第1話 ヴァレントヴァガボンド

文字数 17,279文字

「旦那さま、何かありましたか?」
 一等席の個室席で、オレの斜向かいに座るオレの秘書が気まずそうにこちらを見た。先代の領主である親父が死んで、早半年。その跡を継いだオレはまだ部下の信頼を得ていない。まだ二十四の若造ってこともあるだろう。オレの人生計画では大学院で研究するはずだったのに、思ったより早く、親父は死んだ。人生はそんなにうまくいかないものというのは真である。まあ、アレコレ考えるのはよそう。信頼をもらっていない若造は、あまり自分の機嫌を表に出さない方が良いに決まっている。気をつけなければ。
 今日はじんわりと暑い日だな。雨期の時期だからか。湿気のせいで、息もどこか苦しい。
 自分の立場も関係していたりするのか。
 戸を開けたいものだが、外はもちろん雨。
 一ヶ月前から決まっていた視察とはいえ、こんな土砂降りの中での列車はおっくうでめんどくさい。
「何でもないよ。暑いなって思っただけだ」
「そうですか」
 メガネに七三分けと紺色のスーツでキッチリ決めた秘書――ヒジリは、カバンから書類を出す。
 ぼぅっと、車窓を見る。
 工場地帯に入ったようだ。
 半導体とか、その前のシリコンウエハーを作っている工場が並んでいる。
 ここら辺は、水がキレイなだけあって、こういった精密機器の製造が盛んだ。
 ついでに、プログラマーなど、技術者も多く住んでおり、オトギリ領として、ベンチャー企業の支援も行っている。
 そういえば、昔、その絞りかすの金属ケイ素を買ったなあ。
 銀色でキラキラとしているわりには、子どもでも買える値段だった。
「今から行くアベルシティは『教育が未来を作る』という理念を掲げているそうです。事実、我が領地内すべての学校のうち、一番の成績をこの十年連続でアベルシティがとっています。このためか、移住してくる若い夫婦が多いそうです」
 ヒジリはオレの思考を戻す退屈な説明をする。
「はあ……」
 教育か。母親が死んでから、親父からより厳しく言われていた気がする。
「どうされました?」
 ヒジリは非常に困った表情をしている。なんだか少し汗ばんでいるようだ。
「ああ。申し訳ない。本当になんでもないんだ。気にしないでほしい」
 オレはキライだった親父のことを振り払うように、目をつぶった。
 寝れば、忘れるのだ。そういう風に人間はできている。
「ここは一等車だぞ。お前のような穢らわしい売人が来るなんざ、一億年早いんだよ!」
 男の怒鳴り声がオレを覚醒させた。
 なんだ、うるさいな。
 コンパートメントのトビラの窓から外を見る。
 長く真っ黒なフード付きマントを羽織った背の低い人間がいた。そのマントは土埃まみれだ。フードを深くかぶっているためか、顔は見えない。体型すら分からない。
「何言っているかわからないわ。こっちはちゃんと切符を買っているのよ。ここは職業で人を選ぶ列車なの?」
 売人と呼ばれた汚いマントの人間は晴れ渡った空が見えそうな声をしていた。
「お前みたいな下賎な人間が来ていい車両じゃないんだ。その切符だって、偽造だろう!」
 筋肉のかたまりみたいな車掌は、売人の胸ぐらを掴む。
「そんなに疑うなら、精査すればいいわ。こっちは高い料金を払って、切符を買ったのよ。言われる筋合いなんてないはずだけど?」
「ウソをつけ! 売人ごときがこの一等車の切符を買えるはずはない!」
 車掌は怒鳴る。男であるオレですら、ひくレベルのボリュームだ。
 なんかいたたまれなくなる。
「なあ、車掌さん。正規の切符を買ったのなら、それでいいんじゃないですか?」
 思い切って、オレは個室の戸を開け、二人の間に割って入った。
 車掌はオレを見た途端、真っ青になっていくのが分かる。
「も、申し訳ありません、領主さま!」
 車掌は売人から離れ、最敬礼する。
 一方の売人はマントを整えていた。
「あ……。車掌さん……そこまでかしこまらなくていいから……」
 あまりに深々と頭を下げる車掌を横目に、
「キミ、ありがとう。助かったわ」
 売人は機嫌良く手を振り、隣の個室席に入っていった。
 その声はまるで優しい光に当てられた水晶かダイアモンドのようにキラキラしていた。

 まあ、こんな一悶着はあったものの、無事、目的地に着いた。
 雨は止んでいたが、相変わらず外はどんよりくもり空だ。
 駅前はとても静かだった。さびれているともいえるだろうか。
 アーケード通りも見えたが、シャッターだらけだ。
 店を開けている方が少ない。
 市長直々に待っていてくれた。
 ロマンスグレーのとても穏やかそうなジェントルマンだ。
 そこまでしなくていいのにな、とオレはつぶやく。立場的に上とはいえ、オレの方が年下なのに。ヒジリは耳元で、ご自分の立場をわきまえてください! と説教する。
 オレの立場か。
 そんなの、どうでもいいのに。
 市役所へ向かう車は、広々とした芝生の横を走っていた。
 木々が青々しく、キレイに整備されている広場だ。
 公園だろうか。でも、公園にしては、どこか違和感がある。
 公園ってモノは、子どもの遊び場のはずだ。しかし、誰一人いない。
 カップルの一組もいない。
 本当に芝生と木がしかないだだっ広い何かなのだ。
 まあ……。さっきまで雨は降っていたのだし、いないのは当然か。
 ただ、遊具どころかベンチすらないので、変な寒気を覚えた。

