第2話 魔寄せの娘、生贄にされる

文字数 5,917文字

「い……いやっ! 離して!」

 森にある洞窟の中に、女の悲鳴がこだまする。
 無力な彼女はゴブリンたちに押さえつけられ、抵抗もできない。

「ゲヘヘ……何も出来ないお嬢さんがひとりで森の中を歩き回るからこうなるんだぜ」

 でっぷりと太ったオークが、よだれを垂らしながら女ににじり寄ってくる。
 これから何をされるかわからないが、ろくなことではないと確信した女は必死に抵抗する。

「やめて! こっち来ないで!」

「ブヒ、ブヒヒ……諦めな、誰も助けには来ねえぜ――」

「とーぅっ!」

「プギャァ!?

 鼻息荒く興奮したオークの背後から、別の女が飛び蹴りを食らわせたのだ。
 オークは思い切り蹴飛ばされ、肥え太った身体が洞窟の中を跳ねる。

「いってぇな! 誰だ、お前は!?

「小汚いオークが私の名を知る必要はない!」

「言わせておけば……! お前ら、やっちまえ!」

 オークの号令に従い、ゴブリンたちが女戦士に群がっていく。
 しかし、女戦士は回し蹴りでゴブリンたちを一掃してしまう。
 蹴り技で跳ね飛ばされたゴブリンの一部は、そのままオークに向かって飛んでいき、腹にゴブリンが直撃したオークが「グエッ!」と怯んだ。
 その隙に女戦士はゴブリンに捕らわれていた女性をお姫様抱っこで素早く助け出す。

「大丈夫?」

「は……はい……!」

 救出された女性は心なしか顔を赤らめている。
 彼女にとっては、この女戦士は自分のピンチに颯爽と現れた白馬の王子様に見えているに違いない。

「調子に乗るんじゃねェーッ!」

 激昂したオークは、背中に背負っていた大きな斧を振り回す。

「俺様は百合好きなオークだが、百合の間に挟まるのが何よりも好きなんだ! お前ら、黙って俺にご奉仕しろーッ!」

「最低な趣味だな……コイツはここで倒しておいたほうがいいかもしれん」

 女戦士は助けた女性をそっと下ろし、拳法の型で身構えた。
 女戦士は格闘を得意としていた。サッとオークの懐に潜り込む。
 オークは怒りのままに斧を振り回して暴れるが、女には当たらない。斧の隙が大きすぎるのだ。おまけに洞窟の中で暴れまわっているものだから、斧の先端が洞窟の天井に刺さって抜けなくなってしまった。

「ブヒッ!? や、やべぇ、斧が……!」

「往生しろ!」

 女はオークの顎下にアッパーパンチを食らわせる。オークは顎の下から思い切り拳で殴られて、舌を噛み、歯が砕け、その衝撃は脳天まで達した。ズドン……と仰向けに倒れて、そのまま塵のように消滅してしまった。この世界では、魔王の創り出したモンスターは、倒されるとこのように消えてしまうのだ。

「これは売ればそれなりの額になりそうだな。私は別に使わないし……」

 女はそう呟きながら、洞窟の天井に刺さったままの斧をたやすく引き抜いた。
 オークの取り巻きだったゴブリンたちは、ボス的存在が消えたことで統率を失い、散り散りに逃げていった。
 本当ならゴブリンも倒しておくべきなのだろうが、あのすばしっこい小鬼たちを一匹一匹潰していくのは手間だし、まあ指示役のオークが消えたことで奴らも少しは大人しくなるだろう。

