郷ってことか!」
 タエの言葉で、後藤俊一と受け付け嬢の表情が強張った。タエとケイが後藤メンズ部長の秘書ではなさそうだと気づいた。

「後藤さんと後藤部長の関係は?」
「私の甥の息子がこの俊一です。つまり、俊一の祖父の末弟が私ですよ」
 と後藤メンズ事業部長。
「てことは、後藤さんの大叔父が部長か?」
「そうです。まあ、家系の話はそれくらいにして、紹介しましょう。
 俊一。こちらは我社の新社長。大沢ケイさんと木村タエさんだ。
 大沢さんと木村さん。
 こちらが三洋テキスタイル、メンズファブリック第一営業部の後藤俊一課長です」

「遠縁とは言っても、親戚だから、気心知れるってことか・・・」
 ケイが何やら考えている。どうやら、経費に関する事を考えてるみたいだ・・・。この場で経費の交渉はまずいなあ・・・。

 タエがそう考えていると、助け舟を出すように後藤メンズ事業部長が言う。
「我社の担当は俊一ではない他の者にして欲しいと要望したんですが、こちらのメンズファブリックの統括部長が
『身内の方が、本音で商売できるでしょう』
 と言って、第一営業部の俊一を推してね・・・」
 後藤メンズ事業部長はそう言って年甲斐もなく照れている。

 そんな事をよそに、タエとケイが新社長だと知って、タエとケイが後藤メンズ事業部長の秘書だと思っていた受付嬢と後藤俊一が、にわかに緊張し始めた。

「では、我社の担当は後藤さんか?」
 ケイの質問に後藤メンズ事業部長と後藤俊一が頷いている。
「それなら、在庫の打ち合せは二人に任せる。
 私たちは、三洋テキスタイルの社長か、メンズファブリック統括部長に挨拶したい。
 そのように取り計らってください。ただし、仰々しい会談はよしとくれ」

 タエの言葉で、受付嬢は我に返った。ただちに連絡をとって、タエとケイが三洋テキスタイルの社長と会えるように手筈を整えた。
「そちらのソファーでお待ちください。秘書がお迎えに参ります」
 受付嬢がそう言う間に、
「では、私たちは打ち合せしますので」
 後藤俊一は後藤メンズ事業部長を連れて一階ロビーの商談室へ移動した。

「では、あちらにどうぞ」
 受付嬢がラウンジのソファーに二人を案内した。
「ありがとう。私は大沢ケイだ。こっちは木村タエ」
「私・・・、野本智美です」
「そっか。ありがとうね」とタエ。
「はい。木村様。大沢様」
「気にすんな。タエとケイでいいよ」
「はい、タエさん。ケイさん」
「うん。よろしくね、智ちゃん」
 野本智美受付嬢は顔を赤くして受付のカウンターに戻った。


 タエとケイはラウンジのソファーに座った。
「ここの社長は、後藤メンズ事業部長くらいの歳だよ」
 ケイが、三洋テキスタイルの社長、常田裕蔵について調べた事を説明した。
「あたしらの親より歳上かあ。さて、何に睨みを効かせっかなあ」
 タエはそう言って、のんびりしている。
「アハハ、雨傘の彼に会えて、良かったね、タエ」
「うん・・・」
 タエが考えているあいだに、社長の秘書と名乗る女がラウンジに現れた。

 社長秘書はタエとケイを三洋テキスタイル社の十五階へ案内した。
「お二人は社長にお成りになるのに、苦労なさったのですか?
 社長になる秘訣は何ですか?よろしかったら、お教えください」
 エレベーター内で、秘書は相田由美と自己紹介して、秘書になって七年になると話した。
「秘訣はないよ。強いていえば、空手の段を取る事だね」
「何段なんですか?」
「黒帯だよ。想像に任せる」
 ケイがそう言って微笑んだ。二人とも空手三段だ。実際はそれ以上かも知れない。

 タエもケイも身長は百七十センチほどで同し歳だ。二人とも一見、スリムな体型をしてる。二人とも、胸は小さくウエストはバイオリンのように括れて尻はちょっと大きめだとタエは口癖のように言う。目が大きくて小顔で鼻筋がとおって童顔だ。
 二人とも体型も顔も似ている。髪の質も似ている。タエはケイを義姉と言うが、タエがケイを実の姉だと言っても誰も疑わない。
 二人は性格も似ている。タエは屈託なく全てに前向きだ。なんでも良い方へ考える。ここまでの性格はケイも同じだ。
 ただし、タエにはケイと違う面がある。ケイはあまり物事にこだわらないないが、タエはケイ以上に物事にこだわらない性格だ。
 こんな二人を空手三段、実際はそれ以上の実力だが、誰も有段者とは思っていない。


