第2話

文字数 1,438文字

自分たち二人は、これから静かで空虚な町で暮らすことになるかもしれない。この町には高層ビルもなく、舗装された道路も少ない。どこか昔の日本の原風景を思わせるような、時間が止まったかのような場所だ。人影はまばらで、風が吹くと街路樹の葉がささやくような音を立てる。幸いにも、沙羅とは気が合う。彼女が近くにいると、何故か心が落ち着くのだ。

夕日が西の空を赤く染め、その光が部屋の中を柔らかいオレンジ色に染めている。薄暗い部屋の中、家具の影が長く伸び、静けさが一層際立つ。沙羅の姿が、その影の中に静かに浮かび上がる。彼女の動作はゆっくりで、どこか儀式めいたものを感じさせる。

僕たちは、無言のまま寝る準備を始める。古びた蛇口をひねると、水が音を立てて流れ出す。水の音が部屋の静寂に響き渡る。手のひらに冷たい水を受け止め、その感触が現実感を与えてくれる。鏡越しに、沙羅が歯磨きをする姿が映っている。彼女の黒髪は肩にかかり、まるで絹のように滑らかで、光を反射して微かに輝いている。彼女が歯ブラシを口に運ぶ動作、洗面台に肘をついて鏡を見つめる表情、その全てが静かな調和を感じさせる。

沙羅の仕草一つ一つが、僕の心に小さな波紋を広げる。彼女が顔を上げて微笑むと、その微笑みが温かさをもたらす。やがて、彼女は電気を消し、僕たちはほとんど言葉を交わさずにベッドに入る。布団の中の温もりが、日常の疲れをじんわりと溶かしていく。外から聞こえる風の音が、遠い昔の記憶を呼び起こすようだ。

翌朝、まだ薄暗い部屋の中で目が覚める。外は少し冷たい風が吹いているようだ。僕は静かにベッドを抜け出し、近くのコンビニに食糧を調達しに行こうと玄関に向かう。その時、ふと足元に何かがあるのに気づく。そこには一通の封筒が落ちていた。封筒の表には「悠の母 対話」とボールペンで丁寧に書かれている。

好奇心に駆られて、僕は封筒を拾い上げ、ゆっくりと開けてみた。中には一枚の紙が入っており、小さな文字でびっしりと対話の記録が書かれている。紙は薄く、かすかな香りが漂ってくる。それはどこか懐かしい、古本屋の匂いのようだった。紙を取り出し、慎重に内容を読み始める。

---

菜緒: はい、私が悠の母です。

医師: そうですか。よくお越しになられましたね。嬉しいです。ではまず、あなたが悩んでいるというフラッシュバックについて聞かせてください。

菜緒: はい。一日に何度か、長細い鉄の棒のイメージが脳裏を横切るんです。その鉄の棒はすごい速さで自分の前を横切って、あっという間に見えなくなりますが、はっきりとメッセージを残している気がします。

医師: それはどういうメッセージですか?

菜緒: 抽象的で説明しづらいのですが、「この世界には絶対的な法則があり、それが支柱となって全ての人生は上映されている」というものです。

医師: ちょっと分かりにくいですね。まあいいでしょう。具体的に何か困った症状はありますか?

菜緒: フラッシュバックが起きた時の絶望感、腹痛、不安です。

医師: 分かりました。フラッシュバックが起きた時に飲む薬を処方しておきますね。

菜緒: ありがとうございます。

---

封筒と紙を手に、僕はしばし立ち尽くす。外の曇り空の下、町はひっそりとしている。遠くから鳥の鳴き声が聞こえ、風が木々を揺らす音が耳に届く。この町の静寂が、僕たちに何をもたらすのかはまだ分からない。しかし、沙羅と共に過ごす時間が、どんな形であれ、意味のあるものになると信じていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み