「あ、あのっ! ありがとうございましたっ!」

 女戦士に助けられた女性は、深々と頭を下げる。

「どこも怪我はない? アイツらに何もされなかった?」

「はいっ! 大丈夫です!」

「そう。間に合ってよかった」

 フッと微笑みを浮かべる女戦士に、女性はポッとさらに顔を赤く染める。

「あの、あなたのお名前を聞かせていただけませんか……?」

「私はソフィア。ただの旅人だよ」

 女戦士――ソフィアは、女性に手を差し伸べ、ともに洞窟から出たのだった。

 ソフィアは王都へ向かう旅の途中だった。
 彼女は着々と戦闘の経験を積んでいき、今や立派な女戦士となっていた。
 職業は格闘士。徒手空拳で戦い、蹴り技や拳で素早く魔物を仕留める戦いを得意とするジョブだ。
 彼女は王都に着いたら、憧れだった冒険者としてギルドに正式に登録しようと思っていた。もちろん、本来の目的である「魔寄せの力」について調べてもらうことも忘れてはいないのだが、王都へ向かう旅は、村から出たことのなかった彼女にとって良い刺激になっていた。

 さて、女性を救って名を名乗ったソフィアは、女性の住む村に案内されて、村人たちに歓迎された。
 助けた女性が何者なのか聞けば、なんと村長の娘なのだという。そんな女性が何故危険な森の中をひとりで歩いていたのか、ソフィアは内心不思議に思っていた。

「ソフィアさん、本当にかっこよかった……。男の人だったら、今すぐ結婚して、村長の世継ぎを産むのに……」

「いや、私は王都に行かなきゃいけないから……」

 村長の娘がうっとりとしているのを見て、ソフィアは苦笑していた。

「王都になにか用事でもあるのですか?」

「実は、ちょっと……まあ、病気? のようなものを患っていて、それを治すために王都へ向かう旅の途中なんです」

 村人に質問攻めにされ、ソフィアは結局、自分が「魔寄せ体質」であることを明かしてしまった。

「まあ……大変なんですのね……」

 村長の娘は憐れむようにそうこぼしながら、他の村人とそっと視線を合わせる。

「ひとまず今夜はもう遅いから村に泊まっていかれるとよろしいかと」

「いえ、私はここを出ます。野宿は慣れてるし、この村が魔物に襲われたら大変だから……」

「大丈夫ですよ! 命の恩人を野宿させるなんてとんでもない! うちの村の自警団は腕っぷしも強いし、ソフィアさんにはずっと村にいて欲しいくらいだわ!」

 ソフィアはそれでも固辞しようとしたが、村長の娘もどうしても譲らない。「命の恩人」とまで言われてしまっては断りづらく、結局ソフィアはその晩、村長の家に泊まることになった。

 しかし、夜になってソフィアが目を覚ましたときのこと。
 彼女がトイレを探して、居間の近くを通りかかったときである。

「――本当に、あの女を生贄に捧げていいのか? 命の恩人なんだろう?」

「――だって、私はイヤよ、熊神様に生きたまま内臓を食べられるなんて。ソフィアさんが男の人だったらお婿さんにしてたけど、子供も産めないんじゃしょうがないでしょ」

 ……どうやら、村人たちがソフィアをどうするか相談しているようである。
 しかも、「生贄」という物騒な単語まで聞こえてきた。
 ソフィアはサッと部屋に戻って、手早く荷物をまとめて村を出ることにした。
 しかし、村長の娘に気づかれたらしく、ソフィアの背後に立って「ソフィアさん、何をしているの?」と声をかけてくる。

「荷物の整理ですよ。明日は早めに出発しようと思って」

「こんな夜中に? もっとゆっくり眠ってくださいな」

「すみません、人の気配があるとなかなか落ち着かなくて」

「……ねえ、もしかして逃げようとしてない?」

 村長の娘に核心を突かれ、ソフィアの背中にブワッと冷や汗がふきだした。
 それでも、懸命に平静を保とうと心がける。

「逃げるって、何から?」

「隠さなくてもいいわよ。私たちの話、聞かれちゃったんでしょう? 私がなんでオークやゴブリンに捕まってたか、教えてあげよっか?」

 モンスターから助けたときとは裏腹に、村長の娘は冷たい目をしていた。

「本当は私が熊神様の生贄になるはずだったの。その神様のもとに向かってる途中で、あのオークたちに捕まって……。あなたが来てくれて本当に良かった。私、熊の化け物に喰い殺されるなんてまっぴらだもの」

