第1話

文字数 1,964文字

〇×病院 心理相談室

「えらいことしよった、ほんま」

「まさかそんなほんまに死ぬなんて思わんかったんです」

「みんなそうですよ。自殺というのは本当に突然です。家族も関わってきたスタッフもなかなか気づけません」

「薬やって何回も警察の世話になったけどね、でも最近はまじめに自助グループにも通うて家でメダカなんか育ててね」

「それもいっぱいたまご生んで、そしたらまた別の水槽に移してね。水草なんかも買うてきて、やから庭にはアキラの育てとったメダカや水草の発砲スチロールがもういーっぱい」
「アキラが死んだ日も昼ご飯、普通に「何食べたい?」とか聞いたら、アキラが二階から「お好み焼き」とかいうてね、やから近くのスーパーで買ってきて」

患者の話は止まらない。

今日の患者は、70代のカズヨ。カズヨは息子を自殺で失くし、ここにやって来た。



 



ターナーは、カズヨのひとことひとことに耳を傾ける。カズヨの声がターナーの耳に入ってその音がひとつの言葉となり、その言葉と言葉がまたまとまりをなして意味が理解できるようになると、体の中がすーっと冷たくなる。



 



それほどに残酷。


どうしてあげることもできない無力感は、今まさにカズヨ自身が感じているものだろう。




 重苦しい混沌とした空気が漂う。それはまるで吸いこんだ人間の呼吸を塞き止める有毒ガスのよう。


もしこの空気に色を付けられるとしたら当然のように明るい色が混じることはないだろう。

・・・息、苦しい。

ターナーはカズヨのハイペースを緩めるべく、自分自身が深く呼吸をする。すると不思議にカズヨもターナーのペースにつられ、乱され、言葉が途切れる。



 



うっうっうっ



 



手に持ったハンカチを握りしめ、顔を覆う。口から泣き声が漏れないように力を籠めるが、6帖にも満たない狭い部屋にはカズヨの嗚咽がさびしく響き渡る。



 



どんなに後悔しても故人は戻ってこない。

誰のせいでもない。しかし、家族は後悔する。



 

あのとき、わたしが気づいていれば・・・

わたしのあの一言があの人を追い込んでしまったんじゃないか・・・

自分なんて、母親の資格がない。

育て方を間違った、自分はなんてことをしてしまったのだろう・・・

 家族は、元居た世界から切り離された場所で混沌とした時間を過ごす。この悲しみや苦しさはだれも変わることができない。


どんなに時代が変わっても、便利な世の中になっても自分の感じる苦しみを誰かに代わってもらうことはできない無情。


自分はいつまでこんなつらい状況なのか、この苦しみは死ぬまで続くのだろうか?


この状況を抜け出したいが、自分だけ楽になったところで死んだあの子に申し訳が立たない。

 

ひとことでは到底表せない苦しみ、絶望は罪悪感や自責感となってカズヨを苦しめる。

「すこし休みましょう」

そういって小刻みに震えているカズヨに話すのをやめることを促す。



 



このやり取りを何回か繰り返し、話すことのつらさに耐えられなくなったカズヨはカウンセリングの中断を求めた。



 



息子が亡くなったことよりもそのことを話すことが何よりつらい。


ターナーは、話すことが苦痛となるならば「もちろん」とカウンセリングの中断を了解し、数カ月間の休憩をはさんだ。

3か月後

「お久しぶりですね。随分顔色が良くなられましたね」

「はい、だいぶ違います。いつまでも死んだ人間を思っても仕方ないと思ってね。アキラも思い切ったことしたと思いますけど、あれしか方法がなかったんでしょ」

「うんうん」
「まぁ、こんなこと言うとあれかもしれんのですけど、やっぱり家族としてはほっとした部分もあるんですよ。もうアキラが生きているときはやっぱりいっつも」


「はい」
「いつ薬をやるか、またやってるんじゃないか、目を光らせて、警察に捕まったら あぁまたか、

刑務所に入ったら面会に行ったり、近所にもね、言えんしね。アキラ君どうしてるん?言われても、

はっきり言われんでしょ?」

「そうですね」

そうカズヨは苦々しくも軽快に話す。

「やっと肩の荷が下りましたわ」

ターナーはカズヨの変貌ぶりに驚くが、これがこの人の真実だ。


カズヨは、これから息子が自殺したという記憶を背負って毎日を送っていく。時には耐えきれないほどの苦痛がぶり返すこともあるだろう。


表面的な善悪の判断はあまりにも陳腐で不親切だ。


カズヨにとって、息子を失った悲しみや絶望と引き換えに




やっと訪れた安堵なのだ。

死んだ息子がもう勝手に薬を手に入れることはない。


警察の厄介にもならない。


想定外の安堵感はだれが何を言おうとカズヨを救う特効薬となった。

「そういえば、メダカはどうしたんですか?」

「あぁ、あれ?」

「みーんな死んでしもた。だってあんないーっぱい庭に置かれても片づかんでしょ」

・・・これがこの家族の現実だ。

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登場人物紹介

カズヨ(70代

薬物依存に陥った果てに自殺した息子の母親。息子を失った深い悲しみと罪悪感でターナーの勤務する病院の心理カウンセリングを受けることになった。

ターナー(年齢不詳)

〇×病院カウンセラー

サバサバした長身の美人。患者思いの優しい面もあるが、カウンセリングはスパルタ

ターナーの元に来る患者が少しでも心安らぐことを目指してカウンセリングに奮闘する!

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