第1話
文字数 5,223文字
「あなたは、いったい…。」
目が眩むほどの眩しい光と共に現れた、杖を携えた女性。
「にこにこ」と「にやにや」、どちらともとれる笑顔でエリアスを見つめている。
「夢を信じない人のところへ私は現れないのよ。さあ、あなたは何を叶えたいの?」
◇
昔々あるところに、エラという美しく心優しい娘がいました。エラは、優しい両親と幸せな生活を送っていました。
しかし、悲しみがエラを襲います。大好きな母親が病気になり亡くなってしまったのです。
悲しみに沈むエラを心配し、父親は再婚し新しい母親を迎えました。新しい継母は二人の娘を引き連れてきました。二人の娘はエラをいじめました。継母も知らんぷりです。
そんな日々の中でも、父がいればエラは幸せでした。母との思い出を語ることができたからです。
しかし、再び悲しみがエラを襲います。父親が旅先で事故にあい、帰らぬ人となってしまったのです。エラは本当に一人ぼっちになってしまいました。
継母や姉達はエラを召使として扱いました。日々の仕事の中で、服は擦り切れぼろぼろになりました。また、寝具もまともに用意がなかったため、眠る時は暖炉の前で横になりました。
ぼろをまとい、煤にまみれた姿を見た継母と姉達は、エラのことを“灰かぶりの娘”という意味を込め「シンデレラ」と呼びせせら笑いました。
エラは、辛い日々の中でも笑顔と優しさを忘れませんでした。亡くなった両親が常に笑顔を優しさを持ちなさいと教えてくれたからです。教えを守っている時は、大好きな両親がそばにいるように感じられました。
ある日、お城からお触れが出ました。王子様の結婚相手を探すため、国中の女性を舞踏会へ招待すると。もちろん、エラの元にも招待状は届きました。エラは忙しい家事の合間を縫い、舞踏会の準備を整えましたが、姉や母に邪魔をされ、せっかく用意した母親の形見のドレスを引き裂かれてしまいました。
悲しみに暮れるエラの前に、フェアリーゴッドマザーと名乗る妖精が現れました。フェアリーゴッドマザーは、辛い日々の中でも優しさと笑顔を忘れなかったエラを讃え、魔法でドレスを直してくれました。そして、ガラスの靴もプレゼントしてくれました。喜ぶエラに、フェアリーゴッドマザーは「魔法は十二時までしかもたない」と伝えました。エラはそれでもいいと喜んで出かけていきました。
お城の舞踏会はまるで夢のような世界でした。色とりどりのドレスの中を歩いていると、素敵な男性と目があいました。二人は瞬く間に惹かれ合い、幸せな気持ちでダンスを踊ります。
幸せな時間はあっという間。十二時を告げる鐘が鳴ります。エラは慌ててお城を後にします。その際、ガラスの靴を落としてしまいました。
家に戻り、手元に残ったガラスの靴を眺め幸せな気分に浸りました。この思い出があればどんな辛い日々も乗り越えていけると。
夢のような一日から少し過ぎた頃、お城からの使者が来ました。王子様が、ガラスの靴を落とした女性を探しているというのです。そう、エラがダンスをした男性は王子さまだったのです。
意地悪な姉二人も靴を試しましたが、履けません。継母はエラに靴を履かせまいと邪魔をしましたが、使者の一言で叶いませんでした。
エラは、王子の使者が見守る中でガラスの靴を履くことができました。
そして、エラはお城へ行き、王子さまと無事に再会しました。二人はいつまでも幸せに暮らしましたとさ。
めでたしめでたし。
◇
国に伝わる古い逸話。建国記念日が近くなると、ガラスを靴を模した品が市場に並び、大人たちは子供に物語を聞かせる。シンデレラの様に優しい女性になりなさい、そうすれば幸せになれると。
エリアスは、馬を引きながらガラスの靴に溢れた市場を歩く。いつもはあまり活気がないこの市場も、毎年この時期だけは少しだけ盛り上がる。国を挙げての大々的な祭りが行われるためだ。
「なあ、聞いたか。今年は伝承の再現があるらしいぞ」
「王女様の結婚相手を国中の男の中から選ぶそうだ」
「近いうちに招待状が配布されるって話だ」
この噂も毎年の話。毎年流れるこの出鱈目を嬉しそうに話す奴らの気が知れない。
この時期は、どうしても気持ちがささくれてしまう。理由は、特にないのだが。
