第1話

文字数 8,197文字

Ⅰ 創世代第五期

惑星タルサでは二億年前から五つの大陸が集まりつつあった。一億年後には一つの超大陸が形成されるはずだが、現在は未完成のジグゾーパズルのように、惑星の海に散らばっていた。それでも海洋プレートの移動につれて、陸の間隔がしだいに縮まっていた。かつて大洋だった海が狭まり、大陸棚が寄せ合うところでは浅い海が拡がっていた。惑星の海に生命が発生してすでに二十億年が経っていた。ゆるやかな進化を経て、魚類に似た脊椎動物が海の中で繁栄していた。動物の活動範囲は未だ海中に限定されていたので、陸はシダ類と昆虫の天下だった。しかし一部の魚は、水際で昆虫を補食していた。彼らが水から抜け出て陸へ上がるのは時間の問題だった。と言っても、千万年単位の話だが――。
タルサの地質年代で第四期と呼ばれる時代を、別名ラプサイト紀という。その地質時代の堆積物の中に、夥しいラプサイト化石が見つかったからである。貴婦人の指に似た巻き貝の仲間、ラプサイトの死骸が海底に積み重なり始めた時代、すなわち第四期の終わり頃、他の星からの訪問者がタルサに降り立った。

六百万年後、汎人類世界の版図がタルサに及んだ。惑星は型通りの植民化を免れた。〝生物進化の途上にある環境をよそ者が破壊する訳にはいかない法〟が、成立後三百年にして、初めて全面的に適用された。永久に惑星改造の対象から除外されたかに思われた。
 しかしあまりにも人類の居住に適していたので、例によって政治的妥協の産物により、五つの大陸のうち、未だ植生が完全に及んでいないロンゴ大陸のみ、ごく小規模の植民が許可され、七つのドーム都市が建設された。タルサの悠久の時間の中のほんの一瞬の間借りにふさわしい、ごくつつましい社会がつくられた。人口増のない都市。都市の営みから生ずる気体、排水、熱は一度遮断され、濾過された。タルサでは、水素もしくは電気で駆動する交通機関のみ使用が許可された。


 訪問
  
 その日の朝、ニルヴァはラウスという名の駅で列車を降りた。ハルキニア山系の麓の駅である。タクシーが駅前でニルヴァを待っていた。有人タクシーだった。さびれた街道から山間部に入ると途端に道が悪くなった。年老いた運転手がぽつりとつぶやいた。
「今はこんな道は誰も使わないんだ」
 かつて道路だったところは、土砂が崩れ落ち、方々で大小のせせらぎが横切っていた。その都度、タクシーは走行モードを切り換えて、浮上しながら悪路を切り抜けた。
「ふつうは飛行機を使う。遺跡都市に空港があるからな」
 昔、うちの屋敷にいた爺さんに似ているとニルヴァは思った。  
「遺跡見物かね」
「ええ」
「大したもんだ」
 タクシーは最後の尾根を飛び越え、森林の中の下り坂を疾走した。曲がりくねった道の眼下、木々の合間に遺跡都市の遠景がちらと見えた。

 盆地全体を見渡す崖の端にニルヴァは立っていた。
 不自然なほどまっ平らな盆地の中央に遺跡都市があった。複雑に入り組んだ廃墟の上部構造の輪郭が、眩しい光の中にくっきりと浮かび上がっていた。差し渡し三十キロに及ぶ円形の廃墟は、すり鉢を逆さに伏せたように周辺から中心に向かって盛り上がっている。
遺跡都市は午前の日差しを受けて、静まり返っていた。               
「とうとうやって来た」
 ニルヴァは、ギザギザに入り組んだ遺跡都市の中心を見つめながら、胸の内の感情が一つの言葉になるのを待つ。 
「ラプサイト、ここで君に会えるだろうか」

 崖の上に吹く風が弱まった。
 老運転手が言った。
「山を越えたからここからは遺跡都市の力の場に乗っていける。場の力は弱いが、風が収まったからね」
 タクシーは断崖の端から空中へ躍り出た。数秒後、柔らかい弾力のある力の場に受け止められた。螺旋式の滑り台を滑り降りていくように、タクシーは遺跡都市を俯瞰しながら、くるくると舞い降りていった。

