第2話

文字数 2,869文字

 BUMP OF CHICKEN『天体観測』
「午前二時 フミキリに望遠鏡を担ぎこんだ。ベルトに結んだラジオ 雨は降らないらしい」
 なぜ今ラジオを聞く? 天気予報ぐらい家を出る前に調べておくべきだろう。雨が降ったらどうするんだ? 天体観測をするのだから天気の確認は常識だろ!
 しかし、もっと気になることがある。フミキリはなぜカタカナなのだろう? 
 線路にある踏切とは違うものかも知れない。だが、もし踏切だとすれば、移動した描写が無いので、踏切のそば(もしくは中)で天体観測したことになる。真夜中とはいえ、電車が通るたびにうるさいだろうし、誰かに怒られるかもしれない。なぜそんな天体観測に向かない場所を選ぶのだろう? 公園とか丘の上とか、もっと他に適した場所があるだろうに。
 当然ながら一般的な望遠鏡は、天文台のそれには遥かに及ばない。
 ということは、「見えないモノを見ようとして、望遠鏡を覗き込んだ」のは、未発見の星を探しているのではなく、新たな彗星を探す、いわゆるコメットハンターと思われる。
 なぜなら、『「イマ」というほうき星 君と二人追いかけていた』からだ。
 つまり、二人は「イマ」というほうき星を探している。しかも漢字ではなくカタカナの「イマ」。調べた訳ではないが「イマ」という名の彗星はおそらく存在しない。
 通常、彗星というのは発見者に命名権がある。しかも先着三名だ。仮に発見した二人が見つけて、「イ」と「マ」を付けたとしても、あと一人足りない。
 もしかしたら、「イマという」という名前のほうき星で、発見者の三人が、「イマ」と「と」と「いう」と命名したのかも?
 彼らは彗星を発見して、「イマ」という名を付けようと目論んでいるのかもしれない。
 だが、たとえ新しい彗星を発見できたとしても、まだ安心できない。なぜなら二人目、三人目が現れない可能性は極めて低く、「イマ・バイオレンス・アブラゼミ」とか、「田中・イマ・ジョンイル」などになるかもしれないからだ。
 それでもいいのか?

 たま『さよなら人類』
 


 


 


 


 

 



 たまと言えば、ランニングを着た坊主頭が「、着いた~」と叫ぶフレーズが印象的で、一見、イロモノバンドにしか見えない。
 しかし、見た目のインパクトに対し、この曲は実に奥が深い。
 歌詞を深読みすると、環境問題がテーマであることをうかがい知ることが出来る。
「二酸化炭素を吐き出して、あのこが呼吸をしているよ」
 いきなり当たり前の歌詞から始まる。あの子に限らず、動物であれば必ず酸素を取り込み、(ごく少量だが)二酸化炭素を排出している。
 しかし、彼らが言いたいのはそんな事でないのだろう。それは自動車だったり工場だったり、火力発電所も二酸化炭素を吐き出していることを表現しているのだろう。それを“あのこ”と表しているのは、なかなかのセンスと言えよう。
 続く「曇天模様」とは、文字通り大気が汚染されている事だろうし、つぼみということは、まだ人類が公害問題について未熟であるとの比喩と捉えるべきなのだ。
 そんな愚かな人類は、やがて自滅して骨となり、それを野良犬が咥えて、再び進化の過程を遂げようとしている。
 しかし、月が落ちるほどの天変地異が起きたのならば、生き残りはまずままならない。わずかに残った人類は、それでも希望を捨てずに、新たな一歩を踏みだそうとしている。
 勝手な解釈だが、そう大きくは外れていないだろう。
 これをリアルにツッコんだらどうなるのか?
「つぼみのままでゆれている」のは誰なのだろうか? 歌詞を見ると、“あのこ”と“野良犬”のどちらとも取れる。
「野良犬はぼくの骨をくわえている」訳だから、僕は死んでいることになる。きっと僕は幽霊に違いない。どうせ月が落っこちるのだから、どちらにせよ生き延びるのは容易ではないだろう。
 目玉が四角いということは、野良犬はロボットなのかもしれないし、何故か火星を飛び越して、人類が木星に着くあたり、相当に化学が進歩している設定としか思えない。既に火星への移住は終了していると想定するのが筋だろう。
 しかし、それを差し置いたとしても、木星でピテカントロプスになるのは不可能だ。
 なぜなら、木星は水素とヘリウムに覆われたガス惑星だから。したがって地表に降り立つことができないのである。
 たまはこのことを知った上で、敢えてそうしたとしたら、かなりトンデモナイことになる。
 一見、希望に満ちた歌のように聞こえるが、暗に絶望を謳っていることになるからだ。
 ピテカントロプスをネットで検索してみると、ジャワ原人の別名だということが判った。どうしてジャワ原人? アウストラロピテクスやシナントロプスでは駄目なのだろうか?
 これが二番の歌詞になると、「翼を失くしたペガサスが 夜空にはしごをかけている」
 翼を失くしたペガサスはただの馬。どちらにしても蹄(ひづめ)ではしごが掛けられるかが心配である。
「武器をかついだ兵隊さん 南に行こうとしてるけど サーベルの音はチャラチャラと 街の空気を汚している」
 サーベルの音だけでは空気は汚れない。
「歌を忘れたカナリヤ」はただの健忘症かもしれないし、「牛を忘れた牛小屋」はただの小屋だ。
 さらに「こわれた磁石をひろい集める博士は まるはげさ」
 余計なお世話だ。
 三番の歌詞もヤバい。
「あのこは花火を打ち上げて この日が来たのを祝っている」のに「冬の花火は強すぎて ぼくらの体はくだけちる」どこからツッコんでいいのか判らない。
「ブーケンビリヤの木の下であのこをさがすけど 月の光にじゃまされて あのこのかけらは見つからない」だったら昼間に探せよ。
 ちなみにブーケンビリヤとは中央及び南アメリカに生息している植物なのだそうだ。2015年に日本の宮崎で新種が発見され、「エリザベルアンガス章太郎」という名前が付けられたらしい。彼らがなぜこの木を選んだのかは定かではないが、もし、デビューがもう少し遅ければ、「エリザベルアンガス章太郎の木の下で~」となっていただろう。

 広末涼子『MajiでKoiする五秒前』
「ずっと前から彼のこと 好きだった 誰よりも」
 だとしたら、五秒前どころか、とっくにKoiしているじゃないか。
「かに座の女の子って どこか少し大胆」と勝手に決めつけるのもどうかと思うし、
「MajiでKissをくれたのは 門限の五秒前」だとしたら、五秒で家に入れるわけがなく、完全にアウトだ。彼氏もちゃんと考えてから行動してほしい。

 同じく広末涼子『大スキ!』
「とっても×6 大スキよ」「あい×12 あいしてる」「ずっと×6 そばにいたい」と強調しすぎるくらい強調した割には、広末本人が離婚したので説得力はゼロだ。
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