「アールノルトの坊ちゃん、あんたの所にも招待状が届いているか」
顔馴染みの商人が、エリアスに話しかける。食糧など日用品の購入のため、市場には度々訪れる。もう長いこと通っているため、店子や商会の人間たちとはすっかり慣れ親しんでいる。
「やめてくれよ、坊ちゃんなんて。それに、この話が本当だったことなんて一度もないじゃないか。」
エリアスは、苦笑を浮かべる。商人の顔がかすかに曇り、気遣いの表情を浮かべる。ああ、またやってしまった。
「まあそれに、もし話が本当だったとして、実際招待状が届くのは貴族だけだろう。俺は対象外だ」
商人の顔がますます曇る。
「でも、坊ちゃんは」
「いいんだ、本当に。もう、終わったことだ」
言い募ろうとする商人に、笑顔を向ける。きっと、笑顔に見えているはずだ。
「アールノルトはもう俺のものじゃない。商会も、去ってしまった」
丘の上にそびえる、屋敷に目を向ける。
エリアスの就業先、そして、かつて自分のものだったあの家を。
エリアスは、アールノルト家の長男として生まれた。
アールノルト家は、国の南端にある小さな領地を治める貴族だった。爵位はあるが、権力はない。地方の弱小貴族といったところだ。
しかし、アールノルト領は豊かだった。恵まれた気候により農作物の育ちがよく、また、大きな商会の拠点があったため、卸先にも困らなかった。商会と協力体制が取れていたため、小さいながらも商業都市として成功を収めることができた。
エリアスの母は、アールノルト家の一人娘エミリア、父は商会の跡取り息子、ルイスだった。
二人は協力しながら、商会と領地の運営にあたった。領主としての目線、そして商会員としての目線、どちらも取り入れた運営方法は成功を収め、アールノルト領はより豊かに、商会はより大きくなっていった。
エリアスは、物心ついた頃から、領地の運営法、商会の運営法どちらも両親から叩き込まれて育った。
熱心に仕事をする両親を尊敬していたし、自分も助けになりたいとエリアスは夢中になって学んだ。両親の後ろにくっついてまわり、領地の視察、商会の見学が幼いエリアスの遊びとなった。熱心に学ぶ姿勢に民達は交換を抱き、「アールノルトの坊ちゃん」としてかわいがられるようになった。
エアリスは、大人になったら、尊敬する両親と同じように、領民や商会員と協力し、領地と商会の発展に貢献する当主になると信じて疑わなかった。
しかし、そんな順風満帆な生活は崩れてしまう。エアリスが十歳をすぎたころ、父ルイスが商談先で亡くなってしまった。馬車に惹かれそうになった商会員を庇ったそうだ。
片翼を失った母は、父の分まで必死に働いた。エリアスもそんな母を支えるべく一生懸命にできる業務を行った。母の努力と周囲の協力で、何とかやっていける、そんな希望が見えた時、さらなる試練が訪れた。大寒波である。
特産品だった農作物が育たなくなり、領民の収入は激減した。商会も今まで主力としていた標品を仕入れることができなくなり、こちらも売り上げが激減。アールノルト領は、窮地に追い込まれた。アールノルト家はできる限りの補償を行ったが、資金も底をつき、いよいよ立ち行かなくなってしまった。
そんなアールノルト家に手を差し伸べたのが、地方の金持ちトレメイン家だった。もともと、エリアスの父が懇意にしていた家で、友の危機だからと支援を行ってくれた。
支援を受ける中で、母エミリアとトレメイン家の次男アントンの仲は深まり、母の再婚が決まった。母の負担が減るならと、エリアスも母の再婚を喜んだ。アントンは、二人の息子を連れ、アールノルト家にやってきた。
しかし、母の再婚は、エリアスが望んだものではなかった。
アントンは冷たい人間だった。母に優しかったのも、爵位のため。アールノルト家の当主となり、社交界へ進出することが目的のためだった。
母と再婚したアントンは、領地の運営に非協力的だった。することといえば、母が用意した書類に、当主としての了承印を押すことだけだ。
有力貴族とのつながりを手に入れるため、毎晩のようにパーティーに出席した。一人では格好がつかないと、仕事でくたくたの母も連れ出していた。
