第1話

文字数 1,276文字

二つのエレメント

なぜ 梶井基次郎に惹かれるのか
最近 改めて思うところがあった
それは 梶井の作品に内在している
二つの要素のせいではないかと
考えるようになったのだ

高校生の時に 教科書で彼の『檸檬』を
読んだ時がおそらくその最初だろう
彼の作品は本質的に小説というより
詩に近いものではないだろうか
当時 詩などには全く興味がなかったので
それに気づくことは出来なかったが
さらに彼の作品を読むようになって
彼の作品の本質は詩的な資質 いわば
ポエジーにあることに気づくようになった
例えば『桜の木の下には』を読めば
それは誰もが頷けることではないか
この作品は小説ではなく散文詩に近いもの
いや 散文詩そのものと言ってもよいと思う
彼はよくBaudelaireを愛読していたというが
その影響がこの作品には見られるのではないか

そして もう一つの要素は哲学的な感性である
ある特定の思想ということではなく
まさに本質的に哲学的な思考が彼の作品の中に
くっきりと陰翳を刻んでいるのを見ることが出来る
それは死というものを見据えて生を俯瞰する
哲学的な態度そのものであって 人間にとって
まさに普遍的な思考態度のベクトルなのである
周知のように梶井基次郎は若くして結核に侵され
常に死を意識しながら命がけで文学に向き合った
三十一歳で亡くなるまで社会経験は皆無であって 
それだけ純粋に文学と己の生に向き合った人生だった
不安定で未熟な青年期こそが彼の人生そのもの
であったような気がするが その中で身悶え 
何か美しいもの 聖なるものを掴もうと必死で
藻掻いたのが彼の生きざまだったのではないだろうか

私が詩というものを書くようになって
自分の創作活動の中に見出した二つの要素
それは ポエジーと哲学的な感性だった
自分がなぜ あれほど梶井作品に惹かれたのか
今ならその理由がはっきりと見えるのだ

詩と哲学 この二つは兄弟である
どんな文学にも不可欠なエレメントである
いや 文学どころではなく人生そのものにとっても

しかし この二人の兄弟は 今
人間の歴史上 最も軽んじられて侮辱されている
今 文学の名に値する小説や詩が
この国の どこかに あるだろうか
そこにあるのは薄汚いカネとコネにまみれた
惨めな残骸でしかない



ファンレターの紹介

美しいエレメント
梶井基次郎の作品は色彩豊かで、作品から音や香り、風を感じます。純粋で美的感覚が研ぎ澄まされた作品に心が洗われる思いがします。TamTam2021さんの作品にも共通した美を感じるのは、やはり詩と哲学的要素が作品に込められているからなのだと思いました。梶井基次郎は31年の短い生涯の中で、純粋な眼で風景や物事を見て、命とは何かを真剣に考え向き合って来た人だと感じました。懸命に生きた人間の書く作品は我々の心に深く染み込み、感動で心を満たしてくれます。しかし現代では詩と哲学という美しいエレメントが軽視されているとのご指摘。確かにそうなのでしょう。コスパ、タイパ重視の世の中だからこそ、忘れてはならないことがあると思います。これからも美しい作品を楽しみにしております。ありがとうございました。

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