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文字数 9,859文字

 レギュラーグループのレコーディングは結構な時間を要したものの何とか無事終了した。後は来春のレコードの発売を待つばかりだ。ダンモではリサイタルに向けて各バンドがいよいよラストスパートだ。私たちのカルテットも最後の詰めの段階に入っていた。リサイタルで演奏する楽曲は既に決まっていた。演奏するのは四曲。先ずはハード・バップ系のナンバーでベースのサム・ジョーンズ作曲の「Del Sasser 」、はずきが歌う曲はカウント・ベイシーの演奏を基にした「Cute」とスタンダードの「On The Sunny Side of The Street」の二曲。ここまでは私の選曲で、残り一曲はサックスの深水君が演りたい曲として提案のあったベーシストの中村照夫作曲の「Derrick's Dance」こちらは私達のトリオが不得手とするまさしく最先端のコンテンポラリー・ジャズだった。


 「Del Sasser 」は馴染みのバップ系のスイングで特に問題ない。

 はずき嬢が主役となる「Cute」はヴォーカルとブラッシュ・ドラムの掛け合いだ。これで赤坂君のリクエストにもバッチリ応えた。しかしこの曲でベースの寺久保君が迷いの沼にはまり込んだ。彼はバックで通常のウォーキング・ベースをこなす分には何の問題も無いのだが、二小節毎にブレイクが入りドラムとの掛け合いが最後まで続くこのシンプルなリフにどう対応して良いのか悩みに悩んでいた。私にも助けを求めてきたが、私は敢えて自分で解決するよう突き放した。この苦しみは彼がベーシストとして一皮剥けるチャンスでもあった。私なりのアレンジ案はあったが、このようなケースにどう対応するのが良いのか、主旋律に対してハーモニーともなるカウンター・メロディを奏でるのか、あるいは別のアプローチが良いのか、それを彼自身が悩み抜いて見出すしか道は拓けない。彼はダンモのベースの先輩に相談するなど色々ともがいていた。『それでいい』私は彼がどんな結論を出すのか楽しみに待つことにした。

 もう一曲の「On The Sunny Side of The Street」のアレンジは峰純子のアルバム「A Child Is Born」での演奏をベースとした。彼女はまだまだ腹から声は出てはいなかったが、細かく練習した結果メロディのフェイクも出来るようになり何とか形にはなってきた。

 やはり一番難航したのは「Derrick's Dance」参考としたオリジナル曲のアレンジはこのカルテットの編成ではそもそも難しかったし、再現できるような腕前もセンスも持ち合わせていなかった。今自分が出来る範囲で最大限頑張ることしかできない。私の演奏は深水君のイメージとは違っていたかもしれないがそこは勘弁してもらうことにした。

 曲の骨幹は大体出来上がってきており、後はイントロとエンディングを決めて音楽としての完成度を高めるだけだ。そのためにはメンバー間のコミュニケーションをもっともっと高めていかなくてはならない。私は音楽長屋での練習と同等以上にその後の「DUO」でのミーティングに力を入れた。いつもの四人掛けのテーブルに他所から椅子を一脚拝借して五人でホワイトを飲りながら、音楽以外の話題でワイワイと盛り上がった。その甲斐あってかバンドとしての結束力や阿吽の呼吸みたいなものが確実に醸成されていった。私にとっての最後のリサイタルのステージは楽しくなりそうな予感に満ちて来た。


      ♪


 そしていよいよ十二月五日、リサイタル当日がやって来た。これまでの年と違って今年は会場の準備その他の雑務を全て下級生に任せて演奏に専念だ。しかしそれも痛し痒しだった。自らがバンドリーダーということもあるのだろうか、昨年とは全く違う緊張感に包まれて何とも落ち着かない。今年の司会は七四年卒のOBでプロ・ヴォーカリストの松山静雄さんだ。まさかそこまで赤坂君が目論んだとは思えないが、まさしく今年のリサイタルはあのチケットが象徴するように「ヴォーカルの夜」になりそうな雰囲気だ。平日水曜日ということもあってか観客の入りはそこそこだ。さすがにタノリさんが登場した昨年とは違い会場の雰囲気は落ち着いたものだった。