「それで、私を身代わりにしたいってわけか……なるほど。でも、私の旅を勝手に終わりにされるのは困るな」

 そこで、ソフィアはある提案をする。

「その熊神様? ってやつが村を困らせているなら、私がソイツをやっつけてやる。そうしたら、この村はもう生贄を必要としないし、少しは平和に暮らせるはずだ」

 しかし、村長の娘は首を横に振った。

「ダメよ、神様だって言ったでしょ。あなたじゃ熊神様にはきっと勝てない。それに、もしあなたが失敗したら、熊神様の怒りを買ってしまうわ。村が壊滅させられるかも。そしたらあなた、責任取れるの?」

「だからって、私に黙って死ねというのか!」

「そうよ! おとなしく生贄になりなさいよ!」

 村長の娘がそう叫ぶと、部屋に男衆がなだれ込んできて、ソフィアを縛り上げた。
 戦闘経験豊富な女戦士のソフィアならこんな村人たちは、どうとでもなる。
 だが、ただの村人だからこそ、下手に抵抗するわけにもいかない。ソフィアの戦闘能力のせいで村人に死傷者を出したら、冒険者としてギルドに登録するのが難しくなってしまうのだ。
 結局、ソフィアは縄で縛られ、彼女の持っていた荷物と一緒に森に捨てられてしまったのだった。
 熊の唸り声が聴こえてくると、村人たちはソフィアを置いて一目散に逃げ出す。
 熊神様というだけあって、かなりの年月を生きてきたと思われる三メートルほどの巨大な熊がノシノシと歩いてくるのを見て、ソフィアの頬に汗がつたった。

(クソ……! どうする……!?

 あのソフィアが、珍しく焦っている。
 なにしろ相手は熊である。普通の熊だって人間が相手するには苦戦する強敵だ。ましてや、こんなどデカい熊は今まで見たことがない。鋭い爪と牙は、今にもソフィアの身体を引き裂こうと爛々と光っている。縄は固く縛られていてほどけない。ソフィアは無我夢中でもがいていた。

 絶体絶命、ここまでかとソフィアが思った、そのとき。
 何かの咆哮が轟いた、と思えば、空から何かが熊神に向かって突っ込んできた。

「……ドラゴン?」

 ワイバーンだろうか、中型の竜種が熊神に襲いかかったのだ。
 熊神がワイバーンと戦っている間に、誰かが後ろに立っている気配を感じた。
 まさか、彼女を一度見捨てた村人のわけがない。では、いったい誰が……?

「振り向くな」

 しかし、ソフィアの後ろで縄をほどいている人物は、彼女に自分を見ないように忠告する。
 何故? と言いかけたとき、縄がほどけて、ワイバーンも熊神から離れた。
 そして、ワイバーンが飛び立ったとき、彼女はその竜種の背中に誰か……男が乗っているのを見たのだ。
 何が起こっているのか分からず、呆然とするソフィアだったが、熊神の狙いが、飛び去ったワイバーンから自分に向いているのを察知した彼女はとっさに身構える。

(今はわからないことを考えている場合じゃない。あの男が何者なのかは知らないが、とにかく、この熊をなんとかしないと……!)

 ソフィアは単身、熊神に戦いを挑んだのである。

 そんな彼女を、ワイバーンに乗って眺めている男がいた。
 ソフィアを縛っていた縄をほどいた人物だ。
 ワイバーンが丘の上に降りると、男はその竜種が頭をこすりつけてくるのを撫でながら、ソフィアを静かに観察していたのであった。

 熊を倒すというのは簡単なものではない。
 奴らは人間よりも素早く、攻撃力も高い。体長も大きい上に、頑丈で強い。
 数々のモンスターを相手に戦ってきたソフィアでさえ、この熊神には苦戦した。
 なにしろ体長はソフィアよりも遥かに大きい、二本足で立てば三メートルほどはある怪物だ。たしかに彼女では勝てないと村人が判断するのも当然だろう。

(せめて遠距離から攻撃できれば……いや、この熊の素早さならすぐに距離を詰められて終わりか。村人も助けには来ないだろう。誰のサポートも受けられないのは正直厳しい……!)

