第1話

文字数 2,065文字

「家具、見に行ったんだって?」
 五月の日曜日、昼下がりの喫茶店。相沢恵子はそう言って、正面に座る皆川太一をジッと見つめた。
 太一は口ごもる。信じられなかった、どうしてバレたんだろう。
結奈(ゆいな)ちゃんから聞いたんだ。友達だから。学校、クラス同じなんだ」
 カミナリにでも打たれたようだった。太一は、下を向いた。呼吸が詰まって、心臓が高鳴った。血の気が引いて、このまま気を失ってしまいそうだった…

 恵子と太一は、中学二年からの恋人だ。同じ卓球部で、家も近く、帰り道が一緒だった。その日の道すがら、好きな音楽、好きな本の話をすると、同じ音楽家、同じ作家が好きなことが分かった。
 ふたり、驚いた。その音楽家たちは一般にほとんど知られていない、「知る人ぞ知る」という存在だったからだ。さらに、よく頭にリフレインする曲のこと、忘れられない小説の一場面のことを話せば、同じところで体が弾み、同じところで涙ぐんでいることも判明した。
 太一は、嬉しくなった。彼女とは、合っている、と思った。昨日まで、適当に何か話し、ただ義務のように一緒に帰るだけだった恵子が、特別な存在に思えてきた。
 ── 以来、太一は、彼女の気持ちが、無言でいても、手に取るようにわかる気がした。彼女は、自分の分身のようだった。彼女を、大切にしたいと思った。… 自分を大切にするように。

 恵子が、彼の心に大きく占めはじめると、いつもゲームの話で盛り上がるクラスメイトたちとのつきあいが、つまらなく感じられた。学校が退屈だから、たまたま周りにいるヤツらと話を合わせ、笑っていたかっただけのような気がした。こんな「友達」の代わりは、いくらでもいる。でも、恵子の代わりは誰もいない── そう思った。
 そして二年前の夏、太一は告白した。恵子はまっすぐ彼を見て、「わたしも好き」と言った。
 夢のような日々がはじまった。ぼくら、ふたりでひとつだね、などと言いあって、見つめあい、笑いあった…。

 太一が初めて、自分の分身のような恵子に「自己主張」したのは、進学先を都立にするか私立にするかで、彼女が迷っていた受験の時期だった。都立高校へ心が傾いていた恵子に、「私立がいいよ」と彼は強くすすめた。都立は男女共学で、私立は女子校だったからだ。男と、新しく出会う機会を、なるべく奪いたかったのだ。その本心は口にせず、べつの理由を何かとつけて、彼は真剣に私立をすすめた。
 恵子はN大付属の女子校に進学した。太一のほうは、家が貧しく、また学力もなかったので、定時制に進んだ。親戚がコンビニの店長をしていたので、昼間はそこで働くことが決まっていた。
 だが彼は、今年の四月から働きはじめたそのコンビニで、松川結奈と出会い、あっけなく恋に落ちてしまったのだ。
 
 結奈は、週三のペースでバイトに来ていた。商品の品出しが終われば、特にするべき仕事もない。客がいない時、ふたり並んでレジに立っていれば、会話は自然発生した。彼は、気さくに話しかけた。
「学校、楽しい?」「部活とか、やってるの?」
 おしゃべりを続けるうちに、仲良くなった。何回目かに一緒になった時は、「ご趣味は何ですか?」と冗談めかして聞くまでに。
 結奈はおかしそうに笑い、「趣味ねえ…。ヘンなんだけど、」と少しはにかんで、「家具見るのが好き」と言った。
「あ、家具、好きなんだ」
「うん、デパートとか行くと、必ず家具売り場見に行っちゃう。見ているだけで、もう楽しくって」ほんとに楽しそうに笑って言う。
 太一は少し考えたあと、「じゃあ今度、家具見に行こうか?」半分本気で言ってみた。すると、「あ、行こうか」結奈が笑った。
 そうして二人、翌週の日曜日、池袋の東武へ家具を見に行くことになったのだ。
 もちろん太一に、家具なんかへの興味はなかった。あるのは、結奈への好意と関心だけだった。結奈は、少しソバカスがあったが、薄茶色した眼がいつも遠くを見ているようで、その眼を見ていると、太一は自動的にその眼に吸い込まれていくのだった。

 恵子が、学級委員をつとめるほどシッカリ者だったのに対し、結奈はおさなく、夢みる少女のようだった。
 いつか結奈に、「恋とか、していらっしゃるんですか?」と冗談めかして聞いたことがある。すると結奈は、「恋ねえ…。わたし、

がいるの」と真剣な顔で答えたのだ。
「いいなづけ?… えっ、結婚するの?」
「うん。もう、そうなってるの」
 聞けば、幼なじみの「テル君」という男の子と、五歳くらいの時に「結婚する約束をしたの」だという。今、彼は親の転勤で兵庫に住んでいるが、今も連絡をとりあい、関係は「もちろん」続いているという。
 太一は、内心でセセラ笑った。そんなの、いつまでも続くわけがない。離れていたら、男なんて何してるか分かりゃしない。
 だが、あの茶色い、遠くを見つめるような眼でそう言われると、彼はやはり自動的に吸い込まれた。そして彼女が見つめている未来、その見ている先を、同じあの眼の中に入って、ずっと一緒に見ていたい気になるのだった。
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