 そんな中開場時刻の午後五時がやってきた。司会の松山さんの登場でいよいよ第二十二回リサイタルが幕を開けた。幹事長の後藤さんの短くたどたどしい挨拶が終わると、トップバッターのD年バンドの登場だ。小森君のトランペット、長沢君のアルトサックス、武畠君のテナーサックスのフロント三管に宇梶君のピアノ、山下君のベース、米田君のドラムのリズムセクションとなかなか豪華なバンド構成で、三管のハーモニーを有効に駆使した演奏を披露した。

 続くはE年のトランペットの藤崎正彦君をリーダーとするその名も「なかよしグループ・めばえ」 こちらは藤崎君のトランペットとD年の牧田君のテナーサックスというフロントラインに、E年ギターの小野君とドラムの奥野君、D年ピアノの石井嬢、この夏の札幌公演に同行して我が家に泊まったベースの岡田君というセクステットだ。コンボ編成においてある意味理想的な楽器で構成されており、多彩な音色で堅実な演奏だった。

 三番手はE年のトランペットの広岡耕司君率いる「正直広岡とイカサマバンド」 ダンモに入部したにもかかわらずその生真面目さを一切失うことのなっかった広岡君と、ギターの佐原敏之君、ドラムの宮越隆司君という三人のE年メンバーにテナー・サックスの深水君、ピアノの安永君、ベースの長谷川君という三人のD年メンバーを加え、更にヴォーカルの古谷七碧嬢が参加した異色のバンドだ。こちらも前のバンドと同様のメンバー構成によるセクステットなのだが、演奏される楽曲は全く対照的だった。それは何と言ってもヴォーカルの古谷嬢の意欲的な選曲によるところが大だった。彼女はフローラ・プリムの大ヒットアルバムから難しいサンバを選んでいた。そのチャレンジングな精神は実に逞しく、ある意味私は敬服した。

 そして四番手に登場したのがE年のギターの白河弘がリーダーを務める「農村生活向上委員会」 なぜ農村なのかと問われれば、それは全てリーダーの白河君に由来する。彼の家が千葉の田舎にあったこと、日に焼けた色黒の顔、身に付ける服装に茶系が多かったこと等全てが土や農作業をイメージさせるからだった。このバンドのメンバーは白河君の他、E年のトランペット徳光啓君と私のバンドと掛け持ちのベースの寺久保俊君、D年のアルトサックスの栗田和昌君、ピアノの天谷敏子嬢、ドラムの羽鳥俊という構成だった。一曲目は白河君のギターをフィーチャーした「Watch What Happens」ウエス・モンゴメリのアルバム「A Day In The Life」に収録されたミシェル・ルグランの名曲だ。落ち着いた堅実な演奏で安心して聴くことができる。前のバンドがもたらしたある種のザワツキも鎮まり、リサイタルは再びそのリズムを取り戻した。その後スタンダード・ナンバー二曲を背伸びすることなく纏めて彼らのステージは終了した。 

 そしていよいよ前座のしんがりを務める私たちのバンドの出番となった。今回命名されたバンド名は「新生アルチュール評議会 翔中派」 読んで字の如く、練習後に必ず酒を酌み交わすことから名付けられたものだ。私たちはそれぞれ自分の持ち場に着き、演奏前のセッティングを始めた。楽曲の構成は最初と最後がインストゥルメンタルで、中間の二曲をヴォーカル曲とした。初っ端のハード・バップならではのドライヴィング・スイングで「高揚」を、次にしっとりとしたヴォーカル・ナンバーで「陶酔」を、ラストのコンテンポラリー・ナンバーで「興奮」をというのが私たちのシナリオだった。レギュラーグループとは一味違うダンモの一面をしっかりと表現すること、それが私たちの目標でもあった。