領地・商会の運営に加え、パーティーなどの社交。母には休む間もなくなってしまった。
お前はまだ幼いからと、アントンはエリアスを社交界へ連れて行かなかった。人気のなくなった家で、母の帰りを待つことしかできない無力感に死にそうだった。
母とアントンの再婚から数年、とうとう母が過労で倒れ、そのまま亡くなってしまった。
尊敬する、大好きな母を失いエリアスは悲しみに沈んだ。自分がもっと母の支えになれていればと後悔し、泣いて、泣いて、泣いて……前を向いた。
次期当主として、父と母が紡いだものを繋がなければならない。幼い頃より共に過ごし、アールノルトに尽力してくれている民に応えねばならない。なにより、死んでしまった両親の誇りとなる息子でありたい。そんな思いがエリアスを支えた。
これからは、アントンと協力しアールノルトを支えていこう。そう決めた。
そんな時、アントンから部屋に来るようにと言付かった。
「義父上、お呼びでしょうか」
「ああ、エリアス、お入り」
アントンは温かい笑みを浮かべ、エリアスを迎え入れた。
「エミリアのことは、残念だった」
悲しげな表情を浮かべるアントンに、どの口がと一瞬怒りがこみ上げる。そんな気持ちを抑え、口を開く。
「義父上、母上のことは後悔しても、しきれません。私がもっと、力になれていればと……」
「エリアス、そう自分を責めるな」
アントンはエリアスに腕を回す。そして、慰めるように背を叩いた。
「失ったものは取り返せない。悔やむことがあっても、我々は前を向かねば」
アントンの言葉に、エリアスは頷く。
「はい、母上のためにも、私にできることに力を尽くします」
「ああ、ありがとう。我々は、家のためにできることをやらねば」
アントンとエリアスは体を離し、向かい合う。
「さて、ここから現実の話だ。エミリアという存在を失った我々は、しばらく領地の平定に追われるだろう。資金繰りがうまくいかなくなる。」
「そうですね」
「そのため、使用人を解雇することにしたんだ」
微笑むアントンに絶句する。
「使用人たちの生活はどうなるのです。母上が亡くなった今、領内は混乱しています。すぐに仕事が見つかるとは思えません!」
「そう声を荒げるな。アールノルトは豊かな土地。今は多少の混乱があれど、しばらくすれば落ち着くだろう。さすれば彼らの生活もどうにかなる。まずは、我々の生活を安定させねば」
「ですが、義父上!」
再び声を荒げたエリアスの肩を、微笑みを浮かべたまま軽く叩く。
「義父上などと、呼んでくれるな。これからは、旦那様と呼びなさい」
「なっ……」
目の前にいるこの人は、何を言っているんだ……。
「現在、アールノルト家の当主は私だ。そして私には立派な二人の息子がいる。君とは何の血縁もない。わかるだろう?」
エリアスは、体が震えを感じた。何を言っているんだ、この人は。何が言いたいのだ。
「しかし、私と息子達は家のことができなくてね。そんなことをする必要のない生活を送っていたもので」
アントンはエリアスを見つめながらくくっと喉の奥で笑う。エリアスは、幼い頃から市井におり、領民と生活を共にしていた。その中で、炊事も洗濯も一通りこなしてきた。自分の足で市場を周り、値切り交渉にも躊躇せず買い物をした。領民と変わらない暮らしをすることは、領地運営の中で両親が大切にしていたことだし、暮らしの中で築いた領民との関係は、エリアスにとって大切なものだ。
しかし、目の前にいる男は、それを嘲笑しているのだ。両親が大切にし、エリアスが誇りとしているものを、下民のすることだと見下しているのだ。
「どうだろう。もう我が家には関係ないとはいえ、アールノルトを離れるのは辛いだろう。君さえよければ、我が家で雇ってあげてもいいのだが、どうだろうか」
屈辱に血が上るのがわかる。血管が切れそうだ。目の前にいるあの男は、エリアスが断る選択肢を持たないことを知っているのだ。
ここで断ってしまえば、領地を見捨てたことと同義だ。両親が大切に守ってきたこの地を踏むことは、二度とできないだろう。そんなこと、できるはずがないのだ。
「お心遣いに、感謝いたします……」
自分の喉から放たれた声は、驚くほどか細く、頼りなかった。