 遺跡都市が今なお、ある種の活動を維持しつづけていることは間違いない。われわれが観測しているものは、たぶん副次的作用の一つでしかないだろう。測定器にかかる物理的作用、われわれの内の一部の者の精神に及ぼす作用、遺跡都市の周辺で直接体験できる種々の現象は、断片的なものに過ぎないのである。我々の認識をはるかに超えたところで、遺跡都市は、太古の昔から何事かを行ってきているのだ――セイレン著「ラプサイト的なるもの」
 
 タクシーは空港の外れの道路に着地し、遺跡都市手前の管理地区を目指して走った。空港施設の横を通り過ぎた。滑走路の端に三角翼の中型輸送機が一機停まっていた。
「建物がみんなやけに背が低いだろう。遺跡都市の力場の干渉を避けるために地面の中に潜っているのさ」老運転手が言った。
 周囲を峻険な山脈に囲まれた盆地は真っ平らで、フライパンの中みたいだとニルヴァは思った。管理局は遺跡都市の公式の玄関口である。遺跡都市の西のはずれにあり、例によって建造物は大部分地中に埋められている。地上に見える建造物群は、背後の直径三〇キロにおよぶ遺跡都市の丘陵のようなスケールの前ではいかにもささやかだった。タクシーは管理区域の一角から地下トンネルに入った。数ブロック先に閉鎖扉が並んでいた。扉に付属したパネル上で、細かい光が目まぐるしく点滅している。ニルヴァはタクシーを降りた。老運転手がぼそぼそと呟いた。ニルヴァが聞き返す間もなく、タクシーはUターンして猛スピードで走り去った。どうやら「ボン・ボワイヤージュ」と言ったらしいとニルヴァは気づいた。


 渡航手続き                                  

 ニルヴァは厳重な電子チェック機構を無事通過して、管理局の来訪者ロビーに入った。オフィスに通されると、数人の職員がモニターに向かって座っていた。彼らの好奇の眼がニルヴァに向けられた。落ち着いた感じの長身の男性が椅子から立ち上がって微笑んだ。
「あなたがニルヴァですね。遺跡都市へようこそ、私は管理部長のモディです。あなたにこれを贈呈します。ラプサイト遺跡都市への公式渡航許可証です」
応募総数一万人の中からただ一人、ラプサイト遺跡内の見学を許された当選者へのセレモニーとしては、ひどくあっさりしたものだった。ニルヴァは、モディから簡単なレクチュアを受けた。
「ラプサイト文明についての知識は、あなたの方が私より何枚も上手だから省きます。実際そうでなければ、最後の小論文による選考を勝ち抜くことは出来なかったでしょう」
「もともとツイてたんです。一次の抽選でハズレにならなかったから」
「ニルヴァ、運というのは大切です。特に異星文明に関わる仕事ではね。さて、私があなたに教えられる知識というのは、ごく事務的なことに限られます。『ラプサイト』への唯一の運搬手段である次元船の定員は四人ですが、実は委員会の内規で、次元船の乗船有資格者は委員会所属の者と決まっています。要するに、ただの外来のお客は乗せられない。そこであなたには形式上、委員会の臨時職員になっていただくことになります」
 ここまで来た以上、ニルヴァはどんな契約でも同意するつもりだったが、実際は二件ですんだ。一つは臨時の調査員に任命される件。もう一つは、事故の際の補償を放棄するというものだった。モディは淀みなく説明した。
「次元推進の危険性については、現在ほとんど無視できます。ラプサイト人の技術が習熟できていなかった二〇年前には、幾つかの悲劇が連続して起こりました。しかし未帰還船は、現在に至る五〇〇回の出航の内わずか六隻ですから、他の交通機関に比べて特に事故が多いとはいえないでしょう。帰還できていない船にしても遭難したのではなく、異次元を航行する際にときたま起こる時間流の遅れから、未だ帰着していないのかもしれないのです。それよりむしろ遺跡内での人為的な事故、たとえば調査員の規定外の行動や通常の、つまり非次元推進時の水上での操船ミスによるものがはるかに多いのです」
 モディは、この数日ラプサイトへのゲートが開かなかったこと、つい三時間前から開かれた、言い換えれば次元船の主機関が起動されたので、午後の早い時刻に出航予定となった。ニルヴァがその便に乗ることになるだろうと話した。
「出航時まで、あなたに有能なガイドをお付けします」と言い、モディは部下のミツコをニルヴァに紹介した。しかしニルヴァをミツコに紹介する時に、ホルスの有力者である父に言及されたのは不愉快だった。年格好の違わない頭の良さそうな異性に、自分の実力を割り引いて見られるのが、ニルヴァは嫌だったのだ。