 そして司会の松山さんによる曲紹介で一曲目の「Del Sasser 」の演奏がスタートした。赤坂君のドラムによる三小節のイントロに続いて深水君のテナーが逞しい音色でテーマを吹き始める。サビへの移動もいい感じだ。カッチリと決まったテーマを受けて最初は私のソロだ。スイング感にもう一段ドライブをかけるよう私は懸命に指を走らせた。寺久保君のベースが強烈なビートを刻み、赤坂君のドラムが更に拍車をかける。その流れそのままに深水君がソロを引継ぎ展開してゆく。『良し、いい感じだ』 八小節のドラムソロをブリッジとしてラストテーマだ。これまで練習ではやっていなかったのだが、興が乗った私がメロディにオブリガードを付けると、それを受けて深水君も同じことをした。これが「DUO」で培った阿吽の呼吸というやつだ。ラストテーマから「Molestone」をフェイクしたエンディングへと移る。これも綺麗に決まり無事一曲目が終了した。リズムも安定しておりワン・ホーン・カルテットとしてはなかなか厚みのある満足できる演奏となった。

 松山さんのメンバー紹介は、私、ベースの寺久保君、今年度のマネージャーでドラムの赤坂君、テナー・サックスの深水君と続き、最後にヴォーカルの川口はずき嬢を呼び入れた。彼女はお母さんが縫ってくれたという紺のロングドレスで登場した。会場から「はずきー!」と大きな掛け声がかかる。さあここからはゆったりとした女性ヴォーカルが主役の陶酔タイムだ。最初は「Cute」 これまたイントロは四小節の赤坂君のブラッシュ・ドラムのみ。出だしの音程を示すものが一切ない状態で彼女はいきなりテーマを歌い出さなくてはならない。これはなかなかの難題だった。しかし彼女は何とか許容範囲内で歌い出すことが出来た。これで少し安心したのだろう。後の流れはスムーズだ。ここからテーマは二小節のメロディとブレイクに相当する二小節のドラムソロとの掛け合いで進んでいく。課題だった寺久保君のベースも必死にカウンター・メロディを爪弾いている。気が付けばあっという間にテーマが終了し、私のソロに移った。曲のイメージを損ねることなく、スイング感を保ちながら二コーラスを弾き切りラストテーマに戻る。はずき嬢も落ち着いてしっかり声も出ている。さあエンディングだ。最後の最後に私の早弾きが控えていたが、幸いにも指が縺れることもなく何とか無事弾き切ることが出来た。『うん、悪くない。』

 そして二曲目は「On The Sunny Side of The Street」 これをゆったりとしたテンポで大らかにスイングしていかなくてはならない。曲自体は決して難しいものではないのだが、このゆったりとしたスイング感というのが実は簡単なようでいて難易度が高いのだ。赤坂君のカウントで、ベースとピアノによる四小節のイントロが始まった。はずき嬢がお馴染みのメロディを歌い始める。この曲の影の主役はベースの寺久保君だ。彼の力強いウォーキング・ベースがヴォーカルをリードし、赤坂君のブラッシュ・ドラムが軽やかに追随していく。私はときどき合いの手を入れるくらいだ。はずき嬢が気持ち良さそうにテーマを歌い切ると、深水君の小粋なテナーの登場だ。赤坂君はスティックに持ち替えライド・シンバルが小気味よい音を響かせる。深水君はそのテナーらしい音色で朗々と歌心溢れるソロを展開した。最後にメロディをフェイクするようなフレーズでピアノの私にバトンタッチしてきた。私もそれを受けて高音部から降りてくるようなシングル・トーンでソロに入った。『いいぞ。いい感じだ。ゆったりとゆったりと』と私は自分に言い聞かせていた。

 ミディアム・スローのテンポでは得てして間が持たずついつい音数が多くなってしまう。そうならないようにと気を付けながら思いのままに鍵盤に指を走らせる。寺久保君のベースがここでもしっかりとビートを刻み私を導いていく。そして最後は深水君に倣って私は半ばもたり気味にメロディアスにソロを締め括った。さあいよいよはずき嬢の最後の出番だ。彼女は曲の初めとは打って変わって所々メロディをフェイクしながらこなれた感じで歌い上げていく。『良し、良し。練習通りに上手く出来てるぞ』私は心の中で彼女に声を掛けた。ラスト四小節を二度繰り返し、最後のフレーズに入ると同時に基音Fから四分音符で半音ずつ下げて行くエンディングで曲を終えた。観客席から拍手が沸き起こり「イエイ!」という掛け声も飛んだ。「ありがとうございます」はずき嬢は少し恥ずかしそうに一言告げると深々とお辞儀をし、ステージの袖へと下がった。