 手助けしてくれる仲間がいないのが、おひとりさま女戦士のツラいところである。
 一度でも当たれば瀕死になるであろう熊神の重い一撃を懸命に躱しながら、ソフィアは策を練る。

(コイツはたしかに、まともに戦って勝てる相手じゃない。今の私では手に余る相手だ)

 試しに腹を一撃殴ってみたが、なんと固い腹筋であろうか。まったく効いている感じがしない。
 熊神の爪をしゃがんで避けると、背後にあった木が爪に薙ぎ払われてバキバキと倒れていき、ブワッと汗が噴き出る。

(考えろ……! 熊の身体でも、攻撃されると弱い部分を狙うんだ……!)

 ――しかし、熊の弱点とは?
 ソフィアは脳をフル回転させて必死に考える。
 ……考える。脳。そう、頭だ。
 どんな猛獣であれ、生物である限りは、頭は弱点で溢れている。

 熊神が最後の一撃とばかりに、両腕を大きく上げる。
 両手の爪で、獲物を引き裂こうとしているのだ。
 しかし、その技には隙がある。
 ソフィアはフッと小さく息を吐き出すと、熊神の両腕が上がりきらないうちに後ろに蹴り下がった。
 森である以上、背後は木だらけだ。先ほどなぎ倒されたのよりもしなやかな木の幹に足を乗せる。
 木はソフィアの体重に従ってグググ……と大きくしなった。
 そして、ソフィアは木のしなりが限界に達して元の位置に戻ろうとする力を利用して――熊神よりも高く高く跳び上がった。
 そのまま空中で、かかと落としの体勢を整える。

「ハァァァァァッ!」

 ソフィアのかかとが熊神の脳天に直撃する。相当の高さから繰り出されただけあって、メリメリと熊の頭にめり込む。
 脳震とうを起こした巨大な熊は、白目をむいて後ろに向かって倒れ、ズシン……と地面が揺れた。
 これがモンスターなのか、それとも在来種の熊が何らかの原因で異常成長した個体なのかがソフィアの気になるところだった。
 熊の全身から、なにか黒いモヤのようなものが湧き出し、それが消えると、小さな子熊になっていた。

(どうやら、魔の瘴気に当てられた子熊が魔力を注ぎ込まれて巨大化したようだな……)

 その子熊と森に捨てられた自分の荷物を担いで村に戻ると、村人も村長の娘もたいそう驚いた。

「すごいわ、ソフィアさん! あなたは村を救った英雄よ!」

 そんな言葉を吐いてすり寄ってくる村長の娘をそっと押し返した。

「言っておくけど、あなたたちに私を生贄にしようとして殺されかけたこと、忘れてないから。この熊はご自由に。もう私には関係ないから」

 それだけ言い残して、ソフィアは荷物を背負ってさっさと村を出た。

「なによ! だって、私たちじゃ倒せなかったんだもの! 今まで村人から生贄を用意するのにどれだけ心を痛めてきたか……!」

 ソフィアの背中に娘の叫びがぶつけられたが、もう彼女にはどうでも良かった。
 彼女には王都に向かうという目的がある。この村で足止めを食らっている場合ではない。
 ソフィアはまた王都への旅を再開するのであった。

 そんな彼女をワイバーンに乗り、空中から見つめる男。

「あの女……まさか本当に熊を仕留めるとは。これは面白くなってきた」

 不敵な笑みを浮かべる男はそのままワイバーンを駆って、上空へ飛び去ったのであった。

〈続く〉
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