 市役所の応接室に通されたオレとヒジリはレジュメと大型ディスプレイに映るスライドを見ながら、市長から施策について説明を受けた。
 どうやら、この街は「子供の教育の前に親の教育」をモットーにしているらしく、移住してきた新婚夫婦に、子育ての勉強をさせていると自慢げに話していた。おかげで、オレの領地内では、ヒジリの言うとおり、小中ともにダントツトップの成績。この政策を全領地で、果ては全国で実行してほしいようだった。
 考えておく。とは伝えたが、こんなにもめんどくさく、人材も金も必要とするコト、誰がするかと、心の中でぼやく。
 聞いた話が頭の中に入る前にどこかへ飛んでいく。遠くの国では、馬耳東風ということわざがあるらしい。ことわざであるぐらいなのだ。みんな同じなのだろう。
 関心を持っていないのがバレバレだったのか、市長はますます熱を帯びて説明する。
 ああ、めんどくさ。
 トドメが、
「領主さまはまだお若い。ご興味がないのも当然かと。お子さまがお生まれになったら、きっとご理解いただけると思います」
 だったので、
「子どもがいてもいなくても、教育の大切さはわかりますよ」
 とだけ、返事した。
 それだけしか言えなかったし。
 そしてなんだか、オレがディスられたようで、少しムカついたし。
 
