第1話

文字数 1,038文字

 私事で恐縮だが、私の母の実家は三重県津市にある浄土真宗高田派のお寺である。子供の頃、夏休みは広い境内を走り回って過ごした。だからではないが自分はお経こそは読めないが、念仏を聞いて「今、お経のどこを読んでいるのか」位は分かる。
 数年前、学会が津市で開催され、その際に久々に寺を訪れた。懐かしかった。小さい時はあれほど広く感じた寺の境内も、歳を取って訪ねると狭く感じた。
 懐かしい顔ぶれと話をしているうちに、話題は少子高齢化社会のことになった。そこで寺では近年「墓仕舞(はかじま)い」が多くなったことを聞かされた。後継者がいない、遠方のために墓参りができないといった理由で、墓所や墓石を撤去・処分することを墓仕舞いと言い、少子高齢化で墓を継承・維持できないということが背景にある。墓仕舞いの後は、寺の合同碑に入る人が多いそうだ。少子高齢化の影響を改めて実感させられた。
 医学会と宗教界。全く異なる二つの業界は実は人の死にどう向き合うかで繋がっている。
 生きていた人が、一通の死亡診断書を境に死者となる。医学会と宗教界は一枚の紙で仕切られているのではなく、もう少し宗教の世界が終末期医療の現場に介入してもいいのではないかと思う。自分の最期(さいご)のあり方を自分の意志で決めるエンディングノートの普及に取り組む当院の話をしたら、皆、高齢者医療の現状に驚いていた。逆に自分は、医療の現場に溢れているマニュアルや承諾書が一切ない寺の活動にほっとする安らぎを感じた。
 若く血気盛んな頃、今は亡き叔父とよく議論をした。「宗教観を持たない外科医は、人ではなく機械を相手にする修理工と同じだ」とよく叔父に言われた。また1997年に臓器移植法が成立した時は、「心臓死と脳死が自分の意志で決められる。宗教では絶対である死が二つになり選択可能になったことに対して、宗教界は何故、何もコメントを出さないのか?」と叔父に詰め寄ったりした。
 今思えば、若かった。最近、ああ成る程と納得することわざがある。それは「医者と坊主は年寄りがいい」…(笑)。

 自分は縁があって今、山形の庄内の地で働いている。ところが関西の人にとって、東北はなじみが薄い。逆もまた然り。

 写真は東京上野のアメ横にある日本酒バーで見つけた山形の酒で、つい注文してしまった。店の客は「新潟は酒が美味しい」とか言っていたが、自分は酒は関西より東北、しかも新潟より山形の酒が断然美味しいと思う。

 んだんだ!
(2018年8月)*(2022年1月 一部筆を加えた)
 
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