第1話
文字数 1,964文字
〇×病院 心理相談室
患者の話は止まらない。
今日の患者は、70代のカズヨ。カズヨは息子を自殺で失くし、ここにやって来た。
ターナーは、カズヨのひとことひとことに耳を傾ける。カズヨの声がターナーの耳に入ってその音がひとつの言葉となり、その言葉と言葉がまたまとまりをなして意味が理解できるようになると、体の中がすーっと冷たくなる。
それほどに残酷。
どうしてあげることもできない無力感は、今まさにカズヨ自身が感じているものだろう。
重苦しい混沌とした空気が漂う。それはまるで吸いこんだ人間の呼吸を塞き止める有毒ガスのよう。
もしこの空気に色を付けられるとしたら当然のように明るい色が混じることはないだろう。
ターナーはカズヨのハイペースを緩めるべく、自分自身が深く呼吸をする。すると不思議にカズヨもターナーのペースにつられ、乱され、言葉が途切れる。
うっうっうっ
手に持ったハンカチを握りしめ、顔を覆う。口から泣き声が漏れないように力を籠めるが、6帖にも満たない狭い部屋にはカズヨの嗚咽がさびしく響き渡る。
どんなに後悔しても故人は戻ってこない。
誰のせいでもない。しかし、家族は後悔する。
家族は、元居た世界から切り離された場所で混沌とした時間を過ごす。この悲しみや苦しさはだれも変わることができない。
どんなに時代が変わっても、便利な世の中になっても自分の感じる苦しみを誰かに代わってもらうことはできない無情。
自分はいつまでこんなつらい状況なのか、この苦しみは死ぬまで続くのだろうか?
この状況を抜け出したいが、自分だけ楽になったところで死んだあの子に申し訳が立たない。
ひとことでは到底表せない苦しみ、絶望は罪悪感や自責感となってカズヨを苦しめる。
そういって小刻みに震えているカズヨに話すのをやめることを促す。
このやり取りを何回か繰り返し、話すことのつらさに耐えられなくなったカズヨはカウンセリングの中断を求めた。
息子が亡くなったことよりもそのことを話すことが何よりつらい。
ターナーは、話すことが苦痛となるならば「もちろん」とカウンセリングの中断を了解し、数カ月間の休憩をはさんだ。
3か月後
刑務所に入ったら面会に行ったり、近所にもね、言えんしね。アキラ君どうしてるん?言われても、
はっきり言われんでしょ?」
そうカズヨは苦々しくも軽快に話す。
ターナーはカズヨの変貌ぶりに驚くが、これがこの人の真実だ。
カズヨは、これから息子が自殺したという記憶を背負って毎日を送っていく。時には耐えきれないほどの苦痛がぶり返すこともあるだろう。
表面的な善悪の判断はあまりにも陳腐で不親切だ。
カズヨにとって、息子を失った悲しみや絶望と引き換えに
やっと訪れた安堵なのだ。
死んだ息子がもう勝手に薬を手に入れることはない。
警察の厄介にもならない。
想定外の安堵感はだれが何を言おうとカズヨを救う特効薬となった。
・・・これがこの家族の現実だ。