「旦那さま。どうかされましたか?」
 帰路の列車の車窓から見える風景は、日がとうに暮れ、真っ暗だった。
「あ……いや。オレに子どもができたら、どんな親になるのかなって」
 ヒジリは深くため息をつくと、
「結婚が先ですよ」
 小さくつぶやいた。
「だよなあ!」
 オレはおかしくなって、お腹を抱えて笑ってしまった。
 領主の息子で、自画自賛になるが、顔も人並み以上は整っているゆえ、オレに近寄ってくる女性は多かった。しかし、親父のせいで、誰一人付き合ったことがない。
 というのも、許嫁……というものだろうか。オレが十六のとき、縁談があった。いわゆる政略結婚ってヤツだ。乗り気ではまったくなかったので、流れればいいなあと思っていたが、よく分からないまま、本当に流れてしまった。
 また、不条理なことに、親父はこの破談のせいでキレにキレまくり、女性と会話することすら、禁止されてしまった。
 オレはまったく何もやっていないのにだ!
 ま、親父は死んだのだし、自由に恋愛してもいいのだろうけど……。それもまた、今のところ面倒くさいので、
「ヒジリ、オレはしばらくは独身を楽しむよ」
 と、曇り空で真っ暗な車窓を眺めていた。
 しばらくして、突然、がらりとコンパートメントのトビラが開いた。
「や。失礼」
 晴れ渡る空のような声がした。
 振り返ると、今朝出会った黒マントの人間がいた。土埃が少し部屋の中に舞う。
 フードを深くかぶっているが、明らかにマントの人間が慌てているのはわかった。オレはトビラをしめようとするその腕を握り、コンパートメントの中へ引きずり入れ、
「ちょっと、お話しないか?」
 と声をかけた。
 ヒジリは、
「ひぃ! ご乱心を!」
 叫びながら、半狂乱で個室の外へ出ていってしまった。
 この子はそんなに恐ろしい存在なのだろうか。少しだけ後悔する。
「あたしは売人よ。しかも、黒き情報屋のブラック・メイデンよ。領主さま、えっと。ホタル・ジェットだったっけ? キミみたいなお偉い人間さまとは違って、あたしはとてもいやしい人間なの。そんなあたしに話を聞かせてくれって、相当、世の中を知らないのね」
 ブラック・メイデンと名乗った黒マントは不機嫌な様子だ。ヒジリからあんな態度とられたら、まあムカつくよな。
「部下が無礼をして悪かった。この領地に住む人間は一人残らず平等だ。だから、あなたの話を聞かせてくれ。頼む」
 オレは頭を下げた。
 ブラック・メイデンは大きく深呼吸すると、
「何の魂胆があって、あたしに頭を下げるの?」
 こう訝しげに訊いてきた。
「魂胆? えっと……」
 正直な話を言っちゃえば、この人物と一対一で会話がしたいという魂胆がある。きっと女性だろうし。ただそれを正直に話すと、非常に気持ち悪い男になってしまうのは分かってしまうので、この下心がバレないように、
「この領内の政治を行うには、やはり様々な人の意見を聞かなきゃいけないと思って」
 なるべく真剣な目でブラック・メイデンの質問にこたえた。
「変なヤツ。面白いわね。じゃあ、しばらくだべりましょ」
 ヒジリが座っていた席にブラック・メイデンは座った。フードはかぶったままだ。よほど顔を見られたくないらしい。
「で、何が聞きたいの?」
 ブラック・メイデンの声が真剣になった。
「なぜ、ブラック・メイデンはそんな目に遭っている? 明らかに嫌われているように見えるけど」
 オレの質問に、ブラック・メイデンは高らかに笑った。
「キミねえ! ホント、何にも知らないボンボンなのね。『売人』がどんな存在か。よほどの世間知らずと見たわ!」
 ブラック・メイデンは神鳴のように爆笑する。
「『売人』はね。金になるものなら、何でも取り扱う存在なのよ。いわゆる生き汚い存在。だから、忌み嫌われる。人の嫌がる仕事ですら金にする下等な存在。わかる?」
「人の嫌がる仕事って、素晴らしいじゃないか! 他の人にはできないことだろう?」
 オレの言葉に、ブラック・メイデンは再び高らかに笑う。
「人の嫌がる仕事がどんなものかも知らないの? こんな薄汚れた服装で街を歩いて良いアンタッチャブルな存在なのに?」
 ブラック・メイデンはまるでトークショーをしているかのように話す。
「売人は罪人の子孫なの。つまり、ろくな教育を受けていないから、何をしでかすか分からない存在になるわ。要人を暗殺とか、そういうのもやっているヤバいヤカラもいる。あたしとしたら、そんなバカは捕まればいいと思うけど。明らかに殺人罪なのだし、悪い治安もますます悪くなるし。でも『売人』ってそれが許される存在なの。つまりは、あたしと一対一で話している領主さまは、今、とんでもない危険な目に遭っている状況よ。分からないの? 酷いよねえ、あの秘書」
「えっ」
 オレは息を呑んでしまう。
 この人はアサシン? いや、まさか!
「ま、安心してよ。あたしの信条として、『命の売買はしない』、つまり、殺人や人身売買とかしない主義だから」
 ブラック・メイデンは楽しそうだ。まるで子猫のよう。一つ一つの動作がかわいい。
「じゃあ、どんなのを売買しているんだ?」
 ますます気になって、続けて聞く。
「あなた、聞き上手ね。こっちも話したくなるわ」
 ブラック・メイデンはマントから、いくつかの古銭を取り出した。見ると、百年前のお金だ。少し錆びている。
「キレイでしょ。今はこんな感じのしか持っていないけど……。骨董品とか、美術品とか、宝石とかの取引を生業としているわ。相手は節税目的で取引することが多いかも。相続税が支払えないからとか、そんな理由で処分したがるのよ。表向きは捨てたことにしておけば、税金はかからないし、ただで捨てるより、売った方が多少お金になるでしょ? だから、あたしがいる。ただ、盗品は受け付けないわ。そんな危ない橋なんて渡れないから。モノを鑑定して、あたしがキャッシュで買える値段だったら、買うし、売るときは、それより二割増しで売る。まともな骨董品店よりも、上等なものを安く売っているから、リピーターは多い方かもね。物に対して、正当な価値を下すのが難しいけど、それが楽しいわ」
「へえ」
 思わず聞き入ってしまう。この声にほれてしまったせいもあるだろうが、とにかくしゃべりが上手い。リピーターが多いのは当然だろう。
「あたし、審美眼には自信があるの。他にも機械いじりとかもやったりするかな。簡単な機械なら直せる自信はあるわ」
 ブラック・メイデンの言葉に、ある疑問が起き、オレは一瞬考えてしまった。その答えが欲しくて、
「じゃあ、さ。審美眼がある人間がどうして売人やっているんだ? 本物を見抜く力があるなら、それなりの身分であるはずじゃないか? 機械を直せるぐらいの腕があるなら、そういう学校を出ているだろうに」
 と聞いてしまった。
「さあね? それはあたしにも分からないわ。人生はいろいろあるものだから」
 ブラック・メイデンは澄んだ声で言葉をにごした。
 気がつくと、外が騒がしくなってきた。
「この分じゃ追い出されそうね。出て行かなきゃ」
 ブラック・メイデンがそう言って、立ち上がった瞬間、列車は急ブレーキで止まり、明かりが消えた。
「きゃあっ」
 慣性の法則に従って、ブラック・メイデンはオレにぶつかるように倒れる。
 女性特有の柔らかい身体が当たる。これはラッキーなのか、そうでないのか。
「ご……ごめん! 重いでしょう!」
 耳元でこのような澄んだ声が聞こえるのは、あまりに刺激が強すぎる。
 心臓の音が漏れそうなぐらい、早く脈打っている。
 謝るブラック・メイデンが立ち上がろうとするが、客車中が闇夜と言っても過言ではないぐらい真っ暗なので、どうすればいいか分からないらしく、
「あ、いたっ。なにこれ。あああ!」
 と言いながら、オレの身体を触る。
「大丈夫か?」
「うう……」
 オレに返事をするようにバイニンが呻き声を上げたそのとき、明かりが点いた。
「あ……。ちょっと、見ないで!」
 ブラック・メイデンのフードはオレの手で外れていた。バイニンは慌ててフードをかぶろうとするが、オレの手が引っかかって、かぶれない。
 ゴムで結ばれていた長い黒髪はボサボサとしていたし、着ている服も貧相なものだった。
 しかし、空色のアーモンドアイに、透き通った肌。あまりに整った顔立ち。
 学生時代の友人にも、美女はいたが、段違いでかわいい。
 だが、その瞳には希望の光は見えず、まるで死んだ魚の目のようだった。生気が一切感じられない。
 オレより年下に見えるのに、どれだけつらい人生を歩めば、このような目になるのだろうか。心が苦しくなる。
「ちょっと、あたしから離れてよ!」
 ブラック・メイデンは強い勢いでオレの手をはねのけると、フードを深くかぶり直した。
「あたしの顔になにかついていたの? どうしてそんなにジロジロみるの?」
「あ。そうじゃなくって……ええと」
 オレが釈明をどうしようかとしていたら、
「旦那さま!」
 ヒジリとヒョロヒョロの車掌たちが雪崩れるように入ってきた。
「お邪魔虫はここで帰るわね。失礼したわ!」
 ブラック・メイデンのかろうじて見える口元の微笑みに、少し心が痛んだ。
「旦那さま、ご無事でしたか?」
「あ……ああ。とても面白い話を聞かせてもらったよ」
 オレはこの胸の痛みがバレないように、真顔で返事した。