 異形の船

「あわただしくなりそうですから、まず船を見に行きましょうよ」とミツコが提案した。
地下要塞とも言うべき建物の、内部を縦横に走るエレベーターを乗り継いで、ニルヴァたちは地下の巨大な空洞地点に着いた。そこは地下三〇〇メートルの深さにある「次元船の港」である。
 三十年前の遺跡都市の発見に続く二〇年前、大空洞に初めて足を踏み入れた調査隊の一行は、六百万年の間、大地の奥深い場所にしまわれていたラプサイト人の船と彼らの港を見つけた。
 「岩盤の中の空所に封じ込まれた船」の意味するものは、当初は謎だった。船の記念博物館、遺棄された船の墓場などなど、さまざまな説が語られた。
 しかし空洞内に調査隊が侵入したことによって、一部の船が稼働状態になったらしいことが判明し、ついに調査隊の数人が船に乗り込んだ。たまたまどこかのスイッチに触れたところ、ラプサイト人の船はその本来の機能を発揮したのだった。この時、遺跡都市本体と空洞を結ぶゲートが開かれた。次元船は六〇〇万年の幽閉から解放され、遺跡都市へ渡ったのである。

「あなたが乗る船よ」ミツコが指さした。
 その船は格納庫の前の船架の上にあった。ニルヴァはラプサイトの船を初めて見る。幼い頃に絵本で見た時に味わった不思議な気持ちが蘇った。ニルヴァは金色の流麗な船体の船尾にあたる部分を下から見上げた。
「ねえ」ミツコがそっと言った。
「大昔の帆船に似ていると思わない?」
 確かに、異星人の船は、遠い昔の地球の帆船に似ていた。と同時に、夢に見る乗り物のように謎めいた形でもあった。そして船体からマストにいたるまで金色に輝く姿は、ことさら異形の船という印象を強めている。
「お気に召したかね」
よく透る低音が格納庫内に響いた。ニルヴァは夢見心地の気分が破られた。声の持ち主は格納庫を見下ろすデッキの上にいた。黒い眼帯をし、あごひげをたくわえ奇妙な服を身につけた人物。紛れもなく、遠い昔の海賊の格好だと思った。
「われわれの船、南風号へようこそ。出航は二時間後だから、乗り遅れないように」と言うと、奇声を上げてどこかへ行ってしまった。
 ニルヴァはぽかんと口を開いたまま海賊を見送った。
 ミツコは軽いためいきをつき、
「キャプテンのトモナガです。あれが歓迎の印しなの」
「フック船長みたいだ」
 ミツコはくっくと思い出し笑いをした。
「そうそう、日本のサムライの格好をした時もあった」
「へー」
「験担ぎかもしれないの」
「どういう意味?」
ミツコはあわてて言った。
「意味はないわ。えーと、トモナガは委員会の主任研究員です。元々は地球の人。海洋考古学を専攻して、すぐここに来たんです。小さい頃は,地球の海で泳いだり、魚を穫ったりしてたんですって。それに…」
ミツコは少し口ごもりながら、
「魚を食べたらしいの」
「え?」
ニルヴァにはイメージが湧かない。そもそも魚を見たことがなかった。
「なんて野蛮なこと。今でもそんな風習があるのかしら」
ミツコは大げさに顔をしかめた。ニルヴァは地球の海を知らない。ニルヴァが生まれた星、ホルスに元々海はなかった。ニルヴァの祖先たちが一〇〇年かけて惑星の地中から凍結した水を掘り出して、不毛の惑星を居住可能にしたのだ。現在の水溜まりが海と呼べるようになるまで、あと三〇〇年はかかるだろう。
「海って不思議。生命の源なのね。このタルサの海の中にだっていろんな生物が棲んでいるわ」
もちろんニルヴァは知識として知っている。しかし海の水に触ったことさえなかった。
「海で泳いだことあるの?」ニルヴァが聞いた。
「禁じられているわ。最小限の研究のためでしか海中生物は採ってはいけないし、遊泳はもちろん、船で行き来するのも許可されたときだけ。生物進化の途上にあるタルサの海は、〝禁じられた海〟なんです。でも一度だけ…」ミツコは声を落とした。
「タルサの眼―て言うの。青い満月のエンリルが、銀色の満月のイシュタルの真ん中を通過して、夜空に大きな眼ができるわ。その時私は海岸で見てて、感激してそのまま服を脱いで泳いじゃった。きれいな眼ができるのは五十年に一度なの」
 ニルヴァは、夜の海に入るミツコを想像し、ミツコに悟られまいと、慌てて言った。
「えーと、三億年後には、タルサ人が『タルサの眼』を見ながら泳いでいるだろうね」