 いよいよラストナンバー「Derrick's Dance」だ。カウントを出す赤坂君のテンポがいつもよりかなり速い。平静な顔をしているが、彼とても実のところアドレナリンが出まくっているのだろう。私は両掌を下に向け二度ほど小さく抑えるようなジェスチャーで『少し落ち着け』と合図を送った。それに気付いた赤坂君がカウントを取り直す。テンポは少しゆっくり目になった。さあ行こう。私たちは一気に飛び出した。Cドリアンの力強いイントロ八小節を経て深水君のテナーがテーマを奏で始める。オリジナルは極めて軽快なエイト・ビートのアンサンブルなのだが、私たちにそんな小洒落た器用な真似はできない。エイト・ビートはそのままに、どちらかというとワン・ホーン・カルテットでコルトレーン風あるいはマッコイ・タイナー風の重厚な音楽空間を目指してやって来た。もちろん技術も音楽知識も不十分な私達がやること、あくまで「もどき」「○○風」に過ぎないが、今の自分達の最大限の力でどこまでそのような音楽空間が作れるのか、それは一種のチャレンジでもあった。

 テーマは緊張と緩和を伴いながら何とかうまくまとまった。続くは私のソロだ。本来なら理知的なフレーズで華麗に決めたいところだが、そんな芸当はできない。私にできるのはピアノ一台で強烈なビートとパッションを表現することだけだった。気合一発で二コーラスを弾き切りソロをサックスに渡す。最初はコード進行に沿ったソロを吹いていた深水君だったが、途中からその制約を打ち破り自由に飛翔したいという意志が何となく伝わってきた。『いつでも来い』と心の中で呟くのだが、彼をなかなか自由にしてやれない。私のバッキングがその邪魔をしているのだと気付くのだが、どう対応したら良いのかがわからない。こんなことは本来練習段階で詰めておくことなのだが、本番にならないと気付かないというのだから始末が悪い。何とか途中ハーモニーに変化を付けてフリー・ジャズ風に持って行こうとしたのだが、今度は深水君が自重してしまった。見せ場で本来の実力を存分に発揮し切ることなく彼はソロを終えた。

 練習段階ではここで一コーラスピアノのソロを挟んでラスト・テーマに向かう段取りだったのだが、ここで私の例の無鉄砲が炸裂してしまった。今私が弾いているグランド・ピアノの脇にはレギュラーが使う予定のフェンダーのスーツケース・ピアノが設置されていた。『せっかくだから、これを使わない手は無い』私は瞬時にそう判断し、エレピに移動しソロを取り始めた。全く予定外の私の行動に寺久保君も赤坂君もビックリしたに違いないが、それでも慌てることなく付いてきてくれた。これが長い時間を共に過ごしてきた仲間というものだ。私は楽曲をより色彩豊かにしようと生ピアノとは全く別のテイストのソロを取ろうと試みた。赤坂君がそれに気付き軽やかなドラミングに変えてサポートしてくれる。私の無謀な試みは三割成功し七割失敗した。二コーラスのソロを終えてラスト・テーマに戻る。私はすぐさま再びグランド・ピアノに移動した。しかし明らかにスタート時よりテンポが遅くなっている。これは偏に私が無理矢理挟んだのエレピ・ソロのせいだった。まあやってしまったことだ、今更仕方がない。音の厚みを失わないことだけに注意を払い、サックスの吹くテーマを盛り上げる。ここでも深水君のテナーは野太いサウンドでしっかりとメロディーを歌い上げエンディングへと向かう。最後の最後にそれぞれの楽器が混沌とした分厚いサウンドを弾けさせて曲が終了した。