 夜十二時、自室に帰ってきた。
 夜食を出してもらったけど、あまりに感情が高ぶりすぎて、そんなに食べられず、シャワーを浴びて、ベッドに身を投げた。
 寝ようと思っても、あまりの興奮で眠れなかった。
 自分よりも年下なのに、自分と住む世界が違うだけで、あんな光が感じられない目になるのか。どれだけつらい目に遭ってきたのか、想像するだけで、胸が苦しくなる。
 彼女のひとつひとつの言葉を忘れたくなくて、心にとどめておきたくて、眠りたくなかった。

 翌朝。目覚まし時計の激しいメロディで目が覚めた。
 一応、眠れていたようだ。
 ボーッとした脳みそで、朝の身支度を済ませる。
 オレは朝食を食べ終え、熱々のコーヒーを少し冷ましてから飲み干すと、執務室に向かう。
 ここは、元々、親父が使っていた。法律やら哲学書やら、果ては帝王学など、たくさんのジャンルの本が何冊も並んでいる。
 オレも割と本を読むが、ここにあるのは興味が一切湧かないジャンルばかりだ。多分、親父もすべては読んでいないだろう。インテリアとしての本の可能性が高い。
 そんな本棚が高い塔のようにいくつもそびえ立っていて、圧巻だ。正直、どこに何があるかさっぱり分からないが、代々領主が使っていた執務室だ。自動的に現在の当主であるオレも使っている。
 こんなワケの分からない部屋で届いた郵便物や書類を一つ一つ読み、確認や署名などを行う。
 コレがオレの仕事だ。
 領主といっても、領地内の大きな方針は決めているだけで、実質的な統治はそれぞれの市長がやっている。その細々とした承認や報告書にサインするのがオレの仕事だ。
 今日は多い。そら、昨日、一日かけて、視察という名の見学に行ったのだ。溜まっているのに決まっている。
 ていねいに事務処理を行っていく。意外とこういう作業は好きだったりする。
「ん? なんだ、これ」
 ミルキー色でファンシーな柄の封筒が混ざっていた。この家には子どもはいない。というか、ここで一番若いのはオレだ。
 宛名は子どもが書いたような汚い文字で「オトギリはくしゃくさま」と書かれている。
 送り主の名前は……ない。
 消印は昨日行ってきたアベルシティからだった。
 妙な胸騒ぎがする。オレは封を開けた。
 便せんの文字も汚かったが、書いていることはさすがに分かった。
「ぼくはおとうさんおかあさんにいじめられています。いい子にしていないと、むちでたたかれます。ごはんもたべられません。できがわるいので、こんど、よそにぼくを売るそうです」
 胸騒ぎが的中してしまい、いてもたってもいられなくなった。
 外出用の服に着替え、オレを止めるヒジリの言葉を聞かず、アベルシティへ向かう列車に飛び乗った。
 もちろん一等車の切符なんてものはとっていなかったので、三等車しか乗れなかった。
 なんか浮いているが、仕方がない。
 行けるだけ、マシさ。
 混雑している三等車の人たちを眺めながら、めんどくさいことにならぬよう、車掌さんは来ないでくれとお祈りしていた。

 街に着いた。今日は曇り空程度で、雨は降っていない。
 時間帯的に帰宅ラッシュのためか、大人も子どももきちんとバス停に並んでいる。
 伺うとしたら明日かなと思い、オレはホテルを取ろうと携帯電話で地図を確認していると、
「ちょっと!」
 あの太陽の光を浴びたダイアモンドのような声が聞こえてきた。
「あたしの商品、持っているはずでしょ? 返して」
 振り返ると、昨日のマント――ブラック・メイデンがいた。深いフードをかぶり、立っている。
「え、商品?」
 再び、彼女が現れて、驚き、慌てふためく。そんなオレをよそに、ブラック・メイデンは、敵意を持っているようだ。声にトゲがある。
「ほら、コインよ、コイン。カバンの中とかにないかしら?」
 ブラック・メイデンはとまどうオレからカバンをぶんどると、その場で開けた。
「売人よ」
「ここも治安が悪くなったわね」
「警察を呼んだ方がいいかしら」 
 周りの人々はざわめいている。
 ああ、これが人々の売人への態度なのか。
 酷いな。
 オレは目の前がクラクラしてきた。
「ほら、あった! やっぱりあの列車の停電のドサクサで入ってたのね。見つかってよかったわ! ありがとう!」
 ブラック・メイデンはオレに古銭を数枚見せると、カバンをオレに押しつけ、お辞儀をし、きびすを返した。
 しかし、きびすを返しただけだった。
「ねえ、キミ。昨日も来てたけど、今日も来て、一体、どうしたの?」
 ブラック・メイデンは踊るように振り返る。
「あ……ああ。ちょっと気になることがあって、親用の学校へ視察しようと」
 オレの答えにブラック・メイデンは黙りこくってしまった。
「なあ、質問をしておいて、黙らなくたって、いいじゃないか?」
 もどかしくなったオレはブラック・メイデンから返事を急かす。
「予想外だったから、ちょっと安心しちゃって。ここじゃあ、話せないから、場所を変えさせて」
 ブラック・メイデンはオレの手を握った。その柔らかで暖かい手に、そういや、女性と手をつなぐのは初めてだということに気がつき、ドキリと緊張した。
 そして、されるがまま、ブラック・メイデンについていくことになった。