まるで、今の自分を体現しているようだ。
目が眩むほどの眩しい光と共に現れた、杖を携えた女性。
「にこにこ」と「にやにや」、どちらともとれる笑顔でエリアスを見つめている。
「夢を信じない人のところへ私は現れないのよ。さあ、あなたは何を叶えたいの?」
◇
昔々あるところに、エラという美しく心優しい娘がいました。エラは、優しい両親と幸せな生活を送っていました。
しかし、悲しみがエラを襲います。大好きな母親が病気になり亡くなってしまったのです。
悲しみに沈むエラを心配し、父親は再婚し新しい母親を迎えました。新しい継母は二人の娘を引き連れてきました。二人の娘はエラをいじめました。継母も知らんぷりです。
そんな日々の中でも、父がいればエラは幸せでした。母との思い出を語ることができたからです。
しかし、再び悲しみがエラを襲います。父親が旅先で事故にあい、帰らぬ人となってしまったのです。エラは本当に一人ぼっちになってしまいました。
継母や姉達はエラを召使として扱いました。日々の仕事の中で、服は擦り切れぼろぼろになりました。また、寝具もまともに用意がなかったため、眠る時は暖炉の前で横になりました。
ぼろをまとい、煤にまみれた姿を見た継母と姉達は、エラのことを“灰かぶりの娘”という意味を込め「シンデレラ」と呼びせせら笑いました。
エラは、辛い日々の中でも笑顔と優しさを忘れませんでした。亡くなった両親が常に笑顔を優しさを持ちなさいと教えてくれたからです。教えを守っている時は、大好きな両親がそばにいるように感じられました。
ある日、お城からお触れが出ました。王子様の結婚相手を探すため、国中の女性を舞踏会へ招待すると。もちろん、エラの元にも招待状は届きました。エラは忙しい家事の合間を縫い、舞踏会の準備を整えましたが、姉や母に邪魔をされ、せっかく用意した母親の形見のドレスを引き裂かれてしまいました。
悲しみに暮れるエラの前に、フェアリーゴッドマザーと名乗る妖精が現れました。フェアリーゴッドマザーは、辛い日々の中でも優しさと笑顔を忘れなかったエラを讃え、魔法でドレスを直してくれました。そして、ガラスの靴もプレゼントしてくれました。喜ぶエラに、フェアリーゴッドマザーは「魔法は十二時までしかもたない」と伝えました。エラはそれでもいいと喜んで出かけていきました。
お城の舞踏会はまるで夢のような世界でした。色とりどりのドレスの中を歩いていると、素敵な男性と目があいました。二人は瞬く間に惹かれ合い、幸せな気持ちでダンスを踊ります。
幸せな時間はあっという間。十二時を告げる鐘が鳴ります。エラは慌ててお城を後にします。その際、ガラスの靴を落としてしまいました。
家に戻り、手元に残ったガラスの靴を眺め幸せな気分に浸りました。この思い出があればどんな辛い日々も乗り越えていけると。
夢のような一日から少し過ぎた頃、お城からの使者が来ました。王子様が、ガラスの靴を落とした女性を探しているというのです。そう、エラがダンスをした男性は王子さまだったのです。
意地悪な姉二人も靴を試しましたが、履けません。継母はエラに靴を履かせまいと邪魔をしましたが、使者の一言で叶いませんでした。
エラは、王子の使者が見守る中でガラスの靴を履くことができました。
そして、エラはお城へ行き、王子さまと無事に再会しました。二人はいつまでも幸せに暮らしましたとさ。
めでたしめでたし。
◇
国に伝わる古い逸話。建国記念日が近くなると、ガラスを靴を模した品が市場に並び、大人たちは子供に物語を聞かせる。シンデレラの様に優しい女性になりなさい、そうすれば幸せになれると。
エリアスは、馬を引きながらガラスの靴に溢れた市場を歩く。いつもはあまり活気がないこの市場も、毎年この時期だけは少しだけ盛り上がる。国を挙げての大々的な祭りが行われるためだ。
「なあ、聞いたか。今年は伝承の再現があるらしいぞ」
「王女様の結婚相手を国中の男の中から選ぶそうだ」
「近いうちに招待状が配布されるって話だ」
この噂も毎年の話。毎年流れるこの出鱈目を嬉しそうに話す奴らの気が知れない。
この時期は、どうしても気持ちがささくれてしまう。理由は、特にないのだが。
