11 『雨宿りの車内にて』……特殊詐欺犯・始末 

文字数 4,708文字


 外は大雨だった。
 ゲリラ豪雨である。
 晴天だった空を巨大な積乱雲が覆い、雷鳴を合図に土砂降りが始まった。
 
 雨粒の叩きつける音が車内に鳴り響いている。
 静粛性を誇る高級セダンの中にいても無視できないほどだった。ばらばらと絶え間なくルーフを打つ音が風情(ふぜい)なく(うるさ)い。

「通り雨でしょう。煙草(タバコ)でも吸って待ちましょう」

 差し出された銀製のシガー・ケースを、分厚い(てのひら)が押し返す。
 アロハシャツ姿の中年男は、(てのひら)だけでなく胸も胴も異様なほど肉が厚かった。丸く盛り上がった肩は尋常でなく広い。腹まわりにもそれなりに肉はついているが、意外にも脂身(あぶらみ)は多くなさそうだ。見た目以上の重量を、助手席のシートに深く沈みこんだ身体が示している。

「……そろそろ機嫌、直してくださいよ。胴真さん」

 微笑を浮かべた顔をサイドシートへ向けるのは銀髪の壮年――朔田市太郎(さくたいちたろう)――である。ブラウンカラーの細眼鏡の横で、笑い(じわ)が幾重にも刻まれていた。

 愛想笑いなどではない。
 苦笑である。
 機嫌取りらしき声音(こわね)は、どこか揶揄(からか)うような響きを帯びていた。その証左というわけではないが、突き返された銀の煙草入れを引っこめはしない。

 ちっ、という舌打ちとともに、なにもかも分厚い男はシガー・ケースをひったくるように受け取る。取り出した紙巻き煙草をくわえたところで火まで用意されてしまい、胴真伸宜(どうまのぶよし)はますます不機嫌になった。顔を背け、サイドガラスに向けて(せわ)しく煙を吐いている。

約束(せつめい)したでしょう。回収した金銭(かね)(うえ)上納(いれ)たりしませんよ」

 壊滅した半グレ組織『勢怒(ゼド)』。
 その残党が特殊詐欺を働いている現場に、胴真は朔田とともに人捜しの目的で踏みこんだ。

 3日前のことである。
 尋ね人の手がかりは得られなかったが、行きがけの駄賃とばかりにリーダー格と闇バイトの6人を締めあげた。そこまではいい。胴真の性格上、弱者から金銭を騙しとるような輩を見過ごせるはずもなかった。
 
 問題はその後だ。

 朔田は設置されていた金庫に手をつけたのである。
 リーダー格の金髪に命じて解錠させると、中にあった現金から貴金属や時計、預金通帳、小さな賞状みたいな厚紙の束まで、およそ金目のものは洗いざらい押収した。

 朔田が電話で呼び出した2人――()の若い衆だろう――は、手慣れた様子で次々に袋に詰めていった。おそらく当日のうちに預金は残らず引き出され、貴金属なども金に換えてしまうに違いない。哀れな被害者には一銭たりとも返還せずに。

 胴真は憤りも(あら)わに抗議したが、結果はにべもない返答だった。

「返しようがありませんよ。騙された人たちの連絡先どころか、名前さえわからない」

 朔田はいう。
 詐欺の証拠を残しているわけがないと。
 投資型詐欺などの例外を除き、2度3度と同じ手口に引っかかる者はまずいない。さらなる利益を得られないのであれば、証拠となるものは一刻でも早く消してしまうのが鉄則だ。この場合の証拠とは、被害者の個人情報や通話記録である。保存しておいてもリスクにしかならない。

 とはいえ、収益(・・)の管理は行っていたことだろう。
 手下(バイト)たちが得た金銭の額を誤魔化(ごまか)さないともかぎらない。一部を(かす)()って(ふところ)に入れてしまうおそれがある。半グレに脅されて働かされている身とはいえ、慣れ(・・)というものは怖い。魔が差すこともあるだろう。手にした大金に目が(くら)む者が出ないという保証はないのだ。

 横領を確実に防ぐため、帳簿づけに近い方法で精算がなされていたに違いない。
 しかし、それとてごく短時間で抹消していたはずである。台帳のように見える形で残しているとは考えにくい。