 連れてこられた場所は、大通りから二筋入った、ゴミが散乱している路地のいかにもアンダーグラウンド的な怪しいバーだった。昼間だというのに、もう酒くさい。ついでにタバコのにおいもすごい。何回か大きく咳き込む。
「おお、メイデン。お前、とうとうその気になったんだね。かなりのイケメンじゃないか」
 カウンター越しにはショッキングピンクのドレスを着たシワだらけの婆さんがニヤけた顔でこちらを見ていた。
「ん……って! 領主さまじゃないか。上客を連れてくるとは! お前、ツラだけはいいからなあ」
 老婆はケタケタと笑う。
「違うわ。一時の春を売りに連れてきたわけじゃない。あたしは命の売買はしないって言っているでしょ。それはあたしも含まれるわ。ここに来たのは情報を売るためよ。お偉いさんのの息がかかってないから」
 ブラック・メイデンの声に少し怒りを感じる。
「ははっ。あんたのその性根、大好きだよ。タダで部屋を貸してやる」
 老婆はブラック・メイデンにカギを投げつけた。
「ありがと。タダとはありがたいわね」
 楽しげにブラック・メイデンはカギを受け取ると、奥の階段を上り始めた。オレもついていく。
 二階への階段はギシギシと嫌な木の音がする。安普請の音だ。
「オレをここに連れてきたのは、なんのためだ?」
 何がどうなっているのか、脳内の処理が追いついていない。
「情報を買ってほしいのよ。キミが今一番欲しい情報だと思うし。あたしは本来、情報を売るのが仕事なの」
 ブラック・メイデンはオレの方を一切見ず、階段を上がっていった。
 明かりをついた二階の部屋は意外にもキレイにベッドメイキングがされていた。
 病気になる人が出ないようにするためだとブラック・メイデンは真剣に言う。
 確かに病気は怖いもんな。
 ブラック・メイデンはそのベッドに座る。マントもフードもとる気配はない。
 そんなに顔を見られたくないのか。なんかもったいない気がする。
「きちんとした証拠があれば、渡したかったけど、それは自分で探してね」
 オレの邪な気持ちを知るよしもなく、咳払いをしたブラック・メイデンは、
「このアベルシティって、虐待が正当化されている街なの。言うことを聞かせるためなら、ムチ打ちや根性焼きが正しいことになる。で、親の言うことを聞かなかったり、出来が悪い子どもは売り飛ばす。バカな子どもは、この街の親にとっては必要ないからね。売り飛ばされた子どもは売人としてしか生きられなくなる。そうなると、あたしの食い扶持が減る。それは非常に困るの。ま、こっちはあたしの事情なんだけど。まとめると、この街の学校の成績は、厳選されたものなのよ」
 晴れ渡る空のような声で恐ろしい闇を話し始めた。
「この街の子どもから手紙が届いたはずよね? あれはあたしの入れ知恵。メールだとバレるかもって、アドバイスしてやったの。もみ消される可能性があるって一応伝えてはいたけど、あの子ったら、生死が関わるからね。賭けてみるって言っていたわ。昨日の列車で会ったとき、行き違いになったかと思って、焦っちゃった。でも、上手くいったのかしらね。最初の予想からだいぶズレているけど。さすがに領主さま直々に来るなんて、びっくりしちゃったわ」
 ブラック・メイデンはそよ風のように笑う。
「その……その知恵にも値段を付けたの?」
「もちろんよ。子ども料金だけどね」
 なんと商魂たくましい。
「親をコントロールしているのが市長。大人をコントロールできれば、子どもをコントロールするなんて、カンタンよ。子どもは弱い存在だからね」
「つまり、それって……洗脳?」
 恐ろしい情報にオレの声は震える。
 ブラック・メイデンは、恐ろしいかもしれないけど、現実だからと前置きをしたあと、
「どっちかっていうと、マインドコントロールになるのかな。下手な宗教よりも宗教じみているのよ。新婚さんたちを『学生の成績ナンバー1』でアベルシティに呼び込む。そら、自分の子どもは賢い方がうれしいものね。子どもが政府高官や学者になれば、親も首都に住めるでしょ。そういう甘い言葉につられてやってきた新婚さんに『お前はダメな人間だ。ダメな人間は子どもを産んではいけない! そんな人間が親になるなんて、許されない。親になる資格などない!』って罵倒も罵倒を繰り返す学校に一定期間ぶち込むの。言うなれば、監禁よ。隔離された学校で、罵倒を繰り返し受ける。で、このカリキュラムをクリアすれば、立派な親になれると言い聞かせるの。無事マインドコントロールが上手くいけば『あなたは親になる資格を得た! さあ、良質な子どもをたくさん産みましょう! ダメな子どもは失敗作だから売り飛ばしましょう!』って流れ。この世の地獄ね。次の世代になったら、きっともっと地獄よ」
 オレの全身は血がなくなったように、力がぬけそうだった。
 表向きの顔と裏の顔なんて、人間誰しも持っているが、あのにこやかな市長にここまで裏があると、本気で怖い。
「ま、証拠がないから、買わなくていいわよ。だけど、こちらが先に情報を見せるなんて、良心的なほうだからね?」
 ブラック・メイデンの声は真剣になった。
「もちろん、買うよ。言い値でいい」
 オレはカバンから財布を取り出す。
「は? キミはバカなの? この情報がウソだとか、この情報でキミがおとしめられる可能性とか考えないの?」
 ブラック・メイデンは素っ頓狂な声でオレをからかう。オレは耳たぶを触りながら、
「考えないな。仕事に誇りを持っている人間がそんなことするはずない。それにどんな人間にもフェアでいたいんだ」
 大真面目に答えた。
「面白い人が領主さまになったわね! これでこの国も少しは変わるかもしれないわ!」
 ブラック・メイデンは風鈴のように笑う。
「じゃあ、これぐらいは支払ってよ。キャッシュでね」
 オレはブラック・メイデンが言うとおりの値段を支払った。
 手持ちの半分はなくなったが、この情報の価値からいくと安い物だ。
 ブラック・メイデンは手渡したお札をじっとながめる。
「どうした。きみが言った金額だぞ。一体どうしたんだ?」
「あ、イヤ。マジで支払うと思っていなかったから……。ごめん。試した真似をして。ちょっとふっかけた」
 ブラック・メイデンは少し顔を下げる。
「あ、情報はガチだからね。もちろん、一次情報。あたしが足で稼いだものよ。ただ、撮ったデータが飛んじゃったから物的証拠がなくって」
 さっきの鋭い声と打って変わった困った様子のブラック・メイデンがおもしろくてとオレは微笑む。
「何が面白いのよ……」
 ブラック・メイデンは頭を掻き、
「これからどうするの?」
 こう尋ねてきた。
「んん……。あんたができなかった証拠集め、かな。体罰の現場を一つでも証拠としてあげて、警察に告発する」
 ブラック・メイデンは自身の頭を人差し指で、トントンと叩き、
「なら、その証拠集めは、あたしに任せてほしいな。金額多めにもらっちゃったし、これぐらいはやんなきゃ、こちらの信条に反するわ。黒き情報屋としてもらった金額分の仕事をしなきゃ」
 と、軽やかに言った。
「は? そんな危険なこと! 危ないよ」
「危ないって、どっちがって話。売人たちの酒場にいるアンタのほうが、現在進行形で危ないんだってば」
 反論するオレにブラック・メイデンは指を指す。
「と、言われても。きみ一人で行かせられないよ」
 女性を危険な目に遭わせるのは、怖くて仕方がない。
 こんな感情ははじめてだ。
 ブラック・メイデンは腕組み、少しうなったあと、
「じゃあ、二人で行く? 武術に心得は?」
「一応、インターハイでジュウドウで出場したことが」
「オーケー。それは心強いわね。じゃあ、目星はついてるから、ついてきて。お互いの役割を果たしましょ」
 ブラック・メイデンとオレは握手をした。その手は温かく、そして、心地が良かった。