「アールノルトの坊ちゃん、あんたの所にも招待状が届いているか」
顔馴染みの商人が、エリアスに話しかける。食糧など日用品の購入のため、市場には度々訪れる。もう長いこと通っているため、店子や商会の人間たちとはすっかり慣れ親しんでいる。
「やめてくれよ、坊ちゃんなんて。それに、この話が本当だったことなんて一度もないじゃないか。」
エリアスは、苦笑を浮かべる。商人の顔がかすかに曇り、気遣いの表情を浮かべる。ああ、またやってしまった。
「まあそれに、もし話が本当だったとして、実際招待状が届くのは貴族だけだろう。俺は対象外だ」
商人の顔がますます曇る。
「でも、坊ちゃんは」
「いいんだ、本当に。もう、終わったことだ」
言い募ろうとする商人に、笑顔を向ける。きっと、笑顔に見えているはずだ。
「アールノルトはもう俺のものじゃない。商会も、去ってしまった」
丘の上にそびえる、屋敷に目を向ける。
エリアスの就業先、そして、かつて自分のものだったあの家を。
エリアスは、アールノルト家の長男として生まれた。
アールノルト家は、国の南端にある小さな領地を治める貴族だった。爵位はあるが、権力はない。地方の弱小貴族といったところだ。
しかし、アールノルト領は豊かだった。恵まれた気候により農作物の育ちがよく、また、大きな商会の拠点があったため、卸先にも困らなかった。商会と協力体制が取れていたため、小さいながらも商業都市として成功を収めることができた。
エリアスの母は、アールノルト家の一人娘エミリア、父は商会の跡取り息子、ルイスだった。
二人は協力しながら、商会と領地の運営にあたった。領主としての目線、そして商会員としての目線、どちらも取り入れた運営方法は成功を収め、アールノルト領はより豊かに、商会はより大きくなっていった。
エリアスは、物心ついた頃から、領地の運営法、商会の運営法どちらも両親から叩き込まれて育った。
熱心に仕事をする両親を尊敬していたし、自分も助けになりたいとエリアスは夢中になって学んだ。両親の後ろにくっついてまわり、領地の視察、商会の見学が幼いエリアスの遊びとなった。熱心に学ぶ姿勢に民達は交換を抱き、「アールノルトの坊ちゃん」としてかわいがられるようになった。
エアリスは、大人になったら、尊敬する両親と同じように、領民や商会員と協力し、領地と商会の発展に貢献する当主になると信じて疑わなかった。
しかし、そんな順風満帆な生活は崩れてしまう。エアリスが十歳をすぎたころ、父ルイスが商談先で亡くなってしまった。馬車に惹かれそうになった商会員を庇ったそうだ。
片翼を失った母は、父の分まで必死に働いた。エリアスもそんな母を支えるべく一生懸命にできる業務を行った。母の努力と周囲の協力で、何とかやっていける、そんな希望が見えた時、さらなる試練が訪れた。大寒波である。
特産品だった農作物が育たなくなり、領民の収入は激減した。商会も今まで主力としていた標品を仕入れることができなくなり、こちらも売り上げが激減。アールノルト領は、窮地に追い込まれた。アールノルト家はできる限りの補償を行ったが、資金も底をつき、いよいよ立ち行かなくなってしまった。
そんなアールノルト家に手を差し伸べたのが、地方の金持ちトレメイン家だった。もともと、エリアスの父が懇意にしていた家で、友の危機だからと支援を行ってくれた。
支援を受ける中で、母エミリアとトレメイン家の次男アントンの仲は深まり、母の再婚が決まった。母の負担が減るならと、エリアスも母の再婚を喜んだ。アントンは、二人の息子を連れ、アールノルト家にやってきた。
しかし、母の再婚は、エリアスが望んだものではなかった。
アントンは冷たい人間だった。母に優しかったのも、爵位のため。アールノルト家の当主となり、社交界へ進出することが目的のためだった。
母と再婚したアントンは、領地の運営に非協力的だった。することといえば、母が用意した書類に、当主としての了承印を押すことだけだ。
有力貴族とのつながりを手に入れるため、毎晩のようにパーティーに出席した。一人では格好がつかないと、仕事でくたくたの母も連れ出していた。
領地・商会の運営に加え、パーティーなどの社交。母には休む間もなくなってしまった。