 つまるところ、被害者に繋がる情報や騙し取った額などの記録はいっさい残されない。
 実際に見つからなかった。
 金庫の中はもちろん、PCや携帯端末にもその痕跡すら見当たらない。問われるとリーダー格の男は素直に吐いた。1日の終わりに端末上で確認作業(チェック)を行い、データはすぐに廃棄するのだと。詐欺の証拠になるものはすべて細心の注意をはらって処分していたと力なく語った。

 朔田の推測、いや説明したとおりの結果である。
 得意げな態度を見せるでもなく、銀髪の極道は無表情で繰り返した。
 金銭を騙し取られた方には気の毒だが、現実として返還は不可能だと。
 
 ならばと胴真は食い下がった。
 しかるべき機関に任せるべきではないのか。
 警察は捜査のプロである。銀行などの協力も得られるはずだ。出されているであろう被害届と照合すれば、金銭の流れから被害額まで調べ上げることもできるだろうと。
 
「……胴真さん。警察がそんなに親切な組織だと、まさか本気で思ってるわけではないですよね」

 (なか)ば呆れたような表情をされてしまうと、胴真も黙りこむしかなかった。
 つい最近、ラーメン屋の店主とともに警察を悪し様に罵ったばかりでもある。

 『法改正』前ならともかく、いまや警察は市民の信用を失って久しい。
 警官による汚職や不正といった話も珍しくなくなっていた。だが、信頼失墜の最大要因ではない。腐敗の度合いは他国と比較すれば少ないほうだろう。それでもなお、市民の安全を保つ能力を備えた組織とはいえなくなっていた。

 警官の数が足りないのである。

 犯罪の発生件数は右肩上がり。
 重犯罪の割合も増え続ける一方である。
 取り締まりは強化され、いずれの犯罪も厳罰化が進んでいるが、とにかく現場の人出が不足している。小さな事件は見過ごされ、被害者が泣き寝入りという悲劇も日常茶飯事となりつつあった。

 特殊詐欺の被害者を救済するために本腰を入れて捜査する。
 そんな余裕が現在の警察にあるわけもない。(まか)せたところで激務を理由に断られるか、あるいは有耶無耶(うやむや)にされてしまうだけだろう。
 
「……それに、この若者()たちはどうするんです。更正(・・)させることに胴真さんも賛成しましたよね? 警察に捜査を任せるとなれば、引き渡さなければならなくなる」

 もはや、ぐうの音も出なかった。
 朔田の言い分は正しい。
 被害者の連絡先を探ろうにも手がかりひとつ見当たらない。証拠となるものは徹底的に処分されているのだ。そんな現状で警察が積極的に動くわけがなかった。

 本気で詐欺被害者への救済を考えるのであれば、加害者への尋問にしかその道はない。
 特殊詐欺集団の一斉検挙という功績(エサ)を与えてやれば、点数稼ぎに飢えた警察も捜査に熱を入れることだろう。厳しい取り調べの過程で金銭を騙しとった幾人かの情報を得られるかもしれない。思い出すかもしれない。しかし。

 詐欺行為を働いた犯人である若者たちは間違いなく監獄行きだ。
 厳罰化が進むいま、実刑を免れることはできないだろう。彼らに苛酷な刑務所暮らしは耐えられまい。そのほとんどが騙され脅されて違法行為に従事させられていた平凡な若者なのだ。

 哀れに思った胴真は朔田の企画する更正計画に賛同した。
 さすがにお咎めなしでは済まされない。
 罰として、1年間の肉体労働。きつい仕事という話だが、罪を償うには相応(ふさわ)しい環境かもしれない。無事に勤め終えた暁には、犯罪とは無縁の生活が待っている。

 甘すぎる罰なのではないか。
 そんな疑問や葛藤は胴真にもある。
 詐欺被害に遭った人たちが知れば激しい怒りを買うだろう。
 絶対に許せない。金銭を騙し取るような輩に恩情は必要ない。厳しい懲罰を与えるべきだ。当然の感情だと思う。実際に奪われた者たちにしてみれば、どれだけ憎んでも憎み足りないだろう。

 けれども。
 当の詐欺実行犯は、そのほとんどが世間知らずの若者だった。
 不安に(おび)え、泣いている姿もあった。自身の将来に絶望し、(なげ)くだけで反省する余裕もない。