 彼女に連れられて、やってきたのは、大通りにある「親教育センター」と立派な文字で書かれた高層ビルだった。
 何人ものお堅い服装の人間が出入りしている。
 そして屈強な警備員が何人もいた。
「ここから突破するのは、難しいな」
 オレは舌打ちをする。
「まあ、そうね。だから、裏口から入る」
「そんなの、あるのか?」
「売人をなめないで。それぐらいの情報を買っているわ」
 へえ、売人同士でも情報の取引なんてあるのか。

 で、オレは今、マンホールの下、暗渠にいる。
 マンホールの中に入るなんて経験はそうそうないから、正直、怖い。あと、臭い。
 カツン、カツンとオレたちの足音が反響する。同時に水のせせらぎが聞こえる。
 ブラック・メイデンの万年筆型ライトのみの明かりを頼りに、奥へ進む。
 一応、携帯電話の明かりを使おうとしたのだけど、明かりが強すぎて、侵入がバレる可能性があると、ブラック・メイデンは使わせてくれなかった。
「領主さま、あたしたちはこんな存在なのよ」
「え? 一体、それはどういう意味?」
 オレはブラック・メイデンの突然の言葉が分からなくて、質問する。
「元々は隠れる必要はなかったけど、文化が発達すればするほど、隠れなければいけない。でも、きちんと存在はする。この暗渠のようにね。表だけが社会じゃない」
 その言葉にオレは黙りこくってしまった。
 オレは表の人間。
 そして、彼女は裏の人間。
 同じ人間なのに、どうしてこんなに違いがあるんだ? その差はどこにあるのだろう。
 同じ人間なのに。
 オレの思考はグルグル回る。ブラック・メイデンとオレの足音だけが響く。
「ついたわ。この上よ。先に上がるから、合図したら、来て」
 ブラック・メイデンはそう言うと、壁にあるはしごを照らした。そして、万年筆型ライトの明かりを消すと、何も見えなくなった。甲高いはしごを登る音がする。
 上からガゴンと音がした。同時に強い明かりが差し込んで、目がくらむ。まぶしい。
「こっちよ」
 ブラック・メイデンの影がオレを手招きしていた。
「分かった」
 オレは返事すると、はしごに手をかけた。