 司会の松山さんが登場し、もう一度バンド名を告げて会場はレギュラーグループを迎えるため五分間の休憩に入った。演奏が終了し私の頭に真っ先に浮かんだことは『良し、やり切った』という大きな満足感だった。しかしその次の瞬間『ああ、これで私のジャズは終わったんだ』という途方も無い喪失感がやって来た。それは嬉しいような哀しいような何とも言えない奇妙な感覚だった。冷静とはほど遠く、私は変てこな昂揚感に包まれていた。ピアノを離れて舞台袖に下がるとそこに友梨亜が立っていた。私は人目を憚らずその場で彼女を抱きしめた。「ああ、終わっちまったよ」一言囁くと我知らず涙が零れた。彼女は黙ってそんな私の背中を軽くポンポンと叩いた。
 
 私たちは観客席に移動してレギュラーグループの演奏を聴いた。今回のステージで披露されるのはレコーディングした彼らのオリジナル曲「スクリーマーズ・スタッフ」「牛娘」「リトルM」「ノブ」「アグネス」「ギミー・ジョブ」の全六曲だった。各自の力量はもちろん優れており、集中練習と緊張感あるレコーディングを通じて楽曲の完成度は更に高まっていた。会場は一気に盛り上がり大きな歓声と拍手が渦巻いた。そんな彼らのステージを私はどこか上の空で眺め、聴いていた。

 全てのプログラムが終了し私は観客の見送りにエントランス・ホールに出た。私の最後のステージということもあって、あのバスケ同好会の加山真喜夫君も来てくれていた。私を見つけると軽く手を振り挨拶に来てくれた。何と横には可愛らしい女の子を伴っている。

 「よお、涼。良かったよ。感動したぜ。俺のあの十万が一人のミュージシャンを育てたかと思うと、何か感慨ひとしおだよ。」

 彼はそう言うと私の肩を叩いた。

 「ひょっとして彼女が出来たのか?」

 「まあな。これでも結構モテモテだからな。あ、俺も就職決まったぞ。何と希望通り総合商社だ。超一流とはいえないけど文学部ってことを考えたら上出来だよな。」

 「そうかあ、それはおめでとう。就職も決まって彼女も出来て、もう言うこと無しじゃないか。そうかそうか。」

 私の言葉に彼は満面の笑顔で応えた。

 そのとき遠くから私を呼ぶ声が聞こえた。

 声のする方向に顔を向けると、ハイソの矢野君と美濃山君が手を振りながらこちらに歩いてくる。それに気付いた加山君は「じゃあまたDUOで」と言ってその場を去っていった。

 「お疲れさーん。」美濃山君が笑顔で声を掛けてきた。

 「まさか二人して来てくれるとは思わなかったよ、忙しい中ありがとう。」

 私が礼を言うと

 「いやあ、今年は去年や一昨年と違って特別なことは何も無かったし。ちょうど時間も空いてたんで、涼の最後のリサイタルは見逃せないと思って二人して来たんだ。」

 矢野君は穏やかな表情でそう言うと私に右手を差し出した。私はそれに応じてガッチリと握手を交わした。

 「それでどうだった?」

 私の問いに

 「ああ、前半はすごく良かった。最初の曲もカッチリ決まってたしゴキゲンにスイングしてた。ヴォーカルってのも意外で面白かったなあ。選曲も渋かったし、何かジャズの初心というか原点を見せてもらったような気がしたよ。最先端を走りがちなダンモで、しかもこういう大きな舞台で、ああいうジャズ・クラブ風のオーソドックスなジャズをやるってのは逆に結構勇気のいることなんじゃないかって感心して聴いてたよ。ただ最後の曲はなあ。正直言うとやっぱり涼には向いてなかったかもしれないな。ちょっと無理してる感じでさ。それでも前半の生ピアノのソロは悪くなかった。後半のエレピがちょっとな。」

 矢野君の感想は正直だった。『良いものは良い、悪いものは悪い』歯に衣着せぬその言葉は親しく相手を認めている関係だからこそのものだ。私はそれを嬉しく思った。

 「じゃあ、今年のクリスマスセッション楽しみにしてるよ。」

 美濃山君の言葉に

 「日程が決まったら連絡してくれよな。」

 と矢野君が続け、二人は連れ立って会場を去っていった。


        ♪

 
 今年はリサイタルの打ち上げは無かった。平日ということで「J」は通常営業中で昨年のように貸切ることはできなかった。開店から一年が経ち、タノリさんの宣伝効果も相俟って最近はなかなかの盛況ぶりのようだ。今でもダンモの溜まり場的存在ということに変わりはなかったが、商業路線が強くなったこともあって、その距離は少しずつ遠くなりつつあった。