お前はまだ幼いからと、アントンはエリアスを社交界へ連れて行かなかった。人気のなくなった家で、母の帰りを待つことしかできない無力感に死にそうだった。
母とアントンの再婚から数年、とうとう母が過労で倒れ、そのまま亡くなってしまった。
尊敬する、大好きな母を失いエリアスは悲しみに沈んだ。自分がもっと母の支えになれていればと後悔し、泣いて、泣いて、泣いて……前を向いた。
次期当主として、父と母が紡いだものを繋がなければならない。幼い頃より共に過ごし、アールノルトに尽力してくれている民に応えねばならない。なにより、死んでしまった両親の誇りとなる息子でありたい。そんな思いがエリアスを支えた。
これからは、アントンと協力しアールノルトを支えていこう。そう決めた。
そんな時、アントンから部屋に来るようにと言付かった。
「義父上、お呼びでしょうか」
「ああ、エリアス、お入り」
アントンは温かい笑みを浮かべ、エリアスを迎え入れた。
「エミリアのことは、残念だった」
悲しげな表情を浮かべるアントンに、どの口がと一瞬怒りがこみ上げる。そんな気持ちを抑え、口を開く。
「義父上、母上のことは後悔しても、しきれません。私がもっと、力になれていればと……」
「エリアス、そう自分を責めるな」
アントンはエリアスに腕を回す。そして、慰めるように背を叩いた。
「失ったものは取り返せない。悔やむことがあっても、我々は前を向かねば」
アントンの言葉に、エリアスは頷く。
「はい、母上のためにも、私にできることに力を尽くします」
「ああ、ありがとう。我々は、家のためにできることをやらねば」
アントンとエリアスは体を離し、向かい合う。
「さて、ここから現実の話だ。エミリアという存在を失った我々は、しばらく領地の平定に追われるだろう。資金繰りがうまくいかなくなる。」
「そうですね」
「そのため、使用人を解雇することにしたんだ」
微笑むアントンに絶句する。
「使用人たちの生活はどうなるのです。母上が亡くなった今、領内は混乱しています。すぐに仕事が見つかるとは思えません!」
「そう声を荒げるな。アールノルトは豊かな土地。今は多少の混乱があれど、しばらくすれば落ち着くだろう。さすれば彼らの生活もどうにかなる。まずは、我々の生活を安定させねば」
「ですが、義父上!」
再び声を荒げたエリアスの肩を、微笑みを浮かべたまま軽く叩く。
「義父上などと、呼んでくれるな。これからは、旦那様と呼びなさい」
「なっ……」
目の前にいるこの人は、何を言っているんだ……。
「現在、アールノルト家の当主は私だ。そして私には立派な二人の息子がいる。君とは何の血縁もない。わかるだろう?」
エリアスは、体が震えを感じた。何を言っているんだ、この人は。何が言いたいのだ。
「しかし、私と息子達は家のことができなくてね。そんなことをする必要のない生活を送っていたもので」
アントンはエリアスを見つめながらくくっと喉の奥で笑う。エリアスは、幼い頃から市井におり、領民と生活を共にしていた。その中で、炊事も洗濯も一通りこなしてきた。自分の足で市場を周り、値切り交渉にも躊躇せず買い物をした。領民と変わらない暮らしをすることは、領地運営の中で両親が大切にしていたことだし、暮らしの中で築いた領民との関係は、エリアスにとって大切なものだ。
しかし、目の前にいる男は、それを嘲笑しているのだ。両親が大切にし、エリアスが誇りとしているものを、下民のすることだと見下しているのだ。
「どうだろう。もう我が家には関係ないとはいえ、アールノルトを離れるのは辛いだろう。君さえよければ、我が家で雇ってあげてもいいのだが、どうだろうか」
屈辱に血が上るのがわかる。血管が切れそうだ。目の前にいるあの男は、エリアスが断る選択肢を持たないことを知っているのだ。
ここで断ってしまえば、領地を見捨てたことと同義だ。両親が大切に守ってきたこの地を踏むことは、二度とできないだろう。そんなこと、できるはずがないのだ。
「お心遣いに、感謝いたします……」
自分の喉から放たれた声は、驚くほどか細く、頼りなかった。
まるで、今の自分を体現しているようだ。