 三洋テキスタイルの社長室に入った。
「お待ちしていました、社長の常田裕蔵です。どうぞお座りください」
 タエとケイの親より歳上らしい常田社長はケイとタエにソファーを勧めた。

「Marimuraの社長に就任した大沢ケイです。こちらも社長に就任した木村タエです」
「木村タエです」
 二人は常田社長にそう挨拶して、一瞬、常田社長を威嚇するように睨んだ。その一瞬で常田社長はたじろいだ。次の言葉に詰っている。 
「ただいま、お茶をお持ちします」
 秘書の相田由美が気を効かせてそう言った。

「ああ、よろしく頼むよ・・・。
 お二人の武勇伝、伺っています。Marimuraの窮地を救って、株主を説き伏せたとの話、半信半疑でしたが、今こうしてお会いして、納得しました。
 これまで、多方面で、活躍してきた事と思います」
 常田社長は、Marimura乗っ取りを阻止したタエとケイの噂話から推測して、タエとケイが企業再生プロジェクトのチームリーダーだと思っているらしかった。

「今日はMarimuraの社長に就任した挨拶です。
 まっ先にこちらに挨拶に来ました。
 Marimuraは後藤メンズ事業部長が中心となって、こちらと紳士服地を取り引きしてる。
 今後の取引増加を確約はできないが、他の素材も見せて欲しいと思って挨拶に来ました。
 いかがですか?」
 ケイは歯に衣を着せぬ態度でそう話した。

 常田社長が言う。
「わかりました。早速、手配しましょう。
 このビルは我社の自社ビルです。十六階以上はテナントが入っていますが、十五階までは、首都圏の我社の全てを管理する、営業と物流、そしてデザイン企画と在庫管理のシステムが完備されています。ご覧になりたいのは在庫管理と企画だと思います」

 企業には取引先にも公開できない秘密がある。常田社長は現場を掌握していないらしいと思いながら、タエが言う。
「部外者がデザイン企画を見るのは問題があるだろうから、在庫管理と商品サンプルを見せて欲しいと思ってる。素材の色彩デザインでは無くて、糸使いに寄る素材変化と、風合いの変化を知りたい。色彩デザインは後づけできるからね」
 タエの話し方は、Marimuraのデザイナーたちに説明すると時と同じだ。

「新しい取引を考えてますか?」と常田社長。
「今後の取引増加を確約はできない、と話したはずだ。
 素材を見ないで、新しい取引を考えるわけにはゆかない」
 タエはそう言って、同じ事を何度も言わせるなとの態度で常田社長を睨んだ。

 タエの視線を眉間に感じて、常田社長は一瞬、身震いした。
「わかりました。では、私がお二人を案内しましょう・・・」
 常田社長はそう言ってインターホンをオンにしようとした。
「ちょっと待ってください。常田社長も忙しいでしょう。
 今日はMarimuraの後藤メンズ事業部長が打ち合せでこちらに来てるから、こちらの担当者に案内をお願いしたい。いかがですか?」
 ケイがそつなくそう言った。

「わかりました。そのように手配しましょう。
 いや、それにしても、お二人とも腹が座っていると言うか、何と言うか・・・」
 常田社長はタエとケイの態度にタジタジとしている。
「腹は座ってないよ。互いに取引相手だ。対等なだけだ。歳は関係ないよ」とタエ。

「なるほど、そうですね。
 ああ、相田さん。メンズファブリック第一営業部の後藤課長が、Marimuraの後藤メンズ事業部長と商談中です。
 すんだら、お二人を案内して、在庫管理と商品サンプルをご覧頂くよう伝えてください」
「わかりました」
 相田秘書は持ってきたお茶をソファーテーブルに置いて、社長室を退出した。

「無理を言ってすみません。今後の取引のために、情報を得ておきたいと思ってる」
 タエがそう言うと、常田社長はもっともな事だと思った。

「とかく社長なんて者は、利益ばかり追求して、何が利益に繋がるか考えなくなってます。
 自社商品を全て知って、何が売れ筋か知る事こそ、利益に繋がるという事ですな・・・」 常田社長はリエとケイの話に納得したみたいだった。

 まもなく、相田秘書が現れた。
「後藤課長が一階でお待ちしていますから、ご案内します」
「そしたら、常田社長。私たちはこれで失礼します。
 Marimuraに、遊びに来てください。その時は、難しい話は抜きだよ。
 ああ、常田社長。運動不足だから、太極拳みたいなのをするといいよ。
 有酸素運動だよ」
 タエとケイは、そう言って社長室を出た。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み