 脆弱(よわ)すぎる彼らを目にすると、胴真はどうしても冷酷になれなかった。
 根っからの悪党などではないのだ。
 まだ腐りきってはいない。機会(チャンス)を与えてやってもいいのではないか。反省を(うなが)す意味でも。

 苛酷な労働生活を1年耐えきれば、彼らは元の生活に戻る。
 普通の暮らしだ。
 その価値を、平凡な日々の喜びを、心底思い知ることになるだろう。幸せを噛みしめた後には、危うきに近づくことの愚かさを実感しているはずだ。彼らは若い。やり直せる年齢である。多少の(きず)は苦い経験として()きた血肉になっていくだろう。働いて得た金銭の重みを実感するうち、おのずと犯した罪を反省する気持ちが芽生えるはずだ。

 悪くない案配(あんばい)ではないか。
 胴真はそう思い、賛成した。
 悪事を許すではなく、それでいて立ち直る可能性のある者は見棄てない。
 朔田のいう『世直し』というお題目も、あながち嘘ではないのかもしれない。銀髪頭の極道を見直しつつあった。多少は協力してやってもいいかもしれない。

 しかし、だからといって何もかも正当化できるものではなかった。 
 詐欺に遭った被害者へ金銭を返すことができない。そこは納得せざるを得ないにしても、丸ごと分捕(ぶんど)ってしまうとは。金庫の中身がいくらあったのか知らないが、けして少ない金額ではあるまい。

 (いぶか)しむ胴真に、朔田は真摯な表情を向けて語った。
 ()には一銭たりとも入れない。
 回収した金銭は朔北セキュリティで有効に遣うと。
 世直しや治安維持のための活動資金(もとで)として活用する。それが廻り巡って市民の利益に繋がるのだと。極道(ヤクザ)の資金源になるようなことは絶対にないと誓ってみせた。もしこの約束が破られることがあれば、殴りに殴ってなぶり殺しにしてくれても構わないとまで言い放ったのである。

 はたして信用していいものかどうか。
 胴真は3日経ったいまも迷っている。

 朔田が嘘をついているとは考えたくないが、しょせんは極道であることもまた事実だ。
 けして真っ当に生きる善良な男などではない。
 しかも、頭の固い五十男の胴真などよりずっと頭が切れる。単純な中年男を騙すことなど赤子の手を(ひね)るより容易(たやす)いだろう。心の中で舌を出して(わら)っているかもしれない。

 ほかにも気になることはあった。
 朔田が呼び寄せた2人。
 三十歳前後くらいに見えた、いかつい風貌の男たちである。どう見ても堅気(カタギ)ではなかった。(うわ)ついた半グレの雰囲気でもない。朔田に対する敬意を欠かさぬ言動や小気味よい所作は、極道特有の厳しい(しつけ)で身についたものだろう。

 十中八九、いや、確実に極道だ。
 年齢からいっても部屋住みなどの見習いではあるまい。
 正式に盃をかわした組員であるはずだ。そんな男たちに金銭を回収させてなお、組に上納しない。そんなことが可能なのだろうか? 仮にあの2人が朔田に対して絶対服従の関係だったとしても、組に対して不義理を働いていることにならないか?

 疑いだすときりがなかった。
 確かめるすべもない。
 問い(ただ)す気にもならなかった。朔田が嘘をついているとしたら本心を明かすはずもない。かといって、すべて正直に打ち明けられても困ってしまう。()の内部事情や人間関係についての説明など聞きたくもない。極道は嫌いだし、わずかでも関わりたくなかった。

 ならばなぜ、今日も朔田とともに行動しているのか。
 答えは出ない。
 自問を繰り返し、そのたびに臓腑(はらわた)が煮え立つ。煙草を吸っても吸っても苛立ちは消えなかった。

 ラーメン店大将への義理。約束。
 結局はその大義でもって自分に言い訳を続けるしかない。
 大将の息子を捜し、連れ帰るまでのつきあいだと。

 がりがりと、胴真伸宜は薄い頭髪を()きむしった。
 窓の外を眺めてみるも、もちろん気は晴れない。
 外は変わらず雨降りだった。勢いは弱まったものの、まだしばらく止みそうもない。
 熱い吐息とともに吐き出された紫煙が、サイドガラスをわずかに曇らせている。

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