 しかし私たちE年メンバーにとってはリサイタルの終了はダンモからの事実上の卒業を意味するものでもあった。ここはしっかりとケジメをつけなくてはならない。私は翌日の夜バンド・メンバーとごく親しい仲間だけでの打ち上げを企画した。場所はお決まりのあの店「DUO」だ。参加メンバーは赤坂君と川口はずき嬢、寺久保君、深水君、私、C年の友梨亜とフルートの日野ますみ嬢、そこにレギュラーの外山君が加わった。いつもの定席とその隣りのテーブルを並べ替えて八人掛けのテーブルを作った。私たちのグループにしてみれば結構な大宴会だ。この日はおつまみも盛りだくさんだった。テーブルには熱々のピザやオイル・サーディンの缶焼きに加えて、山盛りのポップコーンとチーズ、そして友梨亜とますみ嬢が調達してきたフライド・チキンがずらりと並んだ。この日は奥後さんの特別な計らいで持ち込みを認めてもらっていた。私たちは最初の一杯だけビールで乾杯し、後はいつもどおりホワイトの封を切った。

 話題は例によってジャズとは無関係な他愛も無いバカ話だ。赤坂君もはずきと並んでいつも以上に楽しそうに喋っている。外山君の隣りにはあの日野ますみ嬢だ。彼が気持ちを告白したかどうかは判らないが、彼が作った「リトルM」という曲は恋人に捧げた曲だという噂は既にダンモ内部に広まっていた。それをますみ嬢が耳にしていないとは考えにくい。それで隣りに座っているとなれば、ひょっとするとそういうことなのかもしれない。そして私の隣には友梨亜が居た。

 ボトルの底が見え始めた頃、寺久保君が隣りに座った深水君に唐突に質問した。

 「なあ、秋男。お前ってさあ彼女いるの?」

 その言葉に勘の良い深水君は

 「あ、はい。一応。」

 とニヤニヤしながら答えた。

 「何だよそれ。じゃあ何かい、この中で彼女がいないのは俺だけってことか?」

 寺久保君は口を尖らしてそう吐き捨てると、いじけ始めた。

 「寺久保さん、そんなに落ち込まないでくださいよ。昨日昔からの女友達が見に来てくれてたんですけど、その彼女言ってましたよ。『あの背の高いベースの人、優しそうで素敵よね』って。」

 それを聞いた途端、寺久保君は

 「ねえねえ深水君、その彼女紹介してもらうわけにはいかないかな。なあ、お願いするよ。ね、いいよね。紹介するくらい。頼む、この通り。」

 と芝居がかったように深々と頭を下げた。

 その遣り取りを見て一同は腹を抱えて大笑いした。友梨亜などは涙を流さんばかりだ。それは真に優しく穏やかな空間であり時間だった。こうして気の置けない仲間に囲まれて私はただただ幸せな気分に浸っていた。ホワイトが一本空いたところで、今日はいつもより少々早いがお開きとした。女性陣をあまり夜遅くまで引き留めるわけにもいかない。私たちは店を出るとさかえ通りを高田馬場の駅に向かってブラブラと歩いた。山手線のホームで新宿方面に向かう五人を、池袋方面組の私と友梨亜と寺久保君の三人で見送った。赤坂君や外山君がこの後どうするつもりなのかは判らなかったが、ひょっとすると二組のカップルはそれぞれデートの続きがあるのかもしれない。私と寺久保君は池袋の駅で急行列車に乗り込む友梨亜を見送り、次の各駅停車で椎名町のアパートへと帰った。途中商店街のはずれのラーメン屋「一圓」で締めのラーメンを食べ、ビールを一本飲んだ。「わかっちゃいるけど止められない」まあ、これはいつものことだ。これだからどんどん太るわけだ。


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