講義

 次元船南風号を乗せた架台がレールの上を移動していった。出航直前の最終点検のためにドックに入るらしい。ミツコがあわてて言った。
「大変、大急ぎで次元船の説明をします」
 次元推進の原理は、ラプサイトの科学で解明されていない難問の一つだった。
 未知の力を仮定すれば説明できるが、その種の力を導入すると、最新の超統一理論が破綻するのだ。遺跡都市とその周辺にのみ及ぶユニーク場という宇宙におけるローカル概念なるものがむりやりひねり出され、次元推進は、甚だしく普遍性を欠いた、便宜的な理論的枠組みの中で説明されていた。
 
「現場では、原理はさっぱりわからないけど、現に次元船は物質を通り抜けているという事実がすべてなんです。だから理論抜きでラプサイト技術を習得してきました。技術というよりマニュアルと言うべきね。その上に、人類の技術を結合させたものが、現在の次元船なんです」
 ミツコによると、ユニーク場では、船と乗員たちの系で、物質の従う状態関数のモードが通常次元から他の次元へ遷移する。言い換えれば、船と船上の人を構成する物質の存在確率が、限りなく他の次元へ移行するので、われわれの通常次元では、限りなく希薄になる。したがってこの薄い確率波の拡がりは、通常の三次元空間内の物体をやすやすと通り抜けていける。
 そのため船上の乗員にとっては、自分たちが異次元へシフトしたため、通常次元から受け取れる情報が大部分欠落し、その結果、船の電脳が巧妙に補正するとはいえ、船上から見える周囲の風景はひどく単純なものになる…。                 
 ミツコのレクチュアが終わると、ニルヴァは航海の準備のために居室に戻らねばならなかった。ドックの船のまわりに整備士たちが集まりはじめていた。
 ニルヴァとミツコは上りのエレベーターに乗った。
 扉が閉まるとミツコが言った。
「ニルヴァ、あなたが羨ましいわ」
 ニルヴァはミツコを見つめた。
「わたしラプサイトの内世界へ行ったことがないの。遺跡都市の地上へは仕事で何度も行ったわ。でもあそこはただの廃墟。重い器械を持って暑い瓦礫の迷路をひたすら歩くだけ。遠い遠い昔、ラプサイトの農園やお花畑や、冬の館などがあったのでしょう。でも今は廃墟でしかない。本当のラプサイトは地下にあるのよ。六〇〇万年前が昨日のような都が…」
ミツコの眼が一瞬遠くを見た。
 ここにもひとりラプサイトに憑かれた人間がいるとニルヴァは思った。        
「君のボスに頼んでみたら?」
「そうね、私必ず行くわ」
 エレベーターの扉が開き、ニルヴァは降りた。                  
「三〇分後に迎えにまいります。それまでに準備をなさって」
ミツコが言いおわるとエレベーターの扉が閉まった。ニルヴァは居室に戻っていった。
 ミツコと話した影響だろう、ニルヴァは今、自分が遺跡都市の入口に立っていると強く意識していた。長い放浪の終わりかもしれないし、新たな旅の始まりかもしれなかった。
                             
