第2話
文字数 2,227文字
大学生の朝は意外に早い。特に一限があるときなんて八時前には家を出なくては間に合わない。久留美は時間ギリギリまで寝ていたいタイプの人だから目覚まし時計のスヌーズ機能をフルに活用して二度寝三度寝を繰り返す。でも今日は違った。朝目覚めえよく起きた久留美の体は筋肉痛でバキバキになっている。向背筋に始まり肩甲骨周り、三頭筋、上腕二等筋、肘、手首が若干重く感じた。普段なら食べない朝食を食べていると父が驚いたようにコーヒーを淹れてくれた。なにかいいことあった? と聞いてきたから笑顔で「別に」と返す。
昨日まですかすかだったバックの中は、パンパンにふくらみ左肩にかけたバッグが少し食い込んでいる。
いつもより五分早い電車に乗り、大学の最寄駅まで一度も席に座らなかった。スクールバスを待つ時間も待ち遠しく思いながら本を開くと肩を叩かれ振り返るとあんこが立っていた。
「おはよう。今日も絶好の野球日和だね」
「そうですね」
「ちょっと。敬語禁止だってば、くるみちゃん」
あんこは、スクールバスが到着して大学までの道のりの間、この調子でずっと野球の話しをしていた。昨日の巨人の試合見たとかメジャーリーグのこととか、女子野球のすごい選手の情報とかいろいろ尽きることがなかった。相槌をうつのも疲れてきて、こんなに朝から飛ばして大丈夫かと心配するくらいだった。
一限の経営学基礎の時間案の定、あんこはイスに座ったと同時に居睡りをはじめた。一度もノートをとることなく終わりのチャイムで起きて真っ白なノートを見てのん気に笑ってた。
「くるみちゃん。部活終わったらノート見せて」
「あんこ次は、起きてようね」
高校二年生から野球を離れてなんとなく日々を生きてきた。だからほとんどのことに無関心で深い意味など考えなかった。久留美はあんこの迷いがない寝顔を見ていると、胸がむず痒くなる。
あんこは、そのままお昼まで起きることはなく、学食でカツカレーの大盛りを食べていた。久留美の持ってきたファミコンのカセット並みに小さいお弁当に文句をつけながら久留美より先にだべ終わるのだからすごいことだ。
「くるみちゃん。しっかり食べないと練習でばてるよ」
「そうかもだけど。ほら周りの目とか・・・・・・あんこ気にならないの?」
口にカレーの後がついていて躊躇なく手でこすって拭いたあんこは首を傾げている。
「くるみちゃん!! そんなこと言ってたら神宮大会でどうやって活躍するの!? 関係ないよ人の目なんて」
「神宮大会って」
高校野球の聖地が甲子園なら大学野球の聖地は、神宮球場だ。昔、おじいちゃんもプレーしていた場所。
「さあ着替えて部活に行こう。案内するよ」
チャイムがなったと同時にあんこと共にとび出した。これから始まる野球に少しの不安と希望を抱いて。
電車に乗って三十分。徒歩五分のところにある河川敷のグラウンドには、早くも上級生が集まっていた。ピッチャーのりかこ(三年)とショートのソフィー(二年)。この二人は最初のインパクトが強かったから久留美はすぐに分かった。他のメンバーもあんこに一通り教えてもらったからなんとなく分かる。ベンチの前でバットを振っているのは、レフトを守っていた身長が高くてりかこに負けないくらい長い綺麗な髪の織部雅(三年)。セカンドでノックを受けている原希(二年)は、私たちに気がついたのか声をかけようかきょろきょろしていた。ノッカーの楠田翔子(三年)は、まったく気がついていないからどんどん球際にノックを打っていた。
「のぞみ~ あと三十本とらないと終わんないよ~」
「お、お願いしますもう一本」
「なにをへばってんのよ。弱音はいたらもう十本追加ね」
「りかこさん。いけないんだ~ またのぞみちゃんいじめてる~」
あんこは、そう言ってグラウンドに駆け出した。先輩たちの視線がこっちに集まる。久留美の姿を見た先輩たちは練習を一旦中断して集まってきた。
「こんにちは。くるみちゃんもいっしょです。真咲さんは?」
「真咲さんなら外野で走ってるよ」
ノックを打っていた翔子は、ライトのポールを指差して言った。
「じゃああたし挨拶してきますね」
あんこは、久留美の手をひいてライトの最深部まで走り出す。こちらに気がついて走り出すのを辞めた真咲は、近づいてくるのがあんこと分かって笑ったように見えた。遠くからは分からなかったが久留美よりも小さい、あんこくらいの身長で一六〇センチあるかないか、チームのキャプテンと聞いてた割にはもっと大きいな人を想像していた。真咲って言う名前も男らしいから怖い人かなとも思っていたが小さくて幼女みたいな顔をしている。このチームで一番可愛いかも。
「こんにちは。真咲さん。この子が昨日言った有望部員です」
「はじめまして。咲坂久留美です。あの昨日はいろいろすみませんでした」
真咲は、右手を差し出して握手を求めた。久留美も応じる。
「まぁそう固くならずに、昨日は就職課にいってたから会えなかったけど災難だったね。りかこにやられたんでしょ。あの娘負けず嫌いだから許してあげてね」
「別に気にしてないです」
そう言うと真咲は笑って私の手を今度は両手で包み込むように握り顔を近づける。
「ピッチャーとしての度胸はあるみたい。あんこ、全員をベンチに集めなさい。歓迎します咲坂久留美さん。ようこそ栄光大女子硬式野球部へ」