第1話

文字数 1,137文字

 夜討ち朝駆け。
 人にも夜型と朝型の人間がいる。それは医師も同じだ。夜は遅くまで平気だが、朝は滅法(めっぽう)弱い医師もいれば、夜より早朝の方が調子いい医師もいる。
 自分は典型的な朝駆けタイプだ。もともと外科医の朝は早かった。今から約30数年前、東京の秋葉原にあるM記念病院では毎朝6時に ICU(集中治療室)から回診が始まった。研修医は回診の数時間前から働いていた。今、社会が目指す働き方改革とは対極の世界だ。
 さらに加齢が自分の朝駆けタイプに拍車をかけた。5月の連休明けから7月頃までの日の出が早い時期には、余目(あまるめ)駅を午前4時37分と49分に通過する羽越本線下り貨物列車の写真を撮りに行ったりした。

 9月第3週のある朝、自分の外科専門医更新の申請書類が予定より早く出来上がった。時間はまだ5時半過ぎだった。外科専門医更新に必要な勤務履歴、研修実績、手術経験登録数も十分で、制度上は後5年は外科専門医でいられることが嬉しかった。
 気分が高揚していたので、担当病棟に朝駆けを掛けることにした。
 病棟は起床前で廊下、病室の電気は消えていた。
 「あれ?! 先生どうしたんですか? こんなに早く…。」
 これから朝の検温に出向く看護師に聞かれた。
 「んだ、朝駆けだ。病棟の指示を出しに来た。」
と、その時、
 「まだ、起きちゃだめですよ~、庄内(←仮名)さん。」
 電気の消えた病室から男性の介護福祉士の声が聞こえた。
 「ねっ! まだ電気も点いていなくて暗いから。皆、まだ寝ているから、ねっ!」
 「〇×▽□…。」
 「分かった、八木節は後で聞くから。後、30分したら電気が点くから、ねっ!」
 「△◇◎×…。」
 どうやら認知症のある患者さんが早朝覚醒し「今から、八木節を歌う」と気合十分らしい。
 「そうだよねぇ~、庄内さんの八木節は只の八木節ではねぇ、正調八木節だもんなぁ。もっと時間のある時にゆっくりと聞かせてもらうかんな。」
 この会話で患者の庄内さんはピタッと落ち着いた。
 廊下に出てきた介護福祉士は体格のいい男性だった。
 「朝から、大変だね。『正調』八木節の正調が効いたね。」
 自分は思わず彼に声を掛けた。この患者さんは日頃から、自分の歌う只の八木節ではない正調八木節を自慢していたのだろう。患者に認知症があっても、人はプライドを(くすぐ)られると弱い。この介護福祉士は経験豊富な介護士だと感心した。

 さて写真は 2018年9月19日 05:32 に羽越本線北余目(きたあまるめ)―余目間で撮影した羽越本線上り特急「いなほ」2号である。日の出直後で写真の露出が暗めだ。

 この日の庄内の日の出時刻は 05:23 で、この頃から駆け足で日が短くなる。
 早起きの老人には辛い、遅い朝が続く。ふ~。
 んだの。
(2022年9月)

 
 
 
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