 あの暗渠は厨房の奥と繋がっていたようだ。生ゴミのにおいで鼻が裂けそうだ。
「夕食が終わった頃みたいね」
「え、まだ夕方だぞ。こんなに早くにするのか?」
 ブラック・メイデンはオレに指を指すと、
「『先生方』は早く帰りたいからね。管理されている『生徒』のことは何も考えていないの」
 楽しげに笑った。
 何が面白いんだ……?
 オレは少し戸惑いながら、彼女の後を追う。
「ここよ。連れて行きたかった場所は」
 ブラック・メイデンは小さくつぶやく。
 目の前には、格子が入った窓ガラス。中には十何人もの若い男性がうつろな目をして座っていた。どうやら教室みたいだ。
 着ている服はみな一緒。
 囚人か?
「ここは男性の部屋。新婚さんなのに、夫婦別にされるのよ。可哀想に」
 ブラック・メイデンは金色の名刺入れを取り出す。
「なに、それ」
「カメラ。前来て、帰るとき、暗渠に落としちゃって。水没はさすがに直せないわ。だからデータがないのよ」
 ブラック・メイデンはパシャパシャ撮っていく。そして、画面を見せてきた。
 なかなかキレイに映っている。すげぇ技術だな、これ。
「てめえ、なんだその態度は!」
 鬼の形相をした背広の男の怒鳴り声が聞こえてきた。
「えっと……。その……」
 若い男性が弱々しく頭を下げる。
 背広の男はその男性の腹を蹴り飛ばす。男性は聞いてはいけないような変な音を出し、倒れる。
「連帯責任で飯抜きだ!」
 この恐ろしい声にオレは背筋が凍った。
「じゃ、女性の方もいきましょ」
 何事もなかったかのようにブラック・メイデンはオレの手を引いた。

 無事、必要な証拠を集めることができた。
 しかし、まあ、そのまま何事もうまくいくはずがなく、このビルから脱出するとき、警備員と鉢合わせになってしまった。
 オレたちはどこからどう見ても不審者なので、捕まる。
 どう言い訳をしようかと、考えていると、
「この方は領主さまよ! あたしが領主さまを脅して、ここに来た。悪いのはあたしよ。さあ! さっさとあたしを捕まえなさい!」
 ブラック・メイデンは自分より二回りデカい警備員に突っかかった。
 大暴れしたブラック・メイデンだったが、警備員が呼んだ警官に捕まってしまった。
 街の警察署で、飛んできたらしい市長に、
「何があったんですか」
 と穏やかに聞かれた。
 オレは衝撃的なことが立て続けに起きていた結果、疲れ果て、ろくに脳も動かず、
「ええと……。それは……」
 としか、答えられなかった。

 翌朝、市長が融通きかせてくれたホテルの一室で、ダークチョコレートをかじった。
 今日は全く眠れなかった。
 ブラック・メイデンが心配で心配でならなかった。
 着替えようと、スーツに手を取る。暗渠のにおいが少し残っていた。エチケットとして、消臭スプレーを拭きかける。
 なんかスーツに違和感を感じ、内ポケットに手を突っ込む。取り出してみると、なんとあの金色の名刺入れ型カメラだった。
「まさか! あの子が?」
 震える手で電源を入れると、昨日のあのヤバい光景がすべて映っていた。
 オレの心臓は激しく鳴った。彼女を見捨ててしまったことに対する後悔と、このような非人道的なことが行われていることの感情が、グジャグジャと津波のように押し寄せてきて、心臓が氷の刃で貫かれたように苦しい。一緒にしてはいけないのは理解できるが、気持ちが追いついていない。
 まず、あのブラック・メイデンを助けなければと思った。
 しかし、彼女はオレにこのカメラを託した。ここまでお膳立てしてくれたのだ。
 オレはオレの役割を果たさなければ。
 チェックアウトを速攻で終わらせ、列車に飛び乗り、館へ戻った。
 道中はドシャブリだったが、怒りの方が先に来ている。帰路のことなど、どうでもいい。
 帰宅直後、警察長を呼び出すよう、ヒジリに命令した。
「何があったんですか? 昨日、あの売人と一悶着あったと聞きますが……?」
 ヒジリは挙動不審に尋ねる。
「警察長を呼んでから、すべて話す」
 オレは熱いコーヒーを流し込んだ。冷えた身体に暖かさが沁みる。少し、感情が落ち着いてきた。
 ブラック・メイデンの撮った写真をプリンターで焼いていると、警察長がやってきた。
 応接室にやってきた警察長は何事かと慌てている様子だ。
「あの売人に拉致されたことでしょうか……?」
 警察長はおどおどとした様子で、オレの顔色をうかがう。
 相当怒りを露出していたようだ。
 オレは咳払いを一回すると、
「この写真を見てほしい」
 焼いた写真をすべて見せた。
「なんですか、これ」
 横からヒジリは尋ねてくる。
「これは昨日、あの場所で撮ったものだ。あの売人はオレにこれを見せたかっていたんだ」
 オレは身を投げるようにソファに座った。
「え……。あの学校って……」
「まずは彼女を解放しろ。今から起きる一切の責任はオレが持つ」
 青ざめてはいたが、ヒジリは、了解しました、とだけ言って、電話を取りだした。
「警察長、これは刑事告発できるか?」
 オレはソファから身体を起こす。
「もちろんです! 警察の威信を賭けてでも、調査いたします」
 オレはなんだかホッとして、そのまま目をつむってしまった。

 ベッドで起きた。
 時計はブランチの時間を指していた。お日様はとうに高い空に上がっている。
「ああ、やっと起きられたのですね!」
 ヒジリがサイドテーブルで書類をいじっていた。
「まったく、あんな大騒動起こすなんて。相当おおごとになりましたよ」
「はあ。それが?」
「あのような大事件を領主直々に暴いたなんて、前代未聞です!」
 ヒジリがどうしてそんなことを言うのか、ワケがわからない。まあ、今のオレは脳が動いていないからだろうけど。
「丸一日、眠っておられたんですよ。あなたの身に何かあったら、私たちも心配します!」
 ややイラつくヒジリは、テレビを付けた。
 テレビにはたくさんの警察官が、あのビルの中に突入する姿が映っていた。そして、囚人のような姿の若い人々が泣きながら救出されていた。
「若い夫婦が狙われた事件です!」
 記者がマイクを片手に叫んでいる。
「目覚めたのなら、さっさと食事してください。二十分後、記者会見です」
「へ? なんの?」
 オレは何が起きているのか、いや、自分が何を起こしたのか、全く理解出来ないまま、メイドが持ってきたサンドウィッチを食べた。