出航

 ニルヴァは私物の小さな荷物を持ってドックへやって来た。
 ミツコから、急用が出来て迎えに行けないとの連絡があり、一人でエレベーターを乗り継いで格納庫へたどりついたのだった。ミツコが見送りに来てくれたら、と少しほろ苦い気持ちだった。                                  
 船の周囲では、あわただしく何かの作業が行われていた。投光器の光の中で数人の整備士が忙しそうに動いていた。部品を付け替える金属音。開いた船体の中から垂れ下がったケーブルの束が測定器につながっている。作業服の一人がニルヴァにぶつかりそうになった。
「おっと」端末から顔を上げてニルヴァを見た。
「やあ、さっきの…」
名前を思い出そうとしていた。         
「ニルヴァです。あなたは…」
「トモナガだよ」
にやりとしてニルヴァにウインクした。
「さあ、船に乗ろう」
トモナガは先に立って梯子を上った。ニルヴァも続いた。
 船内にはすでに二人の乗員が乗り込んでいた。彼らはヒューイとヤンと名乗った。船外の騒音とは打って変わって静かなブリッジで、船の電脳が実行する精密な調整をモニターしていた。船内は少し狭かったが、居住性は上々に思えた。実験室や船倉のほかに台所や寝室などの居室を見て回ると、ニルヴァはブリッジに戻った。
「回路を一つ替えた」とヒューイが言った。
「もう問題はない」
「そろそろ船を出そうよ」とヤン。
「行くか」とトモナガ。

 次元船五〇一便は一〇分遅れで出発した。送迎デッキの上、委員会のお偉方に混じってミツコの姿が見えた。船は低い電子音を響かせながら、架台からゆっくり浮かび上がった。二メートル程浮かんだところでいったん停止し、姿勢を立て直した。チンチンと鐘が鳴り、船は前進を始めた。
 トモナガがニルヴァに話しかける。
「ところで君は大学生かね?」
「いえ、そうじゃないです。色々事情があって…」
「そうか、ま、どうでもいいことだ。君は私の助手をしたまえ」ニルヴァは正式にトモナガのチームの乗組員となった。      
   
 船は格納庫を過ぎると大量の水を湛えたプールに差しかかった。暗い水面の上をゆっくり進んだ。ヒューンという高周波音を発して次元推進機関が立ち上がった。と間もなく、船の輪郭が曖昧になり、ぶれるように二、三度瞬いた。金属音が高まるにつれて、船は透明化していき、同時に無音となった。今、船はさながら白昼の幽霊のように淡い存在となっていた。                                 
 ニルヴァには、周囲の世界の様相が、ひどく侘びしいものに思われた。船搭載の電脳が船の周囲に投影する映像は、モノクロームの明暗による線と面の集合に変換されているので、ドックの送迎デッキに立つミツコも、今はノイズの多い点状の電子映像でしかなかった。一方ミツコからは、ほとんど透明化した船の、かすかな輪郭をようやく捉えることができるに過ぎない。
 船は空洞内の最奥部の滝に差しかかっていた。岩の間からほとばしる水が、船体をすり抜けて、真っ直ぐ水面に流れ落ちた。通常世界への投影として実在性の希薄な船は、滝を通り抜けると、そのまま空洞の岩肌に吸い込まれるように姿を消した。
 
 船とニルヴァたちの系は通常次元から離脱し、独立した小宇宙として異次元を漂っていた。もっとも、通常次元への射影としてのみ表示されている船の情報は、遺跡都市を包む強固な岩石中を通り抜けていた。ニルヴァはその古い都市の地中深くまで延びる岩盤の断面を見ている。船は分厚い岩石の層を進んだ。モニターが映し出す映像は、鋭利なナイフで断ち切られたような物質の断面だったが、次元推進のためにリアルな質感はなく、暗いざらざらとした壁の灰色のトンネルをくぐっている感じだった。
「気分はどうだい」
ヤンがニルヴァに問うた。
「まるで地底旅行ですね」
「もっともだ。ジュール・ベルヌの世界だよ」と言い、ヤンは笑った。船は今、長いゆるやかな傾斜を上っていた。


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