第5話:香織の実の父の死

文字数 2,487文字

 そんな1973年、香織は哲二が仕事柄、日本経済新聞と読売新聞をとっていたので子供が寝ている時、何気なく新聞を見ると晴海埠頭に赤いクラウンが落ちた写真が写っていた。その中の腐乱死体がピストルで頭を打ち抜かれていたと書いてあった。ヤクザの抗争事件ではないかと書いてあり、その車は1960年の赤のトヨペット・クラウンだった。

 父の乗っていたクラウンと同じ物で足立ナンバーで両サイドに真ん中に前から後ろにかけて横側に白いペンキが塗ってあり間違いなく父の物だと直感した。しかし身元不明と新聞に書いてあった。ついに、父も自業自得で亡くなったと思うと昔の嫌な思い出が走馬灯のように頭のかなを駆け巡った。しかし、少しすると、これで安心したと思い、ほっとした。

 その晩、帰って来た哲二に、奥さんが、その話をすると、そりゃー良かった。これで俺も心配しないで生活できると笑顔で言った。やがて1973年が終わり1974年を迎えた。今年も初詣でに出かけて家内安全、商売繁盛、子供の健やかな成長を祈願して来た。1974年1月4日から仕事となり忙しい日々が始まった。寒い日が続き女房も子供も部屋を出ずに小田が仕事帰りに食材を買って帰る日々が続いた。

 寒さが和らぎ3月になり奥さんも外に出かけるようになった。日曜日には小田も女房と子供を連れて池袋のデパートに行って買い物に出かけるようになった。やがて5月、梅雨が明けて、夏になるとマンションの風呂場で長男の健一を小さなたらいに入れてプールのようにてやると、喜んで水遊びを楽しんだ。夏が過ぎると秋風がふき涼しくなってきた。

 1974年10月5日にソニー株を490円で4千株買い残金が547万円となった。その情報をリベート契約をしている客に連絡を入れた。日本の消費者物価指数で1974年・昭和49年は23%上昇し、「狂乱物価」という造語まで生まれた。インフレーション抑制のために公定歩合の引き上げが行われ、企業の設備投資などを抑制する政策がとられた。

 結果、1974年は-1.2%という戦後初めてのマイナス成長を経験し、高度経済成長がここに終焉を迎えた。トイレットペーパーや洗剤など、原油価格と直接関係のない物資の買占め騒動も起きた。しかしオイルショックを契機に脱石油、省エネルギーの気運が高まり、新しい技術が芽生えるきっかけにもなった。その後、急ぎ足で1974年が過ぎて行き、1974年が終わり1975年を迎えた。

 1975年初詣でに行き、家内安全、商売繁盛、子供の健康を祈願して来た。その後、おせち料理を食べてるときに奥さんの具合が悪くなり、1月5日、産婦人科で子供ができた頃がわかり出産予定日が1975年5月20日と教えられた。その後、今年は新規開拓を命ぜられ下町を自転車で訪問して証券口座を1つでも多く獲得する仕事をさせられた。

 外勤が増えたせいか3月になると身体が締まり精悍な顔つきになった。2,3、4月と顧客開拓で20人の新規顧客を獲得でき、仕事のコツもわかってきた。一番落としやすいのが、裕福そうな高齢者をおだてる作戦が有効だった。5月18日に奥さんが近所の産婦人科に入院して女の赤ちゃんし、小百合、小田小百合と名付けた。愛くるしい顔で大きな泣き声を上げていた。

 その後も、小田は5,6,7月と訪問を続けて30人、累計で73人の新規顧客ができたので、この仕事を終了した。その後は内勤で電話作戦で顧客の意思で株取引をさせる作戦をたてて、小田が上がりそうな銘柄についてどう思いますかという質問をすると株に興味ある人は、必ず2、3銘柄を注目しているので、○○株、そろそろ上昇すると思うんだけれどと言わせて、買わせるのだ。

 決して、こちらからコメントせずに、○○さん、すごいところに目をつけましたねと、おだて上げると買ってくれる場合が多い。たいていの場合は、読みが外て、すぐ売りを入れる場合が多い、その時に、ついてなかったですね、でも、きっと、またチャンスがあるから、積極的に行きましょうという。そうして売買回数が増えると自動的に手数料がタクシーメーターのように積み上がってくる仕組み。

 この手数料が個人のボーナス査定に大きな影響が出てくる。こうして基本給の2倍以上の収入をもらうのが、やり手証券マンの手口。この当時、現在とは違い、手数料はかなり高いものだった。ただ勢い余って、絶対にもうけさせるとか、もうかるとか、断言口調はトラブルの元になるので、決して言ってはいけない。・・・かもしれませんね、上がる可能性は高いかもなど、曖昧な表現を使う様にすることを心がけた。

 1975年11月に日本電気株が安くなったと思い、奥さんの口座で日本電気株を1210円で2万株2420万円で買い、残金が480万円となった。その他、リベート契約の10人の顧客の株も売りを出して合計500万円の利益を与えて会社に報告せずにリベート100万円をいただいた。このリベートでカローラの中古車を120万円で購入した。

 11月24日の土曜日、有給休暇をとって、早朝、家を出て、第三京浜を使い、湘南を走り、相模湾を見ながら、平塚、小田原から箱根に行って、箱根温泉に1泊して、ゆっくり温泉に入って、子供の寝顔を見ていると、昔から小田は無意識のうちに、いつも母がいない悲しさ、寂しさを押し殺すために、無理して無表情、無感情でいた。

 それが徐々に雪がとけるように、心の中で溶けていき、人生の嬉しさ、楽しさという感情を自然に表に出せるようになって、本当に気が楽になった。この幸せが、長く続くように、お金を稼いで、豊かな生活を続けたいと感じたのだった。

 翌日、芦ノ湖の遊覧船に乗って、霊峰富士を眺めて、明日からも稼ぐぞと心に誓った。その後、小田原港のレストランで、上手い鯵フライを食べて、池袋のマンションへ戻った。やがて1975年が終わり1976年を迎えた。今年も初詣でに行き家内安全、商売繁盛、子供達の健やかな成長を祈願して帰って来た。
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