「記者会見なんて、二度とするものか……」
「これから起きることの責任はすべて持つって、旦那さまがおっしゃったんですよ」
「はあ……」
 ヒジリの冷たいセリフに、オレは頭が痛くなる。
 怒濤の二時間半の記者会見を終え、オレたちは自室でコーヒーを飲んでいた。
「ここまで大きな出来事になるなんて思ってなかったんだよ。あの街の不正を暴いただけじゃないか!」
「ですから、『あなた』が『直接』暴いたからですよ! 普通は私とか、そういう……。部下を使って調査するものです! 自分から突入するなんて、危機感なさすぎます。どうかしていますよ。アホなんですか?」
 そこまで言わなくても……。
 よく見てみると、ヒジリのメガネはズレていた。その奥の目は少し潤んでいる。
「でも……。旦那さまは、我々が思っている以上に、良い領主になられていると思います。先代はこういった面倒ごとを無視してましたからね。領民のために動いているなんて、素晴らしいことです。ただ、もう少し、我々を信用してくださっても良いのではないですか? どうして、あの売人の方を信用なさったのですか?」
「へ? そっち?」
 オレは唐突にブラック・メイデンの話になって、驚いた。
「そうだ、彼女は?」
 オレはヒジリの肩を揺さぶる。面倒くさそうにヒジリはオレの手をどかすと、
「まったく……。あの娘さんがまともな倫理観の持ち主で安心しましたよ。それなりに説教はさせてもらいましたがね。こっちを巻・き・込・む・な、と」
 したり顔で、オレの顔を覗き込んだ。
「旦那さまがご自分の意志で動いたのと、彼女が旦那さまに色仕掛けをしたわけではなかったので、警察が言うには、今回のことは不問にしてくれるそうです!」
「つまり、逮捕はない……と?」
「ええ、そうです! あの娘はあなたの『領主』という立場・権利を利用しただけです! まったくいい年して、なに二人でアホなことをしているんですか」
 ヒジリは部屋中に響き渡るような声で爆笑した。
「アホって……。え、一体どういう?」
「もしかしたら、旦那さま、あなたは世の中を変えるかもしれませんね!」
 なんか、非常に子ども扱いされている気がする……。
「ホント、先代よりやりやすくなりましたよ。今回の騒動のおかげで、警察も司法も自由に領内を監視できるようになったのですから!」
 笑いすぎたためか、ヒジリの声は少し枯れている。
「ど……どういうこと?」
 ヒジリの言葉にクエスチョンマークが浮かぶ。
「そのままの意味です! 今まで、それぞれの街は市長や町長の権限が強かったのですよ。でも、今回、領主である旦那さまが『直接』動いたことで、彼らが隠していた不正が暴ばかれたんです! こっちだっておどろきですよ! まったく、まるでドラマです!」
「ドラマって……」
「今度からは、私たちを使ってくださいね? 部下を使うのも、領主さまの仕事です!」
 ヒジリはオレの背中を思い切り、叩いた。
 この衝撃で、オレは自分の責任の重さと、部下への信頼の強さを感じた。

 この騒動から、一週間経った。梅雨はすっかり明け、暑さが増すばかりだ。
 夏本番も近いかな。
 未だ、テレビはこの監禁事件について、報道していた。
 コメンテーターは真剣そうな目で、人の心を操るなんて、最低なことです云々とか、偉そうに抜かしている。
「ああ、こんなことのために、オレが表に立ったわけじゃないんだけどな」
 自室のテレビを眺めながら、つぶやく。
「ワイドショーを見るとバカになるよ」
 突然、暖かな太陽光に照らされたダイアモンドのようなキラキラした声が聞こえた。
 びっくりして、椅子から転げ落ちる。
「こっち、こっち」
 さんさんと光が降り注ぐ窓を見ると、その太陽と似つかわしくない暗い影が見えた。
「あっ!」
 影ではない。黒いマントだ。
「ああ!」
 オレは立ち上がり、窓を開けた。目からは涙がこぼれそうだ。
 だって、そうだよ。
「泣かなくたって、良いじゃないの? キミ一人の時間を見計らって、ここまで侵入するの、大変だったのよ」
 ブラック・メイデンが窓から部屋に入ってきた。どうやら、木を伝って昇ってきたようだ。マントに葉がついている。
「無事だったんだ」
「当たり前でしょ。ちなみに、あの手紙の子どもも無事救出されたし、親も反省しているようで、今じゃ親子むつまじく暮らしてるわ。あたしは、相当怒られたけどね。無茶苦茶するなって。あの秘書さん、悪い人じゃなかったわ。キミのこと、本当に心配してたのよ。ついでにあたしのことも心配されちゃった。美味しいもの食べさせてくれたし。久々のごちそうだったわ」
 なんだかんだ、ヒジリって、世話焼きなんだな。 
「ってことで、カメラ、返して」
 ブラック・メイデンの言葉に、ホッとしていたオレの脳はフリーズした。
「だから、カメラ! 金色のアレ! 新品で買ったのよ。すっごく高かったの。まさか、壊したとかじゃないよね?」
「壊して……は……ない……」
 オレはうなだれた。
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